DFクビ、FW最高
頼経智希(4年/FW/青山高校)
2025シーズンのリーグ戦最終節。
107期にとっても集大成と言えるであろう試合。
ア式が苦しんで苦しんでやっと掴んだシーズン初勝利。
その最高の瞬間をピッチで迎えることができた。
2022年春にア式に入部した。高校までCBでヘディングとロングキックしかしてこなかった自分にはア式のサッカーに適応していくことは難しかった。他の取り柄は蹴られようが砂まみれになろうが血が出ようが守備してやろうという気迫だけはあったくらいか。とにかくトラップとかパスとか全然できなくてビルドアップなんかできたはずもなく、かといって体が強かったりしたわけでもなくどうすればいいんだろうという状態だった。
というわけでCBとしては厳しいプレイヤーだったのだが、なんか急にSBをやってみることになった。ポジションを新しくすると見える世界も変わるしとにかく新しいプレーにチャレンジすることができて楽しかった。そしてサタデーでプレータイムを少しもらうことができた。覚えているのは7月ごろのサタデー大東戦だ。スタメンで出たと思っていたが、1年生時のfeelingsを見返したら前半15分からの出場だった。まあスタメンみたいなもんでしょう。相手はとにかく強かった。技術も高いし、フィジカルも優れていた。でも自分がやれる全力を出し切って守備をした。後半でできた選手にはあり得ないくらいやられたがなんとか格上相手に勝ち点1をもぎ取った。試合後当時のOBコーチである楓さんなど色々な人にめちゃくちゃ褒められた覚えがある。チームの助けになれたという面ではやはり今でも忘れられない試合の1つだ。ただその後、双青戦は怪我で出られなかった。冬オフまでは怪我がちで、復帰してもあまりいいプレーもせずシーズンを終えた。
1年生での双青戦は自分が双青戦ユニットに加入すること、そして双青戦を最高の舞台にすると決めたきっかけだった。まずプロも使うようなスタジアムで試合をできることにすごく価値を感じていた。またピッチに立つことはできなかったが、スタンドから3軍戦での鹿島田さんの劇的同点ゴール、1軍戦での久野さんのゴールなどなど最高の瞬間を見られたこと、そして声出し応援で盛り上げられたこと、これがとても楽しかった。だからこれほどまでに盛り上がる双青戦をもっともっと盛り上げたいと思ってそれ以降は双青戦に携わることにした。
2023年を迎え、始動したのだが試合には出場することができていた。サタデーや双青戦などたくさんの人に応援してもらいながらプレーができてすごく嬉しかった。しかしいいプレーはあまりできなかった。さらにチームも全然勝てなかった。この時期に自分と向き合えてなかったのだろう。ビルドアップなんて全然上手くならなかった。
そして双青戦後は試合に出られなくなった。悔しかったけど実力なのだから仕方ない。そこで自分はどうしたら試合に出られるのかという問いに対して考えることをやめてしまった。ランメニューでタイムに入るということと、とにかくプレーで全力を出し切るという自分ができる範囲の努力をした。自分の課題からは目を背けた。チャンスはいつか来ると思っていた。そんなに甘くはなかった。
代替わりしてからも現実を突きつけられた。15人ほどのチームでも出番はそれほど多くはなかった。それでも自分を変えることはできなかった。ただただ試合に出られず、あまりサッカーが楽しくなくなった。そして頑張る元気も日に日に削がれていった。全力でいつも取り組んできた練習でプツッと気持ちが切れた瞬間も少しあった。
そこで人生で初めてサッカーをやめるか検討し始めた。短期的には遊びとか旅行に行けて楽しいかもしれないけど、辞めてまでやりたいことは自分にはなかった。ア式のメンバーが好きでそのつながりが切れるのがとても嫌だった。オフの遊びも練習前後の会話もなくなるのは受け入れられないことだった。それで冬オフまでは一旦サッカーを続けることに決めた。
11月ごろから新チームで迎えた成蹊リーグ。アウェイ一橋戦。登録メンバーは15人ほどでベンチからのスタート。チームはゴールを決め、さらに無失点で試合を進めていた。次々にベンチメンバーは呼ばれていく。さらにゴールを重ね勝利へと近づいていた。結局最後まで自分だけ呼ばれることはなく試合は終わった。交代回数の制限があるわけでもない。得点が僅差のゲームでもなかった。チームが勝っても嬉しくともなんともなかった。泣きながら44+3をした。練習試合は予想通り別にいいプレーはできなかった。ああ何のためにやってんだろう。そう思った。今度こそやめようと思った。
これでもうほんとにやめようと思ったけど次の日のリカバリーでサッカーテニスが楽しくて一回辛いことは考えるのをやめた。馬鹿馬鹿しいかもしれないけど楽しいことで辛いことを忘れられるのは自分のいいところかもしれない。まあ本心ではやめたくはなかったのだろうか。一旦色々考えるのをやめて毎日の練習で楽しみを探すことにした。ほんとにたまにいいプレーして嬉しいなと思った。それで冬オフに突入した。
納会前の学年対抗戦がア式でのFWデビュー戦となった。こうたにトップやれと言われてやることになった。相手は当時の育成コーチの潤くんとやじくんだった。とにかくがむしゃらにやってみた。でも何でフォワードなんてやらされたかよくわからないまま年明けを迎えた。
