そうだ 長野、行こう。

泉澤輝(4年/DF/盛岡第一高校)




ーそうだ 長野、行こう。


ご存知の通り、僕は大学を卒業したら長野県の企業に就職します。

思えば、岩手県出身で東大を卒業する僕が、何故長野県に行くのかキチンと説明したことはありませんでした。
みんな「ネキがいるからだろう」と思うかもしれませんが、話はそんなに単純ではありません。(ネキとは、彼女の部内での愛称です。)
そのため、この場をお借りして、僕が長野県に行くことを決めた背景をご説明したいと思います。


時は去年の3月まで遡ります。
僕は、尊敬する大先輩Y氏に言われるがまま、就職活動というものを始めました。
この頃は、東京の、それなりに名の知れた会社に就職するのが良く、実際にそうなるのだろうと何となく思っていました。



就職活動を始めると、学歴のおかげか、優秀なAIのおかげか、ほとんどの企業でESはすんなり通過し、一次面接の案内が来ました。
多くの企業において、一次面接はグループディスカッション(以下GD)という形式で行います。
GDとは、面接官からお題が出され、そのお題に対して30分程度学生のみで話し合い、結論を出すというものです。
そして、このGDというものが一つの分岐点でした。


結論から申し上げると、僕はグループディスカッションというものがとにかく嫌いでした。
こんな早期に就職活動を始める学生は、意識の高い学生ばかりです。
彼ら彼女らは、GDが始まるや否やファシリや書記、タイムキーパーなどの役割に自ら立候補していきます。
そして、意気揚々と定義づけを行っていきます。
「優秀なリーダーの条件か何か?」というお題であれば、「優秀」とはどういった場面で発揮されるものか、「リーダー」とは何におけるリーダーなのかといった具合です。
そして気付けば議論は進み、大枠の合意形成がなされ、最後に協調性をアピールするかの如く私のような一言も発しない者にも発言の機会をくれるのです。



この一連の流れで、面接官の方々は何を見てどう評価しているのでしょうか。
役割を担っていく積極性でしょうか。
話に入れていない人にも発言の機会をくれる気遣いでしょうか。
会議を円滑に進めていく協調性でしょうか。



積極性なら、その辺の人よりあると自負しています。

部活動に所属しながら、2年間学生幹事も経験しましたし、スポンサー活動も行いました。

誰も見ていないけど部室を掃除するような気遣いもできます。

ずっとチームスポーツをしてきたわけですから、協調性もあります。




そういう枠組みの中で評価されざるを得ないのだから、その枠組みの中でパフォーマンスを発揮しろという意見は至極ごもっともであります。

しかしながら、私は優秀な学生の皆さまのマシンガントークに辟易し、GDというプロセスにやるせなさを感じたため、GDの案内が届くとパソコンの画面をそっと閉じました。





こうして、気付けば季節は秋に差し掛かろうとしていました。

この頃になると、GD無しで参加できるインターンや、個別面接の案内も増えてきました。

相変わらず、学歴と優秀なAIのおかげで選考の通りは良く、幾つかの企業様からインターンのご案内をいただきました。

しかしながら、インターンが近づくと何故か億劫になってしまい、何かと理由をつけて欠席しました。本当に申し訳ありません。




この頃から、就職活動って何なんだろうと思うようになりました。

世の中的には、名の知れた大企業や年収の高い企業に就職することが良いというような風潮があります。
東大という環境もあって、身の回りの人の就職先も豪華です。
この豪華っていう表現も変だと思うのですが。
別に就職先に豪華も何も無いだろうに。



僕はどこまでいっても田舎者です。
家の周りではカモシカや雉が出ます。
夜に出歩く人はほとんどいません。
満員電車に毎日乗って通勤するなんて想像できません。
田舎なら3LDKに住めるような家賃でも、この街では1Rにしか住めません。
スーパーでカートを押してすれ違えないなんてストレスでしかありません。



東京の良さは、圧倒的な機会の多さです。
有名な人の話を聞きに行こうと思えば、すぐに行けます。
会おうと思えばすぐに会えます。
イベントも豊富です。
ライブが終わっても電車1本で帰ることが可能です。


