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価値ある集団へ

2013年のノーベル物理学賞はヒッグス粒子が選ばれた。ヒッグス粒子発見に至までには多くの物理学者たちの壮大なドラマがあったのだが、「ヒッグス 宇宙の最果ての粒子」を読んで感慨深かったことの1つは「第13章 守る価値のある社会を作る」に書かれていたことだ。(以下抜粋)

1969年、フェルミラボ建設責任者のアメリカ物理学者ロバート・ウィルソンはこの研究所を何百ドルもかけて建設する意義をアメリカ議会の議員に説明する必要があった。原爆開発のためのマンハッタン計画では国の安全保障に貢献していたためアメリカの素粒子物理学は影響力と財源を確保できたが、新粒子の発見が直ちに価値をもたらすのかは明らかではなかった。議員が国の安全保障に寄与する見込みを訪ねると、ウィルソンはきっぱりと「まったくありません。」と答え、研究の動機を説明した。
 この計画は、われわれがお互いを、人間の尊厳を、文化に対する愛をどう見るかということに関係しているだけです。この計画は、「われわれは良い画家、良い彫刻家、偉大な詩人だろうか?」と問うことと関係があります。つまり、この国で本当に尊敬され、それがあるがために愛国心を感じることのできる、すべてのことと関係しています。わが国の防衛とは直接関係ありませんが、わが国を防衛に値する国にすることと関係しています。

東京大学でわざわざア式蹴球部という部活に入ることに意味があるのかはよくわからない。というか別に意味なんて必要ないと思う。そんなことよりも、自分の所属しているア式を価値ある集団にする努力は必要だ。それはピッチ内外にかかわらず。部員一人一人にア式を価値ある集団にする権利と義務はある。ア式が価値ある集団になればア式でサッカーをすることに魅力を感じられる。魅力的なチームは強い。なぜなら魅力的なチームは強い信念をもつ人の集まりであり、チームとしての結束力も強いから。 より価値ある集団にすればより強くなれると信じている。
2年 酒井加里武

自己紹介がてら

女子部のフィーリングスを読んで自分も感動的な文章を書こうと思って2分くらい考えたけど無理っぽかったので自己紹介がてら今自分がぼやーっとなんとなく考えてることを書いていこうと思う。


まず駒場での大学生活は思ってたより楽しくない。意外と勉強しなきゃダメだし、女の子の友達とか全然できないし、まだうちとけてなくて気使うやつとか多いし。クラスのやつらにのせられて、食堂で一人でご飯食べてる女の子ナンパして失敗してから会うたびにめっちゃ気まずいし。女の子に少しでも優しくすると「それLOVE理論で読んだの?」っていわれるし。そもそもクラスにアイドル好きな人が一人もいないのが割と終わってる。


AKBは今年も総選挙は普通にやるらしい。今年はどんな名スピーチが出るのか楽しみでならない。またパソコンの前で号泣して親にひかれるんだろうな。


ア式は楽しい。楽しくなってきた。日々やっぱりサッカーは楽しいなと感じるし、みんなと仲良くなってきてキャラとかプレースタイルとかもわかってきていい感じ。先輩方とも少しずつ話せるようになってきたし、ア式は男子校みたいで居心地がいい。


サッカーの話をすると、ここ最近毎日自分の動けなさを実感している。取れると思ったところで取りきれない。さわれると思ったボールに足が届かない。自分が頭に思い描いた映像と実際の体の動きとにかなりズレがある。やっぱり半年やってないと自分が気づかないようなところでいろいろと鈍ってるんだと思う。人工芝にも早く慣れなきゃ。


明日はア式に入ってから2度目の試合。1年でやる最後の日であると同時に先輩のチームに合流する前の最後のアピールの日。いつか公式戦のメンバーに入ってAKBの曲で自分の応援歌を作ってもらえる日が来ることを願って頑張ろう。



「関東昇格」と「AKBの誰かと結婚すること」の2つが今の夢です。



1年 沢登孝介

表現

今年に入ってから、ソチオリンピックやCL、女子のアジアカップ等、様々なスポーツの国際大会が行われているが、これらを観るたびにいつも思う。

スポーツには伝える力、表現力がある、と。

好きな競技はもちろん、自分がやったことのない競技や、ルールをよく知らないような競技であっても、観ていて何かが伝わってくることがある。

スポーツにおいて、コミュニケーションは重要な要素だと思うが、それと同時に、スポーツ自体がコミュニケーションの媒体になることもあり得るということだろう。

わずか数分、場合によっては数秒の間に、選手が賭けてきたものの全てが、積み上げてきたものの全てが、強さも弱さも含めて全部表れる。これが、スポーツの残酷さであり、醍醐味だ。

