2017年12月15日金曜日

This is football

10月29日、田んぼのように水浸しになった御殿下のピッチの脇で、自分のサッカー人生はあっけなく幕を閉じた。
最後の何試合かはまるで呪われたかのように毎回大雨が降り、まるでサッカーにならないようなコンディションが続いた。自分が逃げ続けた部分のみが問われるような展開。サッカー人生の最後に一矢報いるチャンスは、とうとう訪れなかった。


思い返せば、もうちょっと上手くできたんじゃないかと思うことだらけだ。
サッカーを始めた小学校では、サッカーの魅力に気づくのが遅すぎた。5年生のときに見たクリスティアーノ・ロナウドがすげーカッコよくて、やっと本気で練習してドリブルはちょっと上手くなったけど、幼少期に獲得すべきコーディネーション能力や基礎技術の不足が、その後のどのカテゴリーにおいてもボトルネックになった感は否めない。
運よく鹿島のつくばJYに入団できた中学校では、成長期が訪れたのを転機に徐々に試合に出られるようになったものの、体力や基礎技術の低さといった自分の問題点を認識しながら、それに正面から向き合うことが出来なかった。このことが、サッカー選手としての自分の限界を決定的にし、今もなお自分の足を引っ張る甘い精神性を形成することになった。
中学の時よりさらに不可解な感じでユースに昇格した高校時代には、自分は何者かになれるのではないか、何かを成し遂げられるのではないかな、くらいにおめでたい勘違いをしていた。舞い上がっていた。ベーシックな部分は依然として出来ないことだらけだったのに、3人抜ければなんとかなるでしょ、くらいにタカをくくっていた。
実際には自分は全然通用しなかったが、最後には「何かが起きて」、「何かそのうち調子が良くなったりして」、自分が成功する「感じ」になるんじゃないかと思っていた。本当にこの程度の認識だったのだ。自分よりも遥かに努力を積み重ね、誰よりも真剣にサッカーに取り組む親友の姿を、あんなに近くで見ていたのに。


そして一度サッカーを辞め、東大に入学し、まあ今思えばよくあるパターンだが、大学ではサッカーをするつもりはないと意気込んでいたものの、藤岡さんに何度もサッカー部に誘っていただき、決心を曲げ笑、このア式蹴球部に入部した。そして、もう一度だけプロを目指すということを決めた。自分のやりたいようにやって、限界まで行ったらどうなるのか、見てみたかった。
実際この4年間、誰よりもサッカーのことを思考し、いろんな方法を使って少しでも上手くなろうと挑戦してきた、ということは胸を張って言える。そして実際少しは上手くなることができたと思う。が、もう少し大きな海に飛び出してみれば、それが微々たる成長に過ぎなかったことを、本当に嫌という程思い知らされた。自分の苦手なフィジカルや走力がどうこうよりも、自分の得意なパスやゲームメイクですら全然何もできなかったのがショックだった。何もできない自分が怖くなって、どんどんサッカーをすることも恐れるようになっていった。今思えば軽いイップスだったかもしれない。そんなこんなで疲れ果ててしまった自分は、自分が上に行くためにサッカーをやる意味がわからなくなってしまった。そしてとうとう、長年追ってきたプロという夢を諦め、ア式に復帰するという道を選んだ。
振り返ってみるとこの一年間は、きっと今までの人生で一番泣いた一年間だった。色んなことがあったから。悔しくて、情けなくて。今でも自分はプロになることが出来なかったという事実を受け入れるのは難しい。きっと一生後悔は続くのだろう。


リーグ戦の終盤に、ふと来シーズンのことを考えた。ユナイテッドを退団してこのチームに戻ってきたときに、「選手として上を目指す自分」はもう燃え尽きていた。今はもう、このチームに、こんな自分を拾ってくれたこのチームにどうやって恩を返せばいいのか、そう考えてパッと思いついたのが、コーチだった。自分の器ではとても活かしきれなかった、一生懸命集めた知識や考えを、せめてみんなの役に立てるためには、結構しっくりくる役回りな気がして、思いついてから決断するまでに時間はかからなかった。
シーズンが終わって、新体制下でコーチとしてこのチームを約一ヶ月指導してきた。この文章は選手としての自分が書く最後の文章として位置付けているが、選手としての感覚も強く残っている今だからこそ、このあたりで一度脱線して、僭越ではあるがこのチームの「コーチ」としてみんなに伝えたいことを一つだけ、書いておこうと思う。なぜならこれは、自分がここまでやってこれた武器であると同時に、自分の限界を決定的にした致命的な過ちでもあると感じているからだ。



