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9月, 2015の投稿を表示しています

将棋のすゝめ

最近将棋にはまっている。はまっているといっても、棋譜を勉強したりしている訳ではなく、将棋ウォーズというスマホのアプリで一日三局うっているだけだ。それでも一ヶ月も続けていると段々と囲いや戦法も身についてくる。

原始棒銀、相掛かり、早石田、三間飛車、美濃囲い、居飛車穴熊、金無双、、、、、、。

対局が始まると、大体自分が得意な戦法でとりあえず攻めてみる。相手が弱ければそのまま倒せるが、ある程度対処法を知っているとうまく守られてしまう。そして、強い人ほどこの対処がうまい。

自分のような初心者は相手の戦法を気にせず自分の得意な戦法で攻め、気が付くと窮地に追いやられているということがしばしばあるが、上級者になるほど相手の戦法や囲いを見極めて、相手の攻撃をつぶし、守備の弱点を突いてくる。強い人ほど相手をよく見ている。

先週の日曜日に一橋に大敗を喫した。相手は試合前からチーム全体の雰囲気も良く、緊張感もあった。しかし東大は応援の選手も含め、まったく相手の様子に気づかず、ゆるい雰囲気で入ってしまい、開始早々失点した。将棋でたとえるなら悠長に囲いを作っている間に相手に棒銀で攻め込まれて桂馬や銀を失うようなもので、明らかに失策だ。相手をよく見ることの重要性を改めて思い知らされた一戦だった。
しかし、それだけだろうか。相手を見るというのは試合直前だけの話だろうか。いや、もっと前から相手を見ることはできる。得意な得点パターン、守備の穴、相手のことを見ることはいくらでもできる。そのために毎週部員がスカウティングにも行っている。自分たちのサッカーを貫くのも大事だが、相手の長所、短所を知って潰していくのも同じくらい大切だ。
応援席で、試合に出れない悔しさを噛みしめつつそんなことを考えた。

彼を知り己を知れば百戦殆うからず

投稿が遅れて申し訳ありません。
吉田 瞬祐

Ungeziefer

それを確かな意思と呼ぼう。


基本的に必要とされるのは、”強い”メンタリティなどではなく、”動じない”メンタリティである。
これを僕はア式三年目の夏に学んだ。


動じないメンタリティとは、つまり”受け入れる力”である。


この世の中はやはり不条理なことが多い。矛盾に感じられるようなことも多い。
朝起きたら巨大な虫になっていることだってある。神に息子を殺せと命令されることもある。

重要なことは、それをいかに受け入れるか、である。


常に本質を見極めなければならない。

ア式に在籍している以上、勝利に近づくための行動、あるいは成長するための行動、それが本質である。

審判、怪我、仲間、指導、評価、その他あらゆることを理由に、その本質から外れてはいないだろうか。

上手くいかない時こそ、負けてしまった時こそ、冷静になってあらゆることを受け入れるべきだ。

大切なのはいつだってこれから、である。

以上。


Hayato GYOTEN

しょうがない

「ああ、絶対今、良いの撮れたのに…一瞬遅かった」
 試合中の選手の写真を撮っていると、大事な瞬間を逃して悔しい思いをすることが多々ある。シャッターを押せたとしても焦ってしまって結果ぶれてしまったり、撮影者の位置が悪かったら折角の決定的瞬間もイマイチに写ってしまったり。良い瞬間を逃さず、かつその瞬間に最高の「シャッターパフォーマンス」が毎回できるようにするのはとても難しい。そして、「もう、またやっちゃったじゃんかー」と自分をいつまでも責めて悶々としていたら、次のシャッターチャンスを逃してしまう。まさに時間との戦い。
一眼事情に限らず、他のことでも同様のことは言える。やることがたくさん。どれから手をつけようか、どうしたら一番効率よいか、考えているときも、そして、やる気出ないなー、と延々と思っているときも刻々と時間は過ぎていく。小さなくだらないことでくよくよ悩んでいるときも同様に時間は流れていく。でもどうしても人間は悩める生き物。悩むことでより良い解決方法が見つかることもあるので、ある程度まで悩むことも大切で、その適切な程度に達するまで悩み切ったら、「もう終わったことはしょうがない」と割り切ろう、というのが最近の私のモットー。割り切って次に進まなければ何にもならない。
最近、「やらなければいけないこと」が多すぎて時間との付き合い方を考えさせられた。その結果、時間とうまく付き合う上での障害を見つけた。それは「一生懸命さ」である。私が自分について嫌いな事の一つは、すぐ一生懸命になり過ぎてしまう所である。一生懸命になり過ぎて、大事なことを見落としてしまう。ミスを多発してしまう。一生懸命であることは、世の中では美徳とされがちである。しかし、私は、ある意味危険な状態だと考える。一つのことに夢中になりすぎて他のことが考えられなくなっている状態でもあるからだ。「一生懸命」が正しい方向に発揮されれば良いのだが、誤った方向に発揮されると迷惑につながる。夢中になっているからこそ多大なる時間と労力がそこに注ぎ込まれ、結果として大きなエネルギーが生まれている。誤った方向にそのエネルギーが生まれているとしたら何という浪費だろう、何と恐ろしいことだろう。
例えば、大学受験のために勉強する世界史の範囲は非常に広いのに、分厚い参考書を読みまくって、情報量が多すぎて知識が頭に残っていかないのにひたすら夢中で読み…

