かつて(今も)底辺だった俺たちへ
内野 晃之介(1年/MF/横浜翠嵐高校) こんにちは! 1年プレーヤーの内野晃之介(うちのあきのすけ)です。 「やじさんが最初に学年と名前くらいは書いといた方がいいとfeelingsに書いていた」とハヤトさんが書いていたので書きました。ただ、それを発見した直後に引用先であるやじさんのfeelingsを漁ってみると、今から僕が書こうとしているような不甲斐ないfeelingsに対する厳しい言葉が並べられていました。そんなやじさんに怯えながらfeelingsを書いていこうと思っています。 語尾はバラッバラですが、語尾を直す時間があるなら自主練しろと言われそうだしその通りなのでそのままにしておきます。 これまでの僕について書きつつア式に入った理由も書いていこうと思います。 サッカーとのしっかりとした出会いは小学校1年の時。通っている小学校のサッカーチームの練習を体験しに行ってすぐに入部を決めた気がする。サッカーチームの体験の後に野球チームの練習にも行く予定だったが、それが面倒だったからなのかもしれない。優柔不断の僕にしてはやけにあっさり決まった。父がサッカーをやっていたのも大きかったと思う。 小学校はキーパーもセンターバックもやったが、5年生の時にチームを移ってからセンターフォワードをやらせてもらえるようになった。 僕は学校の中でも足が一番を争うほど遅く、かといって繊細なタッチのドリブルができるわけでもなかったので、ポストプレーヤーとして育てられた。ロングボールのトラップだけは得意だったのでそれを活かせる役割だったと思う。 中学校もサッカー部に入ったが、メンバーが小学校とほぼ同じだったのでやるサッカーは変わらなかった。僕の主な役割はプレスとロングボールをトラップして収め、トップ下に落とすことだった。 練習メニューとしてもちろんラントレがあった。 紅白戦を3チームで行い、休みの1チームはピッチ脇で往復ダッシュを10往復やるという日があった。 タイムが設定されており、それに間に合わなければその人は走りと走りの間のインターバルの時間にもう1本追加で走らされた。 僕は20往復する羽目になった。 そんなことが続いてからは体力のなさを自覚し、ひたすら走った。中学の試合は30分ハーフだったのでそれを走り続けられるようにと所要時間30分のランニングコースも開拓した。 そんなこんなでやってい