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熱のそばで

水野 佑莉亜(2年/マネージャー/ 横浜サイエンスフロンティア高校 ) 入部して半年が経とうとしている。 Feelings を書くにあたって、色んな選手の文章を読ませてもらった。 サッカーへの熱い気持ちや、人生を通して考えていることが、綺麗な文章で、何行も綴られて いた。 ひとつのことに本気になれる人がいるこの場所に、強く惹かれたことを思い出す。 私はずっと、自分で目標を立てて、自分のやりたいことだけをやってきた。 でも大学に入ってからは怠惰な日々だった。課題はAIに頼りきり、アルバイトをしたりサーク ルに入ってみたり、友人に恵まれて、試験を除けば本当に楽しかった。 別にいままで頑張ってきたし、少しくらい遊んでいいだろう、なんて甘えていた。その一方で 、こんなことをするために苦労して大学に入ったのかと思うこともあった。 本気になれるものがなかった。 そんな中、10月、高校の友人からLINEが来た。 マネージャーをやらないか。 大学から近かったのと、本当に尊敬している子からの誘いだったこともあり、軽い気持ち で返信した。 話を聞いてみると、シフトは最低週 3 らしい。 参加自由週1のサークルにすら顔を出さなくなっていった私は、週3なんて無理だと思いな がらも見学に向かった。 部室でマネージャーの先輩から丁寧な説明を受け、頷きながらもどう断ろうかソワソワして いた。 サッカーなんて体育でやったくらいで、男子ばかりだった高校ではほとんど参加しなかった のを思い出す。 銀杏を踏みながら、電光灯に照らされたグラウンドへ向かった。 人工芝を駈ける選手をぼんやりと眺めながら話を聞いた。 選手は授業を受けながら週 6 でサッカーに打ち込んでいるという。 その姿を前にして、週 3 のシフトすら無理だと決めつけていた自分が恥ずかしく思えた。 ここに来ると、頑張ろうと思える。 そんな先輩の言葉が印象に残った。 サッカーに本気で向き合う選手、スタッフのいるここに身を置けば、自分も変われるかもし れない。 見学を終える頃には、入部に気持ちが傾いていた。 はじめは、自分がマネージャーをやるなんて全く想像できなかった。 心のどこかでマネージャーという仕事を見下していたのかもしれない。 でもア式に入って、その考えが変わった。 選手のために仕事を考え、見えないところにも気を配って、誰かのために動く先...

ここから!

佐藤桃子(1年/staff/女子学院)  こんにちは。今春、ア式蹴球部女子部にスタッフとして入部した、一年生の佐藤桃子です。早いもので、入部してから3ヶ月が経ちました。 私にとってア式への入部は、予想外のことでした。中高6年間は文化部で過ごし、スポーツ観戦こそ好きなものの、スポーツに関わることは全くしてきませんでした。しかし、3月中旬に行われたア式主催の会で先輩方の優しさや全体的な雰囲気に惹かれ、スタッフの仕事にも興味が湧きました。サッカーのルールもわからなければ、運動部の大変さも知らないので、今更全く新しいことに挑戦するということが正直不安でした。ですがその後も新歓イベントに参加するうちに、先輩方も入部予定の同期も、何もわからない私を受け入れてくれるのだと感じ、入部を決意しました。 最初は、先輩スタッフの後ろについていってマーカーを置いたりボールを拾ったりするだけで、声出しもできずただ存在しているだけでした。また、週四回練習のある選手と違って週二回しか練習に行かないスタッフの私は、同期と仲良くなる機会も少ないため、部に馴染むのも遅れてしまいました。もっとチームに感情的な面で関わっていけるようになりなさいとコーチに言われ、その通りだと思いました。 それでも、普段の練習やちょうど行われていたWCを見ているうちに、段々とサッカーのことがわかってきました。また、先輩スタッフがどういう風に練習に関わっているか、観察してみました。そうしたら、練習の時にどこを見て、どういう声出しをすればいいのか、選手それぞれがどのような働きをしているのかわかるようになりました。また、同期とも段々と仲良くなり、仲間だという認識が強まっていきました。 そんな中迎えた双青戦では、いつもは一緒にふざけたりしている同期が必死に走る姿に心からの応援と力になりたいという気持ちが溢れ、また涙ぐんで勝利を喜ぶ先輩やそれをみて嬉しそうにする同期をみて、ア式に入部してみんなと同じ感情を共有することができて本当によかったと思いました。 まだまだ伸びしろだらけですが、入部から双青戦を通じて、やっとア式の一員になれたと感じました。そこまでの道のりも、たくさんの方の優しさがあったからこそのものでした。これからは私もチームの成長に貢献できるよう、さらに成長して、チームに対し積極的に関わっていきたいと思います。4年間、...

