ただいま

馬渕太我(1/DF/海城高校)


八月某日のオフ、終電間際の電車に揺られて最寄りの駅に着く。ホームに停車した車両のドアが開いた。
 

さっきまで降っていた雨の名残が、空気に湿り気を残している。まとわりつくような蒸し暑さが、汗ばんだ肌をさらに重たく感じさせる。
 

いつもの改札を出る。
 

一本道を歩いていくと向かい側からカップルが歩いてきた。思わず体を左に寄せると、草むらが肌に触れ、ちくりと刺さる。
 

今日久しぶりに高校の同期に会った。
帰省シーズンでみんな東京に帰ってきている。
 

卒業旅行以来会ってないやつもいたりして積もる話で盛り上がった。
 

いろんなやつがいた。
 
地方大学の寮に入ったが、エアコンがなくほぼ刑務所だったやつ。
サークルの旅行の車の中で隣の席の人が脱糞した話をしてくるやつ。
某私立大学アメフト部に入部しめちゃくちゃブラックなエピソードを話してくるやつ。
男女比がバグってるKPOPダンスサークルに入ったやつ。
他にも大学入学後早々彼女をもうすでに2人も作ったやつ(こいつはLINEの文面からすでに調子に乗っていることがバレバレ)など
 

みんなそれぞれにいろんな話すネタがあって刺激的な大学生活を満喫してそうだ。
 

それに比べて自分は週6の部活、ほぼ毎週同じ生活の繰り返し、特にみんなに話す面白いネタはなくただ友達の話を聞きながら笑っていた。
 

ア式部員ってマジでなんもないな。
 

不覚にも一瞬そう思ってしまった。
 

別にア式に所属していることに対して不満があるわけでも今の生活を楽しんでいないわけでもない。フルピッチの人工芝のグラウンドが二面。毎試合、毎練習の映像で自分のプレーをフィードバックできる、してもらえる。テクニカルの方々が毎試合対戦相手の分析をしてくれる。都リーグで今まででは対戦出来えなかったレベルの相手との対戦。きれい?な部室。環境面はばっちり。優しくて尊敬できる先輩はたくさんいるし、おもろい同期もたくさんいる。選手との距離感がめちゃくちゃ近いテツさんもいる(たまにどう反応すればいいかわからない絡みをしてきて戸惑う)。
 

久しぶりに会う友達に話そうと思えば話せる話題はいくらでもあったはずだ。だけど自分の話はあまりせずにその日を終えた。
 

ア式しかないやつと思われたくなかった。
せっかく東大に入って部活だけしているやつと思われたくなかった。
 

なんで東大でサッカーつづけているのだろう?
 

サッカーが好きだから?
 

母によると自分は小さい頃は野球少年だったらしい。メジャーリーグで活躍するイチローにあこがれ公園で野球バットを片手に打ちにくい球を投げてくる父に駄々をこねる日々。確かに小さい頃、公園で野球を楽しんでいた記憶ははっきりある。野球あるある?みたいな感じで通りすがりのおじさんに野球を教えてもらったこともある。元高校球児の母方の親戚に変化球の握り方を教えてもらったこともある気がする。
 

だけど2010年、南アフリカで開かれたワールドカップで自分は一気にサッカーの虜となった。それをきっかけに公園でサッカーもするようになった。
まだ若かりし本田圭佑や香川真司のプレーに幼いながらも魅了されたのだろう。
ちょうどその時期母がクリスティアーノロナウドにはまり、家事をしながら今は無き地上波のチャンピオンズリーグのダイジェスト番組の録画を見ていたことも自分のサッカー好きを加速させた。
 

そんなサッカーと出会ってから早15年、今更ながらどうしてこんなにも熱中してしまうのだろうか?
 
 

誰もいなくなった夜の商店街を一人で歩く。昼間の喧騒が嘘かのようにあたりはしんと静まり返っている。ふと自分のサッカー人生を振り返る。
 

小学校に入学後、地元のクラブチームに入った。
低学年の間はただ転がってくるボールをつま先で蹴ったり、なんとなくサッカーしたりしているのがとても楽しかった。高学年になると次第に周りのレベルが上がってきて上達するために努力するということを覚えた。公園で友達と暗くなるまでサッカーをしていた。サッカーはとても楽しかった。
 

中学に上がり部活でサッカーを続けた。
コロナの影響で休校となり部活動は制限された。このころ左足のキックがなんかうまくなった気がする。つらいことはあってもサッカーは楽しかった。
 