育成コーチのメインをしているこうたと電話することになった。DFをやめてFWをやれと言われた。最初は何となく渋ってみた。自分にできる自信がなかった。でもこのままDFを続けた先の未来があまり良いものでなさそうなのも薄々気づいていた。そこでこうたはなぜDFではだめなのか、なぜFWが良いか説明してくれた。まずDFとしてはビルドアップができないし、かといって守備がすごいわけでもない。さらに試合で使うと考えるとDFは交代が少ない。一方でFWは競り合いが重要だし、ボレーが意外とできることなどが長所になる。またAチームの試合に出ると考えたら、スタメンは無理だろうからFWとして最後の数分出ることを目標にするほうが現実的だろう。ここまで聞いて納得した。FWとして勝負することにした。
FWとしてプレーし始めた。ほんとに?みたいな声もあった。自分でも上手くいくかわからなかったがもうやると決めたからにはやるしかなかった。始めたての時にAチームと育成の紅白戦が組まれた。最初のプレーでましろくんが寄せてきたけど左足でシュートを放った。他にもキープなどこいつこんなプレーできるんだという感想を抱かれるような試合になった。それがとても楽しかった。
毎週こうたと電話してFWのプレーを学んだ。自分のプレー映像を見返したり、ハーランドのプレーを見るなどできるプレーを増やそうと必死に努力した。またその時の育成チームにはFWがいなかった。そして練習の人数も少なかった。プレーの機会が多くもらえたことも成長の助けとなった。2月になると点が取れるようになった。自分の記憶では6試合くらい連続で取った覚えがある。それくらい勢いに乗っていた。点を取るのはすごく楽しかった。サッカーでの最高の瞬間はやはりゴールであることを再確認した。育成で活躍ができて昔は夢であったAチームも現実的な目標となった。
3月下旬、スラックでAチーム昇格が発表された。アミノが終わり次週に開幕を控えたタイミングでの昇格だった。本当に嬉しかった。FWを始めた時にこんなにも早くチャンスが来るとは思っていなかった。初めて混ざったAチームの練習はとてもレベルが高かった。プレス強度や1つ1つのプレーの質。どうにかして自分も食らいついて行こうと必死だった。シュートを常に狙う姿勢、ボールへの執着心、味方への要求など自分の持ち味を出せる場面もあったが、やはりあまりにも基礎技術が足りていなかった。明らかに下手だった。てつくんにリフティングをやれと言われた。左右交互インステップ連続100回、インサイドを混ぜて連続100回、ももを混ぜて連続50回、胸を混ぜて連続50回。終わるまで帰れない課題だった。最初やった時は1時間くらいかかった。それでも終わるまでやった。やっていくうちに上手くなっていった。10分くらいで終わるようになったのはもっともっと後のことだが、このリフティングが自分のプレイヤーとしての成長の礎となった。まじでみんなやったほうがいいぞ。
リーグ戦開幕節アウェイ成蹊。初めてベンチメンバーに入ることができた。めちゃくちゃ緊張した。緊張したのと絶対に遅刻したくなくて、車で送ってもらったのだが集合の1時間20分前に着いた。緊張がほぐれるまで父と話しながら30分くらい成蹊大の周りを車でぐるぐるした。ただその日は出番がなかった。
第2節ホーム帝京。緊張は前節よりか少し和らいでいた。そして後半途中ついに名前が呼ばれた。公式戦デビューの瞬間が来た。にしきが実況で泣いていた。応援団の最高潮の盛り上がりの中ピッチに入った。何もできなかった。リーグ戦はそんな簡単に上手くいくような世界ではなかった。第4節武蔵戦もラスト10分でピッチに立つことになった。ただまた力不足を露呈するだけだった。ボールロストから失点につながってしまった。リーグ戦に出ることを目標にしているようでは何もできないことがわかった。
アウェイ学芸ではベンチで、素晴らしくも悔しい試合を経験した。そしてホーム学習院はベンチで待望の初勝利を見ることになった。試合にも出てないのに誰よりも喜んだ。嬉しい時は全力で喜ぶべきだと思う。最高に嬉しかった。
jそしてカテゴリ変更のお知らせが来て育成チームに行くことになった。リーグ戦で通用せず、練習でも価値を示せなかったのだ。妥当な結果である。Aチームでの最初のチャレンジは終わってしまった悔しさはありつつも、とにかく成長する必要があった。その気持ちとは裏腹に調子は上がらなかった。決定機をことごとく外してしまうのだ。気づけば育成のスタメンですら無くなっていた。
京都での双青戦。自分は幹部の一員として準備を進めていた。寺迫さんとイシコさんなど幹部の先輩の方には本当にお世話になった。GKプロジェクトとハーフタイムショーの担当を任されることになった。ジャイアントカズキさん、三浦さんなどたくさんの方に協力していただき、素晴らしい企画を運営することができた。みなさん本当にありがとうございました。
そしてたけびしでの双青戦。試合には出たのだが3軍戦の最後に少し出ただけだ。すごく悔しかった。1軍戦に出たい。このような最高な舞台でサッカーがしたい。そう決意した試合になった。また翌年の双青戦の統括になることも決まった。部員がもっともっと楽しめて最高に盛り上がる双青戦にしよう。そう意気込んだ。
応援について。2023年の1月から応援ユニットは始動した。声出し応援も徐々に解禁されて本格的にア式の応援について考える、さらにOBなどが応援を通じて継続的に関われるようにするという目的で作られたユニットのユニット長に任命された。それまでももちろんしっかりと応援はしていたのだが、さらに文化として応援を根付かせる必要があった。かなりやる気のあるユニットメンバーに恵まれて応援を先導していくことができた。特に双青戦で始めてやった決起集会は本当に感動した。みんなで一つになってこれほどの応援をできることがとても嬉しかった。桐原のコールリーダーが本当にかっこよかった。他にもチャントを覚えてないような人はいなくなったこと、当たり前にサタデーの応援でもチャントを歌うようになったことなど応援ユニット設立後に応援が根付いていると感じることは多くなった。応援が力になることは間違いないのでこれからももっともっと素晴らしい応援ができるチームになっていってほしいと思う。