怪我なく4年間

古川真璃(1年/MF/渋谷教育学園渋谷高等学校)  はじめまして。 この度、ア式蹴球部女子部に入部しました、1年の古川真璃です。 私は中高で約4年間サッカー部に所属していました。中高生の頃から、練習試合などを通してア式女子部とは何度も関わる機会があり、その頃から大学でもサッカーを続けるならここに入りたいと思っていました。女子部の存在は、私が東大を目指した大きな理由の一つでもありました。 そんな私の中高でのサッカー生活を振り返ると、かなりの割合を占めていたのが怪我です。 入部して間もなく足の指を骨折し、それが治ったと思ったら今度は手首を骨折。その直後には左足首の靱帯を断裂して長期離脱し、さらに足の甲を疲労骨折しました。その間にも、サッカー部ではおなじみの捻挫を何度も繰り返しました。こうして並べてみると、我ながらよくこれだけ怪我をしたなと思います。 治って復帰したと思ったらまた離脱、ということも多く、入部していた4年間のうち、思うようにサッカーができなかった時間はかなり長かったように思います。だからこそ大学では、とにかく怪我なくサッカーをしたい、というのが密かな目標です。 一方で、大学で女子部に入ることは高校生の頃からほとんど決めていました。「東大に受かったら女子部でサッカーができる」ということは、受験勉強をする上でも大きなモチベーションになっていました。 そしてこの春、東大に入学し、そのまま女子部に入部しました。 実際に入って一緒にプレーするようになると、自分に足りないものを感じることも多く、まだまだできるようになりたいことばかりです。ずっと「ア式女子部に入る」ことを一つの目標にしてきましたが、入ってみれば当然そこがゴールではありませんでした。 同時に、自分とア式女子部との関わり方も変わりました。 中高生の頃の私にとって、女子部は外から見て「入りたい」と思うチームでした。でも、今は自分もその一員です。これまでは先輩方がつくってきたア式女子部を外から見ていましたが、これからは自分もこのチームをつくっていく側になります。 とはいえ、まだ入部したばかりなので、4年間でどうなりたいかを立派に語れるほど先のことは考えられていません。今は、ずっと入りたかったチームでサッカーができることを楽しみながら、自分にできることを少しずつ増やしていきたいです。そして4年間を通して、ピ...

充実した日々

 古川沙弥(1年/FW/渋谷教育学園渋谷高等学校) はじめまして、この度ア式蹴球部女子部に入部しました古川沙弥です。よろしくお願いします! 私は小学1年生からサッカーを始め、複数のチームでプレーしてきました。小学校3年生からはクラブチームに所属し、5年生でドイツに移住してからはドイツのクラブチームでプレーをしてました。日本のチームではずっとLWだった私は、ドイツのチームでディフェンスを担うことが増え、とても混乱していました。ディフェンス力が欠けていた上に、フィジカルやスピードでも劣っていた私はプレーがうまくいかずにたくさん悩みました。しかし、周りの選手のレベルが高く、様々なコツや動き方を吸収したことで大きく成長できたと思います。 日本に帰国してからも、どうしてもサッカーを続けたかったため、女子サッカー部がある高校に編入することができて本当によかったです。1番最初の練習体験ではポジションをきかれた際にDFではなくFWと希望で答えてしまいました。しかし、そのおかげで、それから私はトップという、今自分に最もふさわしいと考えるポジションに定着することができました。 東大ア式蹴球部女子部を知ることができたきっかけは組んでもらった練習試合でした。中学生の頃から複数回練習試合や交流会を開催していただき、大学でも部活でサッカーを続けたかった私はぜひア式蹴球部女子部に入りたいと思いました。 無事入部することができた今、4ヶ月ほど経ちましたが、環境に恵まれた練習を重ね、自身の成長を日々感じることができています。豊富な練習メニューには特に驚かされ、新しいメニューやアドバイスを頂く度に、プレーの幅が広がっているように感じ、とても楽しいです。 これからもチームの力になれるよう、頑張りますので応援よろしくお願い致します!

