2018年2月20日火曜日

"嫌われ者"になる勇気

昨年のリーグ戦期間中、よく見た光景がある。



ア式にはフィジコという役職がある。筋トレ管理、フィジカルメニューの考案、怪我人の状況の把握などを行って、選手のフィジカル面の総合的なサポートを担っている。

そのフィジコの指導のもと、選手のスタミナやアジリティを高めるためにダッシュトレーニングを練習の最後に行うことがある。

「よく見た光景」というのは、そのラントレの際の話だ。

ひとしきりのメニューを終えてある程度エネルギーを使った後、フィジコがラントレをやるとの旨を皆に伝える。正直「いやだな」と誰もが思う。本田圭佑くらいのメンタリティがあれば「強くなるチャンスだ」などとポジティブに考えて嬉嬉としてやるのだろうが、一端の大学サッカー部員からすればキツいことはキツいことでしかなく、ただただ「いやだ」と思うのである。いや、本田圭佑でさえ多少はそう思うかもしれない。

問題はその「いやだ」という気持ちを口にする部員がいることだ。

「リーグ戦で疲れが溜まってんだよ」
「今週末走れなくなるわ」

全員ではないが、少なくない数の部員が思い思いに文句を言う。それも発言力の大きい上の学年ほど。挙句の果てにメニューの緩和を要求する者もいた。

その威勢に押され、フィジコが実際にタイム設定を長くしたり、本数を減らしたりすることも何度かあった。

なんとかラントレが終わったあと、マーカーを片付けるフィジコの先輩は、悲しそうな、疲れきったような顔をしていた。




これが「よく見た光景」だ。




なんとも情けない話だと僕は思う。

毎週リーグ戦があって疲労がたまっているのもわかる。特にスタメンの選手の疲労なんて相当なものだろう。でも、たった数分のラントレが週末の試合の結果に悪影響を及ぼすだろうか。そのラントレのせいで、自陣ゴール前であと一歩足を伸ばすことが、味方のシュートのこぼれ球にあと一歩つめることが、難しくなることがあるだろうか。

おそらくそんなことはないはずだ。むしろその逆だと僕は思っている。

ア式の選手達は、ごく一部を除けば、技術もセンスもさほどないし、その一部の選手でさえ、関東で闘うチームの選手達に比べれば劣る。そんな僕達が東京都一部に昇格し、最終的に関東昇格を達成するためには、やはり走力は重要なファクターになると思う。

実際、高校時代、それほど技術が高くない僕のチームが都でベスト8やベスト10に入れたのも、普段の強度が高いトレーニングに裏付けされた走力と粘り強さで相手の攻撃を跳ね返し続け、少ないチャンスをものにできたからだ。

そもそも、ア式の練習の強度は高くない。1週間に1度のラントレくらいこなせなければ、リーグ戦で走れる訳もないし、ゴール前で粘れる訳もない。疲労が心配なら、そのラントレをした分、いつもより時間をかけてケアをすればいい話だ。




僕が言いたいのは、「だからラントレを沢山しよう」とか、「練習の強度を高めよう」とか、そういうことではない。




"リーダーを権威付けるのはその他の人間である"




ということだ。




フィジコもフィジカル面のリーダーと言えるし、勿論のこと、主将や主務といった立場もこれに当てはまる。

中には、圧倒的な技量やカリスマ性があって、周りからの権威付けなど必要としないリーダーもいるだろう。しかし、圧倒的なリーダーシップでチームをグイグイ引っ張っていくタイプではないリーダーも一定数いる。

後者のリーダーにとって、チーム全員の快い同意が得られないようなことを発言したり、実践したり、あるいは指示したりするのには、すごく勇気が必要だったりする。その時はチームメイトの"嫌われ者"を買って出なくてはならないからだ。

