我思う、故にサッカーあり
4年 立川玄
サッカーは素晴らしい。
ボールをピタッと足元に止める、あの感覚。味方と息の合ったコンビネーションを成功させた時の、あの感覚。相手のパスを読んでインターセプトした時の、あの感覚。
サッカーの素晴らしさは、選手にとってだけではない。
応援しているチームが点を奪ったときの、あの感覚。絶体絶命のピンチを片手一本で防ぐのを目にしたときの、あの感覚。そして何より、待ちわびた勝利のホイッスルを聞く、あの感覚。
選手、監督、スタッフといったピッチに近い立場から、ファン、サポーター、スポンサー、といった支え手の立場、あるいはレフリー、メディア、グランドキーパーといった必要不可欠な立場まで、サッカーに関わる全ての人に多様で豊かな響きをもたらす魅力的なスポーツ。
であると同時に、誰もがいつでもどこでもプレーでき、見て、語り合え、コミュニケーションのツールとして機能し、また貴重な出会いの場となる、日常に溶け込んだ偉大なスポーツ。
サッカーは普遍的な、高い価値のあるスポーツである。
本当にそうだろうか?
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サッカーが、普遍的魅力を持ったスポーツであるなら、なぜだろう?
小学生のとき、私は地域のクラブでサッカーをしていた。
そのクラブに女子は一人もいなかった。
クラスメートでサッカークラブに入っている女子もいなかった。
なぜだろうか?
中学生のとき、私は学校のサッカー部に入部した。
2人女子部員がいたが、彼女達が試合に出場することはなく、練習に参加することもなかった。
なぜだろうか?
高校生のとき、私はまた学校のサッカー部に入部した。
女子サッカー部は存在しなかった。
なぜだろうか?
某スポーツサイトの種目一覧には、テニスやゴルフと並んで、「サッカー」ではなく「Jリーグ」「海外サッカー」「サッカー代表」という項目が並ぶ。
そこには「WEリーグ」という項目はない。
なぜだろうか?
某検索エンジンで「男子サッカー」と検索すると、サジェスト上位ワードに「日程」「ワールドカップ」「オリンピック」と並ぶ。
それに対し、「女子サッカー」と検索した場合は、2番目のサジェストに「かわいい」が表示される。
なぜだろうか?
こうした疑問について皆はどう思うだろう。
この卒部feelingsでは、これらの疑問について考えていきたいと思う。
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改めて列挙した疑問を眺めると、「女子サッカーは、プレーする人にも見る人にも人気がないから」という答えが浮かぶかもしれない。
そして、「人気、需要がないから、市場原理が働くかのように環境も劣ってしまう」と。
実際、女性のサッカー人口は男性に比べ格段に少なく1、チーム数も同様に少ない2。
また、選手の待遇や興行としての規模も圧倒的に低く、小さい3。
そして、そうした状況には、「女性は身体能力が劣っているため、サッカーの競技レベルが低い」という前提があるといえるかもしれない。
実際、女子サッカーの日本代表チームでさえ、男子高校生との練習試合で負けることは珍しくない4。
以上より、「女性は身体能力が劣っている」という前提のもと、「競技レベルが低く人気がないから環境が向上せず」、「環境が悪いから競技レベルが向上せず人気も出ない」というスパイラルによって、上記の状況に対する疑問は全て説明できるかもしれない。
こうした論理による説明を、ここでは「自然説」と呼びたい。
すなわち、男女でサッカーをする機会、環境、待遇に明確な格差があるのは、自然の成り行きによるものが大きい、という見方である。
これに対し、私がこのfeelingsで提唱したい説明、仮説を「サッカー原因説」と呼ぶ。
これはすなわち、男女でサッカーをする機会、環境、待遇に明確な格差があるのは、サッカーというスポーツそのものに原因がある、という見方である。
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「サッカー原因説」を紐解くために、まずはサッカーの歩んだ歴史を振り返る。
競技サッカーは19世紀のイギリスで誕生した。
中世まで「遊戯」であった多くの娯楽が近代的な「スポーツ」へと変化したイギリスで、ラグビーやテニスなどの多くのメジャースポーツと同様に、サッカーも競技として整備されたのである。
競技サッカーの成立に大きく貢献したのは、The Football
Association(FA)という団体である。
FAは、当時チームごとにバラバラであったフットボールルールについて議論したチーム代表者会議を発端に、1863年に設立された5。
