誕生日

もうすぐ僕の誕生日である。僕の学生証を見た友人に「あれ、お前もうすぐ誕生日じゃね?」と言われるまで、一年で一回の特別な日が近づいていることに全く気づかなかった。思えば去年なんか受験勉強で気が気でなく、「あれっ今日誕生日か!」って感じだった。小学生の頃は、後半年…後3ヶ月1ヶ月1週間という感じで誕生日を待ち望んでいたのに、あの頃の感情はどこへ行ってしまったのだろう。




昔は欲しいものがあってもなかなか手に入れることはできなかった。自分が欲しいものを持っている友達がいるとなおさら物欲が高まる。その中でやってくる誕生日は、一年のうち他のいかなる日に比べても圧倒的に素晴らしい日である。それが今では欲しいものがいつでも手に入るわけではなくとも、誕生日まで半年以上我慢するなんてことなく手に入れることができる。欲しいものが手に入る機会が増えるにつれ、その一回一回に対する喜びありがたみは減っていってしまう。





それは別に誕生日に限ったことではない。子供の頃は映画なんて年に2,3回のビッグイベントだったが、今では行こうとすればいつでも行ける。外食は月に1回ほどのお楽しみだったが、今では部活後に頻繁に外食している。しかしそう頻繁にできるがために、その11回に対する喜びありがたみは減っていってしまう。





逆に、「死んでから分かる親のありがたみ」という言葉があるように、機会が減って、もしくはなくなって初めてかつての環境がいかに恵まれていたか認識することがよくある。





僕は高校時代、初めの頃は学校の土グラウンドで当たり前のようにサッカーをしていた。しかし、高校の体育館建設の都合上、グラウンドのほんの一部でしかサッカーができなくなってしまった。そのとき初めて、学校のグラウンドを使わせてもらって練習ができていたんだというありがたみを知った。学校のグラウンドが使えなくなったとき、東大ア式蹴球部が手を貸してくれた。週11時間半グラウンドの半面を貸してくれたのである。僕はそのとき御殿下の芝グラウンドで練習できることが非常に嬉しく、1時間半を最大限に利用することができた。





今現在、ア式に入って毎日グラウンドを使える環境にいる。当たり前のように練習しているが、別にこれは当たり前のことではないのだ。ア式が今こう動いている裏には、保護者の方々、OBの方々、監督、コーチの方々、他にも大勢の支えがある。身の回りのありがたみのそれぞれ全て認識することは難しいが、自分が様々な沢山のありがたみを享受していることは間違いない。





後悔先に立たず。今、自分が享受しているありがたみ、決して無駄にしたくない。








1年 島田





P.S. 僕の誕生日は





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です。



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