分からない

 水本龍志(4年/FW/洛星高校)


またタラタラと長いものを書いてしまいました。よければ最後の感謝パートだけでも。

 

 

 

 

今これを書いているのは2023年の11月6日。(2024年1月15日にちょい追記。)ア式を引退してからちょうど1ヶ月近くが経とうとしている。色々経験できたけど、時間が遅く長く感じられる1ヶ月だった。

この1ヶ月の間、ア式の同期にはOBコーチとして頑張っていた人もいるし、社会人チームに合流するために選手として頑張り続けている人も、そうでなくともやはりサッカーが恋しいと現役の練習に参加している人もいた。

そんな同期たちを横目に、自分はというと、サッカーが恋しいな、サッカーがしたいな、練習に行こうかな、そんな感情は今の所湧いてきていない。サッカーを見るのは相変わらず好きで、たくさんJリーグを見にいったりはしているが、自分がプレーするとなると、もうお腹いっぱいという感情があるようにさえ感じる。

こんな中でふと考えさせられる。自分にとってサッカーとはなんだったんだろうか、と。

 

 

 

自分にとってサッカーとはなんだったんだろうか。間違いなく「好き」という感情が真っ先に向く対象だった。

「なんで大学生にもなって部活なの?サークルじゃダメなの?」

4年間で何度も問われたこの質問。サッカーがうまくいかず苦しい時期には、自分自身も何度も自分に問いかけた。そうやってモチベーションを得て自分を奮い立たせようとした。

 

それだけサッカーが好きだから、大学サッカーは好きなサッカーに全力で打ち込める最後の舞台だから。そのように答えながら今度は、その「好き」って感情はなんなんだろう、なんで「好き」なんだろうとよく考えていた。

ゴールを決めた時の興奮ったらたまらないから。自分に成功の感覚を味わわせてくれるから。大学に入って全然うまくプレーできず苦しんだ自分にとって、ミスって、怒られて、点が取れなくて、試合に負け続ける時期もあって、で本当にたくさんの負の感情を感じさせられたけど、そんな中でも数少なくともうまくプレーできた瞬間、ゴールという結果を残せた瞬間の興奮はやはり別格。うまくいったシーンや自分のゴールの動画を、練習や試合の後に毎度何回見返したことか。

他にも「好き」の理由はいくらでもあげられそうな気がする。でもどの理由をあげても、完全に自分を納得させられないというか、なにかモヤモヤが残る気もする。どの理由を取っても、大学生になってまで、週6で、しかも大学サッカーの4年間はうまくいかず苦しい思いをする時期ばかりだったのに、それでもずっと続けるほどサッカーが「好き」な理由としては不十分なように感じるのだ。そして理由が不明瞭だと、なんだか「好き」という感情そのものにも自信がなくなってくる。

 

小学生の時にたまたま友人に誘われてサッカーを始めた。それを機に他の何よりもサッカーに時間を費やしてきた。でももしあの時友達に誘われたのが野球だったら多分僕はずっと野球をしていたような気がする。他のスポーツも然り。実際サッカーを見るのは大好きだけど、今は同じくらいとはいかないまでも他のスポーツを見るのも好きだ。たまたま自分はサッカーを始めて、そのサッカーは確かに自分を楽しませてくれたから長いこと続いて。その楽しませてくれるといのは、サッカー自体の楽しみもそうだけど、友達はサッカー繋がりで作ることが多かったり、そういった周辺的な楽しみも大きかっただろう。そうして長いこと続けてきたことで、自分の価値観は多分サッカーをベースに形成されてきただろうし、何より「サッカーをする」という選択肢は自分にとって想定できる選択肢の中で、おそらく最も自分が飽きずにのめり込めるだろう、サッカーを選ばなければ楽しめる保証があるかはわからないけどサッカーを選んでおけばとりあえずハズレはないだろう、そう思わされる選択肢だったように感じる。つまりサッカーは偶然の出会いに始まり、そして飽きずにのめりこんでいる将来が見込める唯一の選択肢だった。サッカーを選ばなければ、選択肢はたくさん広がるけど、果たして自分は飽きずにそんな日々を楽しめるだろうか。想像しようにも、今までサッカー以外に手を出したことなんてほとんどないから読めない。じゃあとりあえず選択肢にあるならサッカーを選んでおこう。正直今はサッカーがうまくいってなくて苦しい、自己肯定感を上げるどころか下げることの方が多い現状。やめたほうが楽かもしれない。でもやめたってどうなるか見当もつかないから、とりあえず馴染み親しんだサッカーをしよう。今は苦しいけどいつか、一時的にでもプラスな感情を味わえるかもしれない。自分がサッカーを続けた理由はこんなところだったのでは、とも感じてきてしまう。こう考えた時、サッカーを続けているのは消去法的な決断であって、サッカーが「好き」という感情はその本質的な理由ではない、そもそも自分はサッカーがそこまで好きじゃないのかもしれない。昔は大好きだったかもしれないけど、少なくとも今はもうそんなに好きじゃないのかもしれない。そんな気までしてくる。

でもこう至りついた時、この感覚にも何か物足りなさを感じる。本当にそれだけなのか。偶然の結果たまたまサッカーをやり続け、他の選択肢を選ぶリスクを考えて消去法的にサッカーに執着していただけなのか。自分のサッカー愛は何かもっとアツいもののはずだ。少なくともそう信じたい。

 

こんなふうに考えていたら、苦しい時期に自分を奮い立たせようと「なぜ今サッカーをしているのか、なぜサッカーがそんなに好きなのか」という原点を自問したところで全然モチベーションにつながらなかった。

 

 

 

分からない。

 

 

 

それでいいんじゃないだろうか。

 