以降、FAは競技スポーツとしてのサッカー(アソシエーション・フットボール)のルール策定に大きな役割を果たした。
我らが東大ア式蹴球部の名前もここからきているが、今重要なのは、FAにおいてサッカーのルール、制度を議論し設計した者の多くが、イギリスの私立エリート校であるパブリックスクールの関係者であったことである。
パブリックスクールの学生の大多数は、当時のイギリスの支配階層ジェントリの子弟であり、彼らはパブリックスクールで、支配階層として生きていくために必要となる教養を学んでいた6。
FAでルール策定に関わった者の多くはこのパブリックスクールのOBであった。
すなわち、サッカーとはイギリスの支配階級の男性によって制度設計されたということである。
その際に重視されたのが、サッカーの教育機能である。
近代化が進行していた当時、パブリックスクールでは近代的な価値観の醸成に重きが置かれており、その効果的な教育手法としてサッカーは用いられた。
サッカーを介した教育の中で男子学生が養うべきとされたのは、筋骨隆々な肉体と、忍耐や克己心、責任感を備えた精神、つまりは「男らしさ」であった。
FAのルール策定、制度設計によって、サッカーは競技スポーツとして重要な公平性、競技性を獲得していったが、その設計意図の中には、「男らしさ」の養成があった。
すなわち、男性的身体特質が際立った(力が強く、足が速く、背が高い)プレーヤーにアドバンテージがあり、そういったプレーヤーにとって面白いスポーツとして、サッカーは設計されたのである。
このようにして、サッカーはパブリックスクールにおいて徳育、エリート教育の一環として設計された。
サッカーは、「近代社会においてリーダーシップを発揮し、自らが所属するであろう集団の中で自分の役割を全うできる責任感を養うための徳育手段」7として機能しながら発展したのである。
以上よりまとめると、競技サッカーは、その誕生からして男性の身体に有利、かつ、女性の身体に不利なものとして設計されながら発展したといえる。
「自然説」において、サッカーは「中立不偏」、「絶対的」なスポーツとして想定されている。
これに対して、「サッカー原因説」は、サッカーを「男性に都合の良いように設計されたスポーツ」として捉える。
より正確に言えば、サッカーを、「健康で社会的経済的地位の高い男性」にとって根元的に有利なスポーツとして認識するのである。
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「サッカー原因説」を受け入れるとすれば、サッカーは制度設計の段階から、「健康かつ生活に余裕のある男性」にとっては有利で、それ以外の属性、例えば女性や障害者にとっては不利なようにできているということになる。
しかし、こうした問題はプレーヤーの身体的特徴に合わせてルールを設定することである程度解消されるかもしれない。
例えば、ブラインドサッカーは、サッカーの競技性を保ちながら、視覚障害者を含めより多くの人が公平にプレーできるような制度設計がなされている。
このように、プレーしたい人のニーズに合わせて多様なサッカーの選択肢を確保すれば、サッカーの抱える問題は解消されるのだろうか?
実は、サッカーにはもう一つ向き合わなければならない問題が存在する。
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すでに見た通り、サッカーの制度設計においては、「男らしさ」の養成という意図が存在した。
その意図はサッカーのルールに反映されたが、それだけに留まらず、サッカー文化にも確実に根付いていった。
そしてその文化は、「男性は男らしくあらねばならず、女性は女らしくあらねばならない」という規範となって、サッカーを通して社会に広がっていった。
すなわち、サッカーは、いわゆる「ジェンダー規範」を社会に拡散する触媒として機能してきたということである。
見方を変えれば、サッカーは、ジェンダー規範の定着が求められた近代という時代の要請に従って、メジャースポーツの地位を獲得できたと捉えることもできる。
例えば、FAは、1921年から1971年に至るまで、「サッカーは男性のためにあり、また女性の健康を損なう」という理由で、女子チームへのグラウンドの提供を禁止していた8。
これは制度的にサッカーから女性を排除するとともに、「女性の身体は男性に比べ劣っている」という男女双方のジェンダー規範を強化したと捉えることができる。
サッカーによるこうしたジェンダー規範の助長は、現代でも至る所で見られる。
例えば、女性がサッカーをしようとすれば、「危ないからダメだ」「お腹にボールが当たって子供が産めなくなったらどうする」といわれ、「女性は身体が弱い」「女性は将来子供を産むべきである」というジェンダー規範を押し付けられる。
