2019年10月13日日曜日

ありんこを相手に

 「趣味って何ですか?」

この質問実に困る。飽きっぽい性格のせいか物事が長く続かない。小さい時からそうだ。幼稚園児の時、誕生日に買ってもらった一輪車は数回乗って終わった。もちろん乗れない。中学生の時、歌手のYUIに憧れて家にあったギターをやろうと「すぐに弾けるようになるギター!」的な本まで買ったが結局一曲も弾けるようにはならなかった。
そんな私が唯一続いているもの。それがサッカーだ。小3から始め大学生となった今までずっと続けている。他のことはすぐ飽きてしまうのになぜサッカーだけこんなに長く続くのか正直私も分からない。ただ、ボールを追いかけている時間はどんな時よりも楽しい。嫌なことがあってもサッカーをしていると全て忘れられる。


私が東大を選んだのもア式蹴球部の存在が大きい。東大に受かったら絶対ア式に入ると決めていた。私は東大生が大学からサッカーを始めることに興味津々だった。頭脳集団がなぜ大学からサッカーを始めるのか不思議でたまらなかった。それも女の子が。あんなに体をぶつけ合うスポーツを勉強ばかりしてる(?)人達がやっていると思うと東大生もやるじゃないかと。(いきなり上からごめんなさい)私はチームメイトに尊敬の念に堪えない。


そんなチームでプレーして約5ヶ月が経った。最初の頃はサッカーが出来ることがただただ楽しかった。浪人もして体力はボロカスだがやっぱり楽しい。そして待ちに待った関カレが開幕した。だが上手くいかないことばかりである。


話は変わるが、私は中学の時は東北で強豪なチームに所属していた。高校では勝てる相手もいたが格上相手に10,20点取られて負けるようなチームに進んだ。そんなギャップに私は悩んだ。元チームメイトがいる高校に何十点も取られるのはほんと苦しかった。上級生となりキャプテンとなった私は自分が何とかしなくてはと勝手に気負い、人に相談できない性が故1人で抱え込んで壊れることもあった。中学の時の仲間は頭が筋肉で本気でサッカーをしていた。そのモチベーションを高校からサッカーを始めた仲間に求めるのは間違っているのか。答えの出ない問いにもがくことしかできなかった。


東大は私の高校と似ている。ほぼほぼ初心者で構成され格上相手に何十点も取られる。そんな中で自分に何ができるのか。まだ1年の私はプレッシャーもチーム内での役割も同じ経験者のキャプテンと比べたら雀の涙である。チームへの想いも弱いのかもしれない。でもやっぱり勝ちたい。ここまで4試合を終えたが一勝もできていない。格上だと分かってはいるが負けはやっぱり悔しい。それに加え練習で出来ることが試合では出来ない。悔しい。心の弱さの表れだ。これは相手がどうだろうと関係ない。自分自身の問題だ。どんな相手だろうがありんこにしか見えないほどに成長したい。そして、

勝ちたい。だってサッカーだもの。
点もとりたい。だってサッカー選手だもの。


この前入学したと思ったらもう半年が過ぎた。時の流れは速い。頼れる先輩がいるうちに色々相談しておきたい。(その時は話聞いてください!)


昨晩食べすぎたせいか、ただでさえムチムチな私の手の指はより一層パンパンである。さて今日は何を食べようか。


前世はきっとクリームパン
女子部1年 鈴木 佐和

2019年10月9日水曜日

分からないなりに

トレーナーやってて何が楽しい?


これはちょっと前に知り合いの方に聞かれたこと。正直言葉に詰まった。咄嗟に答えが出てこなかった。

え、私ってなんでア式に入ったんだっけ。なんでトレーナーやってんだろ。やりがいって何。私は何を目標にしてるの。何を今やらなきゃいけないんだろう。ア式入って約半年、私って成長したのかな。

潜在的にずっと疑問だったことが一つの些細な質問で急に顕在化した。


そりゃ仲のいい友達ができて、尊敬する先輩と話して、その人の考え方とかちょっと知れて嬉しかったりはする。でもそんなの本質的な答えじゃない。


feelings書くにあたっていつも考えてることとか正直書きたいことはそれなりにあった。でも私は何が楽しくてトレーナーやってるのか、何にやりがいを感じてるのか、この疑問が解けないまま上っ面だけの文章を書いたところで何も伝わる気がしなかったし、みんなに失礼な気がした。だってみんなのfeelings大好きだから。


6月9日、学習院に勝った日。初めて見た勝利。とっても嬉しかった。飛び上がって喜んでる選手、いつもクールだけどちょっと恥ずかしそうにハニカミながら歩いてくる選手、全身で喜びを表現する応援のみんな。今でも鮮明にその光景は思い出せる。
でも嬉しかったはずなのに、なぜか私は蚊帳の外にいる感じがしてならなかった。嬉しいのに心の底から喜んでる感じじゃない。あんなに最高の瞬間を味わえて幸せなはずなのになんか引っかかることがある。

今考えると多分、私は何もしてない、このチームに貢献できてない、っていう感情があったんだと思う。まぁ言うなら私に出来ることもっとあるはずだろ感。そもそも誰かをサポートする側は初めてで、仕事のできる先輩に言われるままただただ仕事をこなすだけ。主体性のかけらもない。正直自分がア式にいる意味なんて見出せない日々だった(今もはっきり分かってるわけじゃないけど)。

そもそも私は何も分かっていなかった。選手がどれだけの熱量でサッカーやってて、どれだけ負けるのが悔しくて、試合に出てない選手がどんな気持ちで試合を見てるのか。そりゃ個人個人思いは違うし未だに分かんないことばっかではあるけども今は少し分かってるつもり。もちろんつもりってレベル。