10月の代替わり後は育成チームからのスタートだった。育成のスタメンでもなかったのだから当たり前だろう。ただ落胆などしている暇はなかった。明確に目標を立てた。リーグ戦でゴール。達成するためにやれることを考えた。冬オフまでに育成で5得点。そして1月にAチームに上がり4月からのリーグ戦に出場すると。人数の少なくなった育成チームだったが、プレーの機会が増える環境は自分にとって追い風となった。練習では全てのプレーで価値を示さないといけなかった。中途半端な練習をしていてはAチームとの差は開く一方だ。一つ一つのプレーにこだわり、周囲に要求するとともに自分にも要求した。リフティングやプレーの振り返りももちろんやった。すると技術も自信もついてきてプレーの幅は広がった。この時期に切り返しや左足でのシュートを習得したと思う。ほとんど得点を取れなかった代替わり前とはうってかわって育成チームのエースといえるほどの得点を取った。オフ前最後の試合でハットトリックを記録し、目標の5得点をクリアした。
冬オフ前の二日間の練習でAチームの練習参加の権利をもらえた。これまで育成でやってきたことを全てぶつけた。良さも出せたが、自分でなんとかしてやろうという意識が強すぎてボールロストがとても多かった。そのせいかAチームに正式には上がらなかった。しかしここで大事なことに気づけた。次にやるべきは、自分の武器をとにかく磨くこと。欠点を足枷にならない程度まで改善すること。この2つだった。
最後の冬オフが明けて練習が始まった。絶好調だったオフ前と比べてしまうと決して満足のいくプレーはしていなかった。セカンドの試合に呼ばれることはあってもなかなか点は取れずさらに目立ったプレーもできなかった。とはいえ自分でやれることは毎日の練習を大事にして成長することだ。目標はぶれなかった。
4月になって国公立大会とサタデーリーグの育成の二つの大会が始まった。国公立一橋戦はこぼれ球をミドルシュートでぶちこんだ。サタデー駿河台戦はりょうのコーナーキックを叩き込んだ。みんなの応援を受けながらプレーしてさらに得点までしたのは最高だった。Aチームに上がれるかはわからないけどやってきたことは間違いなく力になっていた。
珍しく土曜日にAチームの公式戦があったその前日金曜日に水野から電話が来た。
107期にとっても集大成と言えるであろう試合。
ア式が苦しんで苦しんでやっと掴んだシーズン初勝利。
その最高の瞬間をピッチで迎えることができた。
2022年春にア式に入部した。高校までCBでヘディングとロングキックしかしてこなかった自分にはア式のサッカーに適応していくことは難しかった。他の取り柄は蹴られようが砂まみれになろうが血が出ようが守備してやろうという気迫だけはあったくらいか。とにかくトラップとかパスとか全然できなくてビルドアップなんかできたはずもなく、かといって体が強かったりしたわけでもなくどうすればいいんだろうという状態だった。
というわけでCBとしては厳しいプレイヤーだったのだが、なんか急にSBをやってみることになった。ポジションを新しくすると見える世界も変わるしとにかく新しいプレーにチャレンジすることができて楽しかった。そしてサタデーでプレータイムを少しもらうことができた。覚えているのは7月ごろのサタデー大東戦だ。スタメンで出たと思っていたが、1年生時のfeelingsを見返したら前半15分からの出場だった。まあスタメンみたいなもんでしょう。相手はとにかく強かった。技術も高いし、フィジカルも優れていた。でも自分がやれる全力を出し切って守備をした。後半でできた選手にはあり得ないくらいやられたがなんとか格上相手に勝ち点1をもぎ取った。試合後当時のOBコーチである楓さんなど色々な人にめちゃくちゃ褒められた覚えがある。チームの助けになれたという面ではやはり今でも忘れられない試合の1つだ。ただその後、双青戦は怪我で出られなかった。冬オフまでは怪我がちで、復帰してもあまりいいプレーもせずシーズンを終えた。
1年生での双青戦は自分が双青戦ユニットに加入すること、そして双青戦を最高の舞台にすると決めたきっかけだった。まずプロも使うようなスタジアムで試合をできることにすごく価値を感じていた。またピッチに立つことはできなかったが、スタンドから3軍戦での鹿島田さんの劇的同点ゴール、1軍戦での久野さんのゴールなどなど最高の瞬間を見られたこと、そして声出し応援で盛り上げられたこと、これがとても楽しかった。だからこれほどまでに盛り上がる双青戦をもっともっと盛り上げたいと思ってそれ以降は双青戦に携わることにした。
2023年を迎え、始動したのだが試合には出場することができていた。サタデーや双青戦などたくさんの人に応援してもらいながらプレーができてすごく嬉しかった。しかしいいプレーはあまりできなかった。さらにチームも全然勝てなかった。この時期に自分と向き合えてなかったのだろう。ビルドアップなんて全然上手くならなかった。
