現実逃避

陶山大晴(5年/MF/筑波大学附属駒場高校)


2024年最終節、10月13日
 
 
vs上智大学
 
 
1部残留がかかった運命の最終戦
 
 
序盤から立て続けに得点を重ね、3-0で迎えた後半15分から出場。
 
 
後半38分、我らが大エースの谷からのナイスパスを上手く止めて、GKとの1対1を迎える。
 
 
冷静にまた抜きでダメ押しのゴールを沈める。
 
 
観客席に飛び込む。
 
 
同期も後輩も、プレイヤーもスタッフも関係なく全員がなだれ込んで喜びを分かち合う。
 
 
スコアは4-0のまま変わらず。
 
 
試合終了の笛。
 
 
 
 
 
あー、終わっちゃったんだな。俺の4年間。
 
もうちょっとサッカーしたかったな。
 
 
本当はもっと活躍できると思ってたのにな。
 
 
でも最高の同期達と出会えたから幸せだな。
 
 
楽しいことばかりじゃなかったな。
 
 
1、2年の間は半分以上DLにいて、いつまでも治らない怪我に絶望して、辞めようと思う日もあったなあ。
 
 
もう無理だと半ば諦めていた舞台に立つことができて幸せだったな。
 
 
最高の4年間だった。
 
 
さようなら、サッカー。
 
 
 
 
 
 
 
 
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去年もし引退していたら、こんな感じのfeelingsを書いていただろう。
 
 
なぜ5年目をやったのか
 
 
自分の限界を知りたかったから
 
 
自分に満足していなかったから
 
 
俺ならもっとやれる
 
 
同期の絶対的エースの谷を見ながら抱いていた感情は憧れではなく対抗心だった
 
 
谷も「絶好調の陶山は俺より怖い存在」と言ってくれた
 
 
自分のポテンシャルなら、チームを勝たせるエースになれるんだと本気で信じていた
 
 
 
吉本章から、
「引退試合で本気で泣いてなかっただろ、このままだと不完全燃焼で終わるぞ」
と言われたことで燃え上がった。
 
 
だからこそ、舞い込んできたもう一年のチャンス、沢山悩んだけれども掴みにいくことにした。
 
 
俺がチームを引っ張るんだと意気込んで臨んだ5年目。
 
 
正真正銘ラストイヤー
 
 
それまでの4年間を否定するわけではない。それでも5年目はこれまでと比べ物にならないほど全てをかける気持ちでいた。
 
 
医学部は忙しかった
 
 
毎週2科目のテスト、しかもリーグ戦後の月曜日朝9時から
 
 
それでもサッカーからも勉強からも逃げたくなかった
 
 
両立させるために、勉強以外全ての時間をサッカーに捧げた
 
 
睡眠不足で疲労が抜けない分、毎日昼の御殿下で30分ストレッチをすることにした
 
 
毎日のように湯船と冷水シャワーを何往復もした
 
 
風呂の後のストレッチとテスト勉強も欠かさなかった
 
 
これ以上ないくらいベストを尽くしたつもりでいた
 
 
 
 
 
 
 
それでも結果は散々なものだった
 
 
22戦でわずか1勝。
 
 
何が足りなかったのか
 
 
正直いって、実力が足りてなかったのは間違いない。
 
 
個々人の技術、身体能力はもちろん足りていなかったし
 
 
指導陣が拠り所にしていた戦術だって、しぶとく守るはずの5バックであれだけ失点していたら足りてなかったという他ない。
 
 
それでも、全てを実力不足に帰着させるのが果たして正しいことなのか。
 
 
 
 
 
どこかでいい流れを掴めていれば。悪い流れの時にそれを断ち切る力があれば。
 
 
大東帝京桜美林に3連敗した後の、日文戦にもし勝てていれば。
 
 
前期の武蔵戦だって勝てる可能性は十分にあった。
 
 
そもそも開幕戦を勝ち切っていればもっと上手くいってたかもしれない。
 
 
苦しいチーム状況で味方を励ます声がもっとあれば。最後まで仲間を信じて戦う姿勢を見せ続ければ。
 
 
別に学習院や日文を格上とは感じなかった。
 
 
それでも彼らは勝つべき試合に勝ち、苦しい試合でも引き分けに持ち込んで、しぶとく勝ち点を積み重ねていった。
 
 
俺らは苦しい状況に囚われ、自ら沼にはまっていった。
 
 
粘り強く守って、1点をもぎ取り勝ち切る。それが一度でもできれば変わっていたのかもしれない。
 
 
 