例えば、競技のためにトレーニングなどを通じて筋力をつけたり体を大きくしたりした女子選手は、「女っぽくない」「可愛くない」と言われ馬鹿にされる9。
例えば、女子サッカーがメディアで取り上げられるときは、「美人」などの文言が多用されるなど、殊更に選手の容姿が重視され、「女らしさ」が強調される10。
例えば、男子サッカー部という環境は、「男らしさ」の価値観が男性同士によって増幅されるホモソーシャルな場として機能している11。
さらにいえば、このようにしてサッカー(を含めたスポーツ)を介して社会的に醸成された価値観は、それがあたかも真理であるかのように社会に受け入れられている。
例えば、私たちが身体能力の客観的指標として用いている「体力テスト」の主な測定種目は、そのほとんどが「筋力」という男性身体にとって有利な能力を測る種目であり、女性身体にとって有利な「柔軟性」を測る項目は一つしか測定されない12。
また、オリンピック憲章第1章10項では、オリンピックモットーとして、「より速く、より高く、より強く(Citius-Altius-Fortius)」という標語が掲げられ、男性身体に有利な能力が「人間が努力して獲得すべきもの」として位置付けられている13。
「自然説」は、「女性は男性に比べ身体能力が劣る」ということを当然の前提にしている。
しかし、「サッカー原因説」から考えれば、現在の社会において客観的な基準とされている「身体能力」は、サッカーなどのスポーツが生み出し拡散してきた、男性優位の価値観によって構築された偏りのある基準にすぎないということになる14。
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ここまで、性の観点から、サッカーがその誕生から今に至るまで抱えてきた問題について議論したが、こうした問題は女性にとってだけに留まらない。
例えば、障害者は、女性と同様に制度設計において切り捨てられていた存在であり、また、サッカーが作り出す「健康な肉体を持ち運動に励む人間こそ価値がある」というようなイメージに苦しめられる場合もある。
例えば、セクシャルマイノリティは、ここまで性別二元論的にサッカーの問題を議論できたことからも明らかであるが、そもそも存在すらしていないものとして扱われ、存在しないというイメージに苦しめられている15。
他にも、人種的マイノリティや民族的マイノリティ、文化的マイノリティ、生活困窮者など、多くの人々がサッカーによってもたらされる問題によって苦しんでいるといえよう。
また、これらの問題の共通した特徴として、一度その構造が構築されてしまうと、問題のある制度と価値観が互いを正当化しあい、一見すると正常であるかのようにみえ、問題が発覚しづらいという点が挙げられる。
ある人に不利な制度が、その人は劣っているという価値観を創出、強化し、ある人は劣っているという価値観が、その人にとって不利な制度が存続する正当な根拠となるのである。
こうしたスパイラルはまさに「自然説」である。
そして、こうした構造は、他のスポーツはおろか、社会に存在する多くの制度にも共通して見られる。
そしてそれらは互いに密接に結びつき、より根深い問題を生み出していく16。
以上が、私の考察である。
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このfeelingsの冒頭で記したように、サッカーは素晴らしいものである。
しかし、その素晴らしさはサッカーの持つ一側面でしかなく、その素晴らしさを享受できるのは一部の人に限られている。
輝かしいサッカーの陰で苦しむ人が多く存在しているのである。
その輝きが強くなればなるほど、問題はより見えなくなり、加害性はより高まっていくのである。
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私は、間違いなく、サッカーの素晴らしさを享受するだけの人間であった17。
サッカーを介して、他者の苦しみを助長し、時には直接苦しめることもあった。
周囲で問題が起きていても、笑って見過ごしてきた。
そのことを自覚することなく、ただただサッカーを楽しんできた。
しかし、気づいた。
考え、疑い、学び、振り返り、気づくことができた。
「我思う、故にサッカーあり」
やっと、サッカー人、サッカーに関わる者として、サッカーと向き合えたのである。
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改めて現代のサッカー界を見渡すと、サッカーの抱える問題を克服するための様々な活動がおこなわれていることがわかる。
