2017年10月21日土曜日

「東大でサッカーをやる意味」って必要か?

ア式にいるとよく耳にする言葉がある


「東大でサッカーをやる意味」


入部以来、色々な場面で耳にしてきた言葉だ

高校同期から
大学の友達から
高校の部活の後輩から
監督から
辞めていった仲間から
両親から


これまで幾度となく問いかけられてきたこの言葉に今までどれだけ考えさせられただろう




去年の8月、僕はプレーヤーを辞めた


そのまま部を去るという選択肢もあったが僕は残った


色々な人に会う度に聞かれた

「なんでア式続けてるの?」
「プレーしないんでしょ?」


この時、再び突きつけられたあの言葉


「東大でサッカーをやる意味」


特に両親にはなぜ、そこまでして続けるのか何度も聞かれた


元々ア式に入ることに反対していたし、大学生のうち今までやってきたことのないことに挑戦してほしかったそうだ




でも僕はこの部に残った



以来、ずっと考えてきた


新しいスポーツにチャレンジした高校同期が公式戦で活躍したとき
将来の夢に向かって勉強している友達と話をするとき


彼らと自分を比べてどこか引け目を感じてきた




彼らに負けたくなくて

自分の選択を肯定したくて

ア式にいる意味を必死に探してきた



でも


人に誇れるようなカッコいい意味なんて見つからなかった




でも


それでいいんじゃないかな


周りの人に色々言われるけど
よくわからないけど
上手く言葉に出来ないけど


やりたいからやってる


それでいいと思う




ただ、少しだけヒントが見つかった気がする


東大生というのは幸か不幸かある程度の地位が確立されている
東大生というだけで評価されたり褒められたりした経験は誰しもあると思う

しかも大学生というのは楽に過ごそうと思えばいくらでも楽をでき
(決して楽をすることが悪いことだとは思わない)
日常生活の中で結果を求められたり責任を負ったりするのは
せいぜい進振りや卒業するための単位取得くらいであろう



でもア式ではそんな地位など存在しない
ピッチ上での競争がまず部内で存在する
外に目を向ければ他の大学との試合では結果が求められる
そこには「東大生だから」という特別な地位はもちろん存在しない
ただ試合の結果によってのみ優劣が決められる



つまりア式はおそらく得られたであろう安泰を捨てた人の集まりなのだ



それに気付けたのはスタッフになってからである


それまでただ上手くなりたい、試合に出たいという気持ちで夢中でサッカーしていたところで急に目指すべき結果や背負うべき責任がなくなってしまった


スタッフというのは難しいもので、おそらく手を抜こうと思えば簡単に手を抜けるし、他人に咎められることも少ないと思う
それは選手の中にスタッフはチームのために働いてくれているという感謝の気持ちがあるからだと思う

自分も選手だったからわかるがやっぱり自分がプレーするわけでもないのに暑い日も寒い日も練習のサポートをしてくれるスタッフに対して、どうしたって選手は強く言えないし結果や責任を求めづら
いわば、スタッフは「守られた存在」なのだと思う



でもそんな安泰に違和感を感じた



ついこの前まで結果と責任を求められていた立場から「守られた存在」になったのだから当たり前といえば当たり前だ



だからその時に決めた



選手以上に結果と責任を求めていこうと



今改めて考えると、この安泰を捨ててまで結果と責任を負いにいくことこそ「東大でサッカーをやる意味」なのかもしれない


それが正解なのかはわからないけど




選手を辞めてから一年以上
ピッチ外からプレーしている選手を見てきた



毎日肉体的にも精神的にも追い込んで
相当なプレッシャーの中で闘う彼らのことを心の底から尊敬するし
心の底からカッコいいと思う




だから、そんな彼らに結果で応えたい




これから先


「東大でサッカーをやる意味」


を聞かれたら、よくわからないと答えることにする



でも


なぜア式を続けているか聞かれたら自信を持って答えられる



「みんなと1試合でも多く勝ちたいから」




3年STAFF
学生GM    糸谷  歩

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