ア式の和式な男たちと洋式な私

世の中には流行があるように僕の中にも流行はあるし、僕らア式部員の中にも流行があります。

僕の中では高木正勝の音楽が流行ってます。知らない人はとりあえず聴いてみてください。知ってる、って人は仲間ですね、音源持ってたら貸してください(唯一音源持ってると思われるある男はちょうど僕がハマった頃にアメリカに逃亡してしまいました)。

そんな中、ア式で流行ってるものがあります。部室でなにやらスマホをみてぶつぶつ言いながらやってます。定食屋さんでも料理がもうきているというのに料理に手をつけることなくやってます。体調が悪い中で乃木坂のライブのDVDを観る会に参加してきたにもかかわらず、DVDを観てる最中にもやってます。一体何をやっているというのでしょうか。

彼らがやっていること、それは将棋です。今日ではスマホ一つで世界中の人と将棋ができるそうで、彼らはそれに夢中になっているのです。普通に話していたら将棋に夢中になっていて全く話を聞いていない、なんてこともよくまります。とても迷惑な話です。これが、俗に言うア式の中の和式な男達です。

そんな男達が将棋をする中で、マイノリティとなってしまった洋式な僕は何をしているかというと、チェスをやります。いや、正確にはしません。ア式にはまだその文化は伝わっていないようなのでやる相手もいません。だから僕は代わりにパズドラをします。

他のマイノリティな洋式な人々は何をしているかと言うと いくつもの国を渡り歩いて日本にやってきたたタダケンことKくんはひたすらしょうもない話をしてます。 吉祥寺を占めていたと名高いSさんはピアノとバイオリンと自慢のオナラで多彩な音を奏でています。 帰国子女とは名ばかりのHくんは何もせずぼーっとしています。*1 まあ、こんな感じですね。

ところで、洋式と言えばトイレが思い浮かんだ人も少なくないでしょうが、それについて少し触れておくと、僕は今和式ではなく洋式のトイレしか使いません。洋式に忠実でとても好感が持てますね(膝を負傷したため膝に負担をかけられないために和式は使えません)。

話を戻します。どこに戻すのやらって感じですが。将棋にハマっているア式部員ですが、何と言ってもサッカー男児たちの集まりです。日々サッカーに励んでいます。そんな頑張れる環境が用意されていることは素晴らしいことで、僕もサッカーに真摯に取り組みたいと常日頃思っ…

魅力的な嘘の世界

こんにちは。
題名が示すもの、今回は初めてでも楽しめるアニメを紹介します。
まず、「アニメ」と聞いて思い浮かぶものは人それぞれだと思います。ポケモンやドラえもんはもちろん、ワンピースやナルト、エヴァンゲリオンまでは誰でも聞いたことがあるはずです。 これから紹介する5つのアニメは、そんな「A級アニメ」ほどには有名でない「B級アニメ」です。ジブリや細田守作品も省いています。 けれど、僕が中高の貴重な時間を費やしたことを後悔していない作品ばかりです。
なので、ぜひ一度、見て欲しいです。