これが僕がたどり着いた答えだ。

分からなくてもいい。というよりそもそも分かり得ない、合理的に説明するなんて不可能なことなのではないだろうか。そもそも感情なんてそんなもんじゃないのか。なんかぼんやりと感情は発生するけど、その感情はどうもつかみようのないものであり、それをなんとか理解するために私たちは毎度生じた感情に対して、既存の枠組み・ラベル、「楽しい」とか「悲しい」とか「ムカつく」とか「好き」とか、それらを近似的に当てはめて理解しようとしている。でもそうしてラベリングしてまとめることは元々の感情を無理に簡素化してしまっているようにも感じられる。結局はどれもピッタリではなく、ラベリングすることで細かな差異は捨象されてしまう。またそうしたラベリングを理屈で補強して納得しようとするが、理屈なんて何にでも後付けできる。この世界、理屈じゃない。これらの考えは自分の感覚にすごくマッチしているような気がする。これは、「好き」にも然り。

 

自分はなんでサッカーが好きなのか、そもそも本当にサッカーが好きなのか。合理的・本質的な理由とか、感情の真実性とか、そんなものは考えても仕方がない。答えが出るものではない。大事なのはそうやって真実を突き詰めることではなく、そこに確かになにか「好き」のような、自分をサッカーに向かわせる感情が存在していると実感しているという事実だけなのではないだろうか。ご覧の通り僕はこういうことを考えてしまう人間ではあるが、考えたって何にもならない。じゃあ考えた結果「考えても無駄」という結論に辿り着いた上で、意識的に考えるのを停止しよう。もちろん自分には世界の全てが理解できるわけじゃなくて、この考え方も多分なんら真の正解なるものではなく、当てはまらないことはいいいだろうし、思いや信念を曲げねばならない時もあると思うけど、僕自身のサッカーへの想いとの向き合い方についてはこれでいい気がする。よく分からないけど、僕は多分サッカーが好き。そう思ってる。そう信じたいと思ってる。ただ、それだけ。

 

 

 

 

 

 

 

4年生になった4月くらいに書いた前回のfeelingsでは、1年生の頃を振り返った前々回の続き、2年生の頃から4年生の冒頭までを振り返った。この時期にこれを書いてしまって、卒部feelingsでは書くネタは残ってるんだろうか。そう思いつつ、「ここからさらにストーリーを紡ぎ出せるような半年にするしかない。しよう。」と記してそのfeelingsは締めた。

 

確かにそうなった。ありとあらゆる感情を感じ尽くした気がするような、アップダウンの激しい、怒涛の半年間だった。ここからは振り返り日記みたいな文章を書かせてもらう。

 

 

前年のプレシーズン同様Aチームの一員としてシーズンをスタートし、リーグ戦開幕直前に育成に降格した前年とは違って今年こそAチームに定着してリーグ戦で活躍してやる、そう意気込んだシーズン、調子がいい時もあったが次第に下降して行き、結局今シーズンも前年同様リーグ戦開幕直前に育成に落ちた。前回のfeelingsの最後で振り返っていたように、育成に落ちてから自分のサッカーへの向き合い方を見つめ直し、そして自分自身に向き合い自分自身を分析し、自分自身に納得できるように努めるようになった。

自分には今何ができるか、Aで活躍できるようになるにはどこをもっと改善し、どこを長所としてアピールしていく必要があるのか。そうした試行錯誤を踏まえつつ毎週自分にフィードバックを与え、細かい目標設定を続けていったことで次第に調子は上向いていった。なかなかゴールという結果だけはついてこないけれど、守備の面では成長を感じるし、ポストプレーも長所としていい感じになってきている。決してペースは速くないかもしれないが、着実に成長できている。このまま成長を続けて、なんとかAに戻って活躍したい。そんな時期が続いた。

 

そんな中、五月祭あたりでAチームにしばらく練習参加してアピールするチャンスが転がってきた。たしか前期玉川戦の週。きっかけは、たしか一平が親族の結婚式に出るため数日抜けるから人が足りなくなって、みたいな感じだった。完全なるおこぼれだ。でも待ちに待ったチャンスがやってきた。

この時、正直まだ少し早いという感覚だった。確かに成長はしているけど、FWとして一番求められているゴールの感覚という面はまだ取り戻せていない。対外試合では降格前からずっと無得点が続いていた。でもせっかくのチャンス、今の自分は今の自分以上ではあり得ないんだから、この自分を信じて全力でやり切ろう。それで結果が出なければ仕方ない。そう自分を奮い立たせたのを覚えている。

練習で悪くないプレーができた。自分の強みを活かせた。でも試合前日練習のクロスシュートはほとんど外した。得点感覚がまだ戻ってないな。結局玉川戦後のセカンドの試合は豪雨で中止。自分にはもう一週チャンスが与えられた。そして迎えた帝京戦後のセカンド横国戦。守備で足を引っ張った。みんなに怒鳴られた。オカピにもチームメイトにも。「お前舐めてんのかマジで」って罵倒が後ろから聞こえた。攻撃面、ポストプレー等も微妙だった。それでもチャンスはたくさん来た。5回も。全部外した。一回はポストに阻まれた。この試合唯一よかったのは、1-0勝利の決勝点となった松波さんのヘディングゴールをアシストしたこと。我ながら結構いいクロスだった。でも、FWの自分に求められているのはゴール。自分の出せるものは出し切って全力で頑張った、後悔はない。でもこれはAには上がれないな。試合後のその直感通り、Aの練習参加期間は2週間で終わり、育成チームに戻った。そして練習参加期間前と同様に、自己分析を続けながら日々の練習に励んだ。1週間後の練習試合vs上智で久々にゴールを決めた。実にほぼ100日ぶり。しかもかなりのゴラッソ。本当に嬉しかった。次週のサタデーリーグvs東工大でもCKからゴールを決めた。2週連続。やっと得点感覚が戻ってきた。これがA練参加期間前だったらなとも思いつつ、このまま地道に成長を続けるだけだと自分に言い聞かせた。

