革命の余波
岡田詠(1年/MF/日比谷高校) 2024 年 6 月 23 日の試合。 ア式が上智に勝った試合。 同期の池澤が、試合終了間際に途中出場した試合。 彼の初出場が応援していた同期を大いに沸かせたが、彼はノータッチのまま終わった試合。 勝利を手にしたトップチームの選手が私たち応援組に挨拶をしに来た時、御殿下ではぱらつく雨がライトの光を反射し、激闘を制した彼らを神々しく照らしていた試合。 選手も、テクも、マネも、コーチも、皆にとって楽しくて嬉しくて、特に同期にとっては勇気づけられ、だけど彼がノータッチだったことが面白くもおもえた試合。 その後、 数人の同期と池澤をご飯に誘った。皆、話したいことは山ほどあって、聞きたいことはその倍はあった。再度、注文方法を変更してきた挑発的なサイゼリヤで飯を食い、くだらない話をしていた時に育成に落ちたことを知った。どうやら電波がわるいサイゼリヤは悪い報せだけを伝えるようだ。 私はその時そんな陰気な話をしたいわけではなかった。 そもそも自分がどういう評価を受けて A チームに上がったのかということは皆目検討もつかなかった。しかし、練習や試合でのプレーを考えれば、近いうちに育成に落ちることは火を見るよりも明らかだと思っていた。 同時期に上がった同期の他の三人が、そのサッカー人生の中で身につけた技術や能力を一段一段、階段にして積み上げ、それを登っていき A チームにステップアップしたとするならば、私は精一杯のジャンプをしただけであると感じていた。 大天才ニュートンが見つける前からこの世に存在する万有引力に引き寄せられるようにして、私は当然の帰結として落ちたのだった。それだけの差があった。 この大きな惑星で、小さな私たち人間はどれほど踏ん張って高く跳んだとしても、いずれ落ちる。 なにもできないまま落ちたことを悔い、目の前で美味しそうにニコニコとドリアを食べる池澤との彼我の差にひどく落ち込みながら、私は SLACK のタブを、抱えた負の感情をものせるようにしておもいきり消した。笑い飛ばして慰めてくれた同期には「 feelings に書くネタができたわ」と冗談めかしたのだった。あの日の私を知る人は、「岡田はきっと愚痴や不満を長々と feelings で書くのだろう」と期待してくれていたのかもしれない。 だがその話はついにしない