しかしながら、今の世の中、オンラインでいつでも誰とでも繋がれます。
新幹線や飛行機を使えば、東京にはすぐ来れます。



そんな世の中で、東京で暮らす意味って何だろう。
自分にとっての幸せって何だろうと考え始めました。




そんな時です。

ネキに長野に転職する可能性が出てきました。
最初は「長野かぁ、長崎よりは近づいたなぁ」ぐらいにしか思っていませんでした。
しかし、ネキの新居探しに同行するために長野市を訪れた時、とてもいい場所だなと思いました。
駅前はキレイに整備されており、程よく賑わっているけど人が多すぎるわけでもない。
地元に近い雰囲気を感じました。



ちょうどその頃、選考を受けていた企業の面接官の方から、僕の価値観ややりたい事なら地方が良いかもしれないね、とアドバイスをいただきました。
このアドバイスがなかったら、絶対に今の内定先は調べていません。
「長野 〇〇」で調べて出てきた企業のHPは、思ったよりもキレイに整っていました。
色々情報を見ていくうちに、確かに面白そうだなと思いました。



他にも、長野県自体の魅力にも惹かれていきました。
皆さんご存知の上高地や白馬村といった豊かな自然が広がっています。
僕は自然界隈が流行る前から自然界隈です。
国体を控えており、スポーツにも力を入れています。
移住したい都道府県ランキングでも19年連続1位らしいです。



他にも色々な要素はありますが、最終的には勘ということになるでしょうか。
ここで言う勘とは、当てずっぽうというような意味で使っていません。
僕は、勘とは超感覚的な論理的思考だと思っています。
そのため、ネキの転職は長野を選ぶ上で大きなきっかけとなりましたが、ネキがいるから全てを捨てて長野に行くんだ!みたいな駆け落ち的な展開ではありません。
これが仮にお隣の岐阜や愛知だったとしたら全く惹かれていません。
それくらい、自分は長野県に魅力を感じているのです。



ーいわてグルージャ盛岡をJ1へ



しかしながら、これから一生を長野県で過ごすのかと言うと、必ずしもそのつもりはありません。
僕には夢があります。
それは、「いわてグルージャ盛岡のJ1を実現する」というものです。



あまり知られていないかもしれませんが、僕はいわてグルージャ盛岡の下部組織出身です。
入団した当時はまだ東北社会人リーグに所属しており、J3への飛び級での参入も直接目の当たりにしました。
浪人中にはJ2への「昇鶴」を見届けました。
そのくらい、愛着のあるクラブなのです。
だからこそ、何か恩返しがしたい。
このクラブがJ1で試合をする。
鹿島や広島といった強豪クラブと毎週のように試合をする。
サッカー専用のスタジアムが出来て、ショッピングモールも併設しちゃって、試合前から多くの人が訪れて、みんなで盛り上がって、みんなが笑顔で帰る。
そんな場所を盛岡に作りたいし、そんな世界が見たい。



どんな関わり方が出来るかなんて、全く想像もつかない。
クラブのスタッフなのか。
スポンサー企業なのか。
行政なのか。
オーナーなのか。
来年から社会人1年目のただのペーペーだけど、いつか、必ず、成し遂げます。







自分語りが過ぎたので、少しでもタメになるようなことを書きます。

と言っても、自分が伝えたいことが記された記事があったので、まずはそれを共有します。



「ぬるい集団だった」



ア式も構造的には全く同じだと思います。
基本的にぬるい。
どんなところからそれを感じるか。
部室が汚い。
氷を持ってきてと言われているのに誰も持ってこない。
準備の人が乾燥機にかけてくれたビブスを誰も持ってこない。
荷物を持たずにグラウンドに向かう人、帰る人がいる。
挙げればキリがない。



要は主体性が足りないんだよなって思う。
自分は主体性と視座って言葉があまり好きではないが、それでも敢えて使わせてもらう。
主体性って言うとピッチで声を出すことだと思われがちだけど、それだけじゃない。
グラウンドのゴミを拾う。
部室をキレイにする。
壊れた備品を修理する。
mtgしようって発信する。



そうやってチームに必要なことは何かって考えて、実際に行動できる気の利いたやつが圧倒的に少ない。



最近のログでは「東大に来てまでサッカーを続ける意味」とか「週6日もサッカーに費やす理由」といった言葉をよく見る。
そういう言葉をかけられて、本気で考えた奴が何人いるか。
行動を変えたやつが何人いるか。