サッカーも例外ではない。90分間に全てが表れる。そしてそれが、観ている者の心を揺さぶる。


最近、僕は、僕らは何かを伝えらているのだろうか、と考えている。
応援してくれている人、支えてくれている人に向けて、自分たちの全てを表現できているのだろうか。

もちろん、何かを伝えようとしたからといって簡単に伝わるものでもないし、僕らの一番の目的は勝つことだから、表現することなんて二の次かもしれない。

でも、勝つことで表現しようとするのでなく、表現することで勝つという考え方もありなのではないかと思う。

僕らにとっての表現の場はリーグ戦。今、自分はピッチで表現できる立場にいない。情けないし、申し訳ない。プレーで「自分」を表現できる選手になるため、もっと上手くなりたい。

そして、今シーズン、僕はチーム全体で「ア式」の全てを表現していきたい。


4年MF 三浦章太

Mugen

2002年6月

日本は熱狂の渦に包まれた。

ロナウド(デブ)は大五郎カット、ベッカムはソフトモヒカン、ウミト・ダバラとツィーゲはモヒカンで、戸田和幸の髪の毛は赤かった。
クローゼは前宙し、ロビー・キーンは側転し、デルピエロは人差し指で亡き父のいる天を指し、中田英寿は手の平にキスをした。
鈴木隆行の伸ばしたつま先はボールをかすり、ロナウジーニョのフリーキックはシーマンの頭上を越え、ハカン・シュクルは洪明甫からボールを奪って電光石火のゴールを決めた。
左太ももを怪我したジダンはゴールライン際の広告に激突し、バティストゥータは1得点しか挙げられず、中村俊輔は出られなかった。
ポルトガルは2人退場し、ホアキンのクロスは本当はラインを割っていないし(その後PKを外す)、トッティは退場してトンマージのゴールはオフサイドで無効、安貞桓がゴールデンゴールを決めた。
ディウフは18回オフサイドにかかり、アガフォアは7回転半し、ニエト主審は16枚のイエローカードと2枚のレッドカードを提示した。
三都主のフリーキックはゴールの角に当たり、オリバー・カーンは涙し、カフーはカップを掲げた。

僕は毎日急いで学校から帰り、テレビで15時半キックオフの試合を途中から見た。 そして、続けて18時キックオフの試合、20時30分キックオフの試合を見た。 当時10歳、小学4年生の頃のことだ。

それ以来、僕の世界の中心にはサッカーがあった。


2026年6月

世界のどこかに、世界最高峰の代表選手たちと、各国のサポーターが集結する。
僕は何の仕事をしているだろうか。あるいは、職を失っているかもしれない。 僕は結婚しているのだろうか。あるいは、独身貴族としての生活を謳歌しているかもしれない。 僕はサッカーをしているだろうか。いや、していないだろう。


僕の世界の中心にあったサッカーは、2015年を境に少しだけ中心を外れていった。
それでも、それは決して遠くへ離れることはないだろう。



2014年6月

ブラジルで、ワールドカップが開催される。

ブラジルが自国開催の意地を見せるのか。
前回大会優勝のスペインが盤石の戦いで勝ち上がるのか。 ドイツがその勝負強さを遺憾なく発揮するのか。 メッシという天才がアルゼンチンを優勝に導くのか。 若き才能を抱えたベルギーがその勢いを見せるのか。 吉田麻也(ユニフォームありがとうございます)が相手の攻撃…

