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現実逃避

陶山大晴(5年/MF/筑波大学附属駒場高校) 2024年最終節、10月13日     vs上智大学     1部残留がかかった運命の最終戦     序盤から立て続けに得点を重ね、3-0で迎えた後半15分から出場。     後半38分、我らが大エースの谷からのナイスパスを上手く止めて、GKとの1対1を迎える。     冷静にまた抜きでダメ押しのゴールを沈める。     観客席に飛び込む。     同期も後輩も、プレイヤーもスタッフも関係なく全員がなだれ込んで喜びを分かち合う。     スコアは4-0のまま変わらず。     試合終了の笛。           あー、終わっちゃったんだな。俺の4年間。   もうちょっとサッカーしたかったな。     本当はもっと活躍できると思ってたのにな。     でも最高の同期達と出会えたから幸せだな。     楽しいことばかりじゃなかったな。     1、2年の間は半分以上DLにいて、いつまでも治らない怪我に絶望して、辞めようと思う日もあったなあ。     もう無理だと半ば諦めていた舞台に立つことができて幸せだったな。     最高の4年間だった。     さようなら、サッカー。                 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー     去年もし引退していたら、こんな感じのfeelingsを書いていただろう。     なぜ5年目をやったのか     自分の限界を知りたかったから     自分に満足していなかったから     俺ならもっとやれる     同期の絶対的エースの谷を見ながら抱いていた感情は憧れでは...

本気を出す

井筒俊宏(4年/テクニカルスタッフ/筑波大学附属駒場高校) 最終節で朝鮮相手に勝利した後の整列で、自然と目頭が熱くなった。 これまでの人生で、勝負に負けて泣いたことは何度もあるが、勝って泣いたことは記憶の限りなかった。 今日で終わるということへの高揚感が感情を強くしたことも事実ではあるが、この 1 勝がただの喜びでは消化しきれない何かによるものであることは確かだった。   ---   「結果が全てである」  スポーツでよく言われることである。見えやすいものが結果だからという理由でもあるし、そもそも結果を決めるために行われるという側面もある。私自身もこの考え方に強く同意してきたし、結果の重要性は認識している。    一方でスポーツにおいて結果を決めるための「試合」の時間よりもその準備期間である「練習」の時間の方が圧倒的に長いのもまた事実である。練習は試合のように試合は練習のように、この言葉は私が好きな言葉の一つでもあるが練習でやったこと以上のことは試合では出せないという意味で練習の重要性を説いていると思う。    結論から言わせてもらえば今季を経て、結果が全てだとは到底感じられていないのである。こんなことを言うと、今季の最下位という結果を経ての負け惜しみだと思われるかもしれないが、それを勘案しても余りあるぐらい私自身が負け続けたという結果以外で感じ、得たものは大きかった。この 1 年の道のりはあくまで私が感じたことであって誰かと共有できうるものなのかわからないが、この feelings がもし自らの感じたことを吐き出せる場であるのだとしたら好き勝手に吐露させていただきたい。   私にとって今季のテーマは「本気を出す」だった。   「本気を出す」ことについての mtg があったのは年が明けて早々のことだった。監督の徹さんから選手に対してサッカーに対する取り組み方の話が行われる中の一つの話として取り上げられた。この「本気を出す」に関してはとあるブログを元に話が進められた。それが元クリアソン新宿の選手であった井筒さんのブログであった。   JFL 昇格をかけた試合直前 のロッカーで呪術廻戦をオススメした話と、「俺、今年は本気を出すから」と宣言する奴がだいたい失敗する理由。   奇遇にも私と同じ苗字...

自由

廣瀬貞雄(2年/スペシャリスト/ 筑波大学附属駒場高校 ) スペシャリストとしてア式に入る 元来新しいことを始めることにあまり抵抗はないが、この決断には半年かかった。 高校時代のコーチがア式のテクニカルユニットに所属していたため、ア式のテクのことは認知していた。だが、新歓の時にこの代のテクニカルスタッフが爆増していると聞き、逆張りが発動して入らなかった。その時にスペシャリストという役職を知ったが、義務を免除されるという特別なポジションで入る勇気も自信もなかったため決断できず、頭の中にずっとあった。4月の終わりに方成さんがkernelでsmart goalのピッチをしているのを見て、ア式エンジニアリングユニットの存在を知った。かなり興味をひかれたが、まだ技術を身に着けていなかったので、なあなあになっていた。8月に方成さんとランチをして、エンジニアリングユニットとして活動を始めたが、数カ月経ったあと、やはり現場に関わらないと限界があると感じて、再度部室を訪問し、スペシャリストとしてア式に入ることを決めた。 小学生の時からフットサルやサッカーをしていて、練習や試合で目の前の一つ一つの勝負に勝てることが一番楽しかった。だからこそ、スタッフとしてサッカーに関わることに納得しきれない自分がいたのかもしれない。でも、1年の8月に友達がJリーグの国立での試合の無料招待チケットを当てて、久しぶりにスタジアムに行った際、スタジアムの外まで聞こえるチャントやゴールが決まった際のスタジアム全体が揺れるような盛り上がりを見て、老若男女問わず多くの人をここまで熱狂させられるサッカーというスポーツの魅力を再認識した。 スペシャリストとしてア式に入るということは、多くの義務を免除されたポジションとして入る以上、他の誰よりもア式に価値をもたらす必要があると思っている。自由であるが故の、大きな義務であり責任。少なくとも僕はこう思っている。 だから、あまり知られていないと思うが、授業や研究室にいるとき以外は基本的にサッカーに関することをしている。昨年のリーグ戦が後期に入ってから、前期の試合をデータから振り返る取り組みを大西と始めた。シーズン終了後には監督にシーズンレビューをした。今シーズンもさらに改善していく予定だ。ヨネさんや大智と話して、フィジカルデータをまとめたりもしている。UTokyo Foo...