そして双青戦後は試合に出られなくなった。悔しかったけど実力なのだから仕方ない。そこで自分はどうしたら試合に出られるのかという問いに対して考えることをやめてしまった。ランメニューでタイムに入るということと、とにかくプレーで全力を出し切るという自分ができる範囲の努力をした。自分の課題からは目を背けた。チャンスはいつか来ると思っていた。そんなに甘くはなかった。
代替わりしてからも現実を突きつけられた。15人ほどのチームでも出番はそれほど多くはなかった。それでも自分を変えることはできなかった。ただただ試合に出られず、あまりサッカーが楽しくなくなった。そして頑張る元気も日に日に削がれていった。全力でいつも取り組んできた練習でプツッと気持ちが切れた瞬間も少しあった。
そこで人生で初めてサッカーをやめるか検討し始めた。短期的には遊びとか旅行に行けて楽しいかもしれないけど、辞めてまでやりたいことは自分にはなかった。ア式のメンバーが好きでそのつながりが切れるのがとても嫌だった。オフの遊びも練習前後の会話もなくなるのは受け入れられないことだった。それで冬オフまでは一旦サッカーを続けることに決めた。
11月ごろから新チームで迎えた成蹊リーグ。アウェイ一橋戦。登録メンバーは15人ほどでベンチからのスタート。チームはゴールを決め、さらに無失点で試合を進めていた。次々にベンチメンバーは呼ばれていく。さらにゴールを重ね勝利へと近づいていた。結局最後まで自分だけ呼ばれることはなく試合は終わった。交代回数の制限があるわけでもない。得点が僅差のゲームでもなかった。チームが勝っても嬉しくともなんともなかった。泣きながら44+3をした。練習試合は予想通り別にいいプレーはできなかった。ああ何のためにやってんだろう。そう思った。今度こそやめようと思った。
これでもうほんとにやめようと思ったけど次の日のリカバリーでサッカーテニスが楽しくて一回辛いことは考えるのをやめた。馬鹿馬鹿しいかもしれないけど楽しいことで辛いことを忘れられるのは自分のいいところかもしれない。まあ本心ではやめたくはなかったのだろうか。一旦色々考えるのをやめて毎日の練習で楽しみを探すことにした。ほんとにたまにいいプレーして嬉しいなと思った。それで冬オフに突入した。
納会前の学年対抗戦がア式でのFWデビュー戦となった。こうたにトップやれと言われてやることになった。相手は当時の育成コーチの潤くんとやじくんだった。とにかくがむしゃらにやってみた。でも何でフォワードなんてやらされたかよくわからないまま年明けを迎えた。
育成コーチのメインをしているこうたと電話することになった。DFをやめてFWをやれと言われた。最初は何となく渋ってみた。自分にできる自信がなかった。でもこのままDFを続けた先の未来があまり良いものでなさそうなのも薄々気づいていた。そこでこうたはなぜDFではだめなのか、なぜFWが良いか説明してくれた。まずDFとしてはビルドアップができないし、かといって守備がすごいわけでもない。さらに試合で使うと考えるとDFは交代が少ない。一方でFWは競り合いが重要だし、ボレーが意外とできることなどが長所になる。またAチームの試合に出ると考えたら、スタメンは無理だろうからFWとして最後の数分出ることを目標にするほうが現実的だろう。ここまで聞いて納得した。FWとして勝負することにした。
FWとしてプレーし始めた。ほんとに?みたいな声もあった。自分でも上手くいくかわからなかったがもうやると決めたからにはやるしかなかった。始めたての時にAチームと育成の紅白戦が組まれた。最初のプレーでましろくんが寄せてきたけど左足でシュートを放った。他にもキープなどこいつこんなプレーできるんだという感想を抱かれるような試合になった。それがとても楽しかった。
毎週こうたと電話してFWのプレーを学んだ。自分のプレー映像を見返したり、ハーランドのプレーを見るなどできるプレーを増やそうと必死に努力した。またその時の育成チームにはFWがいなかった。そして練習の人数も少なかった。プレーの機会が多くもらえたことも成長の助けとなった。2月になると点が取れるようになった。自分の記憶では6試合くらい連続で取った覚えがある。それくらい勢いに乗っていた。点を取るのはすごく楽しかった。サッカーでの最高の瞬間はやはりゴールであることを再確認した。育成で活躍ができて昔は夢であったAチームも現実的な目標となった。
3月下旬、スラックでAチーム昇格が発表された。アミノが終わり次週に開幕を控えたタイミングでの昇格だった。本当に嬉しかった。FWを始めた時にこんなにも早くチャンスが来るとは思っていなかった。初めて混ざったAチームの練習はとてもレベルが高かった。プレス強度や1つ1つのプレーの質。どうにかして自分も食らいついて行こうと必死だった。シュートを常に狙う姿勢、ボールへの執着心、味方への要求など自分の持ち味を出せる場面もあったが、やはりあまりにも基礎技術が足りていなかった。明らかに下手だった。てつくんにリフティングをやれと言われた。左右交互インステップ連続100回、インサイドを混ぜて連続100回、ももを混ぜて連続50回、胸を混ぜて連続50回。終わるまで帰れない課題だった。最初やった時は1時間くらいかかった。それでも終わるまでやった。やっていくうちに上手くなっていった。10分くらいで終わるようになったのはもっともっと後のことだが、このリフティングが自分のプレイヤーとしての成長の礎となった。まじでみんなやったほうがいいぞ。