例えば、2019年の女子W杯で優勝したアメリカ代表のキャプテンであるメガン・ラピーノ選手は、2021年3月にホワイトハウスで、かねてより主張していた「男女同一賃金」を要求する演説を行った18 19 20。
ラピーノ選手は、ときに大統領さえも敵に回しながら、その知名度を活かして問題発信を続けている21。
例えば、今秋、日本初の女子プロサッカーリーグであるWEリーグがスタートした。
WEリーグの参入基準である「クラブ運営法人の役職員は50%以上女性、かつ役員に最低1人女性を登用」という制度は、これまでの価値観を覆すものとして機能しうる22。
参入基準において女性登用の義務付けをおこなったスポーツ組織は、日本においてはWEリーグが初である23。
例えば、スフィーダ世田谷FC所属の下山田志帆選手は、2019年に自身がセクシャルマイノリティであることをカミングアウトした。
下山田選手は、様々な活動を通してサッカーも含めた社会問題を発信し、またクラブもその活動をサポートしている24 25。
例えば、2016年に障害者サッカーの競技団体を統括する団体として、「一般社団法人
日本障がい者サッカー連盟(JIFF)」が設立された。
JIFFは、障害者サッカー・スポーツの発展や、「誰もが、いつでも、どこでもスポーツを楽しめる環境」の整備に取り組んでいる26。
こうした動きは、東大ア式蹴球部にとって身近な場所においても見ることができる。
例えば、2014年に「東京大学運動会ア式蹴球部女子」が創部された。
いわゆる「ア式女子部」は、創部からわずか6年で、大学における女子サッカーの普及などを目的とした「CiEリーグ」の創設に大きな役割を果たした27。
また、ツイッターなどのSNSを通じて積極的に社会問題の発信をおこなっている。
例えば、東京ユナイテッドFC(現東京武蔵野ユナイテッドFC)は、ブラインドサッカーやウォーキングサッカーイベントを定期的に開催していた28。
例えば、ア式男子部は、コミュニティユニットが中心となって、2020年から「障がい児のためのサッカークラブ Pigeon」へのボランティアコーチ派遣を開始している29。
こうした活動や取り組みは、今後も増え続けていくはずである30。
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最後に、この長いfeelingsを読み切ってくれた全ての「東大ア式蹴球部男子部員」に伝えたいことがある。
幸か不幸か、我々は、少なくとも現代の日本社会において、「もっともサッカー的問題に近い集団」である。
すなわち我々は、サッカーのように、この社会の制度や人の価値観に大きな影響を及ぼす立場に、今後進む可能性が高い人々の集まりなのである。
そのような立場に立ったときには、「自身の価値観に問題がないかを考え、かつ、自身が社会に対して持っている影響力の大きさを認識すべきである」。
サッカー部という同質性の高い集団の中で、特定の価値観のみが過度に強調されていないか、考えるべきである。
自身のものの見方が、何かを無視してはいないか、疑うべきである。
自身がこれまで持っていた視点とは全く異なる新たな視点について、積極的に学ぶべきである。
自身の持つ影響力が、ときに自身の意識とは関係なく、ときに自身の想定よりも広範に、ときに自身の意図とは異なる形で発揮されてはいないか、振り返るべきである。
知らぬ間に他者を傷つけても自覚できないという恐ろしさを、認識すべきである。
そして、問題を発見したときには、その解決のために、率先して行動を起こすべきである。
サッカー人として、選手、監督、コーチ、スタッフ、トレーナー、テクニカル、メディカル、審判、フロント、経営、メディアなど多岐にわたる分野で、その道のトップを目指す者なら、
サッカーに限らずとも、様々な世界で活躍し、社会を変えていこうとする者なら、
自らを愛し、他者を愛し、他者に愛される人間になりたい者なら、
考え続け、疑い続け、学び続け、振り返り続け、行動し続けるのである。
「我思う、故にサッカーあり
?」
東京大学運動会ア式蹴球部男子 立川玄
1.
笹川スポーツ財団の「スポーツ活動に関する全国調査」(https://www.ssf.or.jp/thinktank/sports_life/data/soccer_0018.html
)によれば、2018年の日本のサッカー人口(年1回以上サッカー実施)は436万人、うち男性が346万人で女性が86万人である。
また、JFAの「種別区分別男女区分別登録数集計表」(https://www.jfa.jp/about_jfa/organization/databox/2020_category_detail.pdf
)によれば、2020年度時点で、JFAに登録している選手の数は、男子が約75万人なのに対し、女子は約5万人である。
2.