それは、自分を小さな「箱」の中に閉じ込めない、ということ。
人類は原始から、「環境に適応する能力」を最大限活用し、現在の種の繁栄をもたらしたのだが、そのような特性上、人は良くも悪くも環境に適応してしまいがちだ。
サッカーにおけるこの「適応」のポジティブな面としては、レベルの高い環境に放り込まれることでその環境に「適応」し、自分1人では難しかったような飛躍的な成長を遂げる可能性があるということだ。我々ア式蹴球部がTOKYO UNITEDと合同で練習を行わせていただいているのも、当然このような効果を狙ってのことだ。言うまでもなく、適応に失敗してしまい、思うような成長速度に達しないばかりか、却って成長速度の停滞を招くリスクも内在しているので、選手の特徴やパーソナリティなどに合わせて指導者が適切な頻度、タイミングで行う必要はあるが、適応に成功した時のリターンの大きさは通常の成長過程からは測り知れないものになり得るので、選手の成長に関して非常に有効な手段であることは間違いない。


しかし、この「適応」能力がネガティブに働くような場合も存在する。適応が却って成長の妨げとなるような「箱」の代表例として挙げられるのが、「所属」と「自分」だ。

まず「所属」とは、言うまでもなく「自身の所属するコミュニティ」という意味である。人は社会的存在である以上、否応無しに何らかの、しかも多くの場合複数の「コミュニティ」に所属することになる。例えば僕たちは「ア式蹴球部」の一員であると同時に「東京大学」の学生であり、「どこかのカフェ」や「どこかの学習塾」の一員としてバイトに励んでいるかもしれないし、そもそも大半の人間が「家族」や「友人関係」というコミュニティを持ち、その一員として生活することを余儀なくされる。
この所属という行為自体には何の問題もないのだが、人がよく犯してしまう失敗は、これらの「コミュニティ」に適応した結果、その「コミュニティ」の限界や性質を、自分の限界や性質でもあるかのように思い込んでしまうことだ。すなわち、「所属」は、「自分は東京大学に所属しているのだからそこらの大学の生徒に頭の良さで負けるわけはない」というプライドを持つ(僕はこれを悪いことだとは思わない)可能性があると同時に、「東京都二部リーグに所属していて、ましてや高校まで弱小チームでやっていたのだから、東京都一部のチームや二部の上位チームの選手より下手でも仕方がない」というような思考や、「東大生は一般的に内向的で排他的だと言われているので、自分にはとても外交的な振る舞いなどできないのではないか」というような思い込みを生んでしまう可能性があるのである。(実際に東大生の多くはこのようなコンプレックスを抱えて生きているように見えるので、それってそもそも高校までの教育体系に問題があるんじゃないの、と思ってしまうが)

そして、成長を妨げるもう一つの「箱」が「自分」である。「変化」とは常に新たな適応行動を要求するので、リスクやストレスを伴う。そのため、多くの人が無意識に「現在の自分」に適応しており、「潜在意識における思考停止」に陥ってしまいがちだ。小難しく書いたが、要するに「人は何かを思考する際に、『それまでの自分』によって作られた枠組みの中でしか思考できないし、そうなっているということを認識することもできない」ということだ。少なくとも意識しなければ。
例えば、お気に入りの洋楽の、ある部分の英語の歌詞がどうしても早口で舌が回らない、としよう。その部分をどうしても上手く歌いたい。ここで漠然と、「上手く歌えるように考えて練習しなければ」と考えたところで、「歌詞を検索し」、「少しゆっくりのペースで何度が復唱する」、くらいしか考えつかず、それでも練習して歌えるようにならなければもう思考停止して諦めてしまうだろう。それはおそらく、自分が普段思考する際にその階層までしか踏み込もうとしないからだ。そしてこう思うのだ。「やっぱり英語って難しい。」「やっぱり自分にはリズム感がない。」
どうだろう、サッカーでもこんなこと、ありそうに感じないだろうか?

これらの「適応行動の結果としての思考停止による停滞」を防ぐには、言うまでもなく思考を停止しない以外の方法はない。
しかし具体的な方法論を知らないと、またすぐに”思考停止”に陥ってしまう可能性が高いので笑、一応自分が意識していたことを三つ。
一つ目は、「思考停止の可能性を常に疑うこと」だ。デカルトもこんなこと言っていたが、常に物事を疑ってかかることでしか課題発見の可能性は上がらない。どのような局面においても、その他の考え方、視点、階層はないのか?と考えることが大切だ。
二つ目は、「物事を構造化して考える」ことだ。これは、全てを並列に考えようとすると多くなりすぎてしまう情報量を整理し、シンプルな思考によって問題を解決することができるので非常に有効である。
三つ目は、二つ目の方法を実現するために、「行動を分類し、言語によって定義する」、あるいは「既に存在する定義を学ぶ」ことだ。あらゆるスポーツ、芸術、学問などの向上は認知行動学などの分野で研究されているが、それによると人間は「定義される」ことでその物事の枠組みを認識できるようになり、文脈的な情報・知識を得やすくなるために向上が容易になると言うことが証明されている。