高校も部活でサッカーを続けた。苦しい三年間の始まりだった。
中学のころと比べ練習、試合の強度が格段に上がった。走りが増えた。普通に足が遅くてタイムに間に合わない。夏合宿があった。走るトレーニングをする場所に走っていった。地獄。だけどサッカーがどんどん上手くなっている気がした。秋くらいに某飲食チェーン店でやらかしてしまい部活で一か月くらい干された。チームや先生方にたくさん迷惑をかけた。たくさん走った。もっと上手くなりたくて朝の自主練は欠かさずいった。だんだん一つ上の代の試合に出られるようになった。試合の映像を撮るためにチームで新しく買ったGoProの雲台を遠征先で無くしかけて先生に迷惑をかけた。チームの目標の都大会へ出場できた。ギリサッカーは楽しかった。
でも高2から引退まではとても苦しかった。もともとあんまり強い代ではなかった。勝てなかった。ことごとく勝てなかった。朝早起きするのがつらくなった。しかしあまり勝てないチーム状況で自主練しないわけにはいかなかった。もはや義務感でサッカーをしていた。もうサッカーは楽しくなかった。引退まで残り数か月となりようやくちょっとずつ勝てるようになってきた。しかし勝つたびにサッカーの楽しさや勝った喜びではなく安堵感を抱いてしまっていた。もはやサッカーの楽しさなんて忘れていた。気づけば最後の大会が始まっていた(海城高校では高3のインターハイが最後の大会)。順調に勝ち進んだ。でも決定戦で大森学園に敗れた。強かった。何もできなかった。義務感で培った技術、体力すべて相手に上回られた。もうサッカーはいいや。
 

引退してようやくサッカーから離れられる日々がついに来たと思った。ぼーっと勉強しながら過ごそう。このまま大学もぼーっと生きるていくのも悪くないのかもしれない。
 

それでもサッカーを忘れられなかった。強い一個下の代の活躍はいやでも耳に入ってきた。素直にすごいと思う反面悔しいと思う自分もいた。なんかサッカーのことを引きずっていると思われたくなくて「へー」とか「すご」とか言って軽く流そうとしている自分がいた。
 

サッカーを忘れようとするかの如く受験勉強に励んだ。
 

時が経ち、冬くらいに体育の授業で数か月ぶりにサッカーをした。めちゃくちゃ楽しかった。まるでサッカーと出会ったあの日のように。体は受験太りでぶよぶよ、ちょっと走っただけで息はあがる。思うようにボールを扱えない。でもその不自由さが逆に心地よかった。やっぱりサッカーは諦めきれなかった。自分はサッカーが好きだった。
 

まるで薬物のような依存性を持つサッカーを、なぜこんなにも好きになったのかはうまく説明できない。サッカー人生を思い返せば、つらいことや面白くないこと、楽しくなかった記憶はいくらでもある。それでも、その副作用があってもなお、好きなことに気づいた。
 

まさか体育の授業がサッカーが好きなことを再確認させるきっかけとなり、大学入学後はア式に入ることを決めてしまっていた。
 
 

家まであと少しのところ、急な坂道に差し掛かった。この前の双青戦で痛めた左足が痛む。
 
 

ア式に入部した当初は4年生が抜けた後くらいからAチームに絡めることを目標にゆっくり頑張ることにしていた。正直、高校時代のように必死に自主練したり走ったりすることには疲れているし、それが結果的に義務感を抱きながらサッカーをすることにつながってしまうことが怖かった。それに技術も体力もフィジカルもすべて全然足りていないと思っていた。
 

でもいきなりAチームに帯同することになった。
入部してすぐにAチームでプレーできることは貴重な経験ではあると思う。けど自分の予想通り全然通用しなかった。
 

気づけばポジションは本職だったボランチからセンターバックになってしまっていた。センターバックなんて自分のサッカー人生で全然やったことのないポジションだった。ボランチの時と見える景色が全く違う。しかも大学サッカーの高い強度の中で相手と正対することや辺に向かってプレーすることなど今までなんとなくやってきたことを高いレベルで要求される。
 

正直頭の中はパンクしそうだった。全くサッカーを楽しめる状況になかった。全然上手くプレーできなくて悔しかった。慣れないポジションでプレーしているからミスもたくさんした。その度に落ち込んだ。家で涙を流すこともあった。東大にまで来てわざわざサッカーをやる意味について何回も泰斗に愚痴をこぼした。
 

もちろんリーグ戦のたびにベンチ外となった。Aチームがリーグ戦で全く勝てていない中、全く戦力にならない自分がAチームにいることに対して何度も疑問を抱いた。Aチームで宙ぶらりんな状態でプレーし続けるよりも育成でしっかり試合に出場して経験を積み成長していくほうが自分のためにもチームのためにも良いと何度も思った。
 

でもちょっとずつできることが増えるようになってきた。
 

そのたびに上手くなっている気がしてその瞬間だけ嬉しさやサッカーの楽しさを感じた。
 
 

ようやく家に着いた。駅から歩いてきた足取りを振り返ると、サッカーもまた一歩一歩の成長の積み重ねでしか前に進めないのだと思う。その積み重ねの中に、確かな楽しさがあるのだろう。
 

もしかすると自分にとってのサッカーの好きなところはその地道さにあるのかもしれない。一長一短にはうまくいかない、じれったい感じ。いつだったかの練習終わりに潤さんに同じようなことを言われた気がする。確かに簡単にうまくなれたらそれはそれでサッカーはとても味気ないものになってしまうだろう。
 

この小さな楽しさを見失わずに、4年間走り抜けていこう。そう心に誓い、家のドアを開けた。
 
 

「ただいま」

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