 
当時の監督は、過程のない結果には意味がないと常日頃言っていたが、
 
 
それを避けてまで、結果のない過程にこだわるのが正解だったのだろうか
 
 
もちろん各々が積み上げてきた過程は全て価値あるものだと思う。
 
 
それでも、過程が他者から正当に評価されるのは、結果が伴ってこそだと思う。
 
 
結果が出ないのに過程に目を向けて、よく頑張ったねと褒めてくれる奴なんていない。
 
 
他者にとっては、結果こそが評価の軸であるから。
 
 
だからこそ、結果がついてこない時に過程に縋るほど無意味なこともない。
 
 
結果が出ない時こそ結果を出すことにもっと執着するべきだった。
 
 
もっと毎試合向き合うべきだった。
 
 
前期はゆっくりビルドアップして少しずつ前進することにこだわり、不用意なエラーから失点を繰り返していた。守備もすぐ引いてブロックを敷くばかりで、誰も自分でボールを奪おうとはせずに相手のミスを待つばかり。
 
 
本当にこの戦い方で合っていたのか。
 
 
俺らは美しい崩しと綺麗なローブロックにこだわって勝つべきだったのか。
 
 
どんなに汚いサッカーでもいいから勝利を目指すべきではなかったのか。
 
 
自分の殻に閉じこもって、自分たちの残した美しい過程にばかりに目を向けることなんて、ただの自己満足ではなかったのか
 
 
 
 
 
個人としても、チーム状況が悪い中でもっと全体に発信すればよかったと後悔している。
 
 
忙しいことを言い訳にして自分のプレーのみに集中し、チーム全体と向き合うことを怠った。
 
 
得意じゃないことはやらなくていい、そんなふうに考えて逃げてしまった節もある。
 
 
5年目になって責任を感じるようになった気でいたが、もっとやれることがあったはずだ。
 
 
 
 
 
それでも、
 
 
僕にとってこの1年間は、全てがネガティブで目を背けたくなるようなものでもなかった。
 
 
最低の1年でありながら、同時に最高の1年でもあった。
 
 
なぜかといえば、個人としては大きな結果を残したからだ。
 
 
自分のプレーに限っていえば、それまでの4年間が一気に霞むほどの最高の一年を過ごした。
 
 
3ゴール4アシストという結果を残した。チームの総得点のうちちょうど半分に直接関わった。
 
 
サッカー人生最高のゴールも生まれた
 
 
前期学習院戦のゴール。得意な形のロングカウンター。
 
 
あのゴールを境に、自分がボールを持つたびに相手が警戒するようになった。
 
 
相手監督に、11が一番うまいからあいつを止めろと言われることも何度かあった。
 
 
ちょっと谷に近づけたような気がして嬉しかった。
 
 
去年までできなかったことがたくさんできるようになった。
 
 
対人守備が強みと言えるくらいまで成長した。
 
 
インサイドでも安定したプレーができるようになり、選手としての幅が一気に広がった。
 
1部相手でも安定して優位を取れる選手にまで成長した感覚があった。
 
 
 
 
 
 
それでも、
 
 
一人でチームを勝たせるほどの選手に到達することはできなかった。
 
 
自分がもっと点を決められていれば、アシストできていれば、
 
 
もしかするとチームは残留していたかもしれないのに。
 
 
俺は谷にはなれないんだなと。
 
 
本当の意味でのエースにはなれなかったんだなと。
 
 
でも、俺の限界ってこんなもんだよな。
 
 
良くも悪くもラストイヤーで自分の限界を突きつけられた気がする。
 
 
それでも、5年目を続ける上での目標であった、限界を知るということは果たせた。
 
 
ようやく後悔なく引退できるな。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いや、本当に俺の限界ってこんなもんだったのか。
 