5位
・坂道のアポロン
 ジャンル:学園ラブストーリー×ジャズ
 感想:都会から転校してきたピアノ少年、西見薫は、ガチムチのドラマー川渕千太郎に出逢うことで「ジャズ」に目覚める。さらに薫は千太郎の幼馴染の律子に出会い――
この作品の売りは何といっても「ジャズの演奏シーン」。バンド経験者なら共感できると思うが、楽器を準備するあの感じ、音を出して確認するあの感じ、誰かがきっかけを作ると誰かが乗っかってくるあの感じ。とてもよく出ていると思う。
三角関係が繰り広げる恋模様も見ていてドキドキするが、長崎の方言による会話もいい味を出している。おすすめシーンは7話の文化祭の演奏シーン。あんなセッションが聞けたら目を瞑って聞き入ってしまう。音楽好きなひとには特におすすめ。
余談だが、このアニメのサントラの作曲者は菅野ようこ。ガンダムなどの作品でもサントラを担当していて、有名な曲も多い。個人的おすすめは、「残響のテロル」で使われているアイスランド民族系音楽の「Von」、「Walt」。

4位
・東京喰種(グール)
 ジャンル:アクション×不条理のダークファンタジー
 感想:アニメ化しているので紹介したが、原作の漫画の方がおすすめ。カフカの「変身」の一節、「朝起きると自分の体が巨大な毒虫になっていた」から始まる、東京を舞台にした、ある事件をきっかけに、人と同じ姿をしながらも、人間を喰うことでしか生きていけない「喰種(グール)」に成り変わった「人間」、カネキケンの物語。この作品の何が面白いのかと言われると、主人公が他作品で言う、所謂世界から拒絶される存在の一員として活動していることである。
最近はスピンオフという形で敵の一員を主人公にして、物語を展開する作品は多く存在する。だが、真っ向から、世界から否定される存在たちの一人を主人公にする作品はそ…

football(下)~実現不可能な完璧~

(上巻のあらすじ)
僕は20年近く片想いをしている幼馴染のA子との関係性の中で成長してきた。一方で別のB子という魅力的な子から言い寄られている。僕は時間にどちらを愛するのかを迫られ、A子に告白することを決意した。


〜実現不可能な完璧〜 「告白ってそんな簡単にできるもんじゃない。」 これが全てを終えた時の僕の中で1番最初に心に浮かんだ言葉だ。
僕がA子を愛していても、A子が僕を愛していなければ告白しても失敗に終わる。そんな簡単な真実が僕にはとてつもなく困難に思えていた。なぜなら当初僕は「愛される」ことの大変さが容易に想像できたからだ。しかし本当の問題は「愛する」ことの方であった…
世の中不思議なもので僕のように2人の子のどちらと付き合うかで迷う人は少ないようだ。 僕より魅力的でA子を愛している人も多く、しかも僕にとってのB子のような存在、つまり保険が彼らにはないのである。それ故に僕とは覚悟が違っていた。それに外見はB子の方が良かったからよく彼らに 「お前が羨ましいわ。絶対A子よりB子の方がいいじゃん。」 言われた。しかしその言葉には 「えっ!お前、A子を愛するの?ムリムリ!だって俺らの方が魅力あるし、より強く愛してるもん。」 という響きが入っていた。僕はただ愛想笑いを浮かべるしかなかった。魅力のない自分、そしてそのことを受け入れてしまっている自分。とことん負け犬だ。でも選択肢があることは何かを捨てる勇気とそれに伴う強い決意を与えてくれる。B子の存在があるからこそより真剣になぜA子に愛されたいのか、愛されるにはどうすればいいのかを僕は誰よりも自問し続けてこれた。そうすることで僕も少しは愛されるに値する人間になれたと思う。
しかし「愛される」ことを深く考えることを通じて、本当にA子を僕は「愛している」のかという疑問にぶつかった。A子を愛している人はそのこと自体にプライドがあり、自らの愛が確かなものだと盲信している。だが僕は「なぜA子のことが好きなんだ?」と考えてしまう。「好きや愛に理由なんてない」というのはよく言われていることだが、僕は重度の理屈屋だから常に自分を納得させたい。自分が大事にしていることについて相手にはもちろん、自分自身にも誠実でありたい。僕はそういう人間で我ながら面倒な性格だと思う。そんなことをいちいち考えていてA子を愛し続けられるのだろうか?
この話はストー…