リーグ戦開幕節アウェイ成蹊。初めてベンチメンバーに入ることができた。めちゃくちゃ緊張した。緊張したのと絶対に遅刻したくなくて、車で送ってもらったのだが集合の1時間20分前に着いた。緊張がほぐれるまで父と話しながら30分くらい成蹊大の周りを車でぐるぐるした。ただその日は出番がなかった。
第2節ホーム帝京。緊張は前節よりか少し和らいでいた。そして後半途中ついに名前が呼ばれた。公式戦デビューの瞬間が来た。にしきが実況で泣いていた。応援団の最高潮の盛り上がりの中ピッチに入った。何もできなかった。リーグ戦はそんな簡単に上手くいくような世界ではなかった。第4節武蔵戦もラスト10分でピッチに立つことになった。ただまた力不足を露呈するだけだった。ボールロストから失点につながってしまった。リーグ戦に出ることを目標にしているようでは何もできないことがわかった。
アウェイ学芸ではベンチで、素晴らしくも悔しい試合を経験した。そしてホーム学習院はベンチで待望の初勝利を見ることになった。試合にも出てないのに誰よりも喜んだ。嬉しい時は全力で喜ぶべきだと思う。最高に嬉しかった。
jそしてカテゴリ変更のお知らせが来て育成チームに行くことになった。リーグ戦で通用せず、練習でも価値を示せなかったのだ。妥当な結果である。Aチームでの最初のチャレンジは終わってしまった悔しさはありつつも、とにかく成長する必要があった。その気持ちとは裏腹に調子は上がらなかった。決定機をことごとく外してしまうのだ。気づけば育成のスタメンですら無くなっていた。
京都での双青戦。自分は幹部の一員として準備を進めていた。寺迫さんとイシコさんなど幹部の先輩の方には本当にお世話になった。GKプロジェクトとハーフタイムショーの担当を任されることになった。ジャイアントカズキさん、三浦さんなどたくさんの方に協力していただき、素晴らしい企画を運営することができた。みなさん本当にありがとうございました。
そしてたけびしでの双青戦。試合には出たのだが3軍戦の最後に少し出ただけだ。すごく悔しかった。1軍戦に出たい。このような最高な舞台でサッカーがしたい。そう決意した試合になった。また翌年の双青戦の統括になることも決まった。部員がもっともっと楽しめて最高に盛り上がる双青戦にしよう。そう意気込んだ。
応援について。2023年の1月から応援ユニットは始動した。声出し応援も徐々に解禁されて本格的にア式の応援について考える、さらにOBなどが応援を通じて継続的に関われるようにするという目的で作られたユニットのユニット長に任命された。それまでももちろんしっかりと応援はしていたのだが、さらに文化として応援を根付かせる必要があった。かなりやる気のあるユニットメンバーに恵まれて応援を先導していくことができた。特に双青戦で始めてやった決起集会は本当に感動した。みんなで一つになってこれほどの応援をできることがとても嬉しかった。桐原のコールリーダーが本当にかっこよかった。他にもチャントを覚えてないような人はいなくなったこと、当たり前にサタデーの応援でもチャントを歌うようになったことなど応援ユニット設立後に応援が根付いていると感じることは多くなった。応援が力になることは間違いないのでこれからももっともっと素晴らしい応援ができるチームになっていってほしいと思う。
10月の代替わり後は育成チームからのスタートだった。育成のスタメンでもなかったのだから当たり前だろう。ただ落胆などしている暇はなかった。明確に目標を立てた。リーグ戦でゴール。達成するためにやれることを考えた。冬オフまでに育成で5得点。そして1月にAチームに上がり4月からのリーグ戦に出場すると。人数の少なくなった育成チームだったが、プレーの機会が増える環境は自分にとって追い風となった。練習では全てのプレーで価値を示さないといけなかった。中途半端な練習をしていてはAチームとの差は開く一方だ。一つ一つのプレーにこだわり、周囲に要求するとともに自分にも要求した。リフティングやプレーの振り返りももちろんやった。すると技術も自信もついてきてプレーの幅は広がった。この時期に切り返しや左足でのシュートを習得したと思う。ほとんど得点を取れなかった代替わり前とはうってかわって育成チームのエースといえるほどの得点を取った。オフ前最後の試合でハットトリックを記録し、目標の5得点をクリアした。
冬オフ前の二日間の練習でAチームの練習参加の権利をもらえた。これまで育成でやってきたことを全てぶつけた。良さも出せたが、自分でなんとかしてやろうという意識が強すぎてボールロストがとても多かった。そのせいかAチームに正式には上がらなかった。しかしここで大事なことに気づけた。次にやるべきは、自分の武器をとにかく磨くこと。欠点を足枷にならない程度まで改善すること。この2つだった。
最後の冬オフが明けて練習が始まった。絶好調だったオフ前と比べてしまうと決して満足のいくプレーはしていなかった。セカンドの試合に呼ばれることはあってもなかなか点は取れずさらに目立ったプレーもできなかった。とはいえ自分でやれることは毎日の練習を大事にして成長することだ。目標はぶれなかった。
4月になって国公立大会とサタデーリーグの育成の二つの大会が始まった。国公立一橋戦はこぼれ球をミドルシュートでぶちこんだ。サタデー駿河台戦はりょうのコーナーキックを叩き込んだ。みんなの応援を受けながらプレーしてさらに得点までしたのは最高だった。Aチームに上がれるかはわからないけどやってきたことは間違いなく力になっていた。
珍しく土曜日にAチームの公式戦があったその前日金曜日に水野から電話が来た。
「明日ベンチ入りです」
?
???