サッカーの楽しさ

岡田貴子 (1年/FW/渋谷教育学園渋谷高等学校) 今年度ア式蹴球部に入部しました、一年の岡田貴子です。 私がサッカーと出会ったのは、父の仕事の都合でアメリカに渡った小学2年生の時でした。 当時は英語が話せず、アメリカでの生活は不安ばかりでした。相手の言っていることが理解できず、自分の気持ちも伝えられないため、言葉を発しなければいけない場面が嫌になりました。 そんな時、両親が土曜日限定の女子サッカースクールへ連れて行ってくれました。そこでサッカーを始めたことは、私を大きく変えてくれました。サッカーをしている時間だけは言葉の壁がなくなったかのようで、ピッチの上では不思議と楽しくて仕方がありませんでした。シュートが決まった時の嬉しさや、ドリブルで相手を突破した瞬間の高揚感にすっかり魅了され、意思疎通ができないもどかしさから解放されたように感じました。話すのは下手でもピッチでは同級生と対等に渡り合えたことで、普段の生活でももっと人と話してみようと勇気が持てました。言葉の壁を超えて友達もでき、サッカーは私と周りをつないでくれる存在になりました。そして何より、私はサッカーが大好きになりました。 日本に帰国後、中学受験のために一度サッカーから離れましたが、中高で再開し、素晴らしい仲間に恵まれて約5年間楽しく続けることができました。そして次は大学という新しいステージで挑戦します。 私がこうして恵まれた環境でサッカーに打ち込めるのは、共に戦う仲間や、いつも支えてくださる周囲の方々のおかげであり、感謝の気持ちは決して忘れません。また、誰もが当たり前にサッカーができるわけではないということを忘れず一日一日を大切に過ごしていきたいです。 この4年間、チームの力となれるよう、そして自分自身も大きく成長できるよう全力で頑張ります。これからよろしくお願いいたします。

個性なんてくそくらえ

美川敬(2年/FW/濟々黌高等学校) 「自分って、いったい何者なのだろうか。」  「個性ってなんだろう。」 この問いに、とてつもない不安を覚えるのは自分だけだろうか。 大学に入学するまでは、周りと同じように成長すれば次第点だった。 その中で少しでも秀でていれば、いろんな人から、これでもかってくらいに褒めちぎられた。 それが自分のアイデンティティだと思っていた。 だけど、大学はそんな甘い世界じゃなかった。 誰も褒めてくれない。いや、それ以上に周りのレベルが高すぎた。 追いつくなんて到底無理。勉強も、それ以外も。 初めての挫折だった。 そして、その事実を自覚した時、あの問いが脳裏によぎるのだ。 自分って何者? 自分の個性って何? だから、その問いから逃げるために、とにかく色んなことに没頭した。 サークルには20個くらい顔を出し、バイトもありえないくらいの掛け持ちをした。 カレンダーに空白の時間ができるのが怖くて、一日に何個も予定を詰め込んだ。 多分、全国の大学生の中で、一番遊んでいたと思う。 とにかく考えたくなかった。 目の前の楽しさに夢中になっていたかった。 いつの間にか、大学に行くのも週に1回くらいになっていた。 でも、家に帰って一人になった瞬間、あの不安は見逃してくれなかった。 正直に言おう。 ア式に入りたいと思った一番の理由は、この1人になる瞬間を、もっと埋めたかったからだ。 高校サッカーへの未練とか、純粋なサッカーの楽しさとか、そういうきれいな理由もゼロではない。 でも、この feelings を書きながら自分と向き合ってみて、その理由には納得できなかった。 だけど、逃げるように入部して4か月が経った今、胸を張って言えることが一つある。 個性なんて、くそくらえだ。 強いて言語化するなら、サッカーの技術に似ている気がする。 プロの良いプレーを見て、真似して、他の選手のプレーと比較する。 そうやっていろいろなものを盗み、最終的にそれらを組み合わせて、少しずつ自分の形にしていく。 最初から自分だけのオリジナルなんてない。 誰かの真似だとしても組み合わせ次第で、圧倒的な技術になる可能性だってある。 個性もその真似の結果として滲み出るものだろう。 まあ、答えが見つかったわけではないが、なんか腑に落ちた。 ア式で、サッカーの技術を、そして個性を、泥臭く創り上げていこうじゃ...