 

この頃、サッカー外のプライベートではあるが、自分の価値観を揺るがす一大イベントが発生した。ここで詳述する気は全くないが、この価値観の変化はサッカーにおいても自分を大きく変えた。

 

それまでの自分は自己分析、自分に向き合い続け、自分に納得できるよう努めるという意味では確かに頑張っていた。でも、すごい現実主義だった。自分の現状をすごい厳密に見定め、その上で実現可能そうな身近な小目標を立てる。これの繰り返し。そうやって地道に成長し続けることができればいつかは大きく成長していると実感できる時が来るだろうと信じていたし、へんに大きな目標を立てて達成できずにしんどくなるということもないから精神衛生上も良く自己肯定感も保てる。こうして自分にある程度諦めを持ちつつ、でも現状の自分をしっかりと肯定した上でその時のベストを尽くし続け、そしてベストの幅も徐々に広げていく。それまでの自分はこうした成長戦略をとっていた。これは育成に落ちてからより意識的にそうであったが、よく思い出せば、前年終盤育成で結果を出してAに上がったという現状を踏まえて、まだそのレベルにはないけど実現可能そうかつ心揺さぶられる目標として「リーグ戦最終戦で出場して、お世話になった親や友人に有終の美を見てもらう」ことを今シーズンの究極目標に据えた年始、またHP先週紹介ページ用の今季の目標を「自分と向き合い続ける」と定めた春先からずっとそうだった。

でも、多分これでは無理だ、確かに成長し続けられるとは思うが、多分自分はこのままリーグ戦に絡むこともなく現役生活を終えるんだろう。そんな感覚が確かにその時の自分にはあったと思う。だからこそ、自分は試合に絡めないけど最高学年としてなんとかチームにできることを還元したい、チームを勝たせたいと思ってコールリーダーに名乗りを上げて、停滞気味だった応援を盛り上げようと頑張ったのはこの頃、A練参加期間終了後のことだった。

 

自分に諦めを感じている状況だと、たとえ自分にチャンスが巡ってきても、そのチャンスを自分に相応しいチャンスだと信じきれなくなる。そして不安を抱く。自分は今与えられている評価に見合うだけの内実を持ち合わせているのだろうか、プレーすることでその内実の不足の現実を露呈して評価を下げてしまうのではないか。プレーするのが怖くなる。確かに現実主義的に自分の限界を見定めるのは大事だし、メンタル的にも良い。でもそれでは、ふと訪れた幸せに際して自分の中で不安を増大させ、せっかくの幸せを幸せとして享受できない。裏切られて絶望するかもしれない、それでもいいから自分の可能性に全幅の信頼を置いて、自分を100%信じ切って納得して、そして大きな目標を掲げよう。実現可能性はともかく、自分が一番達成したいと思う目標を立てよう。そしてそれに向かって努力をし続けよう。こう心に決めた時、自分の目標は年始に抱いた「リーグ戦最終戦出場」ではなく、「リーグ戦で点を取る」に変わっていた。この点を取るという目標を立てたのはAチームにいる時でも、Aに上がれそうという時でなく、練習参加を経てAに上がれず育成に戻って燻っていた最中のことだった。

この「リーグ戦で点を取る」という目標をなぜ自分が一番達成したいと思うか、当時よくわからなかった。でもこれはこのfeelings冒頭で述べていたことに通ずる。理由はよくわからない、でも一番達成したい目標は何かと言われればなぜか「リーグ戦で点を取る」という目標が脳裏に浮かぶ。合理的に説明できないが、確かにそこにある。じゃあ盲信的にでもそれを信じ込んで、それに向かってがむしゃらに頑張ろう。目標の理由など分からない。理由がわからないと、本当に自分はその目標を達成したいと思えているのかも分からなくなる。目標を達成できるかも全く分からない。

分からない。けど、がむしゃらに全力で。いや、分からない”からこそ”全力で。

 

ここからは成長が加速した実感がある。「リーグ戦で点を取る」という大目標から逆算して、「守備を最低限できるようにする」じゃなくて「守備を強みにする」に小目標を変えた。足元の技術などに劣る自分だからこそ、リーグ戦でバリューを発揮するには誰でも頑張ればできる守備面を強みにすることは手っ取り早い。また攻撃面では「ポストプレー」や「クロスへの入り」といった強みとして自覚している点を伸ばすことに加え、「裏抜けをうまくなる」を小目標に設定して色々試行錯誤した。この小目標は多分現状分析スタートの現実主義的なアプローチだったら苦手分野として後回しにされ続けただろう。映像も見まくった。月オフに毎週のように潤に招集してもらい、「もう週7やん」と言いながら潤や久野さんらと自分たちの試合を振り返った。こうして、この時の自分からは途方もなく遠く感じられた「リーグ戦で点を取る」という目標に向けてがむしゃらに頑張った。以前は何か自分を客観視しているような自分自身に嫌気を感じつつもそれが自分らしさなのかなと感じたりもしていた(ずっと卒部feelingsのシナリオを考えながら自分を俯瞰して生きているような感覚だった)が、この時にはそんな余裕なかった。分からない状況で今を全力で生きることに必死だった。五里霧中ならぬ五里”夢中”とでも言えようか、そんな状況だった。

 

