僕とサッカーと夜飛ぶ梟

 野澤柊斗(1年/DF/湘南高校)



feelingsを書くにあたって、ちゃんと書いていそうな先輩の作品を読んだら、初めに名前とかをちゃんと書けってやじさんが書いてたって髙木さんから聞いたって書いてあったので自己紹介から始めます。


こんにちは、東京大学前期教養学部理科一類の1年で、ア式蹴球部に所属している野澤柊斗です。生まれは新潟、育ちは神奈川。湘南高校という(四年制の)高校の出身です。


伝統を重んじる湘南生らしく、多くの先輩たちに倣って、今回はア式に入るまでのことを書こうと思います。ここからは敬体をやめます。


サッカーは年長のときに始めた。最初はサッカースクールに通うだけだったが、小二からはクラブチームにも入った。中学もそのクラブチームのジュニアユースでプレーした。
高校ではサッカー部に入った。入部してすぐ、理由はよく分からないが期待されていたのか、Aチームに合流した。そして、練習試合でセンターバックとして先発することがあった。前半20分を過ぎたあたりで事件は起きた。サイドバックからボールを受け、一度キーパーに戻そうとしたのだが、パスが短すぎた。相手のFWへのドンピシャのスルーパスとなり、一点を献上。その試合のあと、Bチームになった。この事件がなくとも時間の問題だったとは思うが、直後にBチームに落ちたので、同期からはめちゃくちゃイジられた。そこから1年生の残りはBチーム、2年生になってからはCチームでプレーし、次にAチームに上がったのは先輩が引退して、自分たちの代になった時だった。代が変わるタイミングで僕は部長になった。(よく間違われるが、僕は部長であって、キャプテンではない。)部長になって感じたのは、それまでの自分の甘さだった。チームを引っ張っていくことを求められて初めて、ピッチ内でもピッチ外でも、それまでの自分がいかに無責任だったかを痛感した。部長としての最後の1年間は今振り返っても楽しいというよりはむしろ苦しいものだったが、責任感をはじめとして、僕に多くのものをもたらした。役割が人を作ると言うが、今の僕の基礎になっているのは間違いなくこの部長としての経験だと思う。
部活を引退したのは10月の半ばだった。それまで塾にも行かず、授業以外でろくに勉強をしてこなかったこともあり、自分なりに頑張ってはみたものの、現役合格は叶わなかった。


なぜ東京大学を目指したのかと言えば、将来進む道を、高校までの知識・経験で決めてしまうのはもったいないと思ったからだ。少しでも多くのことを学んで、経験してから自分の本当にやりたいことを選びたいと思ったのだ。少なくとも現役の時は、ア式のことはそこまで意識していなかったと思う。


高校生活をサッカーに費やした僕が東京大学に入学できたのは、間違いなく駿台のおかげだろう。
駿台に通った一年間、毎日開館から閉館まで校舎にいた。
朝起きてご飯を食べて、出発する。校舎に到着し、少し自習してから午前の授業を受ける。お昼を食べ、少し昼寝をする。午後の授業を受け、閉館までその日の復習をする。家に帰ってご飯を食べ、少しリスニングをする。お風呂に入って、ストレッチをして、寝る。
勉強のことだけに集中できたのはとても幸せなことだったと思う。部長としていつもチーム全体のことを考えていた高校のサッカー部とは違い、自分個人のことだけを考えていればいいというのは正直かなり楽だった。
来る日も来る日も同じ一日を過ごした。思い出がまったく更新されず、特に変わった予定もないので、ベッドに入ってから考えるのはきまって高校のことだった。サッカー部での試合や遠征のことをよく思い出した。クラスのことはあまり思い出さなかった。湘南高校では、サッカー部は浮いていたのだ…。
僕はこの生活を愛していた。駿台で学ぶことは楽しさ以外のなにものでもなかった。
そうして受験本番を迎えた。
あんなに頑張った物理と数学は現役時よりも点数が低かった。
それでも、国語と英語で自分でも信じられないくらいの点をとり、結果として東京大学に合格できた。


浪人中にサッカーをしたいと思うことは多々あったが、そんな余裕があるとは思えなかった。
だから合格発表のあと、自然と高校のサッカー部に顔を出していた。後輩の卒業サッカーにも参加して、無理やり試合に出させてもらった。やっぱりサッカーは楽しかった。
またサッカーをやろうと思った。


ちょうど湘南の先輩の笹森さんから


「サッカー続ける気持ちってありますか?」


とLINEをもらった。


「ア式でやりたいです!!
練習参加もしたいです!!!」


そうして気づけばア式に入部していた。


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自分の選択が、それによってもたらされた結果が、本当に自分にとってよかったのかどうかは、意外と分からないものだなと思う。
駿台のある先生は、「東大に受かることが本当に一番いいことなのかは分からない」と何度か言っていた。
聞いた当時は、「いやこちとら東大に受かるために毎日必死に勉強してんねん」という言葉が喉まで出かかった。


今はすこしわかる。


別に、東大に入ってから思ったより点数が取れなくて、進振りで行きたい学部に行けるかが不安になってきたから、とかでは決して、断じて、まったくない。今から本気を出せば平均80点くらいは余裕だ。多分。とりあえずはSセメで落とした線形代数の追試に向けて勉強するところから始めようとおもってる。(追記 無事回収できました!)


少し脱線したが、とにかく、先生は気休めを言っていた訳ではないのだと思う。
ミネルヴァの梟は夜飛ぶ、とは言うが、自分の選択が人生の中でどういう意味を持つかも、ある程度時間が経ってからでないと、ひょっとすると、人生が終わるまで分からないのではないかと思う。結果は結果でしかないし、それ自体に価値は無い。きっと、解釈して初めて、そこに意味が生まれるのだ。だから、大事なことは過程を積み重ねることではないのか。だって、振り返った時に雄弁なのは結果よりもむしろ、そこへ至る過程だから。輝かしい結果と同じくらい、堅実な過程も財産たりうるのではないのか。
そう、大切なのは『真実に向かおうとする意思』なのだ。いや、ちょっと違うか。
でもあの先生はきっと、こういうことが言いたかったんじゃあないかと思う。ジョジョは知らなそうだけど。


そういうわけで、ア式に入ったことそれ自体に価値は無い。そこにどんな意味があるか分かるのは、ずっと先のことだろう。自分の選択が善なのか悪なのか、そんなことは分からない。僕にできるのは、今に没頭し、やりたいことを表現して、できることを精一杯やることだけだ。

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