「楽」と書いて「らく」とは読めない

森島周亮(4年/スペシャリスト/栄東高校)

文書のタイトル付けには毎回悩まされます。直近では卒業論文のタイトル付けだけに3日間頭を抱えた経験もあるほどその技能はほとんど備わっていません。文書の中身を説明しつつそれを見た人が興味を惹かれるようなものなんて早々思いつきませんが、今回はおぼろげながら浮かんできたこのタイトルで筆を執ろうと思います。キャッチーかどうかはさておき私の心情をまとめるには存外十分であったので気にしないで進めていきましょう。『「楽」と書いて「らく」とは読めない』。

 

卒部Feelingsというような場で自己紹介をするような方が他にいるのかは甚だ疑問ですが、自分を知らない方も大勢いらっしゃると思うので簡単にさせていただきます。私はテクニカルスタッフの一員として三年生の頃からこのア式蹴球部に所属していました森島と申します。ア式には縁があって入ったのですが、最初は中高大と同期で中学の時に同じサッカー部に所属していた木下から誘われたのがきっかけでした。サッカーは小学生の頃からやっていて、中学で部活をやめてから本格的にやることこそありませんでしたがずっとリバプールのファンなのもあってサッカーとは何だかんだでずっとつながりがありました。そんな中で大学三年生の時に誘われ、ちょうどプログラミングを習得してきたようなタイミングでそれを生かせるような活動をしかもサッカーに関わりながらできるとなったものですから自分はそのままア式蹴球部に所属する運びになりました。

 

そのようにしてア式蹴球部に所属することになったわけですが、先述した通り私が部活という形でサッカーに関わるのは初めてではなく中学の時にもサッカー部に入っていました。では高校の時はというと全然違う部活に入っており小学生のときから続けていたサッカーをやめてしまったのです。当時は、せっかくの学生なのだからいろんな体験をしなければ損だろうとかいう中学生としては妙に意識高いことを思いながら別の部活に入りましたが、今となってみればこれはただの建前で実情はもっとネガティブな思考を働かせていました。言ってしまえば「らく」をするために逃げた末の選択肢だったのです。

 

中学サッカー部を引退したのは三年生の夏の最後の大会の時でしたが、最後の日のことは今でも覚えています。私は別に上手くはなくせいぜいベンチスタートだったのですが、その日の試合はスタートで出ていた選手の調子があまりよくなさそうだという理由で試合開始直後からいつでも交代できるようにと指示を受けて試合観戦も横目にウォーミングアップに励んでいました、雨の中。しかも結構な土砂降りの中。結局前半中は交代されることもなく自分は体を温めに行ったと思ったら逆に冷えて帰ってきたというなんとも笑える結末になっていました。ちなみに試合自体には後半途中から出場しましたが特に何があったわけでもなくそのまま大会敗退と相成りました。このように当時の自分は別に試合に出られなくても悔しいとかいう気持ちをもつわけではなく、むしろ適当に冗談めかして言ったりして練習とか面倒くさいなどと思うような人間でした。そのような人間が三年生の夏に毎日のように練習がある部活から解放されて、学校が中高一貫なためひたすらに自由な時間を与えられたらそれは堕落するのが必然の流れです。結果的に持ち上がりで高校サッカー部に入ることもなく高校では「らく」な部活へと逃げていきました。

 

そんな感じで昔の振り返りをしてみたらまあありきたりな面倒から逃げている子どもでしたという話なのですが、その子どもが少し成長したここ数年考えていることがあって、それは高校サッカー部に入ればよかったという後悔の念です。ただ別に自分がした選択が間違いだったとも思っておらずその選択をしたからこそ得たものもいろいろあったのですが、あのままサッカー部を続けることで得ていた楽しさがあったのではないかと今は思います。そしてこのような原体験こそ私が「『楽』と書いて『らく』とは読めない」理由です。

 

楽しく生きるは私の人生におけるモットーです。楽しさこそが人生を輝かせるスパイスでありその経験が私を豊かにしていくのだと思っています。そしてその楽しさとは、友人と遊んだり、どこか知らない土地へ旅に行ったり、チャレンジングなプロジェクトに仲間と立ち向かったりと様々な体験を通じて自分に入ってきますが、その過程において「らく」をしてしまったらその楽しさも得られないというのが私の持論です。「らく」とはただ周りの環境に流され自分の力でなにもせずただただ受身的であることを私は指します。楽しさとはいかに自分で考え自分で実行したかによって決定され、自分の意志で行動してそれによって何らかのレスポンスが返ってくることこそが楽しいのだと自分は思います。すごい仰々しくなってきましたが、かみ砕いてしまえば例えば幼児なんかは触れば音が鳴るような幼児用のおもちゃをひたすら触って音を鳴らして笑っているという大人から見れば何が楽しいのかわからないことで楽しんでいたりします。これも結局は、自分で何か行動をしたらそれに対してレスポンスが返ってくることを楽しいと思っていたりするのではないかなどと考えているので、案外これは人間が持つ本能的な部分なのではなんて思っていたりしています。

 

私はその楽しさを得るためになるべく色々なことに挑戦しようというように考え日々を送っています。奇しくも理由付けが中学生当時の私が他の部活を選んだ建前上の理由と同じになってしまいましたが、今は自分から意思を持って行動することを指針にして動いています。その意識の違いが結果的にプラスになったのかは知りませんが、プライベートで旅に行くときには現地で知り合った人と交流してさらに旅の楽しさを発掘できたり、いくつかのつながりで会社の手伝いをさせてもらえたりと自分が知らない世界に飛び込めるようなことが増えてきて楽しく日々を過ごせています。

 

ア式蹴球部では自分が知らなかった世界という意味でものすごく貴重な経験ができたと思っています。自分のキャパシティと能力の無さからア式に割けた時間は多くはなくそれが心残りでしたが、データを使ってサッカーを観察することは話には聞いていましたが実際にやるとこんなにもやりがいがあって楽しいとは思っていませんでした。以前ア式noteマガジンの方でも少し書かせていただきましたが、サッカーでデータ分析を行うこと特有の難しさやそれを乗り越えるための頭の働かせ方を自分なりに知ることは多くの学びになりました。この頭の働かせ方は意外とサッカーとは全然関係ない場面でも役に立つことがあって、特に感覚を言語化するというのはコミュニケーションで役に立ちそれをより精緻に行えば研究や仕事でも役に立った経験がありました。

 

徹頭徹尾私の主観をひたすらに書き連ねたような文書になってしまいましたが、”Feelings”ということでここは一つご容赦ください。私は人生において楽しさをひたすらに追求したいと考えており、その過程においては「らく」はできない、そちらに逃げてしまうと得られたはずのものも得られず自分に甘えを許してしまうためです。そのことに気づかされたサッカー部という場に大学に入ってからまた入るとは大学入学当時は一切考えていませんでしたが、本当に良い経験を得ることができました。お世話になったア式蹴球部の皆さまに感謝の意を示してこの文書を締めたいと思います。本当にありがとうございました。

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