今を生きるということ

 4年 佐野静香



 引退して2ヶ月ほど。

卒部feelingsを書こう書こうと思っても、なかなか筆が進まない。

自分が取り立てをしていたときの先輩方の気持ちが身にしみてわかるようになりました。

みなさん書けないと言いながら、最後には感動する文章を読ませてくださってありがとうございました。

feelingsを一番に読める特権は結構贅沢なものだったなぁと、今更ながら思うところです。

 

さあ、書けないならばとりあえず読むしかない。ということで過去のfeelingsを遡る。

やっぱりfeelingsには「その人らしさ」が滲み出るから面白い。一度読み始めると手が止まらず、気づけば約2年分。人徳溢れる代として有名な一昨年の卒部生のfeelingsに到達していた。改めて思う、本当に好きな代。

 

ふと懐かしい感情に襲われる。

そういえば入部前にもこんなことをしていたなと。

 

新歓が本格始動してもいない3月末、健康診断が終わったところをアメフトの先輩に捕まり、そのまま流れるようにご飯に連れていかれ、その場で運動部のスタッフに興味を持ってしまった1年生の私はなんとチョロかったことか。興味を持ったどころか、この時点でほぼスタッフになるつもりしかなかったと思う。

そうなれば新歓期はどの運動部にするのかを決めるのみ。いろんな部の話を聞いたけど、一番心を動かされたのはア式のfeelingsだった。先輩に読んでみてね〜と言われ、軽い気持ちで読み始めたのに、気がついたら当時の4年生が1年生の時の文章。どんだけ暇だったのだろう。

最終的にはかの有名な大谷さんのfeelingsが決定打となり、ア式への入部を決めた。

 

 

一つのことに真剣に向き合い努力する人たちのために。

そんな気持ちで始まった、初めてのスタッフとしての生活。1年目は先輩についていくのに必死で、正直考える余裕はなかったし、自分が何も考えていないことにすら気づいてなかった。

個性の塊のような代に率いられ、チームは勝ちまくっていたし、ただ部活に行くだけで楽しかった時代。

何人かの先輩には一番に辞めそうと思われていたみたいだけど、ちゃんと楽しんでましたよ笑

今となっては先輩方に迷惑しかかけていなかっただろうと思うけど、それでも糸さんの働きぶりを間近でみれたのはスタッフとして貴重な財産だった。背中で語るとはああいうことを言うのだろう。

 

初めての後輩が入った2年目。初めての1部。

引退直前に彩さんが教えてくれた通り、1部での戦いは想像以上に難しいものだった。試合を重ねるにつれ、彩さんが「覚悟して臨むこと」と言ってくれた意味がよくわかった。

トップチームが勝てないと辞めるスタッフが増えるというのはよく言われることだけど、実際それは正しいようで間違っていると思う。勝てないのが問題ではない。試合に臨む姿勢が、サッカーに向き合う姿勢が全てなのだ。この年のチームは、選手たちは、間違いなく応援したくなる存在だったし、何度も素晴らしい瞬間に立ち合わせてくれた。

最終節のゴールがドラマチックすぎてどうしてもあの光景が甦りがちだけど(実際あのゴールはすごかった)、それまでも選手たちが戦う姿には勇気づけられていた、そんな一年だった。

 

3、4年目を振り返ろうとして、手が止まる。

書けることがない。

正確に言えば、書く資格がない。

理由は単純で、チームのために何もできなかったから。

結果として何もできなかったというよりも、「何かしよう」と思うことが、行動することが、できなかったから。

コロナのせいでないことは、自分が一番よくわかってる。

もちろんコロナの影響でさまざまな我慢を強いられたのは確かだけど、もしそうでなかったとしても、3年目を振り返ろうとして手が止まっている自分を容易に想像できてしまう。結局は同じような結果になっていたのではないか、と。

 

多くのスタッフには3年目に入るくらいの時期で、一度大きな壁が見えると思う。

モチベーションの在り処を問う壁。

1年目はただがむしゃらにやっていても楽しい。何をやっても新鮮だし、追いかけるべき先輩がいる。

2年目は仕事にも慣れ始め、後輩も入ってきて自分が教える立場になり、成長を実感できる。1年目とは違う形で楽しむ余裕が生まれる。

3年目、ここが難しい。1年目のような新鮮さはなく、2年目のように自然と成長を実感することもない。最高学年ではないという意識がどこかにあるのか、責任感で何かが変わるわけでもない。

楽しむにはそれなりの努力が必要で、成長するには自分から挑戦することが必要で。

だからこそ中途半端にやろうと思えばいくらでも中途半端な過ごし方ができてしまう、それが3年目。

きっとここで新たなモチベーションとか、何かしら自分でやりたいと思うことがあれば、それを自分から見つけに行けたら、大きく成長できる。それが3年目だった。

 

けど、私にはそれができなかった。

2年生の終わり頃から、なんとなくわかってはいた。こうなる予感はあった。

でもわかっていながら行動しなかった。

できなかったのではない、しようとしなかった。

 

3年目に入るタイミングでコロナ禍になり、思うようなスタートを切れなかったことは事実。コロナなんて全く関係ないんだ!なんて言うつもりはない。そんなに自分を過信してはいない。