サッカーを楽しむ

 門脇佐希子(1年/DF/洗足学園高等学校) 今年度ア式蹴球部女子部に入部しました、門脇佐希子です。 私がサッカーをはじめたのは中1でサッカー部に入ってからでした。 手でボールを扱うスポーツとは違い、足でボールを自由に扱うことは難しく、その中でドリブルで相手をかわしたり、強いシュートを打ったりする先輩たちの姿に憧れました。優しく、熱心に教えてくださるコーチや、何があっても一緒に部活を続けたいと思える大切な同輩にも恵まれ、少しずつサッカーが大好きになっていきました。 一方で、私の学校は決して強いチームではなく、中学時代はほとんど試合に勝てませんでした。勝ったのは中1の時先輩に勝たせてもらった1試合だけ。10点差で負けることもあり、負けず嫌いだったので、負けるたびに悔しくて、正直サッカーが嫌いになったこともありました。グラウンドがない、練習時間が足りない、経験者にはかなわない、と言い訳はいくらでもできましたが、それ以上に負けることが悔しく、惨めでした。それでも、負けたままでは終われない、いつか絶対に勝ちたいという気持ちはずっと残っていました。 高校では人数不足からフットサルをするようになり、高校三年生の春に部活を引退した後もボールを蹴ることをやめられず、区のチームに入って練習を続けました。そこで初めてフットサルの戦術を学び、フットサルの奥深さや面白さにどんどん惹かれ、勉強中も気づけばフットサルのことを考えているほど夢中になっていました。 しかし、その三か月後、シュートの着地に失敗して前十字靭帯を断裂しました。 もう二度とサッカーができないかもしれないと思ったとき、初めて自分がどれほどサッカーを好きだったのかに気づきました。中学の時、あれだけ負け続けてなんでサッカーをやっているんだろうと思ったこともあったのに、やっぱり私はサッカーが好きで、負けたままでは終われないと思いました。 そこから一年間、リハビリと勉強に取り組みました。長いリハビリを通して、怪我をした人の気持ちやバリアフリーの大切さ、周囲の何気ない気遣いがどれほどありがたいものなのかも知ることができました。大きな怪我をしたことを簡単に「良かった」とは言えませんが、あの経験があったからこそ学べたこともたくさんありました。 そして今、再びサッカーができることを本当に嬉しく思っています。 この大学に入って、フルコ...