明日は、きっと晴れる

2007年、夏。
私はサンノゼスタジアムの観客席にいた。 辺りを見渡しても私のような黒目黒髪の人はほとんどいなかった。 後ろで英語の会話をしているのが聞こえたけれど、何を言っているのかは理解できなかった。 父の仕事でアメリカに引っ越してから一年。私はまだアメリカになじめていなかった。自分に馴染みのない言語で気持ちを伝えなければならないという難しさ。ちょっと発音を間違えただけで、意図していない方向に話が進んでしまうやるせなさ。言葉が出てこないせいで自分の性格そのものを勘違いされてしまう悔しさ。 あがいても、あがいても、先が見えない毎日。私は疲れていた。 そんな私を、家族はこの試合に連れてきた。 女子サッカーの練習試合。日本対アメリカ。私が初めて生で見るサッカーの試合だった。 試合そのものはアメリカ優勢に進んでいた。日本から出されたパスがアメリカによって阻まれるたびに、英語という言語の壁を壊せない私の姿をそれに重ねて、なんとなく泣きたくなった。 日本からのコーナーキック。蹴ったのは宮間選手だった。一人の日本人選手が飛び出してきた。足をボールに合わせる。ゴール。決まった。あっという間の出来事だった。 試合結果は1−4で日本の敗北に終わった。しかし、私は密かに興奮していた。日本のゴールシーンが頭の中で何回もリプレイされた。ゴールを決めたあの背中が、輝いて見えた。 たった一点だったけれど、あの選手は、強豪アメリカから点を奪った。私だって努力し続けていれば、きっと私がぶち当たっている壁を乗り越えることができるんじゃないか。そんなかすかな希望が、私の心の中に浮かんだ。 それからというもの、私は嫌な思い、悔しい思いをするたびに、点を決めたあの選手のことを思い浮かべるようになった。それだけで、少し勇気がわくのだった。私の心の中にその選手のことが、思った以上に深く、刻まれていたのである。 その選手が大儀見選手だと知ったのは、もう少し後のことである。 試合を観戦し終えた私は、父に向かってこう呟いたという。 サッカー、やってみようかな。 これが、私とサッカーの出会いだった。

2014年、春。 テント列で配られた大量の部活、サークルのビラ。パラパラとめくっていると、一つのビラが目に留まった。 東京大学ア式蹴球部女子、関東参戦。 そのときはただ、「へー、女子サッカー部ができたんだー」と頭の片隅で思っただけだった。 アメリカで一年サッ…

My mind is unclear.

こんばんは、4月からスタッフとして入部しました東京大学文科Ⅱ類の林真夕子です。

入学・入部して早1ヶ月ですが、今は何もかも新鮮で毎日が楽しいです。
広いグラウンドや、サッカーを間近で見られることに興奮しますし、毎日新しい仕事に触れられて、今まで自分が知らなかったマネージャーの世界に足を踏み入れられ、見聞が深まったように思います。
同期とも徐々に仲良くなってきました!今日は同期が試合に勝利し、嬉しい気持ちでいっぱいです!

同時に考えることがあります。自分が中心になって何かやるのではないから、スタッフとして部活にいく意味や理由を探しています。
「人をサポートする立場に回りたい」と言って入部したものの、サポートすることは甘いものではないことが既に見えてきました。
その上東大の空気に触れ、想像以上に様々な活動ができることを知り、自分はいま自由で、自分の人生如何様にもなるんだと感じています。そして、自分はなんでここにいるんだろうか、他にしたいこともあるのにそれを犠牲にしてもいいのか、考えています。

だから1ヶ月経った今、自分のア式に入った意味を、自分にもう一度問いかけてみようと思います。また1ヶ月前とは違う答が出てくるかもしれません。
なんだ、最初と言ってること違うじゃん?と言われるかもしれませんが、それでいいと思っています。ア式でやっていくなら中途半端な気持ちではやりたくないので、ふと立ち止まって考えるのも肝要だと私は思います。
たくさん悩んで時には進路を修正して悔いのないようにしたいと思います。
一度きりの自分の人生だから。

5月の新入生らしからぬ生意気なことを書いてしまいすみません。さて、近頃暑くなってきて、夏の到来が待ち遠しいですが、もうすぐ梅雨入りですし、皆さん体調には気をつけてお過ごし下さい。





1年スタッフ 林真夕子
雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 身長マイナス百イコール体重ノカラダヲモチ
ゴール二貪欲デ イツモシズカニワラッテイル
一日四千キロカロリート プロテイント スコシノ野菜ヲタベ
時間ヲマモリ トレーニングヲカカサズ 常二自分ヲオイコム
東二授業ガアレバ カナラズ1限カラ出席シ
西二準備ガアレバ マッサキ二ビブスヲタタミ
南二クラコンガアレバ カナラズコミットシ
北二合コンガアレバ カナラズ出席シ
サッカーガダイスキデ
全身全霊デ関東ヲ目指シ
運動部ナノ二カノジョガイル

