投稿

11月, 2024の投稿を表示しています

The Sun Also Rises

  清水怜雄那( 1 年 / テクニカル / 麻布高校) feelings を書き始めたのは、ア式に入って1ヶ月たたないくらい。入部式の前あたりだったと思う。その時はいつ提出するかも知らず、ただひたすら入部に至った経緯とか、高校時代のこととかを書いていた。 feelings の提出期限は結局 8 月中旬となった。ほとんどの同期はしっかり提出期限内で提出し、遅れた数人も僕以外は 9 月中旬には出し終わっていた。そんな中で、僕は 9 月 29 日に二十歳になり、チームは一橋戦に快勝し、 9 月がとっくに終わってしまったのに全然提出できそうな気配がない。同期の中でもかなり最初の方から書いていた気がするが、ずっとダラダラと書いていたせいでただ長いだけの一貫性のかけらもない文章になったので全て書き直すことにした。   タイトルはヘミングウェイの処女作から引用した。日本語タイトルでは、「日はまた昇る」と訳され、暗闇に再び光が降り注ぐような、希望を与えるような印象を覚える。しかし実際の内容はというと、快楽に溺れ、堕落した若者たちを描いたものであり、タイトルの意味は、空虚な日常が明日もまたやってくるというような意味である。   もし僕がア式に入っていなかったら、何か没頭できるものを見つけていなかったら、ヘミングウェイがその小説で描いた若者のように、不毛な 1 日 1 日をすごしていたかもしれない。大学に入って改めて実感したのは、自分を律して、興味のないことを実直に頑張れる人間ではないということだ。週に三日くらいはサークルなどに行って他の日でバイトや進振りの勉強をしようかな、などと考えていた自分が恐ろしい。空いた日があれば、友達と街に出て遊んでいただろう。   しかし、幸運なことに僕はこの部活に、サッカーに出会うことができた。   僕はア式に入るまで、中高でサッカーをやったことがない。それもあって大勢の部員と違い最初からア式に入るつもりではなかった。   僕とサッカーの関わりは、休み時間の校庭サッカーや授業でのサッカー、海外サッカーを見ることだけだった。戦術とか、フォーメーションとかには自然と興味が湧いていったので、 YouTube や Twitter でマッチレビューや戦術ブログ、分析記事などを見たりして次第に知識がある程度ついていった。リヴァプールが好きだったので、リヴァプールに

ありのままの自分

宮野隼輔(1年/DF/桐朋高校) 入部して何ヶ月か経った今、feelingsを書く 自分と向き合う、自分のこれまでの人生を振り返るいい機会として出来るだけ見栄や虚勢を排除して書く。 まずは今までのサッカー人生について。 サッカーを始めたきっかけは保育園の友達からだろうか、5歳くらいの時に親にやってみたらということで始めた。 まっすぐなドリブルすらもままならない、そんな0からのスタート。リフティングも1、2回がせいぜい。(今もリフティング上手くないが…)中でも1番のやりがい、嬉しい、楽しい瞬間はゴールを決めた時だった。DSのカセットを買ってもらう約束だったが、それ以上に決めるのが嬉しかった。 小学校低学年の頃、アニメの影響もあってかゴールキーパーにハマっていた。チームは味方の超上手い子が点決めまくってそれで勝つ。そんな割とあるある?な感じである。 小学校中学年では、その上手い子が6年生とかの試合に帯同し始めて、自分たちは一気に弱小チームになった。本当にずっと負け続けてた。それでもサッカーがずっと好きだったし、チームメイトとの時間も楽しかったからやめる選択肢は一ミリもなかった。 小学校高学年、受験と重なり始めて段々と参加することが減っていった。それでも、受験のネガティブな感情をサッカーはいつも和らげてくれた。 中学入学後は小学生の時やっていた楽器を続けるという選択肢もあったが、なんだかんだで1番サッカーが好きでやりたいということでサッカー部に入った。みんな自分よりもずっと上手くてびっくりした。ずっとミスばっか。ディフェンスラインの繋ぎで自分のとこでボール取られて失点。そんなことが何回も続いた。上手い奴のやり方を真似しようと頭では思っても、どうすれば良いか結局のところボール持った瞬間から分からなくなった。一年生では自分のクラスがサッカー部自分1人だったのもあったり、自分がめちゃくちゃ下手くそだったりで、馴染むのにはかなり時間がかかった。正直言って一年の頃は全く馴染めてなかったし、ずっと馬鹿にされながらプレスに怯えてプレーしてた。 二年生以降、同じクラスにサッカー部の人がいるようになったのもあって、また一緒に帰るのを受け入れてくれた仲間がいたのもあって、段々と馴染めるようになった。ただ、今一言で自分の当時のキャラを言うなら良くも悪くも滑稽な奴である。ベンチ外は当たり前、変な