 
もっともっとできたんじゃないか
 
 
本当はこのままで終わりたくない。
 
 
俺はこんなもんじゃない
 
 
もう一度あの舞台に立ちたい
 
 
今度はチームを救うエースになるから
 
 
 
 
 
さっきは強がったけど、本当は後悔ばかりが残っている。
 
 
でも人生ってこんなもん。完璧に思い通りになることなんて滅多にない。
 
 
それでも少しくらいは現実逃避させてほしい。
 
 
現実ごときが俺の意志には追いつけない。俺の勝利が非現実的なら、俺は全力で現実から逃避する。現実逃避は俺自身への期待だ。俺が俺を認めてない姿勢だ。たとえどんな正論、洞察、真理、啓蒙をふりかざそうと、俺は俺を認める。(-『ひゃくえむ。』)
 
 
この言葉にならって、僕は今日も美しき現実逃避を続ける
 
 
まだ自分の限界は知らないまま
 
 
そんな、全力の現実逃避を
 
 
 
 
 
 
 
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まだ僕のフィーリングスは終わりません。ごめんなさい。
 
 
5年目について語っていたら長々となってしまったけれど、1年〜4年も振り返らせてください。
 
 
 
 
1年目
 
東大ア式のレベルの高さを痛感した。
高校時代は部活のレベルがあまり高くなかったこともあり、なんでも思うようなプレーができていた。
正直少し舐めていた部分もあったが、ア式では思い通りにいかなかった。
最初の1ヶ月をB2で過ごし、その後なんとかB1に上がった。
だんだんと育成チームでは活躍できるようになり、Aチームでもいけちゃうかとか甘く考えていた。
Aチームでは全く思った通りにいかなかった。
9月に2週間Aチームに上がったが何も歯が立たずすぐ落とされた。
当時のOBコーチには、「技術が足りないのはわかってるけど、スピードを活かしたプレーにもチャレンジしないし、コミュニケーションも取れないし、上げなければよかった」と言われた。
結構落ち込んだ。
それでも毎日練習は楽しかったし、上手くなっていってる感覚もあったのでそこまで引きずることもなかった。
その後、9月の終わりに股関節の怪我をしてしまい、DLのままオフに突入。
来年こそはAチームに定着してリーグ戦に出場することを誓った。
 
 
 
2年目
 
怪我が治らない。
冬オフで治ると思っていた股関節はむしろ悪化していた。
日常生活でもずっと痛く、脚が重くて上手く歩くことすらできない。
サッカーもできないのにグラウンドに行く日々。
当時は今ほどメディカルの体制が整っていなかったこともあり、リハビリメニューは病院で教えてもらったものを毎日30分やるだけ。
あとは専らDL仲間とのおしゃべり。
怪我が良くなっていってる感覚はなかったが、当時の自分にはこれ以上何をすればいいかがわからなくて、もがき苦しんでいた。
あの頃のフィジカル知識皆無な自分にとってはまるで不治の病とでも言うべきものだった。
そんな感じでサッカーの熱は少しずつ失われていった。
 
そして4月になり、今年もリーグ戦が開幕。
去年よりもたくさんの同期が試合に絡むようになっていた。
谷と北川だけでなく、イシコや章やましろもコンスタントに試合に出るようになっていた。
悔しかった。自分も早く怪我を治して同じ舞台に立ちたいと思った。
なにかできることないかなと本気で考えた。
ウエイトトレを始めてみた。
正しいフォームなんかわからなかったし、当時のア式は今ほど筋トレの文化もなくて聞ける人もいなかったから、ユーチューブを漁ってひたすらトレーニングに明け暮れた。
本気で怪我を直そうと、週2でリハビリのクリニックにも通うようになった。もっと早くから通っておけば良かった。
8月の双青戦に出ることを目標にリハビリを続けた。
気がつけば少しずつ股関節の痛みも和らいできて、7月の中旬にようやく今年初の試合に出ることができた。
ボールの蹴り方は体が覚えててくれたみたいで安心した。
 