黄色い服を着て全然関係ないことを喋る人

聖書について語るサラリーマン

 聖書に書いてあることは「真実」である。僕は誤解を恐れない。キリストが言ってることはむちゃくちゃで、僕が何回読んだって多分魚は魚だし神は神だ。でも僕がそれを「聞いた」とき、僕は確かに真実を聞いていると感じた。僕が20年間生き続けて少しずつ見える真実を、その人が語る聖書は一瞬で見せた。何千年もの歳月との答え合わせ。もちろん、まずは回答しなければ合ってるのか分からない。
 とにかく、おすすめの本を聞かれたら聖書と答えることにした。豊富な知識と正しい理解を持った解説者がいるとなお良し。


秋葉原で働く塾の子

 バイト先にとても性格の真っ直ぐな子がいる。ヤンキー。彼女にとっての「今」の重みは僕のお給料なんかの何億倍も重いんだろうなー、とか思いながら自分の若かりし日の武勇伝を八割増ぐらいで語りヤンキー独特の共感と尊敬を受ける。ビリギャル男像みたいな。実際はビリでもギャル男でもない。チンピラでも鹿でもない。バイト先の意向には背くがあんまり頭をよくさせる気はない。ただあの性格を大事にできるようにはしてあげたい。
 無力は無力なりに。


唐突にカフェの場所を聞く社長

 情熱はきっと切り貼りできるものである。あそこに貼ってここに貼って、ああでもここに重ねて貼りたいからそっちから剥がして。集中させたほうが圧倒的に効果は大きいらしい。浅瀬をいくら探しても魚は出てこない。底が見えないのは怖いかもしれないけど、結局深みに飛び込んでみるしかない。
 見知らぬ隣の人に声をかけられる人は、それだけで一部魅力的だ。ナンパとかじゃなくて、なんかこう、ね。説明しづらい。モノに対したって同じだな。


全然関係ないことを喋る黄色い服

 多分矢崎が置いていったプリンとカテキョ先にもらった冷麺がおんなじような感じだった。ア式を考えるときもたまにそんな。いろんなフィーリングがあるけど混ぜないことは割と大事なことで。

おはようございます。
2年 俣野泰佑





真面目なfeelings

大学生にとって、サッカーを続ける場所は色々ある。部活、サークル、社会人チーム。サッカーを楽しむことが目的ならわざわざ部活でやる必要はない。では何故自分はア式に入ったか。それは、本気で誰よりも上手くなってア式に貢献する選手になりたいと思ったからだ。きっと、全てのカテゴリーのほとんどの選手が同じことを思っているのだと思うし、ア式でプレーヤーとしてやっていくならばそういう選手にならなければならない。

しかし、考えてみればサッカーが「上手くなる」ということは非常に抽象的なことだ。上手い選手とか良い選手という一般的な定義は存在しない。だからプロにおいても監督によって考え方は大きく異なるし、同じメンバーでも全く異なるチームを作り得る。この目標を成し遂げるためには、「上手くなる」ということをもう少し自分なりに具体化する必要がある。例えば基礎技術を上げるとか、判断力を上げるとか、フィジカルを上げるとか。色々な要素があるが、どれが自分にとって重要かは今の自分の実力と目指しているレベルとの兼ね合いで決まる。そして、そのために何をすべきかという具体的な対策を考える。例えば基礎技術を上げるためには人よりも多くタッチの練習をする必要があるだろうし、判断力を上げるためには高いレベルの試合からお手本となるプレーを学んだりコーチや先輩から聞いて考えて実践する中で成功体験を積むことが大事かもしれない。やるべき事は自分で考えなければならない。

ここで重要になるのは、自分がどういうプレーヤーになりたいかという理想像があるかどうかだと思う。もちろんその理想像は本人のサッカー哲学の上にあるものかもしれないし、今のチーム状況から逆算されて描かれたものかもしれない。どういうものにしろ、しっかりとあることが大事だと思う。理想像があるからこそ弱点が見えてくるし今自分に必要なことも見えてくるはずだ。そしてそのためにやるべきことを考える。正解などないから、色々やってみるべきだ。やるべきだと思ったことを実践してみた上で良いと思ったことは続ければいいし、意味がないと思ったらすぐやめて次のことをしてみる。この切り替えも大事だと思う。この大学生という短い期間で少しでも上に成長するためには無駄な時間を減らすべきだから。もし自分でわからないことがあれば先輩とかコーチに聞いて参考にすることも必要だ。人から知識を得たり客観的に分析し…