次の日はリーグ戦日文戦だぞ。ベンチ入り?どういうことか何もわからなかった。メンバーに本当に名前があった。選ばれたからには準備をするのだが、気持ちの整理は難しかった。役割はセットプレーの守備など終盤で勝っていた時のクローザーみたいなものだろうと予想はできた。それでもやはりAチームではない自分がベンチに入ることの違和感は拭えなかった。試合当日、かなり緊張していた。リーグ戦という舞台が目の前に急に来た。そして試合展開によっては出場する。そのプレッシャーを感じてしまっていた。結局出番は来なかった。
そしてその日の夜Aチームに昇格したのはひかるだった。ベンチには入り、Aチームには上がらない。Aチームにちゃんと上がって試合に向けて練習してチームとして戦いたかった。ただそれだけの実力はない。悔しい気持ちだった。
日曜日の国公立学芸戦は結果を残せずチームも負けてしまった。特にコーナーキックで点を取られてしまって責任を感じていた。
月曜日のオフに、学習院戦のベンチに入ることが発表された。体はヘトヘトだったがやるしかなかった。火曜日の学習戦はひかるがいたからなのか今シーズン2回目のベンチ入りからなのか前よりはリラックスして試合に臨めた。ただ出番はなかった。その後のセカンドの試合に出た。
体は限界だった。4日で3試合したからだ。案の定肉離れをしてしまった。このタイミングかと残念がったが一旦落ち着いて現状を見つめ直すことができた。おそらくコーナーキックの守備など高さのアドバンテージは認められているのだろう。だからベンチには入る。一方練習のメンバーやゲームプランの駒の中には入らない。そこはクオリティが足りないのだろう。最低限ミドルプレスでチームの守備を壊さないこと。そしてルーズボールをいかにマイボールにして味方に繋げるか。ここに目を向けることにした。
1週間半の離脱で練習に復帰した。そして次の週の大東戦でスタメンに復帰した。その日は雨が降っていた。相手が強かったこともありルーズボールになる展開が多かった。そこで相手との競り合いに勝ちマイボールにしてシュートまで持っていくことが何度もあった。肝心のシュートは入らずチームも負けてしまって悔しかったが、手応えを感じる試合ではあった。
Aチームへの昇格が発表された。やっと上がることができたと喜ぶ一方で、チームはまだ未勝利で苦しい状況だったので自分がプラスを生み出す必要があった。そしてもう6月。時間はあまり残されていなかった。
木曜日の紅白戦でトップチームに入ることになった。しかもシャドー。そして週末、朝鮮戦。今シーズン初めての出場はなんと初めてのスタメンとなった。すごく緊張していた。自分は緊張すると口数が増えるタイプらしい。アップの時の個人チャントはものすごい声量で嬉しかった。そして試合が始まってとにかくてつくんと周りの指示を聞きながらプレスをかけた。相手との競り合いはなかなか勝てなかった。ボールもほとんど触れなかった。ただ0-0で前半を折り返すことになり、ハーフタイムで交代となった。活躍したとかいいプレーしたということではなかったので申し訳ない気持ちがあった。一方でチームメイトのおかげではあるのだが、0-0で折り返せたことは少しほっとした部分があった。残りは試合に出ている人に託し、ベンチから鼓舞する声をかけた。フリーキックを決められて勝ち点を得ることはできなかった。何度も言われていたことだが、チームとしても個人としてもひとつひとつレベルアップしないといけない。そういう試合となった。
成蹊戦、大東戦はベンチ入りするも試合への出場はなかった。大東戦は本当に苦しかった。もちろんチーム状況や相手を考えれば難しい試合になることはわかっていた。そのために1週間準備をしてきたはずだったが、あのような結果になってしまってすごく悔しかった。アウェイまで応援に来てくれている人たちのことを考えればこんなに申し訳ないことはなかった。なんで試合にも出てないのにこんなことを言っているのかというと、試合に出る選手は11+交代メンバー最大5人かもしれない。けど戦っているのはチームだ。ベンチメンバーやスタッフ、応援ももちろんチームの一員として戦っている。ベンチに入れてもらったなら試合に出ようが出なかろうがいいアップを作る、チームへの声掛け、クーリングブレイクなどでのサポートなどで貢献しなければならない。さらにAチームの選手については毎日の練習の質を上げるという責任がある。もちろん試合に出ることが自分のプレーが直接反映されるが、出なくてもやれることはあるはずだった。何かを変えたくて試合中はピッチに叫び続けた。その声が試合に出ている仲間に届くと信じて。
悔しい敗戦になった一方で、試合はまたやってくるので切り替えて準備する必要がある。何もできなかった朝鮮戦、悔しかった大東戦。そのリベンジの機会が桜美林戦のスタメンという形で巡ってきた。今回はてつくんに点をとってこいと言われた。試合開始直後、ペナルティエリア内でボールを受け、迷わず右足を振り抜いた。セーブされてコーナーキック。得点にはならなかったが今日こそいいプレーができる。そう感じさせるプレーになった。ミドルプレスも練習の甲斐もありかなり良かった。クリアを収めるのも競り合いもなかなか上手くいった。手ごたえを感じながらも、前半終了間際に失点をしてしまった。公式戦出場した中で一番覚えていて一番悔しい失点だ。ラストプレーだったのであと一つ収めてマイボールにしておけば、もっとチームに声をかけて雰囲気を締められていれば。今でも色々考えてしまう。
とはいえ、0-1で折り返したので、セットプレーやカウンターで1点返せればわからない。そういった状況ではあった。ただ個のクオリティを跳ね返すほどのチーム力はなかったのだろう。この試合も失点を重ねてしまった。そして自身もキープなど通用する部分もありつつも、得点を取るには力不足であった。相手のゴールを脅かせず、交代した。
桜美林戦ではやっと公式戦という舞台で少し手ごたえを感じることができた。ただそれはそれとしてまだまだ上手く強くなっていく必要があった。リーグ戦中断期間。残された時間はほんの少ししかない中でかなり成長できた。7月から引退するまではどんどん上手くなっていく感覚があり、これまでのサッカー人生で一番楽しかった。毎日の練習が楽しみで仕方なかった。練習試合でAチームでの初得点も記録し、調子を上げて双青戦へと向かっていた。
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???