2週間後に迎えた双青戦。
3軍戦ではあったが、初めて部員全員の応援の中サッカーをすることができた。
とりあえず幸せだった。またサッカーを好きになれた。
その一方で、試合が終わってから少しずつ股関節に違和感を感じ始めた。
次の日、朝起きると股関節が痛かった。脚が裂けているのかと思うほどの痛み。
かなり絶望した。今まではどれだけ怪我が治らなくても、怪我が治ればまた活躍してAチームに行って公式戦に出られると信じ続けてきた。
だからこそ辞めたいと思ったことなど一度もなかった。
 
初めて辞めたいと思った。
 
2022年9月14日、今でも覚えているあの日。
同期でフィジコの新家とご飯にいった。
 
「俺このままいったら怪我を繰り返しながらAに上がるチャンスを逃し続けて、一生育成のままで終わると思う。ずっと公式戦で活躍するために頑張ってきた。でも今の俺にはもうリーグ戦に出られるビジョンがない。だからもう辞めたい。」
 
こんなにも追い込まれていたことに、自分でもびっくりした。
 
新家の答えを明確に覚えてはいないが、
もう一度だけ頑張ってみよう、次怪我したらその時は辞めてもいいから、とかそんな感じだったと思う。
そこからどうなったかはよく覚えていないが、とりあえず新家に言われた通り死ぬ気で頑張ることにした。
 
 
 
3年目
 
始動してすぐに合宿があった。
怪我前とは比にならないほどパフォーマンスが上がっているのを実感した。調子が良く、これならすぐにAに行けるのではないかという期待もあった。
するとタイミングよくAチームに仮昇格した。
この頃は試用期間というシステムがあり、この期間のうちに結果を残さなければ育成に戻らなければならないという、今よりも過酷なシステムであった。
試用期間の1週目に脳震盪になってしまったものの、当時の監督である陵平さんに頼み込んでもう1週間延長してもらえることになった。
後がない中で望んだ2週目だったが、運よく正式な昇格を掴み取った。
さらに信じられないことに、次の週の試合でスタメンに抜擢された。
 
vs専修大学
僕のア式人生における大きな転換点とも言える試合。
この試合でアピールできなかったら一生育成とAの行き来を繰り返すことになるだろうと覚悟していた。それでもなぜか活躍できる自信があった。
結果は上々だった。試合こそ格上相手に惜敗してしまったものの、谷との連携から何度かチャンスを演出した。
一気にリーグ戦で活躍するビジョンが見えてきた。
 
そこから捻挫で離脱したものの、復帰戦のアミノ2回戦vs大東文化大学で公式戦初出場を果たす。
そしてその後迎えたリーグ開幕戦。
 
vs上智大学
後半10分、出番がやってきた。
初めてのリーグ戦。
不思議と緊張はなかった。2-0でリードしていたからかもしれない。
神様からのプレゼントはそれだけで終わらず、後半15分にリーグ戦で初めてゴールを決めた。
FKのこぼれ球を反転しながらシュート。無我夢中だった。
みんなが笑顔で駆け寄ってくる姿を見て、ああ、あの時サッカー辞めなくてよかったなと思った。泣きそうだった。
 
あっという間にシーズンは過ぎ去っていった。
この一年は、大きく成長した1年間だった。
18試合に出場しそのうち7試合でスタメン出場。
何もできなかった試合もあったし、スタメンの時は足を引っ張ってる自覚もあったけれど、特に後期は徐々に1部でも通用する感覚を掴みはじめていった。
 
個人的に強く記憶に残っている試合が2つある。
 
1つ目は第5節の成蹊戦。
初めてリーグ戦にスタメンで出場した。
楽しみというよりも緊張が大きく勝っていた。前日はあまり寝られなかった。
屈辱的な試合だった。攻撃で何もできなかっただけでなく、守備ではセットプレーから自分のマークに2点決められた。
ハーフタイムでの交代。当然のことだけどショックだった。
自分はまだスタメンに値しない選手なんだと落胆した。
今でもあまり思い出したくない試合である。
 
