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11月, 2014の投稿を表示しています

二方向からfeelings

Side A
グラウンドで仕事をしていると、時折、武道の部活の掛け声や気合入れの声が聞こえてくる。その度に思ってしまう、「もし、私が大学でも空手を続けていたら…」と。新歓期に一度も空手部を見に行かなかったことを全く後悔していないと言ってしまえば嘘になる。それは、一度うわさで聞いた「上段蹴りが相手の頭上を越えるような長身で、イケメンで、上手い男の先輩」を一目でも見られなかったからではない。せっかく高校時代やったことを大学でも続けなかったことへの後ろめたさがあるからだ。でも、私はどこかで分かっていた。たとえ続けたとしても、高校の空手部は決して強くなかったし、私に空手の才能があるわけではないから、そこまで極められないだろう、これ以上の上達はのぞめないだろう、と。だから、複数の上クラの先輩から「空手部の友達が、空手経験者がいると聞きつけてその子の連絡先を教えるように言ってきたんだけど」と言われた時も、「教えないでください!」とすかさず言ってしまった。こんな中途半端な気持ちなのに、熱心に勧誘されたら、押されたら入ってしまいそうだったから…
でも、これははっきり言って「逃げ」である。ずっと続けてきたことをやめるのは、ある意味その道をあきらめるということ。振り返れば私は中学校の頃あんなに打ち込んでいたことも高校入学時にぷつりとやめてしまった。ただの大学附属中学校なのになぜか音楽にやけに熱心、合唱コンクールも盛んな中学校に行っていたため中学時はコーラス部に入り、クラスでも2年連続で指揮者をやった。人の声の美しい調和、響きをこわいほどに追求しこだわりぬいて、指揮の勉強にも没頭した。中3になっても高校受験の勉強よりむしろ音楽の勉強をやっていた。クラスメートも私にしっかりついてきてくれて、最高の合唱が出来上がった、、はずなのに合唱コンクールでは優勝できなかった。あそこまで最高の準備をしたのになぜ、という思いが湧いてきた。3年生全員で合唱する曲「流浪の民」のソロパートを歌う一人にせっかく選んでもらったのに、そちらの方も、自分の独唱部分で最初に若干声がひっくり返ってしまい、理想通りに歌えなかった。私は、怖くなった。全力の準備をしても、本番うまくいかないことがある。成功しないことがある。あんなに好きだった音楽のことを、初めて怖いと思った。それでも、その恐怖を乗り越えて、自分の未熟さを認めた上で成…

世界進出?!

最近、世の中ではグローバル化が叫ばれている。色々な文化が日本に流入し、世界をより身近に感じることが出来るようになっている。そんな中、その波はとうとうア式にも押し寄せてきている。留学生やPEAK生が相次いでア式に入部してくれたのだ。ニュージーランドから来たかと思えば、スイスからも来て、もう時差ボケで眠くなりそうだ。
 このグローバル化の流れを僕は不安と期待の中で受けとめている。今の1年は何故か普通の学部生なのに、英語がペラペラの奴が多くて、いつしかア式の公用語が英語になるんじゃないか?という不安がある一方で、彼らと積極的にコミュニケーションをとって行けば、ESSに入らずとも、英語の勉強が出来、外国の文化を身近に感じられるのでは?という期待感もある。また、彼らは拙い日本語であっても、積極的にコミュニケーションを取ってくるし、日本のサッカーに適応してくるし、本当にタフで見習うべきところが多くて、長らく日本人で構成されてきたア式に新たな刺激を与え、新たな視点をもたらしてくれるという期待感もある。
 また、さらにリクルーティングの面で言うと、これを機に海外に対しても、ア式をプロモーションしていけば、のちのち、バルセロナのカンテラ出身の留学生など、とんでもないクラブ出身の部員が入ってくるかもしれない。そんな、未来を想像するだけでドキドキしてきてしまう。いずれにせよ、ア式のグローバル化はア式を一つ上のステージに進ませてくれる可能性を秘めているように思える。