初心を忘れずに

 唐澤こゆり(1年/FW/湘南高校) こんにちは!この度ア式蹴球部女子部に入部しました、湘南高校出身、理科一類1年唐澤こゆりです。 念願のア式蹴球部に入部できてとても嬉しく思っています。サッカー部への想いと今の心境を書かせていただきます。 東大合格発表からここまでの5ヶ月はあっという間だった。先輩、同期とサッカーするのももうすっかり当たり前の日常となった。 でもよく考えたら、チームとしてのサッカーがしたいと10年ぐらい思っていたことがようやく実現したんだった。 私は小2ぐらいからサッカーが好きで、サッカーを知った時から直感でサッカーが好きだと思っていた。 小2でサッカースクールに入ったけど、始めて1、2年で家の都合で辞めることになった。それからはサッカーをする場所には巡り会えず、中高にも女子サッカー部はなかった。サッカー部以外の運動部には入りたくなかったから、中高はほぼ帰宅部だった。 高1の冬、父が、私がサッカーやりたいという気持ちを受け入れてくれて、父が指導してくれるようになった。父の仕事前の朝練や休日の練習を一緒にした。この頃から個サルや個サイチという個人で参加できるサッカープログラムにも週末に行くようになった。 大学こそは絶対に女子サッカー部に入りたかったから、志望校を東大にすると同時にア式女子に入ることを決めた。父は2人の練習中も東大女子サッカー部で活躍するぞ!と言ってくれていて、それを目指して練習していた。受験直前期はア式女子の新歓PVを聞いてモチベーションを上げていた。 こうして東大受験も乗り越え入部することができたわけだが、初練習から4ヶ月ほど経った今の心境を書いておこうと思う。 東大ア式女子は初心者が多いと聞いていたが、実際練習に参加してみるとみんなうまくて、みんなサッカー愛が強いし、期待を裏切らない充実した環境だった。コーチや先輩はアドバイスをくれたり相談にのってくれるし、文京LBとの週二回の練習ではレベルの高い人たちとサッカーができる。言い出したらキリがないくらい恵まれた環境がある。東大の女子サッカー部を選んで本当に良かったと思う。ここなら自分次第でどこまででもうまくなれるし、うまくなりたいと思っている。 部活前後の先輩、同期との時間も好きだ。皆いい人ばかりで、とてもいい居場所だと感じている。 入部してから、自分のサッカーが思ったよりも通...

「なんで、私がLadiesに」

小林彩佳(3年/DF/横浜翠嵐高校) 女子部は文京LBレディースにも所属していて、初心者含め中高生から大人まで、幅広い年代の女性がサッカーを楽しむことを第一の目標とするSprouts(S)と、サッカーを続けてきた経験者中心で競技志向のLの、2つのチームに分かれています。  私は1,2年生の間はSに所属していましたが、3年になる今年はLに所属することにしました。大学からサッカーを始め、同期の中でも決して秀でているとは言えない私がなぜLに??と感じている部員もいるかもと思ったので、決断に至った理由を2つ、このfeelingsに綴らせていただこうと思います。  まず1つ目の理由は、Lで練習しているときの感覚によるものです。練習中SとLがごちゃ混ぜになることがしばしばあります。そのときは展開が早く、考えることがたくさんあり、緊張感を感じて、Sだけの練習とは別の楽しさがありました。身体的にも精神的にも疲労度が大きくなる分充実感もあり、もっとこの環境でプレーしたいなと感じました。  2つ目の理由は、体力があるうちに挑戦しようと思ったからです。1つ目の理由からいつかLに入りたいけど、もっと経験を積んでからの方がいいのかも、という考えもありました。しかし年々体力は衰えていて、部活を引退したら週4で練習することもなくなりもっと衰えるはず、若いうちに挑戦しないと!と思い、このタイミングでの所属変更を決めました。  つまるところ、Lに混ざるの楽しい!体力無くなる前に挑戦しよう!といった経緯です。あまりしっかりとした根拠をもたずに感覚で決断するタイプなので、内容の薄い文章になってしまい申し訳ありません()  Lでは試合に出ることはおろかベンチに入ることすら厳しいことは承知しています。ただ、試合を外から見て学べることもたくさんあると思うし、なにより上手な方たちと練習する中で多くのことを吸収して、成長する1年間にしたいです。部員のみなさま、未熟ですがどうか温かい目で見守ってください、、、  様々な経歴やモチベーションをもつ人が集いサッカーを楽しめる、このア式蹴球部と文京LBレディースという環境に出会えたことに感謝しています。そして、世代交代したり、メンバー構成や組織の形が変わったりしても、それぞれが楽しいと思える瞬間があって、居心地良く感じられる環境として続いていけるように、私なりに精一杯尽力...