「お疲れ様です、フウです」

御殿下ジムの出口受付でこの一言。
「お、お疲れ様です、フウです」
御殿下ジムでは入館時に当日券あるいは年パスなるカードを提出し、退館時にそのカードをスタッフから受け取るシステムとなっている。その間、カードは年パスと当日券で大別され、さらに年パスは名前がア行、カ行、・・・と分類されている。たぶん。
顔なじみ(たぶん)のスタッフの方でなかった場合 「え、はい?」 「あ、フウです」 「い、いーっと」 「う、うーん」
困惑するフウ童貞のスタッフの方の隣にはフウ経験豊富なスタッフの方が大抵いらっしゃる。フウ童貞の方はなぜか必ず当日券のほうから隈なく探して見つからないと年パスのほうをちらっと探す。本当にちらっとである。必ずである。しかも、ハ行ではなくタ行あたりを探している。たぶん。そもそも名前聞き取れていないか信じていないのなら見つからないぞと思わず心の中で「ふう」と息を吐く。そして
「お名前もう一度いいですか?」と聞く。
「そしてお前は『お名前もう一度いいですか?』という」 「お名前もう一度いいですか?ハッ!」 「フン」 「なぜ分かった!?」 さながらジョセフ・ジョースターである。
「あ、フウです」
するとまた当日券を隈なく探し年パスを探すというくだりを繰り返す。さっきまでなんていう名前を探していたのか気になるところである。「お疲れ様です、フウです」からこの間、実に20秒である。たまらずベテランスタッフの方が動きだす。申し訳なさそうに新米スタッフに年パスのハ行を指差す。新米スタッフを急いでハ行からフウのカードを探し当てる。本当にフウなんだという驚き(たぶん)と軽い達成感(たぶん)に満ちた顔でカードが僕に渡される。 「すいません、お待たせしました。お疲れ様です」 「いえ、いえ。どうも、どうも。お疲れ様です」
と僕も少しも気にしてないよと言わんばかりに唇を丸め肩をすくめてみせる。フウの得意技である。この間、実に33秒である。
「『フウあるある』ですか?」 「いえ、違います。」

とまあなんか気に食わない、不快なルーティンのように描いたが、そんなふうにはまったく思ってない。むしろ気持ちいいのだ。
フウはフウであることを確認し安心するのである。
『東大の真ん中でフィットネス!』のついでに 『東大の真ん中でアイデンティティー!』というわけである。
個人差はあれど多かれ少なかれ人はみん…

気づいたら

片思いじゃないです。
こんなこと考えてたってだけです。




「お前らには成長する義務がある。成長しなければならない。
成長できればいいなって気持ちでここに来るんだったり、100パーセントそのためにすることができてないならここにもう来るな。」
今日のセカンドの試合の後に星さんが全体に言ったことだ。



ア式にはスポーツ推薦はない。
みんなが、それぞれの理由をもってこの部に入ったのだろうが、入らせてもらってる立場である以上、プレーヤーとして上を目指すなら成長する義務があるのは当然だ。



ア式に入って4か月以上たつが、いい意味でも悪い意味でも慣れてしまっている気がする。
今の成長速度で関東昇格の際にピッチに立っていられるだろうか。
技術、体幹、フィジカル、やらなければいけないことだらけだ。
トレーニングの量も質も上げなければならない、ほんとにやるしかない。



話し合うのは大事。
でも、相手の意見を尊重して、聞くことがないと成長はしないと思う。
意見の押し付けはよくない。
それは人のせいにしてるようなもの
まず、自分のことをしっかりやるべきだ。
自分で書いてなんとなく反省、、、