JFAの「種別区分別男女区分別登録数集計表」によれば、2020年度時点で、JFAに登録しているチーム数は、第1種が合計で約4500チームなのに対し、女子はLリーグ、一般、大学を合わせて約500チームである。
また第2種が合計で約4000チームなのに対し、女子は高校とクラブ(高校生)を合わせて約600チーム、第3種が合計で約7000チームなのに対し、女子は中学とクラブ(中学生)を合わせて約200チームである。
なお、第1種から第3種までのいずれの区分にも女性がメンバーに登録されているチームは存在するが、その人数は極めて限定的である。
3.
UN Women(国連女性機関)日本事務所の2021/8/5のツイート(https://twitter.com/unwomenjapan/status/1423152748325834752
)によれば、「リオネル・メッシ選手1人の年間給与は、1,693人の女性サッカー選手の年間給与を合計した額のおよそ2倍」である。
BBCニュースの「【検証】 女子W杯、男女の賞金格差をめぐる現状」の記事(https://www.bbc.com/japanese/48590643
)によれば、2018年ロシアW杯の賞金の総額が4億ドルであるのに対し、2019年フランス女子W杯の賞金の総額は3千万ドルである。
Jリーグ公式サイトの「J. League Stats」によれば、2021シーズンのJ1リーグの1試合平均の入場者数は約6661人である。
一方、WEリーグ公式サイトの「2021-22 クラブ別入場者数」(https://data.weleague.jp/SFTD14/search?endDayNum=8&competition_year=2021&competition_frame=70
)によれば、2021-22シーズンのWEリーグの1試合平均の入場者数は2021/11/21時点で1,715人である。
4.
共同通信 「なでしこ、高校男子に0-5 池田体制初の対外試合」(https://news.yahoo.co.jp/articles/2bcb897089601a46734fb6147b925d38b114d2ba
)
5.
The FA 「THE HISTORY OF THE FA」(https://www.thefa.com/about-football-association/what-we-do/history
)
6.
笹川スポーツ財団 「【スポーツの歴史を知る スポーツとは】 4.近代スポーツを生んだ英国の階級文化スポーツの始まり」 (https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/sports/04.html
)
7.
岡田桂 「ジェンダーを“プレイ”する -スポーツ・身体・セクシュアリティ-」スポーツ社会学研究18巻2号 p.7
8.
日本経済新聞 「意外に不人気…五輪サッカー、チケット売れ残りの理由」(https://megalodon.jp/2012-0528-1706-20/www.nikkei.com/article/DGXZZO41779780U2A520C1000000/?df=2
)
9.
城西大学経営学部准教授の山口理恵子氏は、イベント「渋谷からガラスの壁を壊そう スポーツとジェンダーの平等」(https://logmi.jp/business/articles/321947
)で、女子スポーツ選手の中には、選手として必要な筋力を維持しなければならない一方、周囲からの「女らしさ」に対する評価も気にしなければならないため、摂食障害になってしまったり過激なダイエットを迫られたりする選手も存在することを指摘している。
10. 産経新聞
「中国美人GKがなでしこに立ちはだかる」 (https://www.sankei.com/article/20160304-BM4JMH4FQ5OIDAR7SQFMLFK364/
)
11. 川口遼
「『ホモソーシャル』って最近よく聞くけど、結局どういう意味ですか…?」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83547
)
12. 立命館大学産業社会学部スポーツ社会専攻教授の岡田桂氏も、YouTubeにアップしている模擬講義「講義:【スポーツから考えるジェンダー:スポーツは男性が有利って本当? 教員 岡田桂教授】」(https://youtu.be/__3-H1b5RYU
)の中で、体力測定の項目が社会的に作られた基準であることを指摘している。
13. 日本オリンピック委員会「人類にプラスのレガシーを
〜オリンピックの素晴らしさ〜」(https://www.joc.or.jp/olympism/olympian2008/index2.html
)
そもそも、オリンピックの創設者クーベルタンがオリンピックを創ろうとしたきっかけが、19世紀のイギリスにおけるスポーツ教育を視察したことであり、根元は同じである。
14. こうしたジェンダー規範が、実際に男女の能力差に影響を及ぼすこともありうる。
例えば、2018年にAntoine Coutrot氏らがおこなった研究「Global
Determinants of Navigation Ability」(https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0960982218307711