僕も高校時代はそういう経験を何度もした。猛烈なブーイングにさらされながら、ア式のラントレの何十倍もキツいトレーニングを強行実施したこともある。

そういう時に予想はしていても実際に真っ向から多くの批判を受けると、"嫌われ者"になることが怖くなって、最終的に妥協が生まれ、リーダーはチームメイトの目先の願望を集約してそれを体現するだけの存在になってしまいかねない。それはチームにとって明らかにマイナスだ。

だからこそ周りの人間は、たとえその場の感情では嫌であったとしても、それが長期的に見てチームの成長に繋がるのなら、リーダーの言うことに黙って従うべきだ。それがリーダーの権威付けになる。

もっと言えば、一時的な消極的感情を押し殺すのみならず、ポジティブな態度を見せてほしい。

先程のラントレの話でも、「やろうぜ」「いいね」といった声掛けをする者は何人かいたが、それは自分がリーダーとしての立場にある主将や副将たちだった。そうではなくて、そうした立場にない部員達が前向きな言葉を発することが出来れば、リーダーは自信を持って様々なことを実践できるだろうし、チームとしての一体感も生まれると思うのだ。

決して"鬼"なんかではない。ただチームのことを考えて、敢えて皆から好まれない発言・行動・提案をしている。その裏にある"怖さ"や"勇気"を汲み取ってあげてほしい。リーダーに"権威"や"自信"を与えてほしい。





高校時代の主将という立場や、今のア式での副将という立場を鑑みると、やや自己防衛的な内容に思われるかもしれないが、決してそういうつもりではないことは了承して頂きたい。











既にかなり冗長で厚かましいFeelingsになってしまっているが、最後にもう1つ、これに関連して言いたいのが、




"スタッフに存在価値を与えるのはプレイヤーである"




ということだ。




実際にピッチに立って戦う我々プレイヤーと違って、スタッフはチームの目標達成に直接携わることはできない。様々な面からプレイヤーをサポートすることで間接的に貢献するのがスタッフだ。そのため、スタッフの存在価値はプレイヤーより低く見られがちで、まるで代えが利く存在であるかのように錯覚される。

しかし、全くそんなことはない。スタッフの存在がなければ間違いなく部は回らないし、ひとくちに「スタッフ」と言っても皆それぞれ得意・不得意や性格といった"色"があって、代えなど決して利かないのだ。選手とスタッフは至って対等であって、同じ目標に向かって努力する仲間だ。

そのような錯覚をスタッフ自身が覚えてしまうことがないように、プレイヤーは彼らに存在価値を与え続けなければならない。

こう言うと、まるでプレイヤーの承認なくしてスタッフの存在価値など存在しないかのように聞こえるが、そういうことではなくて、スタッフが自身の存在価値を実感できるような環境を作るべきだ、という話だ。

方法などいくらでもある。

ボトルを渡してくれたマネージャーに対して、テーピングを巻いてくれたトレーナーに対して一言「ありがとう」と言う。テクニカルが定期的に実施しているアンケートに対して誠実に答える。あるいは、その分析が有意義なものだったら、スカウティングミーティングの内容が試合で役立ったら、それを直接伝える。フィジコがアップを指導してくれたら、ラントレを実施してくれたら、「サンキュー」と皆で言う。「プレイヤーはスタッフより偉くて価値がある」とかいう馬鹿げた考えを捨てて、スタッフと対等な立場に立って活動に取り組む。

全部"当たり前"だ。でも、よく言われることだが、そういう"当たり前"を"当たり前"として実践するのは意外と難しい。

ただ、その積み重ねが、スタッフ自身が存在価値を実感し、チームのために、プレイヤーのために努力する原動力になる。

彼らの"ガソリン"の供給源になれるのは、他でもない我々プレイヤーだ。

それを心に留めておいてほしい。









読み返してみると、綺麗事だらけの酷く冗長な文章になってしまった。こんなつもりはなかったのに。読者の皆さんも疲れたと思う。僕という人間に辟易した人も多いだろう。ごめんなさい。

ただ、このFeelings自体、僕の「"嫌われ者"になる勇気」の結晶であることも、分かってほしい。


新歓でエース級の活躍を見せたい
1年 大谷拓也

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