シルエット

堀内健伸(3年/MF/麻布高校) サッカーを求める人は回れ右して下さい! このfeelingsでは、私がア式に入部してからの交友関係についてダラダラと振り返ろうと思います。ただ時系列ごとに列挙しただけなので、凝った作品などではないことをご了承願います。ただのメモのようなものだと思って読んでいただけると幸いです。 (浪人期) “さっきはア式に入部してからの話だって言ってましたやん!”と思った方もいるでしょうが許していただきたい。今の私とは切っても切り離せない男との出会いが、俺たちの駿台横浜校で起こったのだ。その男をU君とここから呼ばせていただく。当時のU君との関係は、友達の友達くらいだった。U君の最初の印象は“静かで優しそう”だった。ここから何かイベントが起こると思った方には申し訳ない。残念ながら、浪人の間に仲良くなることはなかった。 (1年生) 4月:ア式のミニゲーム大会に参加し、まさかのここでU君と再会。俺たちの物語が動き出した。U君がア式の練習参加をすると聞いて自分も参加してみることにした。4月18日に初の練習参加。とても緊張していたが、同じく緊張で固まっているE君と仲良くなる。帰り道も同じで、 私、U君、E君 の三人で周りのレベルが高いことを嘆きながら本郷三丁目まで歩いた。皆がご存知“本三組”がこの日をもって誕生したのだ。 5月〜7月:正式にア式に入部。本三組で何度も遊ぶ。E君の実家にお邪魔してEUROの準決勝スペインVSフランスを見た。U君がコインランドリーに行ったきり帰って来ず、得点シーンを見逃すという愚行を今は懐かしく感じる。やめるやめる詐欺でお馴染みのN君とも仲良くなって、今は出家したW君と三人でN君の家に泊まって恋バナをしたり、今度はW君の家にお邪魔し、みんなでEUROを見て、W君手作りのチョコケーキを食べたりした。練習後は部室の2階で同期に作って貰った筋肉弁当を食べる3個上のKさんとくだらない話を永遠としていた。あの時間が今はとても恋しい。 8月〜9月:夏休みはとにかくU.y君の家にお世話になった。練習後に本三組でお邪魔しては桃鉄とアソビ大全でボコボコにされた。U.y君は桃鉄の立ち回りがテンプレ化されるほど極めていたので、勝ち目はなかった。双青戦で京都に向かう前にもU.y君の家にお邪魔して余った食材で焼きそばを作ってもらい、そこから東京駅に向かった...

怪我のないチームに改革!

 今頃私は筑波でサッカーをしているはずだったが、家で女子フィギュアのショートプログラムをゆったり見ながら編み物を嗜んでいる。優雅な休日。この前の練習で自爆して踵を強打した私は筑波に行くことができなかった。練習で怪我してからかれこれ四日、激痛が治らずひょこひょこしながらいろんな人に二度見されながらとてつもない遅いスピードで街を歩くのはなかなか恥ずかしい。 この痛みはまずいと思いながら病院に行き、4000円、そして二時間かけた結果ただの打撲。粉砕骨折とかしてなくて良かったけどちょっと拍子抜け。年に一度の筑波の遠征と4000円、病院の長い待ち時間、打撲の代償ちょっと大きすぎるかも。 そういえばサッカーを始めてから足の怪我は初めてだった。怪我の離脱がほとんどないことが自分の長所だと思っていただけに、自爆で怪我をしたのは悔しかった。 思い返すとうちのチームは怪我が多い、常に誰かは離脱していて一瞬全員揃ったと思ってもまた誰かが怪我をしてしまう。そして復帰がうまくいかない場合も多い。基本的に怪我をしたら見学というシステムをとっているためみんなボールを蹴りたくなってしまい完治する前に復帰してしまうのだ。本当に良くない、、、 そして人員がカツカツで、怪我をした後の対応が手薄になりがちなのも良くない、、、 去年私は保険係をやっており、完治前の復帰をなくしたいと思っていたがなかなかうまくいかなかった。怪我が癖になってしまい復帰にかなり時間がかかってしまった部員も少なくなかった。 そこで私は来年度はうちのチームの怪我減少、早期復帰を個人的な目標にしようと思う。feelingsはこんな目標を宣言するような場所ではないような気もするが、、ここに宣言します。私野村桃菜は来年度のチームの怪我減少、早期復帰に努めます。 去年の12月に代替わりをして執行代になってから、明らかに部活のことを考える時間が増えた。個人的には寂しい気もするが同期との何気ない会話も半分以上が部活の話になった。私たちの代は今、いかにして試合に勝つかというモチベーションで一丸となっている。もちろんその気持ちも大きいが、そのためにもチームメイト全員が完全な状態でプレーして、ポジション争いして、高め合える怪我のないチームになりたいと思う。 前保険係(もう引き継いでしまって学連担当になったけど、、、)としてチームメイトの状態に気...