次の日はリーグ戦日文戦だぞ。ベンチ入り?どういうことか何もわからなかった。メンバーに本当に名前があった。選ばれたからには準備をするのだが、気持ちの整理は難しかった。役割はセットプレーの守備など終盤で勝っていた時のクローザーみたいなものだろうと予想はできた。それでもやはりAチームではない自分がベンチに入ることの違和感は拭えなかった。試合当日、かなり緊張していた。リーグ戦という舞台が目の前に急に来た。そして試合展開によっては出場する。そのプレッシャーを感じてしまっていた。結局出番は来なかった。
そしてその日の夜Aチームに昇格したのはひかるだった。ベンチには入り、Aチームには上がらない。Aチームにちゃんと上がって試合に向けて練習してチームとして戦いたかった。ただそれだけの実力はない。悔しい気持ちだった。
日曜日の国公立学芸戦は結果を残せずチームも負けてしまった。特にコーナーキックで点を取られてしまって責任を感じていた。
月曜日のオフに、学習院戦のベンチに入ることが発表された。体はヘトヘトだったがやるしかなかった。火曜日の学習戦はひかるがいたからなのか今シーズン2回目のベンチ入りからなのか前よりはリラックスして試合に臨めた。ただ出番はなかった。その後のセカンドの試合に出た。
体は限界だった。4日で3試合したからだ。案の定肉離れをしてしまった。このタイミングかと残念がったが一旦落ち着いて現状を見つめ直すことができた。おそらくコーナーキックの守備など高さのアドバンテージは認められているのだろう。だからベンチには入る。一方練習のメンバーやゲームプランの駒の中には入らない。そこはクオリティが足りないのだろう。最低限ミドルプレスでチームの守備を壊さないこと。そしてルーズボールをいかにマイボールにして味方に繋げるか。ここに目を向けることにした。
1週間半の離脱で練習に復帰した。そして次の週の大東戦でスタメンに復帰した。その日は雨が降っていた。相手が強かったこともありルーズボールになる展開が多かった。そこで相手との競り合いに勝ちマイボールにしてシュートまで持っていくことが何度もあった。肝心のシュートは入らずチームも負けてしまって悔しかったが、手応えを感じる試合ではあった。
Aチームへの昇格が発表された。やっと上がることができたと喜ぶ一方で、チームはまだ未勝利で苦しい状況だったので自分がプラスを生み出す必要があった。そしてもう6月。時間はあまり残されていなかった。
木曜日の紅白戦でトップチームに入ることになった。しかもシャドー。そして週末、朝鮮戦。今シーズン初めての出場はなんと初めてのスタメンとなった。すごく緊張していた。自分は緊張すると口数が増えるタイプらしい。アップの時の個人チャントはものすごい声量で嬉しかった。そして試合が始まってとにかくてつくんと周りの指示を聞きながらプレスをかけた。相手との競り合いはなかなか勝てなかった。ボールもほとんど触れなかった。ただ0-0で前半を折り返すことになり、ハーフタイムで交代となった。活躍したとかいいプレーしたということではなかったので申し訳ない気持ちがあった。一方でチームメイトのおかげではあるのだが、0-0で折り返せたことは少しほっとした部分があった。残りは試合に出ている人に託し、ベンチから鼓舞する声をかけた。フリーキックを決められて勝ち点を得ることはできなかった。何度も言われていたことだが、チームとしても個人としてもひとつひとつレベルアップしないといけない。そういう試合となった。
成蹊戦、大東戦はベンチ入りするも試合への出場はなかった。大東戦は本当に苦しかった。もちろんチーム状況や相手を考えれば難しい試合になることはわかっていた。そのために1週間準備をしてきたはずだったが、あのような結果になってしまってすごく悔しかった。アウェイまで応援に来てくれている人たちのことを考えればこんなに申し訳ないことはなかった。なんで試合にも出てないのにこんなことを言っているのかというと、試合に出る選手は11+交代メンバー最大5人かもしれない。けど戦っているのはチームだ。ベンチメンバーやスタッフ、応援ももちろんチームの一員として戦っている。ベンチに入れてもらったなら試合に出ようが出なかろうがいいアップを作る、チームへの声掛け、クーリングブレイクなどでのサポートなどで貢献しなければならない。さらにAチームの選手については毎日の練習の質を上げるという責任がある。もちろん試合に出ることが自分のプレーが直接反映されるが、出なくてもやれることはあるはずだった。何かを変えたくて試合中はピッチに叫び続けた。その声が試合に出ている仲間に届くと信じて。
悔しい敗戦になった一方で、試合はまたやってくるので切り替えて準備する必要がある。何もできなかった朝鮮戦、悔しかった大東戦。そのリベンジの機会が桜美林戦のスタメンという形で巡ってきた。今回はてつくんに点をとってこいと言われた。試合開始直後、ペナルティエリア内でボールを受け、迷わず右足を振り抜いた。セーブされてコーナーキック。得点にはならなかったが今日こそいいプレーができる。そう感じさせるプレーになった。ミドルプレスも練習の甲斐もありかなり良かった。クリアを収めるのも競り合いもなかなか上手くいった。手ごたえを感じながらも、前半終了間際に失点をしてしまった。公式戦出場した中で一番覚えていて一番悔しい失点だ。ラストプレーだったのであと一つ収めてマイボールにしておけば、もっとチームに声をかけて雰囲気を締められていれば。今でも色々考えてしまう。
とはいえ、0-1で折り返したので、セットプレーやカウンターで1点返せればわからない。そういった状況ではあった。ただ個のクオリティを跳ね返すほどのチーム力はなかったのだろう。この試合も失点を重ねてしまった。そして自身もキープなど通用する部分もありつつも、得点を取るには力不足であった。相手のゴールを脅かせず、交代した。