2つ目は第18節の帝京戦。
前半20分に北川のクロスを背中で決めるという珍ゴールを披露。結果的にその1点を守り切って1-0で勝利した。
シュート数は東大が3で帝京が18。スコア以外の全てで負けていた。それでも、チーム全員で勝利を目指して泥臭く守り続けたこと、それに自分が少しでも貢献できたことがとても誇らしかった。
この試合で初めて両チームから優秀選手に選ばれた。
 
 
結局このシーズンは、8勝8分6敗の勝ち点32で終えた。
特に6勝を挙げた後期にかけてチームの雰囲気が最高潮に達して、毎試合が天王山のような、そんな盛り上がりに包まれていた。
上智戦でのスーパールーキー誠二郎の大活躍に、横国戦の洸の劇的ゴール、玉川戦の劇的逆転勝利などなど。
 
その後、陵平さんが退任して、テツさんが監督に就任した。
そして激動のラストイヤーを迎える。
 
 
 
4年目
 
再びア式を辞めようか悩んだ1年間。
 
監督が代わり、気持ちを新たにラストイヤーを全力で楽しもうという気持ちでいっぱいだった。
それなのに、オフ明け2週目にインフルにかかってしまい、次の週も調子が上がらないまま過ごした。
育成に落とされた。
まさか落ちるとは思ってなかった。
確かに調子は悪かったけど、去年1年ずっとAにいた自分が落とされるはずがないと思って信じられなかった。
テツさんから呼ばれて面談すると、
「体調不良だけが理由じゃない。始動してからのプレーを総合的に判断してAチームに必要な選手ではない」と言われた。耳を疑った。
 
去年から試合に絡んでいて、今年は当然スタメンで出れると思っていた。
確かに慢心している部分も少なからずあった。
それでも、今の自分の実力なら育成に落ちるはずがないという自信があった。
1週間でAに戻ったが、あまり喜ぶ気にもなれなかった。
テツさんに少し不信感を抱いていた。
今思えばテツさんなりに、一度落として奮起させようといった意図などがあったかもしれない。それでもラストイヤーのはずだった自分に、そこまで思考を巡らす余裕などなかった。
 
テツさんの指導の仕方も自分はあまり好きになれなかった。
テツさんはプレーに個々人の自由な意思を介在させることを嫌ったが、各々の持つ武器を評価せず全員を均質化させようとしているような気がして僕は納得できなかった。
正解のプレーが一つじゃなくてもよくないか、そう言いたかった。
 
結局、プレシーズンを通して全く勝てなかった。
勝利至上主義、自分たちのサッカーを捨ててでも勝利を目指す、という陵平イズムが日に日に失われていっている気がした。
個人としても、気づけばセカンドの右ウイングが定位置になっていた。
 
 
チームの調子も個人の調子も上がらないまま迎えたアミノカップ。
1回戦の東工大戦では途中出場。PK戦でなんとか勝利。
ここで久しぶりに股関節に違和感が生じる。
病院にいくと、股関節の関節唇損傷と診断された。
今までの股関節の痛みよりもさらに良くない状態になっているらしい。
最悪の場合手術だと言われた。
 
結局最後まで怪我に苦しめられるのかと思った。
しかし、縋る思いで受けた関節内注射が奇跡的に著効してほとんど痛みがなくなった。
また、DLになったことで落ち着いて自分を見つめ直す時間ができ、心身共に状態が戻っていくのを感じた。
自分のプレーに対する自信も失っていたことに気づき、調子が良かった頃のプレーをたくさん見返すようにした。
開幕には間に合わなかったが、復帰してから調子が良くなっている感触があった。
 
そして今シーズン初のリーグ戦。
第4節武蔵戦
56分から途中出場した。
調子が良かった頃のキレが完全に戻っており、ボールが入るたびにチャンスを演出した。
86分にはドリブルで二人を交わしPAの外から左足でスーパーゴールを決めた。
文句無しに自分のア式人生ベストゴールと言えるものだった。
試合には勝てなかったが、個人としては完璧なパフォーマンスだった。
 