サフイフア式部員二 ワタシハナリタイ


こんばんは。そして初めまして。高校の時から憧れていた東大ア式に1年遠回りしたけれど入部することができ、早1ヶ月、とても忙しいけど、充実した日々を送っています。今日は一年生初めての対外試合がありました。みんな頑張って結果を出せたけど、反省点も多々あるので、結果を求めて浮き足立つのではなく、自分たちのやりたいことをしっかりピッチで表現できるようにがんばりたいです。
また今夜CLの決勝戦があります。東大ア式は構えて守ってカウンターのサッカースタイルですが、今世界を席巻しているドルトムントやアトレティコ・マドリードのカウンターサッカーは参考になるのでとても楽しみです。明日も頑張りましょう!


1年  小松 尭弘(こまつ たかひろ)

初の対外試合

はじめまして。一年の工藤 航です。
ア式蹴球部の部員になってから、早くも一ヶ月が経とうとしています。
一年はお互いのプレースタイルや性格などをだいたい知ることができ、同期としての結束が強くなってきました。練習では意見を交換しながら、少しでも実力を伸ばせるように努力しています。

そしていよいよ、今週の土日には、一年生チームとしては初めての対外試合があります。
土曜日に慶應医学部と、日曜日には筑波大付属高校と試合をする予定です。
この機会を最大限に活かすためには、ただぼんやりと試合に臨むのではなく、チームとして明確な目標をもって試合をすることが必要不可欠です。なので、一年生チームは昨日、試合に向けたミーティングを行いました。そこで、他のメンバーの考え方をよりよく知ることができたので、この対外試合のためだけではなく、今後のチームとしての活動のためにも有意義な時間だったと思います。
また、再来週には一年生チームを解体し、実力に応じてチーム分けがなされるとのことなので、この対外試合は一年生にとっては最も重要なアピールの場の一つになると思います。なので、自分の長所をアピールしつつ、チームの勝利に貢献できるようなプレーを心がけていきたいと思います。また、この試合から学べるものはすべて学び、選手として成長できるように頑張ります。


一年   工藤 航

要塞御殿下

サッカースタジアムはしばしば要塞にたとえられる。要塞をホームグラウンドとするチームは、ホームゲームに異常なまでに強い。いや、逆か。ホームゲームで異常なまでに強いチームのホームスタジアムは要塞と化す。

今シーズンで言えば、ユヴェントススタジアム(ユヴェントス)、エティハド(マンC)、アンフィールド(リヴァプール)などがそれに当たるだろうか。

今シーズン上記の3チームは非常に強かった。「ホームで強いというより、ただ強いだけじゃね?」と突っ込まれたら…確かにその通りである。

しかしサッカー界には要塞と呼ぶべきスタジアムがちゃんと存在する。


要塞ブリタニア

この名前はプレミアリーグ好きの人間は避けては通れない。プレミアの中堅チーム、ストークシティのホームスタジアムである。チェルシー、アーセナル、マンチェスターの両チーム…これまで強弱問わず多くのチームがこのスタジアムで勝ち点を落としてきた。

実際今シーズンも随分と凄い要塞っぷり

ストークは今シーズン(H&A19試合ずつ)13勝11分14敗の勝ち点50。リーグ9位というチームでありながら、ホームゲームでは10勝6分3敗。20チーム中ホーム6位、アウェイ16位。アウェイとの差は歴然だ。ホームゲームではこれほどまでに強い。 (ちなみに毎シーズンこんな感じである)

要塞ブリタニア、まさに要塞と呼ぶに相応しい。


ブリタニアスタジアムを要塞たらしめている要素とはなんなのか。
ピッチの横幅がせまい。もちろん大きな要素である。それは間違いない。(ロングスローに有利。「デラップ」で調べてみて下さい)
しかし最大の要素はスタジアムの異様な雰囲気。これも間違いない。一度テレビで見ればすぐに伝わるはず。味方は勇気をもらい、相手は気圧される。