レイニーブルーはこれっきり

内野晃之介(3年/MF/横浜翠嵐高校) 22時半頃、部活から家へ帰る電車に揺られる。今日は座れた。1時間ほどの帰り道だ。 ふとお財布の中身を見てみた。 ここ最近整理してなかったおかげで沢山のレシートが入っていた。 レシートの中身を見るのは、懐かしい気持ちになれるので楽しい。 「あ、これあの日に買ったやつだ。この日はこんなことがあったよな。」というように。 ステーキガストのレシートが出てきた。 そうかこれはあの時の... 荷物の用意が遅い僕をおいてみんな先に昼ご飯に行ってしまった。けんしんに電話でどこへ行ったかを聞き、小走りで向かう。 ちょうどみんなと同時にステーキガストに着いた。少し置いてかれたことなんて気にならない。 夢が叶ったのだから。 めちゃめちゃ美味しいチキンステーキを食べた。これまでの大学生活2年間で一番幸せなランチだ。 点を決めて応援の人たちの所に飛び込む。これがア式人生4年間で達成したい夢だった。 時は数時間前に遡る。 国公立大会準決勝、一橋大学戦。 1回戦はベンチ入りをしたものの最後まで出なかった。この日の準決勝も引き続きベンチ入りだった。先週と特に変わらずアップをし、試合に仲間を送り出す。 中々試合は動かなかった。相手を切り裂くドリブルだとかいう決定的な武器を持っているようなプレイヤーではないので、こういう点が欲しい試合で途中出場のチャンスは巡ってこなそうだな...そう思っていた。 後半40分くらいだろうか。 名前を呼ばれた。 点を取りに行く交代だと思っていたし、自分が試合を決めることだけを考えていた。 数週間前の試合から、試合に出る直前に頭を濡らしてオールバック風にすると点に絡めたので、ルーティンにしてたつもりだったが、すっかり忘れていた。 普通の髪型でひょこひょこ登場。 入ってから2プレー目、東大のフリーキック。 フリーキックでオフサイドにならずに抜け出すのは少し得意だし、しょうじんは良いボールを蹴るから、ワンチャンあるなと思っていたら、思った通りの軌道、思った通りの勇太のそらしでこぼれてきた。触るだけでゴールに吸い込まれていった。 無我夢中で応援席に一直線で走り、飛び込む。夢が叶った。 自分以外のみんなも見たことのない喜びようで嬉しかった。それと同時に、応援ってすごく尊いなとも思った。 丸はアウェイの地まで太鼓を運ぶためだけに来てくれ、メンバ...