ここから何試合かは好調を維持しながら、スーパーサブとして後半途中から出場することが続いていた。
なぜスタメンじゃないのかとも思ったが、自分には試合の流れを変える重要な役割があるんだと言い聞かせていた。
 
第11節上智大学戦。
出場機会がなかった。
ベンチに入って出場しない試合は初めてだった。悔しかったというよりも、納得いかない気持ちが強かった。
試合の3日前くらいにテツさんが、「陶山は守備のミスが多すぎて干そうかと思っていた」と冗談まじりに言っていたことを思い出した。
 
そこからどんどん出番が減っていった。
 
第14節の日文戦では、前半15分で3失点を喫して、後半盛り返すも押しきれず2-3で敗北。
なんで俺を出さないんだ、そう思いながらベンチで眺めることしかできなかった。
試合終わりに谷から、
「なんでお前が出ないんだよ、お前が出ないから負けた」
と言われた。
もどかしかった。
それでも、何で使ってもらえないのか聞きに行けるほど監督との関係も良くなかった。
チームも勝てないまま。
結局後期に入ってから4連敗して中断期間を迎え、双青戦ではベンチ外。
 
中断明けの学芸大学戦に1-7で敗れ、チームはようやく戦術を捨てて勝ちのみを目指すようになった。
ついに必要とされる時が来た。
一気に出場機会が増え、スタメンの試合も増えていった。
最後の数試合は、これまでの不遇を晴らすように、すこぶる調子が良かった。
 
 
そして迎えた2024年最終節、10月13日
vs上智大学
1部残留がかかった運命の最終戦
序盤から立て続けに得点を重ね、3-0で迎えた後半15分から出場。
後半38分、我らが大エースの谷からのナイスパスを上手く止めて、GKとの1対1を迎える。
冷静にまた抜きでダメ押しのゴールを沈める。
観客席に飛び込む。
同期も後輩も、プレイヤーもスタッフも関係なく全員がなだれ込んで喜びを分かち合う。
スコアは4-0のまま変わらず。
試合終了の笛。
 
 
 
最初の4年間の振り返りは以上になります。
 
 
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最後に感謝の言葉を述べたいと思います。
 
 
LB会の皆様
あらゆる面でサポートいただきありがとうございました。
勝利という形でお返しすることができなかったのが心残りですが、来年からはLB会の一員として共に戦います。これからもア式の発展のためにどうかご尽力をお願いします。
 
 
陵平さん
陵平さんがプロ意識というものを示し続けてくれたことで、サッカー選手としても人としても大きく成長することができました。何度も問題を起こして迷惑をかけてしまい申し訳ありません。
陵平さんの誕生日翌日の帝京戦でゴールを決め勝利をプレゼントできたことは一生の誇りです。
今後とも益々のご活躍をお祈り申し上げます。
 
 
テツさん
2年間ありがとうございました。
テツさんのサッカーが好きだったとはどうしても言えないです。
それでも何度も5年目やろうと勧誘してくれたことには本気で感謝しています。
ラストイヤーで人としては好きになれました。
また飲みに連れて行ってください。
 
 
フィジコの方々へ
よく離脱する自分にとって、必要不可欠な存在でした。
タディさんに始まり、新家や米さん、大智とお世話になりました。あとはトレーナーだけど久保さんも。
みなさんから沢山のフィジカル知識を吸収したことが、5年目の飛躍に繋がったと思います。
DLの日々は辛かったけど、でもフィジコやトレーナーと話している瞬間は楽しかったです。これからも怪我人の光であり続けてくれると嬉しいです。
 
 
スタッフへ
いつも裏からア式を支えてくれてありがとうございました。みんなの存在なしではア式は成り立たないと思っています。
勝てないチームを応援することは苦痛だったかもしれないけど、もう少しだけア式を信じて支えてくれると嬉しいです。
 
 
先輩方へ
沢山お世話になりました。あの頃はみんなについていくのが精一杯でしたが、ラストイヤー観に来てくれた方々には見違えるほど上手くなったと言っていただき嬉しかったです。
 