)によって、男性が「生まれながら」に優れているとされる「空間認知能力」の男女間の差の大きさと、ジェンダーギャップ指数に相関があることがわかった。
これは、ジェンダー規範などの社会構造が男女の能力差に影響を与えていることを示唆する。
15. 時事ドットコムニュース
「トランスジェンダーの参加禁止 女子運動競技で米テキサス州」 (https://www.jiji.com/jc/article?k=2021102600732&g=int
)
既に見た通り、多くのスポーツはそもそも制度設計から性別によって有利不利が生まれるものとなっている。そのため、例えばトランスジェンダー女性が女子運動競技に参加して、シスジェンダー女性より良い成績をおさめることがあったときに、「不公平」なのはトランスジェンダー女性ではなく、そもそもの制度である。
しかし、アメリカでは、トランスジェンダーの選手が公立学校において女子運動競技に参加することを禁止する法案がのべ31州で提出されており、トランスジェンダーのスポーツからの排除の動きが強まっている。
16. 身近な例として、スポーツと入試制度との関係で、スポーツ推薦入試における男女格差が挙げられる。
17. 立川玄 「君は僕のひかり」(http://ashiki-feelings.blogspot.com/2018/08/blog-post_25.html
)
18. BBC NEWS 「『低評価、軽視、拒絶』 米女子サッカー代表のラピーノ氏が男女同一賃金訴え」 (https://www.bbc.com/japanese/video-56533870
)
19. ロイターの「サッカー=米男子代表チーム、女子の同一賃金訴えを支持」 (https://jp.reuters.com/article/sport-soccer-equal-pay-idJPKBN2F1078
)によれば、アメリカ男子代表選手たちは、女子代表選手による同一賃金を求める裁判に際し、「競技面での功績を考慮すれば女子代表は男子代表以上の報酬を得る権利を有する」という旨の法廷助言書を提出している。
20. 時事通信ニュースの「サッカーアイルランド代表も男女同一賃金『画期的』」 (https://sp.m.jiji.com/article/show/2624086
)によれば、代表戦の試合給に関して既に男女同額を公約している国には、イングランド、オーストラリア、ノルウェー、ニュージーランド、アイルランドがある。
21. BBC NEWS 「メガン・ラピーノ、大好きか大嫌いか なぜこんなに評価が割れる」 (https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-48992391
)
22. ゲキサカ「WEリーグ参入なら『役職員の50%は女性』義務化…真の“女性活躍”へ厳格基準」(https://web.gekisaka.jp/news/detail/?302687-302687-fl
)
なお、こうした制度が新興クラブの参入の障壁ともなることは注意したい。
23. WEリーグ 「理念の具体化に向けた活動『WE ACTION』 現状の見える化と理念実現に向けたクラブの『WE ACTION』について」(https://weleague.jp/news/258/ )
24. Number Web 「カミングアウトから2年、“同性とのパートナー婚”を決断…女子サッカー下山田志帆が気づいた『自立への思い込み』」(https://number.bunshun.jp/articles/-/847930
)
25. 現役中にカミングアウトした日本人サッカー選手として、他に、今年の6月にカミングアウトした横山久美選手(現在ワシントン・スピリット所属)。
引退後にカミングアウトした日本人元サッカー選手として、大嶋悠生さん(元所属:AC長野パルセイロ、スフィーダ世田谷、バニーズ京都)、大川政美さん(元所属:バニーズ京都)、山本朝陽さん(元所属:日体大女子サッカー部)など。
26. JIFF 公式ホームページ (https://www.jiff.football/ )
27. 関東大学女子サッカー連盟
「CiEリーグ」 (https://juwfa-kanto.jp/cieleague/
)
28. 日本ブラインドサッカー協会
「【参加者募集!】 弱視児童向け東京ユナイテッドFCサッカー教室(第7節)」
(https://www.b-soccer.jp/event/12944-dai7setsusakka-kyousitu
)
29. 障がい児のためのサッカークラブ Pigeon 公式ホームページ (https://pigeon-soccer.github.io/activity/
)
30. こうした文脈で数年前からア式でおこなわれている組織改革を捉えると、それは「年功序列」や「勝利至上主義」、それらが引き起こす「ハラスメント」といった「旧来の部活文化」からの脱却という側面も見出せ、依然様々な問題を抱えてはいるものの、サッカー文化の持つ問題を克服する方向性に沿うものであるように思う。
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