みちすじ
2013 年夏、僕は苦しんでいた。何故か、と問われても一言では返せない。 サッカー、人間関係、学業、将来…。何もかもがうまくいかなかった。 どれだけ考えても、考えても考えても、答えは出ない。何をしても、うまくいかない。 当然行動力もなくなる。そしてやる気もなくなる。怪我は治らない。負のスパイラルだった。 しかしア式の人間には相談できなかった。 出会って数か月の友人に、全力でサッカーに打ち込む仲間に、こんなにも重苦しい話などできなかった。 やっと怪我が治り、久しぶりの練習。久しぶりすぎてうまくいかない。何もできない。怒鳴られる。 そしてア式で 2 度目の対外試合。 25 分で負傷退場した。 ただの打撲だった。 しかし、もう耐えられなかった。 8 月、僕はア式を辞めた。一年生で誰よりも早い退部だった。 親切にも連絡をくれた人、声をかけてくれた人には申し訳ないが、適当な理由を言ってごまかした。 以来、僕は運動会の束縛から解き放たれた。同時に、何もすることがなくなった。 何をするでもなく、ただ怠惰な生活を送っていた。心の闇、病みはそのままだった。 そんな中、惰性で、と言ってはいけないだろうが、一つだけ続けていたことがある。 それが審判だった。 2014 年 3 月、僕はア式に招かれた。肩書は「専属審判員」。 ア式としては男子スタッフの前例がほしい。僕は笛を吹く機会が増える。 win-win だと。 僕は迷った。考えた。 自分が苦しんだ集団に再び戻るのか? 仲間を裏切り、何も言わずに勝手に辞めていった自分の居場所はあるのか? なんて言えばいい?どんな顔をしたらいい? 長い長い苦悩と説得の末、僕は戻ることにした。 審判が好きだった。 ア式の皆は思ったより、思ったよりずっと、温かく迎え入れてくれた。皆、大人だった。 腹の内にどんな思いがあったか、はたまた興味もなかったか、僕にはわからないが、僕は安心した。 6 月、僕は再び苦悩していた。 協会からくる割当では中学生の試合を担当していた。アセッサーからアドバイスをもらい、それを生かし、成長を感じていた。 しかしア式では大学生の試合を担当する。 試合レベルや裁