そしてチャンスが転がってきた。リーグ戦、後期横国戦。これもきっかけは完全なおこぼれだ。前の週にFWのレギュラーだった誠二郎が負傷した。全治半年くらいの大怪我という。誠二郎は本当にいい選手で、一年生の彼がこんなにもピッチで多くのことをできているのを目の当たりにしたことは、自分にとって大きな刺激となった。もっともっと成長の余地があると。上で述べたマインドセットの変化も相まって、誠二郎は後輩ながら自分のお手本であり、刺激をくれる存在であった。そんな誠二郎が離脱した上に、その週にあったセカンドvsB1で僕らB1が3-0と完勝した。自分は点こそ決めれなかったがいい感覚を掴めた。久しぶりにA練参加の権利を得た。今回はおこぼれではあるが勝ち取った感覚があった。こう思えたのは間違いなく上のマインドセットの変化があったからだと思う。水曜練、紅白戦でトップのメンバーに選ばれた。これまたおこぼれで、FWの2番手だった陶山が前週不調かつピッチ外でやらかしたという事情があった。でもそんなの関係ない、自分がこのチャンスを生かすか殺すか。その紅白戦、いっぱいミスはしたがゴールを決めた。アピールできた。翌日の木曜練も悪くない出来だった。これはスタメンで出れるかもしれない。「リーグ戦で点を取る」が現実味を帯びてきた。この時の感覚は不安でもなんでもなく、ただただワクワクだった。自信はある。楽しみ。プロセスを見ても、紅白戦のアピールでしっかり勝ち取った実感があった。前日練、セットプレー練習でスタメンになることが判明した。その直後、FK攻撃の練習で敵役GKと接触した。彼の膝がケツ横に刺さった。強烈な痛み、でもここで痛がったら明日の出場はなくなる。気合いで走った。練習終わりの集合では、陵平さんが僕を指名してくれた。思いの丈を語った。やるしかない。練習後は歩くのもままならないくらい痛かった。皓太にテク部屋に呼び出され、翌日への個別アドバイスをもらった。いろんな人に声をかけてもらった。主将の八代も集合で何度も「はじめてのメンツもいるけど、そいつらが自分の強みを発揮できるよう周りが助けてあげよう」って強調してた。やるしかない。やりたい。やってやる。今できる最善の準備をしよう。夜は足を引きずりながら銭湯に行って、一度もお湯に浸からずひたすら水風呂に浸かった。めっちゃ寒い、でも明日のため。

 

朝になった。痛いけど少しはマシになったかな。朝ご飯の卵かけご飯は、緊張のせいか、気持ち悪くなって吐き出してしまい食べられなかった。それだけの大舞台。自分のサッカー人生をかけた一日。試合前陵平さんは気を配って色々声がけしてくれた。試合前mtgでは「初スタメンの2人に勝利をプレゼントするためにも、全員で絶対勝ち切ろう。」と言ってくれた。ありがたい。やるしかない。痛いけどなんとか走れそう。アップが終わり入場。応援席に挨拶。ただ一つを聞きながら円陣。これがスタメンの光景か。やるしかない。絶対点をとってやる。キックオフ。

 

 

 

一瞬でバテた。

体が言うことを聞かない。初めの10分は裏抜けしたり、北川のクロスにあと少しで合わせるというシーンを作ったり、悪くなかった。でも体が動かない。暑い。応援席からは自分のチャントが聞こえる。気合いで応えたい、でもキツすぎる。なんで。正直もう替えて欲しい。もう限界。そして前半30分過ぎ、交代を告げられた。

 

 

ベンチでぶっ倒れた。何がなんだか分からなかった。時間が経過し次第に回復してきた。そしてチームの劇的勝ち越し弾。洸のゴール。沸く選手、沸く応援席、そして沸くベンチ。自分は浮かないように喜びつつも、心は喜べなかった。自分のせいで勝ち点をこぼすことは回避したと思って救われた思いはしたけど。(ありがとう洸。)試合後、歓喜の輪に入る気にはならなかった。応援席に挨拶して、集合して、すぐベンチに戻ってセカンドの準備をしようとした。後ろから後輩が駆け寄ってきた。三人、大輝と志村と竜蔵。「ミズー、元気出してよ」って後ろから抱きついてきた。その瞬間、涙が出てきた。悔しすぎる。不甲斐なすぎる。でもこの三人には心から感謝してる、ありがとう。いつも通り生意気な奴らだったけど。その後、ベンチで準備してる自分に和田さんが歩み寄ってくれた。和田さんは前日、どこからか僕のスタメン入りを知ると僕に電話をしてきてくれて、アドバイスを熱弁してくれた。なのにこんな姿を見せてしまって。申し訳なさと不甲斐なさでまた涙が止まらなくなった。和田さん、自分を気にかけてくださって本当にありがとうございました。

セカンドの東京ユナイテッド戦では意外と走れた。悪くないプレーができた。なおさら、なんでリーグ戦ではああなったのかと悔やまれた。でもやることはやったんだ。

 

翌週、もう一週Aでアピールするチャンスをもらった。気は滅入りかけているけど、もうここでやるしかない。植田とか潤がかけてくれた声にもすごい救われた。よし、頑張ろう。そんな中発熱。一時はガンの疑いも出るほどのリンパ節炎になり、高熱はその後2週間、発熱は1ヶ月近く続いた。心のどこかで、試合での不出来を言い訳できそうなほどの病気を患えた現実に安堵しているような自分も確かにいた。当然の如く育成戻りとなった自分は、夏オフあけ、解熱剤を飲みながらなんとかプレーに復帰した。

