サッカーに引き寄せられ

井筒俊宏(3年/テクニカルスタッフ/筑波大学附属駒場高校)



ア式のテクニカルには変な人が多い。もちろんいい意味でである。

そんななかで僕が変わっているのは入った時期だろう。大学2年の9月下旬というタイミングで入った。年度替わりでもないし謎なタイミングである。

結論から言うと、入ったタイミングはYoutubeでテクニカルの存在を知ったタイミングであり、入った理由は面白そうだったからに尽きる。サッカーの分析をして、それをチームに還元するチームがあるテクニカルという集団が同じ大学に存在することを知り、サッカーをただ見ていただけだった僕からして非常に新鮮かつ魅力的に映った。

 

僕のサッカーとのつながりは長く、小学校に入る前から地元のスクール的なところでサッカーを始め、小学校に入ると2つのスクールに入りサッカーをしていた。このころを振り返ると、団子サッカーを嫌っていて、たいてい団子の外側でこぼれるボールを待っていた。接触プレーが苦手だったのと、ミドルシュートに憧れを持っていたのが理由だと思う。当時よくテレビで見ていたのはCLで何故かリバプールが好きだった。とはいってもこのころから見るスポーツは圧倒的に野球(阪神)だった。高学年になるぐらいのタイミングで地元のサッカークラブに入った。ポジションは、体力はあったので左サイドバックだった。チームは30分で15点入れられることもあるほどで決して強くはなかったが、サッカーをプレーする時間は楽しく、特にサイドを駆け上がって角度のないところからシュートを打つプレーが楽しかった。中学受験でサッカーは一時中断したが、受験後の2,3月にはサッカーを再開しておりサッカーのプレーが好きだという思いがあったと思う。

 

しかし、中高6年間はサッカーをやめ、卓球部に入った。サッカーとは全く異なる1人、それも手でプレーするスポーツだ。入学式のときはサッカー部に入りたいと宣言していた(出席番号がA組1番で代表のあいさつ的なのをやった)し、サッカー部の説明会には参加した記憶があるので相当迷ってはいたと思うのだが、サッカーを辞めた。サッカーを辞めた理由は様々あると思うが、今考えるに大きなところは限界を感じたということだと思う。今から考えればその時の限界などちっぽけなものだが、理想とする選手像(よくありがちな一人で何人も抜いてシュートするような)と自らのプレーとのギャップを限界と感じていたのだろうと思う。具体的には学年が上がるにつれて増えてきたコンタクトプレーやヘディングが苦手であったり、ユースチームのセレクションに3年連続で落ちたりしたことなどが要因だろう。そのためア式にいる部員の皆に対しては多くの挫折などがありながらもサッカーを続けてきた点で尊敬の思いしかない。そうして、サッカーを辞めて以降は卓球に注力していたが、完全にサッカーから離れたわけではなかった。体育祭では必ずサッカーをしていたし(ハンドボールとかバレーボールとかの球技から選べた)、日本代表戦はほとんど見ていたし、たまにCLの試合もみていた。自分にはできなかった上手いプレーをみるとたまにサッカーをしたくなる気持ちもあったし、見ているだけでも楽しくなった。根底にはサッカーをしていた小さい時の、相手を抜いたりシュートを決めたりといったことの喜びがあったように思う。

 

余談ではあるが、高校の一時期はDAZNでCL、プレミアなどサッカーコンテンツが充実していたためその間はサッカーの試合も高頻度で見ていたが、すぐにDAZNのコンテンツが減りあまり見なくなった。DAZNが低価格でサッカーの試合を数多く配信し続けていてくれればもう少し早くサッカーへの熱が起こっていたかもしれない。

 

そんな状態が続いて中高6年間が終わり、1年浪人して大学に入学した。1年の浪人期間を経ていなければ大学の卓球部に入っていたといったものはあるが、サッカーに関する環境は特に変わらなかった。大学1年の冬にカタールW杯があった。W杯は南アフリカ大会から見ていて、ブラジル大会からは日本以外の試合も相当数見ていたし、基本的にサッカー選手の名前を覚えるのもW杯きっかけがそれまでも多かった。そして、カタールW杯では時間があったのもあって2/3くらいの試合はリアルタイムで見た。いつもはW杯が終わるとサッカー熱が収まるのだが、この時は友達が見だしたのがきっかけでFantasy Footballという毎節ごとにプレミアリーグから11人の選手を選び、選手の実際の試合での活躍ごとにポイントが与えられるというゲームをやるようになりほぼ同時にプレミアリーグを見るようになった。恐らくこれがサッカーに強くはまった転機だと思う。初めのうちは、リバプールの試合を見て応援し、シティの負けを祈るだけだったが、徐々に解説を聞いて面白いと感じるようになり(特にベンメイブリーの試合中に挟んでくる小話が面白かった)、いわゆる戦術本からクロアチアの応援文化にいたるまでサッカーについて書かれているような本を読んだりするようになり、サッカーを知りたいという気持ちが強くなっていった。

 

そんななかで、Youtubeでテクニカルの存在を知り入部を決めた。知ってからア式にメールを送るまではそこまで迷わなかった。サッカーを良く知りたいという思いとマッチしたし、それを還元するチームを持つ集団に魅力を感じた。

 

入った当初から感じ続けていることは全てを定義するのが難しいサッカーの言語化の難しさであり、それをこなすテクニカルの皆の凄さを感じている。サッカーの言語化への認識はすぐに変化していくと思うが、せっかくの機会なのでここに現時点での認識を書いておきたい。言語化は今書いているような文章であれ、会話であれ日常生活の全てに現れると言っていいものだ。テクニカルにおいては、相手の分析から自チームの修正、プランの提示などにいたるまで特に言語化が求められる。その言語化の難しさは様々あるが最重要な側面は表現の正確性と伝わりやすさの2点だと思う。サッカーにおいての正確性は、それぞれの場面や現象を言い表す正確性のことである。これが本当に難しい。単に起こった現象がボールを奪い奪われたというものであっても、2人の能力、ボールの位置、ピッチ内の位置といった様々な状況がある。それだけでなく基本的にはボールに触っていない多くの選手たちもそうしたそれぞれのプレーに対し、自らの位置や相手との距離といった状況によって影響をもたらしている。そうした現象が積み重なってできた局面や試合になればさらに表現する材料が増えていく。一言で言えば、その難しさは変数の多さに由来すると言える。伝わりやすさに関しては、チームの分析に関してであれば特にだが、ピッチ上でプレーする選手に伝えることが最重要であるため、表現の取捨選択と言葉の選び方が重要である。どの部分をどう切り取って伝えるかにはいくつもの正解があると思うが、そうした積み重ねの成果がア式では試合の結果としてある程度可視化される。こうした一連の行為がテクニカルとしての役割である言語化だと思うし、この行為を日々繰り返すことがやるべきことだと感じている。少し話が散らかったので最後に最近の話に戻る。

 

最近の帝京戦(4/14)で初めてセットプレーのスカウティング資料の作成を行った。東大の試合のほんの一部ではあるが、試合に関わる実感を持つことができ、試合開始の直前にはこれまでにはない感情の高ぶりを感じた。その高ぶりはファンとしてチームを応援するのとは異なるものだった。試合に敗れてしまったため、なんとかア式が勝てる方策を考えられたのではという思いがこみあげている。この思いを今後は勝利につなげられるよう頑張っていきたい。

 

井筒

 


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