人間は基本的に変わりたくない生き物。
楽したい生き物なんだよ。
体温だって36度に戻ろうとするし、ダイエットを始めてもすぐにリバウンドしてしまう。
電気を付けるのだって、アレクサに任せる始末。
何故変わりたくないのか。
それは、変化は危険を伴うから。
せっかく食べ物を見つけたのに、その場所から移動したら次も食べ物を見つけられる保証なんてない。
人間関係が変われば襲われる可能性だってある。
原始の時代から、遺伝子に刻まれてきた人間の本能。
だから、自力で変えようとするのは不可能と言っていい。



それでも、上手くなりたいなら、勝ちたいなら、チームを変えたいなら、
自分を変える方法が一つだけある。
それは、環境を変えること。



みんなは基本的に大学、バイト、部活のサイクルで回っているはず。
そのサイクルで回っているうちは一生変われない。
忙しくて何か新しく始めるとか無理だよと思ったそこのキミ。
別に大袈裟なことはしなくて良いんだよ。
他の部活の人とお昼ご飯を食べてみる。
今まで読んだことの無いジャンルの本を読んでみる。
いつもと違ったルートで帰ってみる。
こんな些細なことでも良いんだよ。
とにかく、いつものサイクルを壊すしかない。
そして、あわよくばア式以外の環境に身を置いてほしい。
それは例えば、僕で言えば都学連だったり、Arxcsっていう体育会学生のコミュニティだったりする。



人間は環境次第で大きく変わる。
公務員で働いている人が起業しようと思うだろうか。
東大が1人も出たことの無い学校に通っている人が、東大に行こうと思うだろうか。



これだけ力説しても、多分まともに読んでくれるのが2割。
そこから実際に行動まで変えてくれるのが2割。
今のア式の人数から言って3人いれば良いかなっていうくらい。



その3人が、チームを引っ張って、チームの空気を変え、その輪が広がっていけば、

チームは良くなるのかなって思います。








最後に、感謝を述べて終わりにしようと思います。




最後の年まで、ほとんどの責任を背負わせてしまうかたちになって申し訳ないと思う。
本音を言えば、出来るなら一緒に試合に出て、喜んで、泣いて、色々分かち合いたかった。
ア式で後悔があるとすればこれに尽きる。
力不足で申し訳ない。
けれど、やっぱり荒は俺たちの代で一番上手くて、僕らの希望で、いつもカッコよくて、最高のキャプテンだった。
ア式に入ってくれて本当にありがとう。



大輝
俺らのムードメーカー。
本当に最高。
大輝なら、いつかデカいことを成し遂げてくれる、そんな予感がしている。
これは冗談じゃなくて、結構ガチだよ。
まずはちゃんと卒業しようね。




怪我で苦しむ期間が多かったと思うけど、最後チャンピオンシップに一緒に出場できた時は本当に感動した。間に合って良かった。
人間性のロールモデル。
みんな星を見習うべき。
ピッチ内外において、ア式に欠かせない存在だったね。
4年間、本当にお疲れ様。



石井ちゃん
高校でサッカーをしていないにも関わらずAチームまで上がったっていうことは、本当にすごいと思う。
けれども、それは決して偶然ではなくて、適切な努力の上に勝ち取った成果だと思う。
石井はア式でもトップクラスにフットボールについて考えていた選手だと思う。
石井と試合を観るのはとても楽しかった。
俺も色々勉強になったし、参考になることも多かった。
ア式に入ってくれてありがとう。



井筒
ヘッドコーチとしてチームを支えてくれた功労者。
終盤にセットプレーが武器になったのも、井筒のお陰だよね、多分。
主体性って本当に井筒のことだと思う。
チームのために自分が何ができるか考えて、行動する。
全員が見習うべき姿勢。
個人的には、Aチームにいた時にセット間で毎回アドバイスを貰って、本当にお世話になった。
井筒が居なかったらもっと早く心が折れていたと思う。
改めて、本当にお世話になりました。



琴葉
琴葉は同期のマネがいなくて、1人の期間が長かったと思う。
それでも4年間一緒に出来て、一緒に卒業できて本当に嬉しい。
特に試合運営だよね。
選手には馴染みがないかもしれないけど、あれって本当に大変だよ。
選手みんな感謝すべき。
俺らには打ち明けにくい辛いこととかもあったと思う。
それでも、4年間一緒にやりきってくれて本当にありがとう。