なかなか調子が上がらず、不甲斐ないプレーが続いた。それでも諦めずもう一回やってやろうと奮起したが、心のどこかでは、もう終戦モードに入っている自分もいた気がする。もう終わりだ、あの悲惨なプレーを見せて、期待と信頼を踏み躙って、もう自分にはチャンスが回ってくることはないだろう。しかもそれは間違いなく全力の結果。というか、もし自分が監督だったら、一度ああなってしまった選手なんて怖くて起用できない。そして何よりも、自信を持って最善の準備をしたと言える状態であの試合を迎えたからこそ、痛いほどまでに自分の弱さを痛感させられた。全力で期待を裏切られた。通用しなかった。リーグ戦で点を取るのはおろか、出場していい実力には全く達していなかった。俺ってこんなものか。

心のどこかでこんなことを思ってしまっていたからか、目標を見失っていたからか、全然いいプレーができない。やばい、もうすぐ統括役として迎える大事な大事な双青戦。かろうじて育成ではB1のスタメンで出れてるから、去年出れなかった二軍戦にはかろうじて出れるかな。少し成長。でも双青戦で活躍したいし、なんとか調子よ上がってくれ。

 

双青戦の週、木曜練の紅白戦で今年初めて育成B1のスタメンを外された。代わりは後輩の志村。確かにいいプレーをしていた。悔しくて紅白戦で奮起した。久野さんにプレスをダメ出しされながらも点を取った。志村は無得点。双青戦であることも加味して、流石に週末はスタメンで使ってくれるだろう。不安でいっぱいだったがそう信じた。

双青戦前日の金曜日は深夜1時まで部室で仕事をして、家に帰ってご飯を食べながら風呂を溜めた。その週は毎日仕事をしまくっていて、既に頭が疲弊しきっていた。いよいよ明日開幕。1年間準備してきた大舞台。勇気を出して初めていく新宿の高い美容室で髪もキメてもらった。絶対点を取ってやる。風呂が溜まった、入ろう。その時slackの通知が来た。深夜2時半くらい。明日の育成のメンバーだ。見た。スタメンに自分の名前がない。自分の出番は3軍戦の前半45分のみ。怪我を押して出場した昨年と全く同じ。なんで。なんで。ムカついた。メンバーを決めた久野さんは昨年双青戦の統括を務め、トップのスタメンに抜擢され、西京極で見事ゴールを決め、美味しい思いをした人だ。そして何より僕の今大会に向けた思いや頑張りを知っている人。そんな久野さんにスタメンを外された。ありえない。ムカつく。涙が止まらない。絶対明日見返してやる。

翌日、双青戦初日の土曜日。僕は久野さんからの声かけをほとんど無視し続けた。絶対今日見返してやるからな、目が節穴だったって思い知らせてやる。

この怒りが理不尽なのは分かっていた。正直言って、客観的に見て最近は志村の方が自分よりいいプレーをしていた。いつポジションを取られるかビクビクしていた。上を、Aを見て頑張るべきなのに、下の、育成のサブだった志村が気になって仕方なかった。そしてそれは現実となった。当然のベンチ落ち。ただそれだけ。でも、だからこそ、当事者の自分がこの妥当性を一番よく理解していたからこそ、それ故の行き場の無いやるせなさが久野さんへの怒りの火に油を注いだ。自分は久野さんに甘えてるだけだ、でもそうしないと気が済まなかった。久野さん、翌日に謝罪はしたけど、改めて本当にごめんなさい。

 

でもこの反骨心のおかげで、双青戦ではいいプレーができた。FKでゴラッソも決めた。陵平さんの目の前で。めっちゃ嬉しかった。夜、何度も何度も映像を見返した。

そしてこの活躍が認められ、翌週からA練参加の権利を得た。1年間夢にみた双青戦という舞台で活躍することはならなかった(一応3軍戦では活躍したけど)が、なんとか浮上のきっかけにはなってくれたのだ。そして双青戦での悔しい思いは、横国戦後諦めかけ腐りかけていた心にこの上ない喝を入れてくれた。

今年3度目のA練参加。3度目の正直。今回こそ正式な昇格を勝ち取ってやる。そして、目標通り、「リーグ戦で点を取る」。

水曜練ではクソみたいなプレーをした。もう後がないと思って挑んだ木曜練、紅白戦でトップ相手にゴールを決めた。勇仁のナイスアシスト。これはいけるかもしれない。週末、一橋との練習試合でCKから得点。これはあるぞ。翌週、昇格ではなく1週間参加延長を告げられた。やるしかない。練習で必死にアピールした。そして中断明け初戦のリーグ戦後期成蹊大学戦、ベンチメンバーに入ることができた。絶対点を取ってやる。また最上級生である自分がベンチにいることの意味、自分にできること・すべきことを考え、黙々と準備するのではなく、声掛けや給水などできるだけチームメイトのサポートをするように心がけた。チームのためになりたかったし、チームを勝たせたい。この意識は以後の試合でもずっと続いた。そして出場。20分弱時間をもらった。強豪相手にポストプレーなどである程度自分らしさを発揮できた。1つ決定機があったものの決めきれず悔しかったが、この日は達成感が大きかった。あと6試合、目標が現実味を帯びてきた。そして、やっとAチームに復帰することができた。

続く玉川戦、長田の登録ミスのおこぼれをもらって、1-1で点が欲しい終了間際に投入された。カウンターから一本シュートを放った。決められなかったが、そのこぼれ球をミライがゴラッソ。劇的勝利を体感した。嬉しかった。でもまだまだ。自分の目標はただ一つ。