 
同期(106期)へ
みんなが卒部していってからの1年間、ちょっとだけ寂しかったです。
いっぱい応援に来てくれてありがとう。君らにももっと勝ってる姿を見せたかった。
 
谷、少しはお前に近づけたかな。俺はサッカー辞めるけど、谷はア式106期のエースとして引き続き頑張ってほしい。
新家、あの時引き止めてくれてありがとう。新家にとってはもう思い出せない、些細な発言だったかもしれないけど、自分のア式人生にとってはかけがえないものでした。
あとは、歌。5年間ありがとう。
最後の一年、もっと歌と一緒に勝利を分かち合いたかった。
 
 
後輩達へ
まずは、5年目を受け入れてくれてありがとう。
特に107期は複雑な思いとかあったかもしれないけど、みんなとサッカーできて楽しかったです。
 
荒、チームのことをもっと考えられなくてごめん。横に荒がいてくれると心強かったです。最高のキャプテンでした。腕早く治してね。
大輝、まさか一緒にリーグ戦出られると思ってなかった。桜美林戦のゴール嬉しかったよ。前回の卒部ビデオも作ってくれてありがとう。
旭と岡部も仲良くしてくれてありがとう。
 
108期以下の後輩達へ、
これからOBコーチとして、君たちが限界まで出し切ることができるように、微力でも貢献できたらいいなと思っています。
本当に全員に上手くなって欲しいと思っているので、誰でも頼って欲しいです。
これからのみんなの活躍を期待しています。
 
誠二郎、ラストイヤー期待してるよ。色紙に約束してくれたもんね。
大楽、めちゃめちゃ上手くなってね。色紙書いてくれてなかったけど、今からでもメッセージ待ってるよ。
馬渕、プレゼントありがとう。ポテンシャルはピカイチだから、あとはプレーの基準を自分の中で確立して、自信を持ってプレーしよう。
個人の名前をあげるとキリがないので、こんなところにしておこう。
 
 
 
最後に家族へ
 
 
お母さん
小中時代、毎練習前におにぎりを作って持たせてくれてありがとうございます。
夜遅く練習から帰っても必ずご飯を作って待っててくれたこと、サッカーに興味ないふりをしながらもたまに調子を聞いてくれたこと、嬉しかったです。今まで育ててくれてありがとうございます。
 
お父さん
仕事が忙しい中でも土日は公園で一緒にサッカーしてくれたことを覚えています。小中時代、遠いグラウンドでの練習では必ず迎えに来てくれてありがとう。大学になっても毎試合ライブ配信をみて応援してくれて嬉しかったです。
 
お兄ちゃん
お兄ちゃんがきっかけでサッカーを始めました。僕がサッカーと勉強を何不自由なくできたこと、お兄ちゃんの協力なしには不可能だったと強く思っています。イライラするといつも強く当たってしまってごめん。ずっと元気でいて欲しいです。
 
 
 
何よりも僕のサッカーを優先してくれる家族がいたからこそ今の自分がいると思っています。本当はもっとサッカー上手くなって、もっと活躍しているところを見せたかったです。
僕をサッカーに出会わせてくれてありがとう。サッカーを続けさせてくれてありがとう。
 
 
 
 
 
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僕のサッカー人生もそろそろ幕引きということで、振り返ってみるといつもサッカーが隣にいてくれた。
 
 
そんなサッカーと離れるのは寂しいけれど、悔いなくやり切れたかな。
 
 
あーあ、もっと勝ちたかったなあ。
 
 
悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。
 
 
もっとみんなと一緒に勝利を喜びたかった。もっともっと、ただ一つを歌いたかった。
 
 
もし生まれ変わったらまたア式に入って、今度は勝って勝って勝ちまくりたいな。
次は留年せずに4年で引退したいけど笑
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さようなら、サッカー
 
 
さようなら、ア式
 
 
いつか、できるだけ近い将来、東大ア式が関東昇格を達成できることを祈って
 
 
 
 
 
陶山 大晴
 
 
 
 
 

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