ここまでは前置き



ア式のホームグラウンド御殿下
今のところ1分2敗

部員の応援からは元気をもらえる。嘘偽りのない本心。 OB、保護者、友人…色んな方が御殿下まで応援に来てくれる。本当に素晴らしい。

しかし現状御殿下は…昨シーズンもそう。何度惨めな思いをしたか。


何かが足りない。もちろん単純にサッカー選手として、サッカーチームとして未熟。これが間違いなく一番足りないもの。

しかしサッカーはそれだけでは決まらない。ストークの結果を見ればそれは明らか。サッカーとは直接関係ない+αの部分。何かが足りない…

やるしかねぇ

ずっと憧れていた。ずっと思い描いていた。その場所にようやく立てた。

活躍できると思ってた。うまくプレーするはずだった。

勝てない。負けた。また負けた。

俺のせいだ。

なんなんだ。全然納得のいくプレーができない。緊張で喉はカラカラ、応援の声も聞こえない。せめて、声ぐらいだせよ。思いっきりやれよ。なんなんだよ。

「俺はもっとやれる」

違うだろ。本番で出せるものが実力なんだよ。

緊張する?そんなの知らねぇよ。やるしかねぇんだよ。

まだまだ甘いよ、俺。

自分が出来ること。自分が求められていること。+α


やるしかねぇ。


緊張するなら自信をつけろ。自信がないなら練習しろ。


やるしかねぇじゃん、俺。


声を枯らしながら応援してくれるやつら。

毎日遅くまでデータ分析してるやつ。

フィジカルめっちゃ考えてくれてるやつ。

毎練習後ストレッチしてくれるひと。

なんだかんだ相談に乗ってくれる先輩。

ほかにも

ご飯食べに行ってくれたり。お風呂でいっしょにぐだぐだしてくれたり。筋トレ一緒にしてくれたり。わざと将棋負けてくれたり。

貼り番縫ってたり。ビデオ編集してたり。いろいろ製作してくれたり。

ごめん、まだまだあるはずなんだけど。


みんないろいろやってるんだよ。そんなの一番わかってるはずだろ。




そう。俺たちは、やるしかねぇんだよ。




残り15試合。

残り半年。


苦しみの裏にはよろこびがあるってさ。

まだまだここから。




やるしかねぇ。






やるしかねぇ。








絶対やれるって。







だから













やってやろうぜ


逆境上等だ。



4年 FW 松田裕生

簡単 楽勝で いい気分

こんにちは。そして、はじめまして。

昨日はサッカーだらけな一日だったので、昨日の日記をちょっとした自己紹介・女子部紹介にしたいと思います。

4年にもなると五月祭の活気はなんだか辛いのですが…本郷へ向かい、まずア式の試合を観戦。
「この応援歌おもろいね」
「あの人うまい!かっこいい!ファンになる!」
サッカーをよく知っているメンバーに解説してもらい、「へぇ~なるほど」
「あのトラップこないだやったやつだよね、あぁ!」とか
皆でいろいろ言いながら、レベルは全く違うけれど何か学べたらと思って見ていました。
現在、女子部は主に基礎的な練習をしていて、試合はもちろん、フルコートでの練習もしたことがありません。
そんな中ではイメージしにくい試合にかける強い思いだとか真剣さを、男子の試合で見て感じて、刺激になっていると思います。

ア式の試合後は等々力陸上競技場へ。
川崎フロンターレvs横浜Fマリノスです。
地元が神奈川だという話ではなく、ボランティアをしていたのでフロンターレには愛着があるのです。
しかし実は応援しているチームはガンバ大阪です。
地元が大阪だというわけではなく、強かった頃の攻撃サッカーが大好きだったからです。
ちなみに出身は徳島です。ヴォルティスはそれなりに応援しているだけですが、もう少し頑張ってほしいですね。
私は高校の女子サッカー部に所属していたのですが、部員は40人近くいました。意外に徳島は女子サッカーが盛んなのかもしれません。 それから、私の母校はチャットモンチーのえっちゃんの母校なのです。

新生活

初投稿です。一年の北西純也です。

今日は五月祭がありました。模擬店を開く立場として五月祭に参加するなかで、改めて東大生になったのだと実感しました。こうして、東大生となって一ヶ月半が、ア式部員となって三週間が経ち、新しい生活にも少しずつ慣れてきました。

友人に対して、サッカー部に入ったと言うと、たいてい、大変じゃない?と聞かれます。
正直、大変です。練習は夜だから帰るのも遅くなるし、五月祭期間中ももちろん練習はあります。でも自分には、ア式に入らないという選択肢はありませんでした。そもそも、東大を目指そうと思ったのは、高一の時に東大リーグに参加して、ア式について知ったことがきっかけだし、受験期には合格してア式でサッカーをしたいという気持ちがモチベーションでした。ア式に入るという決断をした以上、どれほどつらいものであろうとも、ア式の勝利に貢献できるようになるために全力を尽くします。