帝京戦。八代の「俺らはこの4年間、明確な格上に勝ててない。今日こそ格上を倒そう。」というスピーチに心震えた。このチームで勝ちたい。アップから気合が入る。めっちゃ声を出した。試合前もベンチからも。北川のクロスに陶山が合わせて先制。沸いた。その後相手の猛攻をチーム全員で弾き返す。ベンチでアップしながらめちゃくちゃ緊張した。自分がこのゲームに出たらどうしよう。やれるかな。でもやりたい。緊張と不安と興奮と、心昂る中結局自分の出番はなく終わった。放心状態。勝利は嬉しいけど喜びきれない。出たかった。悔しい。明日のセカンド絶対頑張ろう。でもそのセカンドの試合では不甲斐ないプレーをした。

朝鮮戦。今度は格上相手に追う試合展開。終盤、パワープレーになり、自分の出番を待ち侘びた。だが最後の交代枠で呼ばれたのはボランチの旭。なんで、と思いつつ、最近いいアピールができていないから当然だとも実感していた。今日のセカンド、絶対点を取らねば。

 

この朝鮮戦のセカンドで自分がどうしても点を取らないといけないのには別の訳もあった。半年離脱と言われていた誠二郎が異次元の復帰スピードでもう復帰したのだ。同じFWの誠二郎。彼が離脱したから自分は今Aに上がれている。そんな彼が戻ってきたら。自分がAに生き残るにはゴールという結果で示すしかなかった。これは自分のサッカー人生で最後の壁だ、そう思った。誠二郎が復帰した上で、結果で示してAに残れるか、その上でリーグ戦に再び出場して点を取れるか。

セカンド朝鮮戦、初めは微妙だったが終盤になるにつれいいプレーができるようになった。そして0-1の最終盤、ゴール前のルーズボールを拾ってゴール。決めれた。同点。その後チームは逆転。めちゃくちゃ興奮した。

翌週の武蔵戦ではベンチを外れた。でもセカンドでは点を取った。この調子。

続く成城戦。誕生日だった木曜練でいいアピールができた。そして二試合ぶりのベンチ入り。この試合も終盤1-2と追う展開。出たい。点を決める自信がある。でも結局出番はなかった。

成城戦の翌日のセカンド理科大戦。最終戦の大東戦の後にはセカンドの試合がないと聞いていたから、とても重要な試合だった。セカンドのラストマッチ。人生最後の試合になるかもしれないし、アピールできる最後の練習試合。結果は7-1勝利。自分は3ゴール1アシストを記録した。最終戦出れるかもしれない。そんな期待を胸に最終週の練習を迎えた。水曜練は自分はあまり良くない出来だったが1アシストして、セカンドはトップに勝った。木曜練、紅白戦で鹿島田のクロスから得点。鹿島田と1年以上自主練してきた形、そしてその週の火曜にも二人で自主練したばかりの形そのまま。叫んだ。セカンドはみんな叫んでた。でもその叫びも束の間、副審の世紀の大誤審でオフサイドとされゴールは取り消し。

そんなこんなで最終戦、大東文化大学戦。因縁の相手。応援も一層盛り上がってる。めっちゃ緊張する。でも楽しみ。絶対点を取る。なかなか出番が来ないなと思っていた後半40分、ついに出番が回ってきた。「楽しんでこい」と陵平さんとオカピに送り出され、誠二郎に変わってピッチへ。ほぼボールに絡めなかったが全力で駆け抜けた。そして終了の笛。僕のサッカー人生は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

振り返ってもやっぱりローラーコースターのような半年だった。一言で言い表すなんて不可能。振り返ってると夢中になってとんでもない長さになってしまった。でもコンパクトにまとめることなんてできない、まとめたくない、そんな半年だったと思う。

「リーグ戦で点を取る」という目標は結局達成できずじまいだったが、多くのことを学んだ。自分を諦めず磨き続ける重要さ、裏方の気持ち。そして何より、「分からなくていいんだ」ということ。よく分からずも追い続けた「リーグ戦で点を取る」という目標は間違い無く自分の原動力となり続けてくれた。また、自分と向き合い続け努力し続けたとはいえ、自分にとって転機、特に上向きに変化できたきっかけというのは、自分が意識的にどうこうできることじゃなく、偶然の受動的な衝撃だった。チームメイトの離脱、プライベートでの出来事、そして双青戦でのメンバー外。双青戦でスタメンを外されなかったら多分Aに上がることはなかった気がする。全部自分では制御できない偶然で外発的なものだ。そうしたきっかけはいつやってくるか分からない。分かりえないし、わかろうとする必要がない。大事なのは、いつそうしたきっかけが降ってこようと、それを自分の正当なチャンスだと確信でき、自信を持って自分を送り出せるように、これが100%の自分なんだと胸を張れるように、目標を大きく常に自分を奮い立たせ、常に妥協せず全力であり続け、常に自分を磨き続けること。考えても無駄だからあえて考えない。分からないから全力で。ただそれだけだ。こんな気付き、側から見たら当たり前かもしれない。でも、変に考えすぎてしまう、そして考えて答えを導いだすことに重きをおいていた自分にとって、とても重要な気付きだった。

 

結局のところこの4年間、結果として選手としては何も残せなかったし、側から見たら成功とは程遠い大学サッカー生活だったと思う。でも、できる全てをかけたと思う。毎日練習以外でも体のケアや筋トレに何時間もを割き、練習や試合前には疲れないよう生活スタイルも調整し、食事にも細かくこだわった。どんなにちっぽけな結果でも、この結果が自分の出せる最大限だと胸を張って言えるし、そうした労力をかけることになんらためらいも感じなかった。ともかく、ずっと夢中だった。ずっと全力だった。どの感情も全力で感じ取ってた。心揺さぶられ続けた。余裕なんてなかった。その余地もなかったし、必要もなかった。楽しかった。充実してた。幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 