桜美林戦ではやっと公式戦という舞台で少し手ごたえを感じることができた。ただそれはそれとしてまだまだ上手く強くなっていく必要があった。リーグ戦中断期間。残された時間はほんの少ししかない中でかなり成長できた。7月から引退するまではどんどん上手くなっていく感覚があり、これまでのサッカー人生で一番楽しかった。毎日の練習が楽しみで仕方なかった。練習試合でAチームでの初得点も記録し、調子を上げて双青戦へと向かっていた。
統括として迎えた双青戦。とにかく部員のみんなに楽しんでもらいたい、盛り上がってもらいたい。それがもちろん見にきてくれる観客の方や高校生、応援してくれるOBの方たちも巻き込んで双青戦を盛り上げることになると考えた。他にもこの双青戦を後輩たちがもっと双青戦を盛り上げようと思うきっかけにしたかった。準備は大変だったが、本当にたくさんの人に助けてもらって開催することができた。皆さん本当にありがとうございました。数々の企画ももちろん素晴らしかったが、特に試合の雰囲気は最高だった。感動した。この盛り上がりの中で試合ができることが幸せだった。
双青戦にかける思いは人一倍だった。双青戦に近づくにつれて調子はぐんぐん上がっている感覚だった。なんとしても1軍戦に出たかった。双青戦の週の木曜日練。紅白戦ではセカンドに入った。だいきのクロスを折り返し、志村のゴールをアシストした(本当はシュートだけど)。セカンドは勝った。セットプレー練では2点とった。やれることはやった。
2軍戦のスタメンになった。応援ユニットと応援部がすごくかっこいい個人横断幕を作ってくれた。舞台は整った。気合いも十分。チャンスはいくつか巡ってきた。抜け出しやコーナーキック。だがゴールは決められなかった。また自分の実力が出た。さらにチームは失点を重ねた。45分で交代したが完敗だった。応援に応えられない自分が悔しかった。
次の日の1軍戦にもベンチ入りしていたので、気持ちを切り替えた。両チームの応援が鳴り響く御殿下。たいとの同点ゴール。最高だった。そして残り10分切ったころに名前が呼ばれた。1軍戦の舞台に立つことが叶ったのだ。そしてここで点を決めたらヒーロー。ただゴールは決められなかった。自分が統括をした双青戦の1軍戦でプレーできたことは本当に最高の思い出になった。
双青戦が終われば残りはリーグ戦のみ。着実に成長を感じていた。姿勢が良くなってきたこととボールコントロールが安定したことで周りが見えてきた。またコンタクトのコツがわかってマイボールにする割合がかなり増えた。練習でも面白いなとかやってみたいなと思うプレーをやれるくらいの余裕が生まれた。
中断明けはアウェイ帝京戦。かなり押し込まれる展開が予想された。ファーストプレスとクリアボールをマイボールにするという役割を担うためスタメンに名を連ねることになった。もうスタメンも3試合目だ。少し慣れてきたかもしれない。この試合はかなり走った。自分が走ることで誰かを楽にすることができる。みんなの分まで走ろうと思った。展開は苦しかった。クリアを拾おうとしても3人はいてルーズボールはなかなか拾えない。そしてずっと相手ボール。正直めちゃくちゃうまかった。でも自分たちは守備で流れを掴む。そのために走る。失点さえしたものの悲観することはなかった。コーナーの流れでウイングバックやセンターバックの位置に入って守備もした。そのタイミングで大ピンチを迎えてまじかよと思ったけどクリアすることができた。まあ元はといえばDFだしね。この試合で活躍したとはいえないが役割は果たすことができた。結果は敗戦だったが中断明けとはかなり違う手ごたえを感じた人は多かったと思う。6失点してしまったところから改善は見られた。そしていずれ勝ちは必ず得られると確信した。そのための努力はもちろん必要だが決して間違っていないと感じた。
その後は僅差のゲームを演じるもあと一歩が遠かった。かなり苦しかった。なぜここまで勝てないのか。得点は取れるようになり、守備が大きく崩れることも少なくなった。心が折れそうになることもあった。しかし試合内容にも積み重ねの結果は表れていたしこのチームは必ず勝てると信じていた。
帝京戦後は数的不利となった学習院戦で出場したのみとなった。チームでの自分の役割を理解しつつも、試合に出してほしいなとも少し思うようになった。それほど日々の練習で成長して自信がついていた。
リーグ戦最終節前日、国公立大会に出ることになった。最後に4年生みんなとサッカーできるのが嬉しくてたまらなかった。ゴールを決められなくて、負けてしまったのが本当に悔しい。あの突破からのシュート決めていたら間違いなく人生ベストゴールだったのになあ。
ついに迎えた最終節。チームは後半に得点を奪い、2-0とリードを保ったままアディショナルタイムを迎えようとしていた。そして交代枠は残り1枚。てつくんに呼ばれた。そしてピッチに立った。とにかくがむしゃらにボールを追いかけた。時間を使おうとしてオフサイドにもなった。そしてついにタイムアップのホイッスル。勝った!勝つって最高!よっしゃあああああああああああああああ!!
長くなってしまったがこれが4年間のア式生活だ。楽しかったな。
最後にア式で関わってくれた皆さん本当にありがとうございました!おかげで楽しくこの4年間を過ごすことができました。
両親ここまでサッカーをさせてくれて本当にありがとう。
ではこんなところで終わります。
頼経智希
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