とりあえず、当面は少しずつハードになってきた一年生練習です。上のチームに入れるようにアピールするのは当然ですが、一年生だけの練習が終わったときに、自分なりの成果が得られるように頑張りたいです。

大したことは書けませんでしたが、初投稿ということで大目に見てください。これからよろしくおねがいします。

あと、北西と呼ばれることが多いですが、純也と呼んでもらう方がうれしいです。

一年 北西純也

Eleven Shades of Blue

あなたの「色」の概念はどのようなものですか?

自分は神戸というのどかな海と立派な山に挟まれた、多文化に彩られたカラフルな港町から来ました。色彩豊富な町だけに、常に自分のカラーを探求する性格になりました。

統一性・協調性を求める社会で個性・キャラクターを重視した西洋教育を受け育った自分に、学生として、男として、サッカー選手としてどのような色が合うのかわからず、途方に暮れていました。いや、今も正直よくわからない中、日々自分のアイデンティティを探してます。

ただ、ここ何年かで唯一わかったことは、11人がピッチ上でサッカーを表現する際に同じ色であれば良いということです。添田さんや藤木さんにしても、ア式のブルーを背負って戦いながら、個人のレベルでは独特の色を放っています。このように、個と組織の二色、二つの性質を持ち合わせることが大事だと思います。すなわち、これは欧米のindividualityと日本のuniformityの融合であり、自分の目指す人生観でもあります。また、この性質は現サッカー日本代表や、来週会社訪問させてもらうGoogleなど、成功する企業・集団に必ずある特徴です。

全部員を可視光スペクトル上の色とすれば、東京大学ア式蹴球部はそれぞれの色が合わさった太陽の光のようなものです。どの大学よりもおもしろい色を合わせ持ち、太陽光のように力強い輝きを放つチームになって初めて関東昇格というゴールが見えてくると信じてます。各々の色をより鮮やかで濃いものにすれば、ア式のブルーはそれだけ輝きます。チームの色を把握しつつ、周りの選手の個性を活かし、自分の特徴を最大限に引き出した強烈なカラーをこれから探していきます!

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中学・高校一貫のクラブチームで全国大会を二度も逃しました。くさるほど悔しい経験をしました。もう悔しいで終わるのはやめです。三度目の正直、このチームで強豪大学をなぎ倒し、今度こそ関東リーグという全国レベルの舞台でサッカーをやります。


七年目の背番号41
一年 DL 河野勇介

下クラがうぇいうぇいらしい

0-4
零対四
ゼロタイヨン
ぜろたいよん
zero tai yon...