そんな大学サッカー生活を過ごすにあたりお世話になった人たちに感謝の気持ちを述べさせていただきます。

 

まずは指導者の方々。

陵平さん。3年間本当にお世話になりました。たくさんアドバイスも声かけもいただき、本当に自分の糧、そして支えとなりました。今でもよく覚えています。陵平さんがFWに求めるのはただ一つ、ゴールという結果。評価の基準も明確で、手応えがある時はしっかり評価してもらえたし、逆に悪いときはしっかり相応の采配をしていただいたと思います。そんな陵平さんの元だったからこそ、常に上を向いて頑張り続けることができたと思います。陵平さんのもとでプレーできて幸せでした、ありがとうございました。

 

OBコーチの方々へ。

1年生でお世話になったなかしんさん、槇さん、隼さん、ともひさん。自分がア式でプレーする上でのベースを学びました。みんな色々声がけしてくださったり、最後までとても影響を受けてました。本当にお世話になりました。ありがとうございました。

2年生でお世話になった和田さん、嶋崎さん、西さん、拓也さん、吉本さん。自分がFWにコンバートされた、とても重要な一年でした。自分は怪我で半年以上離脱した難しい年でしたが、特に和田さんからいただいたFWとしてのアドバイスは4年になっても見返すことがあったりと、とても為になりました。みなさんありがとうございました。

3年生でお世話になった楓さん、樹立さん、東さん、ゴツさん、高宮さん。ガッキーも。自分が大きく成長した一年でした。みんなすごい手厚くフィードバックをくれて、全員にいろんな面を成長させてもらいました。ちなみに樹立さんは僕の師匠です。チームとしてもたくさん勝てて楽しかったです。ありがとうございました。

4年生でお世話になった久野さん、内田さん、真鍋さん、俊哉さん。学年も一個違いで友達に近い感覚の先輩方でもありましたが、それが故に苦しんでいる時に会話して何度も救われました。そして久野さん。久野さんがいなければ今までの自分は無いです。ずっと一緒に動画を見てくれて、ご飯も行って相談乗ってもらって。感謝しかないです。みなさん、本当にありがとうございました。

 

三浦さん、新屋さんや島田さん、染谷さんらGKコーチの方々も本当にお世話になりました。特にプライベートでも大変お世話になった新屋さん、また旅連れてってください。

 

チームトレーナーの方々。タディさんには個人トレもそうですし、サッカー内外でいろんな話もして、双青戦も協力してもらって、本当にお世話になりました。ヨネには最後の一年、いろんな相談に乗ってもらったし、最後Aで戦えたのはあの日ヨネとボールキープの練習をしたから。本当に力になってもらったし、今後も応援してる。新家もだいちも、いろんな話や相談をさせてもらったし、ベンチに入った時も本当にお世話になった。みなさん、ありがとうございました。

 

そしてオカピ。時にはキツい言葉を浴びせられたけど、セカンドの試合を一緒に見たり、ミトロビッチの動画をくれたり、そしていいプレーをしたときはめっちゃ喜んでくれて。ほんまにお世話になったし、おかげさまで成長できた。ありがとう。

 

 

 

次に、チームメイトへ。

先輩方。サッカー内外で可愛がってくださり本当にありがとうございました。サッカー面でアドバイスをくださって成長させてもらったり、メンタル面でもサポートしてくださったり、ご飯奢ったり遊びに連れて行ってくれたり、また引退後も応援しにきてくださったり、本当にありがたかったです。またご飯とか連れて行ってください。

 

後輩たち。生意気な奴らもたくさんいたけど、それも含めてみんな本当に可愛くていい後輩たちでした。特に育成で一緒に戦ったみんな。自分がAから育成に落ちても気落ちせず頑張れたのは、育成にいる周りのみんなが頑張ったり盛り上げたりしてくれてたから。本当にありがとう。来シーズン以降本当に期待してるし、応援も行く。ご飯とかも行こう。

 

最後に同期。4年間いろんなことがあって、いろんな感情を抱くこともあったけど、やっぱり本当にいい同期に恵まれたなと感じるし、いろんな人からいろんな刺激をもらって、支えてもらって、そのおかげで頑張れた面も大きいと思ってる。この学年としてア式に在籍できてほんまによかった。ありがとう。

 

 

 

他にもたくさんに人たちに支えてもらいました。

OBの方々。武田理事長、鹿園部長はじめ多くの方に双青戦でお世話になりました。和田さんには双青戦ではもちろん、その他でも気にかけてもらい応援していただいていたのが大変よく伝わってきていました。嬉しかったです。そして利重さん。双青戦やGSSではもちろん、色々な相談に乗っていただいたりと4年間ずっとお世話になりました。皆様、本当にありがとうございました。

 

東大病院の川口先生。1年生の時から怪我が多く通わせてもらいましたが、毎度丁寧に診察していただきました。特に3年の双青戦前に膝の怪我で苦しんでいた時、注射を打ってもらい双青戦に出れるようにしてくださったこと、一生の恩です。ありがとうございました。

 

駒込スポーツ整骨院の高石先生。2年生で長く離脱していた時は、ケアもリハビリも本当にお世話になりました。また先生といろんな話をする時間は苦しい時期には心の支えになりました。ラストイヤー大怪我なく過ごせたのも、先生のメニューがあってこそです。ありがとうございました。

 

管理栄養士の井上さん。井上さんとの面談を通じて見直した食習慣は、ボディメンテナンスに本当に役立ったと思います。自分のその時の体のコンディションに応じて摂取するものを判断する力を養うことができ、色々なシーンに応用できました。ありがとうございました。

 

