2019年7月15日月曜日

優しさの作り方

feelingsは基本的に「今」の気持ちを書くものでしょう。ブログサイトにも大体そんなことが書いてあります。

でも最近ア式以外のことも色々あって心が忙しく(物理的にもめちゃくちゃ忙しく)、ア式生活は良く言えば恙無く、悪く言えば作業的に過ごしてきました。

回りくどい言い方をやめて正直に言うと、まじでほんとに書くことが思い浮かびません。
だから今回は、今の気持ちじゃなくてずっと考えてたことについて書こうと思います。



ずっと、正しいとは何なのか、考えていました。


なんか嘘みたいだよね。綺麗事みたいで気持ち悪い。うん、私もそう思いますよ。


でも本当に大真面目に考えてきました。

GMだから、部の色んな事を責任を持って決めることができる立場だから、っていうのはもちろんあります。この選択は果たして「正しい」のだろうかとよく考えさせられます。

例えば、みんなから集めた部費の使い道。
広報のやり方。
ボランティアのようなピッチ外の活動をどこまでやるか。
学業と部活の優先順位はどこまで認めるか。
選手として大成しない部員は運営の仕事を重くするべきか。
逆に活躍している選手は色々な仕事を免除される資格があるのか?

もっと言うと、
流行りのプレーモデルを取り入れることは好ましいことなのか。
トレーニング理論は最新のものが「正しく」、昔からの通説は「間違って」いたから「正され」たのか?
学生主体の運営は望ましいことなのか。たとえそれで痛い目を見ても?
誰に相談するのが適切だろうか。誰が私たちの味方で、誰は私利私欲のために私たちを利用しようとしているのか。

「正しい」の定義もわからず、正しいとされている選択をすることが「正しい」のかもわからず、ずっと考えてきました。


だけど覚えてる限り、これはGMになるとかよりもっと前から、19歳の時から付き合ってきた考えです。

19歳になった頃、私は福岡の予備校に通っていて、予備校から徒歩30秒の寮に住んでいました。
人によるかもしれないけど浪人生活はすごく暇で、たくさんの本を読んだり、なんかの講演会に行ったり、資格を取ったり、自分の思考をゆっくりまとめたりする時間がありました。


それで、早速でしたが結論を出しました。

「私は矛盾を受け入れよう。」

と。

というか結論から先に思いついて、本当に?って今まで考え続けた感じです。


りりちゃんのfeelingsじゃないけど、私たちは人間で、全然論理的じゃないし一貫性もありません。それを「変化」とか「成長」と呼べばちょっとは聞こえがいいのかもしれないけど、往々にして矛盾してきます。思考はまだましにしても、感情となるともう全く非論理的です。

りりちゃんの不合理は個人レベルですが(りりちゃんのfeelings大好きなんですよね)、個人と個人の信じるもの同士は一致しなくて、あっちを立てればこっちが立たず、ある時代の当たり前は次の時代ではボロクソに叩かれています。


この世界に絶対の正義なんかないんだな、と思いました。


私はここで「正義なんかないんだ」と思った訳ではありません。
互いに相容れない正義とか信念とか主張をすべて「正しい」としようと、せめて「それを是とする考え方もあるんだな」くらいには受け入れようと思ったのです。自分がにわかには受け入れ難いからといって「間違っている」と決めつけたくはありません。

正義というのは怖いもので、正義のために行動をすると、それを邪魔する存在はことごとく悪であり傷つけても構わない対象になります。

成功だと言われている改革も、数年後の部員によって元に戻されるかもしれません。それどころか、嫌だと思っている人を丸め込んで、もしくは排除して成功させたのかもしれません。失敗だと言われている施策も、発案者に聞けば確かにポジティブな意図があって、実行に移したのも理解できるのです。

歴史にアナザーストーリーはつきものです。小説ではない世界ですから、語られる歴史は全て一人称、真実はいつも一つなんて甘っちょろいこと言ってられません。

「○○されて嫌だった」という主張に無条件に同情するつもりはありません。「○○してくるなんてあいつは最低な奴だ」という意見があっても、返答は「あなたはそう感じたのね」くらいにしておきたい。

私たちは、自分こそが世界の中心で、自分のその場の感情と欲求が世界の秩序だと、無意識にオートマチックに信じ込んでいます。信じ込んでしまっていることにすら気付かず、瞬間的に他人の行動にイライラし、他人を馬鹿にし、そんな考えは間違っている無意味だと切り捨てます。

自分のことしか眼中になくなるのは、悲しいことに無意識です。無意識だからそれを振り払うのはとてもとても難しい。

誰かと意見が対立した場合を想像してみてください。相手は自分とまるで違う考えで、あなたは何を言っているのだ、絶対に間違いだ、気が狂ってるんじゃないのか、と主張してくるかもしれません。それはこっちのセリフだと舌打ちするのを堪え「あなたは私とは違う考えのようだけど、そういう考えもあるよね」と返すことに、幾ばくかの悔しさを感じるでしょうか。これは諦めでしょうか、それとも敗北?

私の考えでは、それは違います。
自分の信じるものと異なる正義を受け入れることは、深い教養と本物の知性と強い精神をもった者だけに許された自由です。
対立した相手が自分を受け入れてくれないかもしれませんが、それは仕方のないことです。

でも、だからこそ、私たちは実践しなければなりません。
私たちがサッカーに関わる人間だからです。

サッカーは言うまでもなくチームスポーツですから、個々人が好き勝手プレーしては勝てるはずもありません。目指す戦術・プレーをおいて全員の意思統一を図ります。強固になればチームのスタイルとして定着し、それを支持するサポーターが付き、そのスタイルに憧れた選手やスタッフが加入することになるでしょう。
ですが私たちはそのスタイルが絶対でないことを知っています。別のチームには別のスタイルがあり、対戦相手は我々の戦い方を分析して対応してきます。そのことを重々承知した上で、自分たちのサッカーを信じるのです。


簡単なことではないし、抽象的すぎて結局何をすればいいのか分からないかもしれません。
私たちにできることは、意識をしっかり保って、考えることを止めないことです。これだけです。

自分たちが手に入れたいものは何だろう、それはどうしてだろう、どうやったら手に入るか、その手段はほんとうに適切なのか、誰かが非難するかもしれない、後輩たちが、もしくは近い未来の自分たちががっかりするかもしれない。
そんなことを考えて悩んで、実際に傷つけたり傷ついたりしながらも、誰かに伝わってくれるようにと願って行動を起こす。

そんな集団でありたいと、私は思います。


私たちが未熟だからというよりは、矛盾する正義が存在し得る限り私たちは何を選択するべきか悩み続けます。
それでも、自分たちの正義が誰かを傷つけてしまう可能性があると怯える私たちは、その可能性に鈍感な時よりきっとずっと優しくなれるはずです。


大学スポーツ界が変わろうとしている今だからこそ、もっと考えたい。
直感的な不信感や盲目的な肯定で早急に決断を下してしまうのではなく、みんなとたくさん話して少しずつお互いが何を望んでいるのかを理解して認め合っていくべきです。


もっともっと優しい世界になりますように。


そんなことを、ずっと考えています。


火星に住もうかな。
3年 佐原由香

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