中央のポジションで90分出場した、わりとちゃんとした試合(公式戦)で、3点以上差をつけられてしまった試合はいつごろまでさかのぼればいいのか



高3春、関東大会のウィザス高校戦か
あのときはなんか皆が雰囲気にのまれた感じだった
その前は、、、いつだろう中学時代か



僕は自分が関わったそういう試合で負けるのは悔しいし泣くこともあるけど
案外、ちょっとたてばケロッとしている、という性格だ





今回の敗戦は違った


なんか違った


終わってからぼーっとしてたし、気持ちは全く切り替わらなかった


高校時代からはとんとなくなったけど、中学時代にはしばしば味わっていたような悔しさ


より深いところからくる悔しさだった




そのわけはなんとなくわかった


自分と彼らでは、やっているサッカーのレベルが違う、格が違う、と感じてしまっていた


普段やっている自分のプレー、自分で及第点だなと思えるプレー


それが関東リーグで戦ってきたチームの彼らにとっては赤点のプレーだった





自分でも「やっちまった」と思うプレーは別にして


「ここにボールを置けばまずとられないだろ」という置き方


「この感じでからだを入れとけばキープはできるだろ」というポジショニング


「この程度コースせばめとけばボールを通せはしないだろ」というディフェンス


何度もロストしたし、縦パスも入れられた


しかも、落ち着いて、さもいつも通りといった感じで



自分がやろうと思っていたプレーをやって、負ける


これが悔しかった


久々に本気でうまくなりたいと思った


もっと高い水準のプレーヤーになりたいと思った



それから練習に対する意識が少し変わった


これまではどんな形でも目の前の選手に負けないことが目的だった


自分が思ったプレーができなくても、結果ボールがつながればいいし、結果相手の攻めが失敗すればいいと思っていた


相手にシュートを打たれても、ある程度自分が寄せていてかつゴールが決まらなければ
周りから寄せが甘いといわれてもさほど気にならなかった


相手の足に当たっても、結果パスがうまいこといけばそれでいいと感じていた


理想に近いプレーじゃなくてもよかった



今はちょっと違う


パスは自分が考えうる理想の速さで出して通したいし


モーションが小さくてスピードがあるミドルシュートで試合を決めたいし


セカ…

新しい風

みなさん、昨日投稿された女子部の成瀬によるfeelingsは読んでいただけたでしょうか?まだという方は是非読んでください。
女子部もfeelings書いたら?という提案をしたのが先週の日曜、そして昨日の投稿。
どんなものであれ、自分の提案が形になるというのはよいものです。

2月、女子部の創設
たまたまWeb広報を担当していたから、という理由だけでその事実を発信する役となった。
そこまでの苦労等は全く知らないけど、自分は何もしていないけど、100年近いア式の歴史に新たな1ページを記している気分になった。
現状としてあまり交流はないように思うけど、そのような機会を増やしたら新しい刺激を得られるんじゃないかなぁなんて思ってます。

4月、新入生の入部
今年も新歓の季節が終わり、プレイヤー26人、スタッフ3人の合計29人が入部することとなった。
新入部員研修の際に末吉が言ってた言葉に「97期生としての役割」というのがあった。
彼ら、彼女らが新しい風となってア式がどうなっていくのか。

2年以上の部員
同期、後輩と話しているとまだまだいろいろな驚きが生まれる。
一人ひとりがまだまだ新しい風を起こせる、新しい風となれる。

まだ、風を起こせてない、起こさなければいけない

4年 平野周

月曜日のボール

東京大学運動会ア式蹴球部関係者の皆様、この度はア式蹴球部女子の創設に関して、 感謝してもしきれない多大なるご支援を頂き、本当にありがとうございます。 この場をお借りして、お礼を申し上げます。


東大でサッカーがやりたくて東大を目指した、わけではありませんでした が、東大で女子サッカーがやりたくて今に至ります。

 はじめまして。

 北陸で生まれ育って、大学入学の時にうまれてはじめて一人暮らししました。上京してまもなく丸3年がたって、各停から急行への途中の駅での乗り換えはできるようにはなりましたが、急行待ち合わせのときに各停の車内で悠々と座って待っていて、急行がきたらおもむろに向かいのホームに移動する、ことはまだできていません。

 東大生とはどんなものなのか入るまではよく分かりませんでしたが、入ってみると、東大生にもいろいろありました。わたしは東大生で面白いな、すごいな、という人にしかほとんど会ったことがありませんが、たぶんあんまり面白くない人やあんまりすごくない人もいろいろいるのかもしれません。
 わたしは北陸地方に末っ子長女として生まれ、3歳上の兄と、私と双子の兄の3人兄妹です。父親も兄もわたしもサッカーをしています。サッカー歴は、生まれたときから、最初の方は覚えていませんが、父がそう言っていました。

 わたしは双子だったので、母のおなかの中にはわたしと兄の2人がいたわけですが、生まれてきた時、わたしの左足がうっ血して紫色になっていたそうです。どうやら兄の足かなにかとからまっていたようです。祖父はこの子の足に障害が残るのでは、と本気で心配し、待合室の椅子で座禅を組んでいたようですが、なんともありませんでした。わたしの足が今左利きなのは、その時のこととなにか関係があるのかもしれませんし、無いかもしれません。(※たぶん無いと思います。というのも、父がマラドーナ、マラドーナは左利きの驚くほどうまいアルゼンチンの選手です、に憧れており、まだボールと人間の区別もつかないわたしに、左足でしかボールに触らせないようにしていた、と母から聞いたので。)


二足歩行ができるようになると、家の前でのストリートサッカー(※ミニサッカーゴールは、父親がホームセンターで網とパイプを買ってきて、作ったものでした。絶対、網もパイプもサッカーゴール用途ではありません。)、保育園の年長時はソフトサッカー(※ボールがクッショ…