メンタルドクターの金子さん。ラストイヤー、毎月の面談は自分と向き合い自分を見つめ直す貴重な時間となりました。金子さんがいてくれたからこそ努力を続けられたというのは間違いないと思います。最終戦も見にきてくださり、その前で少しながらプレーしている姿を見せることができて嬉しかったです。ありがとうございました。

 

ユニット活動でお世話になった方々も。GSSの方々、Pigeonの方々、五十嵐さんはじめ富士通スタジアム川崎の方々、福田さん、地域の飲食店の方々(特に金太郎の女将さん)、京大の人等、二食店長の小里さん、工学部機械系事務室の方々。(他にも名前を上げ損ねてしまっている方がいると思います、すみません。)ありがとうございました。

 

そして応援してくれた友達。久々に会ったときに励ましの言葉をかけてくれたり、試合結果やfeelings、ライブ配信をチェックしてくれたり。そうでなくても気落ちしている時に笑顔にしてくれたり。洛星の『とぅりおんふ』にも書いたけど、みんなの存在は自分にとって大きな支えとなってくれていました。洛星だけじゃなく、大学その他の友達にももちろん大感謝です。ほんまにありがとう。

 

 

 

最後に、家族。

大学4年までサッカーを続けさせてくれてありがとう。色々な面でずっとサポートしてもらいました。

父親。一緒にサッカー見に行ったり、サッカーにのめり込むきっかけをくれた人。ずっと気にかけてくれて、正直に言うとうざい時もあったけど、でも自分のこと思ってくれてんねやなぁと感じれた。小学校の時に「お前オフサイドも知らんのか」と試合中に大声でヤジられて以降、正直高校まではずっと自分の試合を見にきて欲しくなかった。でも大学生になって、3年の時の西京極での双青戦、4年ではライブ配信も見てくれて、双青戦は東京にまできてくれて、嬉しく思ってる自分がいた。最終節、少しやけどプレー姿を見せれてよかった。

母親。中高の時は、ご飯とかはもちろんやけど、サッカーの愚痴を聞いてくれたり、送り迎えをしてくれたり、たまーにマッサージしてくれたり。一人暮らしするようになって、サッカーに限った話じゃないけど、本当にその存在のありがたさを痛感した。引退試合もライブ配信見てくれて嬉しかったよ。

二人とも、自分のサッカー人生をここまで支えてきてくれてほんまにありがとう。

そして弟たち、がんばれ。

 

ここまで自己満足の文章にお付き合いくださった方々もありがとうございました。もう少しで終わります。

 

 

 

 

 

 

 

10/8の引退試合、終わったら自分は号泣すると思ってた。小学校時代も、中学も、高校も、ラストマッチ終わりに泣くことなく帰ったことなんて一度もなかった。涙はそこまで本気で頑張ってきた証だと思ってた。でも実際、今回は予想に反して1ミリも泣くことはなかった。自分でもびっくり。そして引退後サッカーをしたい欲が生じていないことを踏まえても、やっぱ自分ってそんなにサッカー好きじゃなかったのかな、なんて思ったりもするが、そんなことないと信じてるし、何度も言うようにそんなこと考えても無駄だ。実のところは分かりようがない。でもそれでいい。僕はサッカーが好きだ、そう自分では思ってる。信じてる。ただその事実だけで十分。

今サッカーしたい欲がないのも、本や漫画を読み始めればのめり込むのはわかっているのに読む前は躊躇する、あの感じに近いのかもしれないと思ってる。サッカーは間違いなく楽しさを保証してくれる選択肢だ。でも、しばらくはそんなサッカーに甘えずにいよう、と今は心に決めている。

僕の将来の夢は教育行政の研究者になることだ。来年からは大学院に進学する。この夢は、自分が楽しいと思えること、やりたいこと、意義、興味関心、将来の見込みなどを吟味した上で納得して選択したものだし、絶対に実現したいと思っている。そしてその為には、サッカーに染まったこの価値観を徐々に研究にのめり込める価値観へとシフトしなければと思ってる。現状あまりうまく行っていないが、意識的に徐々に変えていきたい。

だからありがたいことにOBコーチの提案を後輩から頂いた時も、研究を優先したいからできればやりたくないと答えた。ア式に恩はあるから、人が足りなければもちろんやるよとは伝えたけれど。不器用な自分にとって、サッカーがあればそっちにのめり込んで、サッカーで心を満たそうとしちゃって、研究に身が入り切らない気がしたからだ。

 

サッカーは自分にとって全てだった。生きがい、生きる目的、生きる理由、こんな感じの概念は僕の場合ほとんどサッカーに行き着くと思う。大好き。でもしばらくは、そんなサッカーから距離を置いて自分を試してみたい。サッカー以外のことにのめり込む自分の可能性にかけてみたい。でも、いつかは結局またサッカーに戻ってきてる気もする。(蹴り初めとかで久々にサッカーするとやはりサッカーは楽しい。)将来のことは分からない。じゃあ今抱いてる夢に向かって、今最善と思うことを全力でやり続けるだけだ。分からない、だからこそ全力で。

 

ありがとう、サッカー。がんばろう、自分。

 

 

 

feelingsを書いていたら現役時代の試合動画が見たくなってきて、見た。双青戦も、サタデーリーグも、セカンド理科大戦も、最後の大東戦も。スタメンだった横国戦だけは心が拒絶してどうしても見返せないけど。そして感じる。やっぱリーグ戦で点取りたかったな、ほんと悔しい。サッカー楽しかったな、充実してたな、幸せだったな、恋しいな。やっぱり、好きなんだな。


コメント

  1. いつかのア式卒業生です。水本さんとは全く被っていませんが、僕も同じような境遇だったので、とても共感しました。お疲れ様でした!

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