皓大
言わずもがな相棒。
俺に東経5バックで行こうと思うんだけどどう思う、とか試合のこと色々聞いてきたけど、俺に決められるわけが無かろう笑
上手くなったのはやっぱり皓大が指導してた期間だったし、パッション剥き出しで試合に向かっていく姿勢とか、めっちゃ楽しかった。
代替わりしたタイミングで色々悩むことも多かったと思うけど、最後まで一緒にやれて良かったよ。
僕にとって最高の指導者です。



桐原(兄さん)
ア式でスカしているキャラと言えば俺みたいになってるけど、間違いなく一番スカしてるのは兄さんだよ。
兄さんは物静かであまり多くを語らなかったけど、応援の熱量とか、なんだかんだ言っても最後まで続けたところから、サッカーが好きなんだな、ア式が好きなんだなっていう想いは伝わってたよ。
最後の方は兄さんと喋る時間も長くて楽しかったな。
兄さんも、ますは卒業しようね。



御明
ア式の外来種。
107期の生態系は、御明の出現と共に崩れたと言っても過言ではない。
初めの頃は唯一の免許所持者として我々をドライブに連れて行ってくれたし、後半はBOSSとして界隈を盛り上げてくれた。
御明もなんだかんだ言って練習にはいつも真剣で、締めでも的確なことを言ってくれて、チームを盛り上げてくれた。
間違いなく、ア式に欠かせない選手だった。
ア式に入ってくれて本当にありがとう。




俺の好きな、足元とかパスが上手くて淡々とこなすタイプのプレイヤー。
最後のシーズンは怪我で離脱することも少なく、旭がピッチでプレーできる時間が多くて嬉しかった。
最近ではコーチで一緒にいることが多いけど、こんなに主体性あったんだと驚かされる笑
適材適所とはまさにこのことなんだろうな。
旭とももっと一緒にプレーしたかったな。
旭からのロングボールで裏抜けしたかったよ。
まずは卒論か院試、頑張ろうね。



真衣
真衣は途中から入部してくれて、入ってすぐに留学に行ったからこのまま辞めちゃうんじゃないかと思ったけど、最後まで一緒に出来て良かった。
俺たちの代わりに琴葉の支えになってくれていたこともあったと思う。
桐原の面倒も見てくれてありがとう笑
ア式に入ってくれて、本当にありがとう。



佑麻
佑麻はとにかくイケメン。
本当にかっこいい。
普段関わることは多くなかったけど、テク長として、俺なんかには見えないところで、俺なんかには想像出来ないほどの激務をこなしていたんだろうなと想像に難くない。
後は大輝のフィードバック担当もしてくれたよね。
大輝があんなに活躍できたのも、間違いなく佑麻のお陰だと思う。
4年間、おつかれさま。




魂の片割れ。
俺が上手くなったのも、こんなに楽しくサッカーできたのも、間違いなく錦のおかげ。
俺はAチームに上がろうとかリーグ戦に出ようという意識がそんなに高くなくて、厄介なFB担当だったと思うけど、最後まで一緒にやってくれてありがとう。
毎週FBが本当に楽しかった。
初めて公式戦に出た時、泣くほど喜んでくれたのも本当に嬉しかったな。
いつでも転職・転勤待ってるよ。



岡部
岡部はスペインに行ったりテクに行ったり、思えば色々迷走していたけど、最後にはプレーヤーでクオリティーの違いを見せつけてくれた。
副将とかする柄じゃなかったと思うけど、最後まで全うしてくれたことも本当にありがとう。
岡部って誰からも好かれるし、誰からも頼りにされるし、これは本当に才能だと思う。
岡部とも、もっといっぱいプレーしたかったな。
これからも遊びに誘ってよね。



志村
言わずと知れた腐れ縁。
まさか大学まで一緒にサッカーすることになろうとは。
高校までと同じく、良くも悪くも波乱を巻き起こしてくれたけど、お陰で大分楽しい大学サッカーになった。
これからどうするか分かんないけど、まずは身近な人を大切にね。
後は頑張ってくれぃ。



馬ちゃん
馬ちゃんも、怪我に悩まされる期間が長かったと思う。
どんなにきついDLメニューにも毎日キチンと取り組む姿勢は本当に尊敬しかない。
だからこそ、復帰してからすぐにAチームまで上がれたんだと思う。
この姿勢だったり取り組み方は全員に見習ってほしい。
意外にフッ軽なところも面白い。
もっと馬ちゃんのことも深掘りしたかったな。
最後に一緒に出られたのも嬉しかった。