サッカーに引き寄せられ

井筒俊宏(3年/テクニカルスタッフ/筑波大学附属駒場高校) ア式のテクニカルには変な人が多い。もちろんいい意味でである。 そんななかで僕が変わっているのは入った時期だろう。大学2年の9月下旬というタイミングで入った。年度替わりでもないし謎なタイミングである。 結論から言うと、入ったタイミングはYoutubeでテクニカルの存在を知ったタイミングであり、入った理由は面白そうだったからに尽きる。サッカーの分析をして、それをチームに還元するチームがあるテクニカルという集団が同じ大学に存在することを知り、サッカーをただ見ていただけだった僕からして非常に新鮮かつ魅力的に映った。   僕のサッカーとのつながりは長く、小学校に入る前から地元のスクール的なところでサッカーを始め、小学校に入ると2つのスクールに入りサッカーをしていた。このころを振り返ると、団子サッカーを嫌っていて、たいてい団子の外側でこぼれるボールを待っていた。接触プレーが苦手だったのと、ミドルシュートに憧れを持っていたのが理由だと思う。当時よくテレビで見ていたのはCLで何故かリバプールが好きだった。とはいってもこのころから見るスポーツは圧倒的に野球(阪神)だった。高学年になるぐらいのタイミングで地元のサッカークラブに入った。ポジションは、体力はあったので左サイドバックだった。チームは30分で15点入れられることもあるほどで決して強くはなかったが、サッカーをプレーする時間は楽しく、特にサイドを駆け上がって角度のないところからシュートを打つプレーが楽しかった。中学受験でサッカーは一時中断したが、受験後の2,3月にはサッカーを再開しておりサッカーのプレーが好きだという思いがあったと思う。   しかし、中高6年間はサッカーをやめ、卓球部に入った。サッカーとは全く異なる1人、それも手でプレーするスポーツだ。入学式のときはサッカー部に入りたいと宣言していた(出席番号がA組1番で代表のあいさつ的なのをやった)し、サッカー部の説明会には参加した記憶があるので相当迷ってはいたと思うのだが、サッカーを辞めた。サッカーを辞めた理由は様々あると思うが、今考えるに大きなところは限界を感じたということだと思う。今から考えればその時の限界などちっぽけなものだが、理想とする選手像(よくありがちな一人で何人も抜いてシュートするような...

過程と結果

内田龍吾(4年/DF/筑波大学附属 駒場高校) 締切をとっくのとうにすっぽかしているのに全く筆が進まない、関係者各位には本当に頭が上がりません。申し訳ございません。     どうしたものか。     4 年間を詳らかに時系列で振り返る、という形で一旦書いてみた。 サッカーのことを何もわからず心が折れ全てを見失った 1 年、 サッカーができることのありがたさを痛感し戦うことを楽しめた 2 年、 公式戦に出られるようにはなったものの全く勝てずチームに対して何もできなかった 3 年、 都一部昇格のために、リーグ戦の勝利のために下手な自分に何ができるかを模索した 4 年。   なんかしっくりこない。こんな綺麗にまとめられるほど自分は器用な 4 年間を過ごせなかったし、文章にすればするほど嘘を書いている気がしてしまう。   ので、書いたものを全部消して、これからのア式にメッセージを、ということも考えてみた。   が、偉そうなことを言えるほど何かを成し遂げてきたわけではなく、またしても筆が止まった。   そんな夜にできることはただ一つで、同期 ( となぜか一人の OB コーチ ) の feelings を読んではときたま涙する、最近はそんな毎日だ。電車内で読んでしまった暁には普通に涙がちょちょぎれてしまって花粉症ですという感じにくしゃみも混ぜて誤魔化したりもした。   色々と過去の出来事に想いを馳せてみたが結局、思い出されるのは最悪の記憶、試合たちばかりだ。     1 年生のときの試合や紅白戦の数々。   練習ではできていたことも試合になると全くできなくなった。一回ミスをすればその日のプレーはゴミそのもの。何も修正できずどうすればいいかも分からなくなり、その日の試合を棒に振る。 自分にボールが来るのが怖くなって、トラップすらも怖くなってその結果意味の分からないミスを繰り返す。   あってはならないことなのに試合中に何度心が折れたか分からない。早く終われとばかり思ってた。   遼さんや先輩の指摘や怒号に萎縮し、さらに試合では...