1年 山岐豪憲

むーーりーー

「七転び八起き」ということわざがある。まあよく聞くが、何度失敗してもそれに屈せず奮い立つ姿をいったものである。これはうまくいかなくて悲観的になっているときに読むと元気が出ることわざだ。何度でも立ち上がってやろう!という気持ちになる。
 しかし一度転んで立ち上がってもその原因がわからなかったりきづかないままではまた同じ転び方をしてしまう可能性は十分にある。しっかりと基盤を作って立ち上がれるか、よろよろでなんとか立ち直すか、ころんだままか、それともさらにばたりと倒れてしまうかがこの一年で決まる。練習、試合中でも誰かに指示されなければ動かないという受け身の硬直した状態では大きく成長することはムーリーなのだ。指示されるがままに動くのではなく一人一人が考えて工夫する。昨日と同じことを今日も繰り返さない。同じ転び方をおなじように繰り返しても何の進歩もない。自分にはムーリーと思って消極的にならずどんなに小さいことでもどんなにわずかなことでも部員一人一人が工夫して発言、発信することを積み重ねれば強いチームになると思う。 
 再来年一部の舞台でパワーアップしたア式を披露するためにまずは目の前の新人戦、そして来年二部でひとつひとつしっかり闘っていこうW(`0`)W

  てか思ったけど七回転んで八回起きるなんてむーーりーー 
  1年 矢崎 諒

あかるくたのしいfeelings

9試合の公式戦を経て、私のPCの中にはたくさんの写真が保存された。 練習を始めたころは躍動感あるプレー中の写真なんて撮れなかったし、10人以上で映ってる写真なんてそうそうなかったので嬉しい限りである。
ア式でスタッフをやっていたころから、一眼レフで撮った写真が好きだった。 自分が撮った写真を使ってくれる人がいるのも嬉しいし、素敵な写真を加工するのも楽しい。写真がたくさんあると、広報も楽しいし、新歓の頒布物も作りがいがある。 今までになかったカッコいい写真、楽しそうな写真を抱えて、わくわくしている。

試合を振り返るときには、ビデオを見て反省するのが効果的だが、試合中の写真を時系列の通りに見ていくのも意外な発見がある。 仕事柄、試合中の写真にはすべて目を通したのだが、
「キックフォームが良くないな」
「1枚目の写真でいいところにボールを置けていなかったから、3枚目の写真ではボールを奪われてしまったのだ」
「長いボールを蹴るのが上手な人は、軸足をすごく抜いている」 「彼女はボールを持っているときの姿勢がすごくいい」
などの発見があり、フィードバックすることでプレーの改善にもつなげられた。
もちろんビデオと比べれば、俯瞰的で試合全体を通したマクロな視点での反省にはつながらないが、まだまだ未熟な部分が多いからこそ、個人的で一瞬のミクロな部分での反省から得るもののも大きいと思う。
さて、プレー以外にも、写真を見ていて気付いたことがある。 “試合中の写真に、笑顔の写真が意外な程多い”ということである。

正直な気持ち

よく選手は
ア式にいることを『機会損失』って言う。

これは私個人の考えだけど
スタッフだってただなんとなくここにいたら『機会損失』だと思う。

選手からしたらスタッフは週3きてれば許されるし、あとの週4何してても良いんでしょ!って思うだろうな。

でも、
スタッフ全員が思い思いに週3のみでシフト提出したら…どこか必ず穴が空く。
いつもいつも週3でシフト提出していたら、趣味?サークル?感覚でここにきてるのかなぁ、なんて思ってしまう。

私は、現実的に他大学の子もいて特に女子大は出席も厳しいから週3マストの決まりはベストだと思っている。

でも、ここからは本当に個人の考えだけど…

週3でも、せっかくア式にいるなら、サークルじゃなくて体育会系のサッカー部、『東大ア式蹴球部』に所属することを決めたのなら、プレイヤーじゃなくても部員の一員であることに変わりはない。だから!!目標を持って取り組んでほしい。
スタッフだってなんとなくいたら、たんたんと仕事をこなしていたら機会損失だと思う。

もし土日部活なかったら旅行行けるし、留学だってできるし、一人暮らしの子は好きな時に帰省だってできる。お金欲しいと思えばいくらだってバイトできる。長期のインターンもいける。

あ、でもここで勘違いして欲しくないのは、今いるスタッフはただ単にここにいるとは全然思ってないよ。

うまく言えないけど
目標がないと人って頑張れないし
成長できない
スタッフって部で東京都一部復帰とか目標にかかげても
ちょっとピンとこない部分があると思うの、プレイヤーじゃないから、直接勝利に貢献できないから。
だからこそ、もっと具体的に自分で目標を持って全ての仕事に、取り組んで欲しくて。