ただ、あの時の自分がもう一度モチベーションを上げようとしなかったのは、たぶんどんな世界だったとしても変わらないんじゃないか。そんなふうに思う。

それが自分の限界だったのだろうと。

 

思うようにいかない環境下で1部昇格のプレッシャーと戦っていた選手たちにも、たくさんの制約の中でもできることを全うしようと動いていた周りのスタッフにも、こんな中途半端な気持ちでいたことは本当に申し訳なさしかない。

 

それでも、3年目最後の試合。

国公立大会vs一橋

全員がキラキラしていた。選手も、スタッフも、コーチも、応援も。

ああ、私はこの瞬間が大好きだったんだ。純粋にそう思った。

リーグ戦vs亜細亜

みんな夢中だった。選手も、スタッフも、コーチも、応援も。

いい試合だなあ。それだけだった。それで十分すぎた。

 

 

この試合のおかげで4年目の私は大きな変化を遂げましたと言えたらよかったんだろうけど、そう上手くはいかないのが現実。

コロナは全然収まる気配もなく、戦う舞台は1部となり、正直なところ一つ一つの試合を無事に終えるので精一杯だった。

それでも残り少ない時間で自分にできることはやろうと、引退までにできる限り後輩スタッフに伝えられることは伝えようと思った。糸さんやゆかさんみたいに背中だけで語れるほどの人間ではないから、言葉も交えて。

きっとそんなにいい先輩にはなれなかったけど、少しは力になれたのかな。

 

引退の日は最後の試合ではなくみんなでミニゲームっていう不思議な感じだったけど、勝ち負けとかプレッシャーとか一切の雑念なく、ただサッカーを楽しんでるみんなを、好きなことに夢中になっているみんなを見れて、幸せだった。

太陽の下、笑顔でサッカーをするみんな。

1年生の新歓期、初めて金曜練の見学に来た時もこんな感じだったな。そんな懐かしさ。

あのときは爽やかに挨拶してくれる先輩たちが個性の塊だなんて思いもしなかった。みんな上手に隠してたけど、そのおかげでア式の印象はとても良かったのだから感謝しかない。

 

 

 

4年間は長いようであっという間。でもやっぱり長かった。

その長い時間を、引退まで続けられたのは間違いなく「人」のおかげ。

 

いつも輝いていた先輩たちも

人徳溢れる先輩たちも

平和な同期も

ちょっと(だいぶ)生意気な後輩たちも

たくさんの出会いのおかげで、何度も何度も救われた。

 

でもやっぱり、4年間続けられたのは同期スタッフのおかげ。

自分から学びに行ってどんどん成長していったり、自分の軸がまっすぐにあるマネージャー陣。

スタッフの仕事の中でも一番大変なのでは?と思う仕事を全うしてきたトレーナー陣。

部の隅々にまで目を行き届かせ、自分がパンクするまで頑張っちゃう唯一の男子スタッフ。

この代じゃなかったら4年間続けられなかっただろうなと思う瞬間は何度もあった。そんな瞬間ばかりだった。

本当に感謝しかありません。

 

 

 

 

それでも、このfeelingsを書いている途中までは迷いがあった。

この4年間は自分にとって意味のあるものだったのか。

そんな時に見つけたこんな文章。

 

「急がなくていい。一つ一つだ。急がないが、とどまらない。そんなふうにやっていけたらいい。先は大事。でも今も大事。先は見なければいけない。でも今も疎かにしたくない」

 

ちょうどfeelingsを書いている時に読んでいた本の中の一節。

うまく言葉にはできないけれど、胸にすっと入ってくる感じ。

ああ、そうか。きっと私のア式生活もこういうことなんだろうな。そう思った。

ア式での4年間を、その選択をした自分を、素直に肯定してあげられた瞬間だった。

 

4年間もあれば、先のことを考えて部活を続けるか悩むタイミングなんて数えきれないほどある。実際、他の団体に所属していれば全く異なる経験ができただろうし、出会う人も全く違ったと思う。この問いは選手スタッフ関係なく、きっとほとんどの人の頭をよぎるもの。

大学生という時期で、先のことを考えるなという方が無理な話。たぶん多少は考えたほうがいい気もするし。

 

けれど、先の人生につながることが、未来のためになることが、今の価値を全て決めるわけじゃない。

未来のための今じゃなくても、今この瞬間の自分のために今を生きることも、大事なんじゃないか。

そんな今の積み重ねが、結局は未来の自分を形作るんじゃないか。

 

この本を読むタイミングと、feelingsを書くタイミングが重ならなければ、この一節の解釈の仕方は違っただろうし、feelingsのまとめ方も違うものになったはず。

でも、偶然か必然か、二つのタイミングが重なったんだから、少しくらい自分に都合のいい解釈をしても許されるかな。

 

 

私が積み重ねてきた「今」は、その積み重ねとしてのア式での4年間は、こうしてfeelingsを書いている今の自分につながる、大切な時間でした。

たくさんの出会いに、経験に、心から感謝しています。

本当にありがとうございました。

 

 

佐野静香

 

 

 

上の引用は、『ひと』(小野寺史宜)という小説からのものです。

日常の見え方が少しずつ、でも確かに変化していく実感が得られる、そんな小説です。

興味のある方は是非。




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