頼経
なんだこの源義経みたいな名前のやつは、と衝撃を受けたのを今でも覚えている。
頼経は本当に育成の星だった。
1、2年の頃のプレーを知っている人からしたら、リーグ戦に出場しているなんて本当に想像できなかったと思う。
頼経の成功事例は、戦い方をキチンと考えればAでも通用するんだぞっていうことを結果で示してくれた。
まじでカッコよかったよ。
4年間ありがとう。



長くなりすぎたのでこのくらいにしよう。
本当は後輩一人ひとりにも書きたいけど割愛します。
けど、これだけは言わせてほしい。
チャンピオンシップに連れて行ってくれてありがとう。
みんな最高。



最後にLB会やスポンサー企業の皆さまにも感謝申し上げます。
LB会では特に和田さん、杉山さん、利重さんにスポンサー活動でお世話になりました。
これから後輩たちが頑張っていくと思いますので、引き続きご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
スポンサー企業の皆さまにおかれましては、企業説明会等で本当にお世話になりました。
引き続き、東京大学ア式蹴球部の応援をよろしくお願いいたします。



抜けてる人、居ないよね。
ドキドキ。



これで本当に最後にします。



両親
YouTubeなどで試合を見てくれていたようで、ありがとうございます。
大学でサッカーを続けることについてどう思っているか聞いたことはなかったけど、応援してもらえていたようで嬉しい限りです。
来年からは社会人なので、恩返しできるように頑張ります。



ネキ(本名:甲村南海子さん)
ネキが居なければ、間違いなくサッカーを辞めていたと思います。
それくらい、たくさん愚痴を聞いてもらったし、たくさん救ってもらいました。
本当にありがとうございます。
これからも、何卒よろしくお願いいたします。






—目的、手段。



遡ることちょうど1年前。
この頃はまだ田端にあった御明の家でいつも通り遊び、お腹が減ったので駅前のマクドナルドに向かう。
この日は何故か、御用達の町田商店ではなかった。
文脈は忘れたが、「俺たちあと1年どうする?」という話に自然となった。



昨シーズンは、それまでのア式生活で最も飛躍した年となった。
個人としては初めて自力でAチームまで上がることができ、育成チームとしてもこれまで大敗を喫していた東経といったチームと互角に戦えるまでに成長した。
本当に充実したシーズンだった。



だからこそ対照的に、代替わりしてから冬オフに入るまでの1ヶ月は苦しいものだった。
これまで右利きだったのに、急に左利きに変えさせられる、そんな感覚だった。
1年間で自分の強みとして確立したものは全く発揮できなかった。
光さんには「なんか変だよ」と言われる。
この人は、いつも僕に身体操作のことを指摘してくるが、変だよと言うだけで的確なアドバイスをくれるわけでもない。
どうせなら何かアドバイスしろよと思うと同時に、自然と涙が流れ止まらなかった。
思った通りにいかないことだらけで、本当に悔しかった。



この頃は3Sのツケでほぼ毎日1〜4限があり、それも疲弊を後押ししていた。
4限が終わるとすぐに帰宅し、1時間仮眠をとる。
目を覚ますと外はもう真っ暗だ。
練習に行きたくないなと思いながら目を覚まし、グラウンドまで重いペダルを再び漕ぐ。



振り返ると、この頃は若干鬱っぽい状態であったように思う。
それほどまでに、気持ちは落ち込んでいた。
そして、気づけば毎日育成チームの練習を眺め、毎週育成チームの試合を観戦し、育成に入り浸る日々が続いた。
そんな状態が続き、真っ先に育成チームに落とされた。
しかし、その結果に安堵する自分がいた。
これでまたサッカーが楽しめるだろうと。



残り1年、どうするか真剣に考えた。
大学生活最後の1年をサッカーに費やすこと、大学4年間をサッカーだけで終えることは果たして正解なのか。
留学など、充実した選択肢が他にもあるのではないか。
最後に大学生らしい生活を送りたいのではないか。
葛藤した。
そして、僕はサッカーを続けた。



一番大きな理由は、ここで辞めたら後悔するだろうということ。
ここでサッカーを辞めて経験できることなんてたかが知れているし、これからサッカーを通じて得る経験の方が遥かに価値が高い。
そして何よりこれまで一緒に頑張ってきた同期と最後を迎えられなければ一生後悔するだろう、そんな気がした。