本当はもう少しこれらの方法論について詳しく書こうと思ったのだが、一介の部員のブログとしては既にあまりに冗長な文章になりつつあるので笑、あとは自由に解釈して、有用だと思えば活用してもらいたいと思う。
要するに言いたいことは、きっとこのサッカー部にはもっと大きなポテンシャルが眠っていると思っているので、自分から「ア式」や「自分」という「箱」の中で勝手に限界を決めずにやってほしいなってこと。
もちろん根拠もある。先にも書いたように、スポーツなどの上達は認知行動学などにおいて研究されているが、これらの分野において「上達」とは次のようなイメージだ。まず、「トレーニング」にて新たな行動や認知パターンを体験させることで神経系に刺激を与え、”ミス”と言う失敗体験によりそれまでのニューロンの伝達回路が変化し、「適応」することによって新たな行動や認知のパターンが習慣化し、このことを「上達」すると言う。
このことから、サッカーにおいてもその上達に果たす脳の役割は非常に大きく、これまで必死に思考訓練を積んできた東大生だからこそ、向き合い方次第ではとんでもない選手やチームにだってなれるかもしれないのだ。自分はユースやユナイテッドで通用しなかったとき、結局諦めてしまった。最後の最後で自分の「箱」を抜け出せなかった。
だから、勝手に限界やレベルを規定してしまわずに、自分がまだ認識してないような「本気」で、必死にサッカーと向き合ってみてほしい。そうすればもっと貪欲で野心的なチームに、もっともっと魅力的なチームに、選手に、きっとなれる。そう信じています。一緒に頑張っていこう。



さて、脱線が思ったより相当長くなってしまったが、もうそれもおしまい。そろそろ選手としての自分を締めくくろう。

ここまで後悔や失敗ばかり書いてきたし、実際そんなことばかりだったようにも思えるが、やっぱりサッカーは最高に楽しかった。サッカーやってて本当に良かった。

トレセン落ちて、死ぬほどドリブル練習して、JY受かって泣くほど嬉しかったこと。JYで健太郎や上田、良介とかと一緒にプレーできたこと。かつらぎでひたすらミニゲしたこと。ユースですげー上手い奴らと一緒にやれたこと。大学でもう一度プロ目指せたこと。
白さんと一対一したこと。木村コーチにめっちゃ走らされたこと。田地先生に可愛がってもらったこと。クマさんにめっちゃ怒られたこと。
鹿島に勝てて死ぬほど喜んだこと。追浜に負けて死ぬほど泣いたこと。途中で辞める自分にカシマスタジアムで引退試合をやってくれたこと。
親友ができたこと。
ドリブル結構極めたこと。戦術めっちゃ勉強したこと。
カシマスタジアムで見た三連覇。揺れていた鹿島の旗。
イニエスタ、シャビ、グアルディオラ。齧り付くみたいにバルサの試合ばっか見たこと。
カタールのめっちゃ綺麗なグラウンド。ラビオとかコマンがやばかったこと。
オランダやスペインのスタジアムの景色。サポーターの声。震える空気。
小学校の土の校庭。テニスコートみたいな吉野サンヴィレッジ。汚くて寒い住金のロッカー。凸凹の御殿下。
毎回試合見にきてくれたおばあちゃん、おじいちゃん。仕事あっても送ってくれたお母さん。



サッカーの神様に恨み言を言った回数は一度や二度ではないが、サッカーの神様は本当にたくさんのプレゼントをくれていた。
自分なんかには勿体無いような仲間たちに巡り会えた、贅沢なサッカー人生だった。心から誇りに思う。できれば一生何らかの形でサッカーに関わってければいいなあ。幸い、あと少なくとも2年、これまでと形は違えどサッカーに向き合える時間がある。今度こそ、今度こそ本当に納得のいく結末を描けるように。この勝負は絶対に負けない。


自分という人間を形成してくれたコーチの方々に感謝。一生の財産である仲間達に感謝。大事なことを教えてくれた親友達に感謝。常に側で応援してくれた大切な人達に感謝。
山口 遼

1 件のコメント:

  1. 成長したなぁ、遼。すごく大人になった☺️
    そんなふうにおもっててくれてめちゃくちゃ嬉しいよ、ありがとう☺️
    中1と中3のときの担任より

    返信削除