まあこんな感じで悩んだり自分にいらいらしたりもするけど、サッカー楽しいし4か月はほんとにあっというまだった。





人間は中身が大事だからインナーマッスルを鍛えてる
1年 日野 雅奈

なんこつ

中二の秋 11月19日 掃除の時間

「バッバッバッ(丑、卯、申)、バチバチバチバチッッッ」
(満帆のゴミ袋(螺旋丸)を持つクラスメートへ向かって)
「千鳥ッ!!!!!!!」

次の瞬間、左ひざに激痛が走った。
「あっ、あっ、、、い、痛い、、歩けねぇ、、、幻術か!?。」

離断性骨軟骨炎(りだんせいこつなんこつえん)。
こいつとの出会い。いつの間にか両膝に棲みついていた。
全治半年。幻術ではなかった。
怖かった中三がいなくなって最もサッカーが楽しくなっていたときに、こいつはやってきた。


高三の夏 8月28日 選手権二次予選二回戦
前半で4-0、ほぼ勝ちが決まった試合。自分の代16人中16番目に使える選手だった自分は後半、マンマーク要員でピッチに立たせてもらった。テンションが上がって敵とボールを追いまわし、鋭くターンしたその刹那、右膝に激痛。プレーは続けたものの、帰路では一切歩けなくなっていた。
全治・・・??。さすがに幻術ではなかった。
高校生活、最も再会したくないタイミングで、あいつは突如姿を現した。


大学二年の晩冬 2月15日 vs慶應
なぜか朝からそんな気がした。また、来るのか??
失点を重ね相手に圧倒され、膝への注意を一瞬ぬかった。右膝をほんの少しねじった。
やっちった、、、。
4月、痛みに耐えかね検査を受けると、
「これ、老後とかやばいかもね。
いつ治すの?今でしょ(死語)」
ということで手術。
あいつとは完全におさらばできたのだろうか。いやもうさすがに、来ないでよね。


「いやぁ、うーん、8か月かなぁ・・」
と伝えられてから、ピッチの外で、サッカーボールのない場所で、とてもやりがいを感じ、興奮させてくれることをいろいろとやらせてもらった。「チームを強くする」ための活動を通じて、夢のようなものを見させてもらっている。この夢は、これからも、見続けるだろう。

あれ?あいつのおかげじゃん。

でも最近になってようやく、(非公式に)ボールを触るようになってようやく、目が覚めた。
最悪の形で高校サッカーを終えて、大学でもサッカーバカになろうとした、その初心を、感覚を思い出した。言葉にはできないけど。
ピッチで、サッカーボールのある場所で、仲間と一緒に喜ぶに値する結果を得られなければ、大学生活を心の底から「よかった」と振り返ることができるはずは、ない。
自分のコアな部分は結…

こんにちは、フウです。

すみません、嘘つきました。
多分最後のfeelingsとなります。何を書こうかやや迷いましたが、2つのことを書こうと思います。

1
まずは自分のことです。
僕はあまり強くない高校のサッカー部で満足のいかない3年間を過ごしました。東大ではもう一度ちゃんとしたサッカーがやりたいと思い、他に何も考えずア式に入りました。サッカーが好きだったからです。
4年近くたった今、本当に何も後悔していません。サッカーに対する想いも、変わらないどころか、社会人でも本気のサッカーができたらいいなあと思うほど、増しました。
健太郎さんからはちょっとした細かいこと等を教わり、星さんからは戦術やサッカープレイヤーに必要な土台を教わりました。どちらが欠けても今の自分はいません。
尊敬する添田さんからは献身性を学びました。彼の背中を追いかけた去年は本当に自分を大きく成長させてくれました。
そして、やはり今のチームメイトとサッカーが出来る「現在」は何にも代えられません。それぞれの人が、それぞれの理由でサッカーをしていいと思います。過去はそれぞれです。僕がサッカーするのはサッカーが好きだから、という理由しか思い浮かびません。どれくらい好きかって言うと、唐揚げマヨおにぎりくらい好きです。

2
もう1つは後輩に向けてです。
サッカーを楽しんでほしい。これに尽きます。
4年になると、1回1回の練習が惜しい気がします。1年の頃はただきつくて面倒くさかった合宿も今年は本当に楽しかったし、終わると寂しかったものです。
たくさんの部員が辞めていったけど、今いる人はやっぱりサッカーが好きで続けているんでしょう?体育会ともなればやっぱりシリアスなことや真面目なことも数多くありますが、1番重要なのは楽しむことだと思います。
サッカーは所詮スポーツです。(