帰り道

穐山公宏(修士1年/フィジカルコーチ/国立高校) 去年の夏。   本屋でスポーツのフィジカルに関する本を手に取った。何の義務もないのに、暇な時にそんな本を読んでいる自分が何だかおかしかった。       106期の穐山です。選手としてア式に入って、1年の11月に辞めました。それから4年が経って、今度はトレーナーとして戻っています。     サッカーを始めたのは物心ついた頃から。兄が入っていた地元のサッカーチームに入団したのがきっかけだった。練習がない日でも近くの公園で友達とボールを蹴る日々を送っていた。昼間から友達と公園に出向き、サッカーに勤しむ。遊具と遊具、木と木の間のゴールを目指して必死にボールを運ぶ。気づいたら空がオレンジ色になっていて、夕日の中で「夕焼け小焼け」が鳴り響く。今日も楽しかったなと思いながら帰路につく。   小6の夏、父の仕事でアメリカに渡った。英語はYes, No, Helloくらいしかわからなかったけれど、とりあえず現地のクラブチームが開催するレクのサッカーイベントに行った。異国のプレースタイルを持ち、英語が喋れないアジア人という物珍しさもあってか、たまたま居合わせたトップチームのコーチの目に留まり、結局チームに入団することになった。しかし、そこで待っていたのは、自分より圧倒的に上手い選手達だった。僕はあまりにも下手だったので、まずは一学年下のチームに所属することになった。   もう上がるしかなかった。生活のほぼ全てをサッカーに注ぎ込んで、1年で身体能力が劇的に変わり、同学年のチームに呼ばれることも増えた。その後も相変わらず下手だがスピードがあり、戦える選手として出場機会を貰うことが増え、スタメンをつかんだ時期もあった。   それでも結局、自分がたどり着けたのは、「層が薄く、絶対的主力がいないポジションの中で、序列が固まらないローテーションの一人」くらいの場所だった。かなりの試合が州外遠征だったため、週末ホテルをとって何時間もかけて試合会場に向かうのだが、親の週末を潰し、高い遠征費を払い、出場時間が雀の涙程しかなかった度に、自分のセンスの無さに対する無力感と申し訳なさでどうしようもない気持ちになった。チームを引っ張る選手たちは、自分より少ない努力で、この3...

呪縛

小林勇太(2年/FW/海城高校) 3月某日。 春休みの1日、怠惰な故、気がつくとなぜかもう夕方だ。1日の終わりを感じ始める間もなく、愛犬のマロンをゲージに入れ、家を出る。自転車に乗り、最寄駅に向かう。行きの道は下り坂が多く、心地良い風を受けながら自転車を漕ぎ進める。大通りに出ると駅方面から家に帰るであろう学生や社会人とすれ違う。駐輪場に着くと、いつも通り上段のラックに自転車を収め、イヤホンを装着し、ZARDの曲を流し、駅に向かう。同じ方向に歩く人は少なく、すれ違う人ばかりである。乗車すると席は空いていて端っこに座る。音楽を止め、WOWOWのアプリを開き、ダウンロードしたチャンピオンズリーグの試合の視聴を開始する。15分ほど経ち、眠気が襲ったところで音楽を再びかけ仮眠。飯田橋駅で乗り換えのため降りると仕事終わりのサラリーマンとぞろぞろとすれ違う。世間では1日が終わり始めるこの頃、自分は1日のメインイベントであるア式の練習に向かう。みんなが帰る頃に練習に向かうこの時間はいつも憂鬱だ。たまには早く家に帰ってみたいものである。ふと思い返すと、ア式に入部してからの1年間はサッカーにほぼ全てを捧げた1年間だった。というか今までの人生のほとんどをサッカーに捧げているような気がする。 初めてボールを蹴ったのはいつだっただろうか。自分では覚えていない。祖父、父と野球家系に生まれた僕は母の勧めで長野県に住んでいた幼稚園の時に初めて週一回のサッカー教室に通い始めた。母は幼少期僕がよく走りまわっていたのを見て勧めたのだそうだ。お母さん英断すぎる、の一言。まさか大学生になってもやっているとは想像もできなかったでしょう。父は野球をやらせたかったらしいのでそこはごめん。 小学校に上がるタイミングで地元船橋に戻り、小一の夏頃から地元の船橋海神スポーツクラブ(略して海スポ)というサッカーチームに入った。船橋はサッカーが盛んで今考えてみると周りには強いチームが多く、海スポも結構強かったと思う。そのため、覚えている限りだと楽しんでやるという雰囲気もあるにはあったが、勝ちにこだわる姿勢が強く、親御さんたちの熱量もすごかったと記憶している。我が家も例外ではなく、小学校二、三年時には週末によく自分の試合でのプレーに関してやリフティングの回数が伸びない件に関して怒られていた思い出がある。(俺はイッテQが見たかっ...