例えば…
私が今まで見てきたスタッフの先輩たちはこう言っていた。
『選手が関東昇格を目指すなら、私は東京都一部で1番のスタッフになる。』
『選手は週6で部活。サッカー歴も10年以上。マネ歴四年…週3来てればとりあえず許される…彼らの頑張りに追いつくために週6行く。』


私の目標はスタッフの質を上げること。スタッフの質とかいうと具体的じゃないけど。

2年の時に関東一部の人が来るトレーナー講習会に一人で飛び込んで参加したことがきっかけ。
関東一部のスタッフと東京都一部、二部のスタッフって違うなって肌で感じた。うまく言えないし、否定的な感じに聞こえてしまうけど…。それまではア式のスタッ…

タラントン

福音の中に「タラントンのたとえ」というものがある。「タラントンのたとえ」では、主人がしもべ3人にそれぞれの能力に応じ5,2,1タラントンのお金を渡し、主人の留守中にそれがどのように使われたかという内容で、始めの2人しもべは、商売をして増やすことができ、帰ってきた主人にほめられるが、1タラントンしか渡されなかった3人目のしもべは、主人の性質をひどい方だと自分の思い込みで決めつけ、そのお金を地面に隠しておいたため、増えずに、主人の怒りを買ってしまった、ということが語られている。タラントンとはこのお金の単位のことで、与えられた能力や性質をどのように生かすかが、人間に求められているということを説いている。神からいただいた人生を有意義に生かす者が祝福を受けることができ、神から預かったタラントんをうまく用いれる人と用いれない人の差は、神に対する愛であると言うことだ。
このタラントンをア式における自分の能力として考えてみる。自分はア式蹴球部に所属し、はじめは先輩方の指示に従いスタッフとしての仕事を教えてもらってきた。そして入部して半年たった今、4年生の先輩は引退してしまい任される仕事も増え、自分で判断して行動しなければならないという機会が増えてきた。入部当初の自分にはタラントンはわずかしか与えられていなかっただろう。しかしア式が強くなるよう、選手が滞りなく練習できるために何ができるか、ということを考え行動してきて、きっとタラントンを増やせたのではないかと思う。でもまだ半年、スタッフとしてはまだまだ未熟者、そしてまだまだア式のスタッフとしていられる。その期間ア式の1部昇格、関東昇格を信じて、与えられたタラントンを活かしつつ、増やしていけるように成長していきたい。

1年スタッフ 長畑沙椰

最近の心境

リーグ戦9試合が終わった。

開幕したときは最終節が遥か遠い未来に感じられ、気力体力ともに乗りきれるか心配だった2か月間も、終わってみるとあっという間だった。その間、色々と思うところはあったのだけれど、最後に一番強く感じたのは、私はこのチームが好きだ、ということだ。

9試合中6試合、私のポジションはゴールキーパーだった。今までキーパーなんてやったことはなかったし、正直不安ばかりだったけど、やることに決めた。チームが勝つことを考えたとき、サッカーの下手な私が一番貢献できる形なのかもしれないと思っていたからだ。

しかし、もちろん試合でいい仕事ができるわけはなく、いつだって頼りなかった。得点した後、ハイタッチに走りに行けない私に手を振り、「ともこー!!やったよー!!」とわざわざ大声で叫んでくれるすばらしい主将成瀬をはじめ、みんなの力強いプレーに、そしてミスだらけの試合の後でも必ずねぎらってくれる優しさに支えられ、なんとか90分間立っていた。そんなみんなを頼もしく思う一方で、というか頼もしく思うだけに、優しい言葉をかけられると、ピッチ全体を見渡せる位置にいるくせに何もできない自分が情けなく、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。ただ勝ちを目指す中、その情けないという気持ちだけで終えてはいけないので、どうにかこうにか走ってきた、という2か月だった気がする。

そうやって1試合が終わっていくごとに、先週よりも今週のほうが「いいチームだな」「好きなチームだな」と感じていることに気付いた。

(最後に照れ隠しの意味も含めて)私はおそらく、普段どちらかというと冷めていて、こんな感じで自分の内面を語るようなタイプではないのだが、そして周囲の人からもそう認識されていると思うのだが、何を書くべきか迷ってこんな感じの文章を書いてしまった。。。


本当は緊張してるのに、プレー中の写真が真顔だと指摘される
女子部 4年 藤井朋子