しかし、何となく続けても意味は無い。
時間の無駄である。
あと1年続けるならば、純粋にサッカーを楽しみたいと思った。
そして、「サッカーを楽しむ」という抽象度の高い言葉を更に言語化した。



試合で活躍する
試合に勝つ
上手くなる



試合で活躍できるなら、公式戦でもサタデーでも関係ない。
勝利の喜びを味わえるなら、公式戦でもサタデーでも関係ない。
上手くなれるなら、Aでも育成でも関係ない。



関係ないと言うと正確ではないな。
本音を言うと、育成の方が良かった。
この頃はまさかリーグ戦で1勝しかできないなんて思ってもみなかったので、育成の方が勝てて良かったという結果論で言っているのではない。
Aで自分が上手くなるビジョンは描けなかったし、Aに上がってもセカンドで過ごすことは目に見えていた。
セカンドで試合が無いくらいなら、育成で毎週90分出場できる方が遥かに良かった。



このような考え方は、あまり理解されないだろう。
Aチームに上がることやリーグ戦に出るという目標が当たり前だから。
でも僕は、それを目標にしなかった。
僕がサッカーを続ける理由はサッカーが好きだからで、サッカーを楽しむための手段にAや公式戦は必ずしも成り得なかった。



ー石澤海陽の衝撃と、ポジショニング理論



そんな自分でも、本気でリーグ戦に出たいと思った時期があった。
それが前期の桜美林戦である。
目の前で見た石澤海陽選手は、自分が今まで見てきた中で間違いなく一番上手い選手だった。
こんなプレーが出来たらどんなにサッカーが楽しいのだろうか。
強く嫉妬した。
同時に、こんな選手と対戦できるリーグ戦は、なんて素晴らしい舞台なんだと改めて感じた。
また、試合終了後に泣き崩れる髙木を見て、後輩にばかり責任を背負わせて情けないなと思った。
育成で満足している自分は本心であったが、スカした自分がいるのも事実だった。



だから次の日、水野にキャプテンをやらせて欲しいと志願した。
あんなにスカして、頑なに断っていたのに。
そうしたら、次の週にはAに上がってしまった。
怪我人が増えていたという要因はありつつも、あっさり実現したことに驚いた。



Aチームに上がることが出来たものの、やるせない2週間だった。
GWの連戦のため、基本的にリカバリーと調整がほとんどで、大した練習は出来なかった。
試合も全く勝てなかった。
チームが上手くいっていない様子を目の前で見るのは、応援席で見るよりも辛かった。



Aチームに上がっても、自分はどこか他人行儀のままだった。
アップだって一緒に上がった源登と組むことがほとんどだったし、ファニーゲームも全くファニーじゃなかった。
それでも、育成との紅白戦で得点するなど、それなりに頑張っていたつもりだったが、連戦が終わる頃には大輝と入れ替わりで育成に戻された。



育成に戻されたのにはあまり納得がいかなかった。
先述したように、大した練習は出来ていなかったし、紅白戦で得点も決めていたから。
WBとして上がったのにストッパーで使われることも多かった。



しかし、冷静に自分と大輝の違いを分析すれば、攻撃力で差があるのは歴然だった。
つまり、自分と大輝を比較したときに、攻撃力の高い大輝に軍配が上がったのだろうと仮説を立てた。
では、攻撃力を身につけるためにはどうすればいいだろう。
自分には、大輝のようなテクニックはない。陶山さんや誠志郎のように、足も速くない。
そして行き着いた先が、裏抜けだった。
結果的にこれが大当たりした。
経済学部の授業を取っていてよかったと思った。



ー鹿岡へ。



今年1年のハイライトはチャンピオンシップ、日大文理戦だろう。
マッチアップは日大文理の天才ドリブラー、鹿岡だ。
あの陶山さんでさえチンチンにされた相手だ。
私には荷が重い。
しかし、蓋を開けてみればほとんど仕事をさせなかった。
結果的に彼に2点決められたわけだが、どちらも自分が崩されたわけではないので、ほぼ完封と言っていいだろう。
あんなレベルの選手と最後にマッチアップできて本当に幸せだった。
本当にありがとう。
留学に行くらしいけど、頑張ってほしい。
最後に自慢がしたかっただけなので、これにて終了とさせていただきます。

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