Yapping

  三ツ國涼央(1年/FW/天王寺高校) Hi, I'm Leon Mitsukuni. There isn't much I wanna write about, but I'll start off with why I decided to join this football club. The reason is quite simple. I just wanted to enjoy playing football and get better at it, so this was the perfect place to do that. I had a look at Speranza as well but didn't really like it. I say "perfect," but it's not quite perfect. There are a few things that annoy me. Not having enough time to rest is one of them. Having only one day off a week is not enough for me. My legs get more fatigued every week, and this is not helping me at all. Maybe I need to massage or stretch my legs after training or something, but how tf am I supposed to know what to do? No one has ever told me what I should do to help my body recover quickly. I'm sure others have had the same problem, so something's gotta change. And I'd love to have the freedom to miss practice for a week or two and travell abroad or go snowb

本音

  大石浩哉(1年/テクニカル/浜松北高校) 「ああ 辞めたくないよな」 そんな声が聞こえてくる。サッカーから離れていた高校時代、それでも心は未練で一杯だった。このままサッカーを辞めて、サッカーから離れてしまうのが嫌だった。そんなとき、あの歌詞を、あのメロディーを思い出した。 生い立ちを述べると自分の文章力からして、冗長になってつまらなくなるのが目に見えているから簡潔に。 幼稚園のとき、園庭で週1回行われていたサッカースクールに親の勧めで入ったのがすべての始まり。そこから中三まで約10年ずっとサッカーと一緒だった。小学校の時も中学校の時も何度もやめようかと悩んだ。それでもサッカーを続けて、一旦高校で離れたのにまた戻ってきた。何がそこまで自分を惹きつけるのか、それはいまだにわかっていない。でもその答えの一端はやはりあの曲にあると思う。 サッカーに打ち込んだ中学時代。といってもおよそ二年の活動のうち合計一年を怪我で棒に振った。悔しかった。「ああ 辞めちまおうかな」何度もそう考えた。それでも部活の仲間とサッカーをするのが楽しくて、怪我をしている間も部活に顔を出して手伝いをしていた。部室の埃と土が混ざったような独特のにおいは鮮明に思い出せる。中学時代は生徒会でもお世話になった一つ上のキャプテンに憧れていた。めちゃくちゃイケメンでサッカーも上手かったから、「天は二物を与えず」は嘘だと思い知った。 初めての公式戦だった1年生大会で、10番をもらってやる気に満ち溢れていたのに、直前の練習試合で鎖骨を骨折した。この時の事は忘れられない。地元のある中学のグラウンド。右サイドでボールを受けた自分は縦に突破した。前にいるディフェンスに気を取られていたので背後から近づく怪しい影に気付かなかった。一瞬何が起きたのか理解できなかったが、後ろから人が覆いかぶさってきて押し倒されたことだけは分かった。転んだ自分に慈悲な味方DFは「たて!!」と叫ぶ、何とか立ち上がってあげたクロスは皮肉にも最高のボールでアシストになった。そんなことはどうでもいい、痛い。それしか感じなかった。 公立中のグラウンドあるある、ピッチの中にマウンド、のせいである。もうおわかりいただけただろうか、後ろから追いかけてきた相手DFは、マウンドの傾斜につまずいて転び、自分に覆いかぶさってきたのだ。二人分の体重を受け止めた可哀そうな鎖