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堀内健伸(3年/MF/麻布高校) サッカーを求める人は回れ右して下さい! このfeelingsでは、私がア式に入部してからの交友関係についてダラダラと振り返ろうと思います。ただ時系列ごとに列挙しただけなので、凝った作品などではないことをご了承願います。ただのメモのようなものだと思って読んでいただけると幸いです。 (浪人期) “さっきはア式に入部してからの話だって言ってましたやん!”と思った方もいるでしょうが許していただきたい。今の私とは切っても切り離せない男との出会いが、俺たちの駿台横浜校で起こったのだ。その男をU君とここから呼ばせていただく。当時のU君との関係は、友達の友達くらいだった。U君の最初の印象は“静かで優しそう”だった。ここから何かイベントが起こると思った方には申し訳ない。残念ながら、浪人の間に仲良くなることはなかった。 (1年生) 4月:ア式のミニゲーム大会に参加し、まさかのここでU君と再会。俺たちの物語が動き出した。U君がア式の練習参加をすると聞いて自分も参加してみることにした。4月18日に初の練習参加。とても緊張していたが、同じく緊張で固まっているE君と仲良くなる。帰り道も同じで、 私、U君、E君 の三人で周りのレベルが高いことを嘆きながら本郷三丁目まで歩いた。皆がご存知“本三組”がこの日をもって誕生したのだ。 5月〜7月:正式にア式に入部。本三組で何度も遊ぶ。E君の実家にお邪魔してEUROの準決勝スペインVSフランスを見た。U君がコインランドリーに行ったきり帰って来ず、得点シーンを見逃すという愚行を今は懐かしく感じる。やめるやめる詐欺でお馴染みのN君とも仲良くなって、今は出家したW君と三人でN君の家に泊まって恋バナをしたり、今度はW君の家にお邪魔し、みんなでEUROを見て、W君手作りのチョコケーキを食べたりした。練習後は部室の2階で同期に作って貰った筋肉弁当を食べる3個上のKさんとくだらない話を永遠としていた。あの時間が今はとても恋しい。 8月〜9月:夏休みはとにかくU.y君の家にお世話になった。練習後に本三組でお邪魔しては桃鉄とアソビ大全でボコボコにされた。U.y君は桃鉄の立ち回りがテンプレ化されるほど極めていたので、勝ち目はなかった。双青戦で京都に向かう前にもU.y君の家にお邪魔して余った食材で焼きそばを作ってもらい、そこから東京駅に向かった...

情熱の続き

堀内健伸(1年/MF/麻布高校) 私がfeelingsを書く番が回ってきた。早すぎる…まだ入部して3ヶ月しか経っていない。そんな私がア式について語ることはできない。そのためありきたりではあるが、私がア式に入部した経緯を書き連ねていこうと思う。  私は5歳の時にサッカーと出会った。最初は始めたきっかけである兄と同じチームでプレーしていたが、8歳にして一丁前に隣町のチームに移籍した。移籍先のチームはその地区では強いチームだった。最初はその中で切磋琢磨するのを楽しんでいたが、ベンチの時間が増えると試合に出場できるかばかり気にするようになり、サッカーを純粋に楽しめなくなった。高学年になると、チームメイトがトレセンに選ばれるようになり、近くで見ていた私はこのままでは何もないと危機感を持った。そんな中、自分と似た境遇の仲間が中学受験をすると聞きサッカー以外の生き方を知った。こうして私は小5の冬にチームを辞め、勉強に逃げた。その後は麻布学園から合格をもらい進学した。  中学時代はMFとして試合に出場し、チームも地区では負けない程度には強かったので楽しかった。ただ、この時の楽しさはサッカーに向き合った故の楽しさではなく、友人と集まって行うフットサルのような遊びの楽しさであったと思う。この時既に私の中で最も優先順位が高いのは勉強であった。実際中3 の頃に鉄緑会に入った。そんな中、その年の冬にコロナウイルスが流行りサッカーどころではなくなった。最初の3ヶ月は学校に行くことすらできなかった。学校が再開した後もマスクの着用が義務付けられ、接触プレーが禁止された。そのため、練習メニューは走り、筋トレ、シュート練に限定された。正直言ってつまらなかった。なんのためにサッカー部に残っているのか分からなくなっていた。それでも惰性で部活に残った。高1の冬くらいから試合ができるようになったが、クラブチーム出身の選手にポジションを取られて試合に出られない期間が続いた。ここでも私は勉強に逃げた。そんなこんなで気づいたら高2の秋の新人戦を迎えていた。サッカーに身が入ってなかった私は対戦相手すら曖昧なレベルだった。結果は1−3の敗戦。あっけなかった。麻布サッカー部ではこの秋の新人戦が一つの区切りとされており、半数以上がサッカー部を辞める。チームメイト同様私もサッカー部を辞めるか決断しなければい...