空気をつくる

エアコンの話ではない。練習中に楽しい空気を作ろうと心掛けている、というだけの話である。

練習を盛り上げようという意識を持ったきっかけは3つ上の先輩方が卒部されたことだった。入部して初めてのリーグ戦が終わり、オフ期間が明けた後の練習に当時4年生の先輩方がいらっしゃらなかった時、強い寂しさを覚えた。その時は単純に人数が少なくなったことと、ずっといた先輩方がいないことによる寂しさだと思っていたのだが、その後の練習に先輩が都合をつけて顔を出してくださった時、改めてその存在の大きさを実感するとともに練習中に掛けてくださる声が全体の雰囲気を盛り上げていることに気づいた。


他の部員たちが声を出していないわけではなかった。「ナイス!」という声やプレーについてのアドバイスは練習中にたくさん聞かれた。それなのに4年生がいるのといないのとでなぜこんなにも違うのか、不思議だった。少し考えて、声のトーンと音程がこの違いを生み出しているのではないかと思い至った。4年生の先輩方は高めのトーンかつ高低差のある音程で話していて、顔を見なくても「ナイス!」という一言を聞くだけで笑顔が目に浮かぶのだった。

私も真似をして大きめに抑揚をつけて声を出そうとしたのだが、練習中に自分から声を出していくというのは難しかった。決して大きな声を出すのが恥ずかしいとかいう理由ではなく、声に出す内容についていちいち脳内でツッコミが入るからであった。「ナイス」って良いか悪いかの判断を伴う言葉だから目上の人に使うのは失礼なんじゃないか、目上の人に言うなら「流石です」かな、でも練習中に「流石です」って言うのもちょっと違和感あるな、とか。ドンマイって和製英語ではあるけど命令形だしpleaseをつけたくなっちゃう、とか。中学高校と演劇部だった私は運動部特有の声掛けに慣れることができていなかった。最近でも先輩にそうした声を掛けるのを躊躇してしまうことは多く、その分同期や後輩にはしっかり感情を込めた「ナイス」や「惜しい」を言うようにしている。


そんな私でも迷いなく声を出すことができるのがアップの時である。「5678910」や「123」のような数字の並びを口にするだけだが、口角を上げて明るいトーンで音程にも気を配って、なんてやっていると楽しくなってくるのだ。「はち」の「は」はもうちょっと高く。ここはスタッカート気味にしてみよう。伸ばす筋肉はしっかり伸ばしながら、自分なりに楽しそうな声を模索する。自己満足のような気もするけれど、お芝居だって観客のリアクションが劇場の空気をがらりと変え、役者の演技にも影響を与え、作品を完成させていくものだし、練習では私の声が楽しい空気をつくる要素のひとつになっていたら良いと願ってしまう。

もちろん、楽しそうな声だけでは練習は成り立たない。お世話になっている多くの方への感謝をここに並べたら大変なことになってしまうのでそれはやめておくが、練習の時に率先して用具や鍵などを準備してくれる仲間へは伝えられていないので、いつもとても感謝しているということをここに書いておきたいと思う。



今の季節、家では物理的にしっとりとした空気を保ちたい

女子部2年 浅野晴香

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