試合に負けて悔しくないわけがないのに、ただ選手が気を遣ってくれてるだけなのに、私は選手の言葉を聞いたまんま、行動を見たまんまに理解してた。試合に負けた週の練習、なんか楽しそうにサッカーやっててまぁそれはそれでいいけどなんで悔しくないのかなって思ってた。でも勝った時のあの表情見たら自分アホだなって思った。悔しくないわけなかったんだって。あんなに嬉しそうな顔するんだって。喋って笑いあってる時とはまた違った顔するんだって。


それで私が何が楽しくてやってるかっていうとまぁきっと選手が活躍してるのを見るのが楽しいんだと思う。
自分で出来る仕事が増えて、一人でシフトにも入れるようになって、少し頼ってもらえるようになって、そういうのももちろんとっても嬉しい。でもそれ以上にいろんな表情をするみんなを見ていたい。

今まではただ試合に勝ってほしい、そう思ってた。勝ってほしい、そりゃそうなんだけど、それよりもっと選手自身が自信を持って納得できるプレーだったって言えるプレーをしてほしい、自分は活躍したって胸張って言えるプレーをしてほしいんだって気がついた。その上で勝利がついてきてくれるならこの上ない幸せだと思う。


少し話は変わるけど、最近すごく感じることがある。それは私が知らないところで多くの人が働いてくれてるということだ。恥ずかしい話ではあるが、前までトレーナーの仕事を覚えるのに精一杯で周りが全然見えていなかった。自分はすごく頑張ってる的な自己陶酔に陥ってた気がする。でも仕事に慣れてきたら余裕が生まれてきて周りが少しずつだが見えるようになってきた。私が思ってた当たり前は全然当たり前じゃないし誰かの努力なしには存在し得ない環境だった。

自分のプレーに集中したいはずなのに当たり前のようにリクルートとか映像とか各々のユニットで選手が仕事してて、練習前に道具とか揃えてくれる人がいて、試合の時に朝早くから審判したり運営してくれる人がいて、戦術とか練ったりしてくれるテクがいて。もちろんOBコーチがいるのだって当たり前じゃない。正直挙げだしたらキリがない。

そういう仕事をやってくれてる人がいるからア式は回ってるし、魅力的で高校生からしたら憧れ的な存在になれているのだろう。本当に感謝してる。



ここまで長々と拙劣な文章を書いてしまったけど、要するに言いたいことは自分がここまで誰かのために頑張りたいと思えるとは入部当初思ってなくて、そう思わせてくれるコーチ、先輩、同期がいてくれることが本当に幸せだと感じてるってこと。だからア式全体の利益に繋がることをもっとやりたいし、でもそれだけじゃなくて個人個人とももっと向き合えたらいいなって思ってる。プレー中だけじゃなくて映像見返したりサッカーのことばっか考えてるみんなを簡単だけど正確な言葉で言うと、尊敬してる。だから私に出来ることを最大限やっていこうと思ってます。




あぁなんだか急に美味しいものが食べたくなってきた。
1年 岡本紗羅

2019年10月5日土曜日

1年生だから

この時期に何を書こうか悩んだが、特に外部にも内部にも発信したいことがあるわけでもないので、自分がア式に入部してからの4ヶ月半を振り返ってみようと思う。

と言っても今から書くのは7月の最終週に自分がAに上がってからの話だ。

自分が1年生ということもあり、今後の成長を期待されてということだった。Aに上がった途端、いつもできていたプレーが全くできなくなった。周りのプレスのスピードが速くなり、要求される最低限のレベルが高くなったのは間違いなく一つの原因だ。しかし、それ以外に自分がメンタル的に弱かったのが大きな原因だと感じる。今まで、前を向けていたところでボールロストを恐れてしまい、バックパス。左足の技術に不安があったゆえ、どんな状況でも右足でボールを持つようになった。

この1ヶ月でちょっとした体の向きやポジショニング、プレスについてなど、練習で遼さんに何度も指示を受けた。気づけば自分ばかり指摘されていたが、そのことは上達に直結するから自分なりにプラスに受け止められていた。しかし、その時間で先輩の練習時間を奪ってしまっていることには多少の罪悪感があった。ミスを指摘されるたびに自分のパフォーマンスが悪くなっていくのが分かった。それからはとにかくミスをしないようにとびびってプレーをするようになった。行動も態度も消極的になり、自分の持ち味である思い切ったプレーができなくなった。

育成にいつ落ちてもおかしくなかったし、毎週そのことばかりを気にしていた。自分がうまくなるために、そしてリーグ戦に出場するためには、いつ落ちるかや他人への迷惑を考えることは全く無意味であることはわかっていた。しかしその時の自分にはその思考を変えるのは難しかった。

スタメン争いに食い込めなければAに残ることができないのは当然だ。負けず嫌いという性格もあってか、同期がAに上がり徐々に信頼を勝ち取っていく中、Aにいながらそこに絡めない自分を不甲斐なく思った。
小さいころから自分のサッカーを見てきてくれた父親には部活はどうなんだと毎週のように聞かれる。いい報告ができず、親の期待に応えられない自分を情けなく思ったりもした。


そして後期のリーグ戦が始まって2週目、自分が育成に落ちることを告げられた。悔しかったが、あのパフォーマンスを見ればそれは当然とも言えた。


自分の欠点が浮き彫りになった1ヶ月だったし、その時はサッカーに対する意識を大きく改めなければならないと思った。それなのに育成に落ちてから、自分に対する基準がまた甘くなっている気がする。Aでの練習時には存在したミスに対する不安が薄れてしまっている。これではAに上がった時、同じことを繰り返すのは明らかだ。
Aに上がる時、自分がチームに必要な選手として何ができるようになっていなければいけないか、自分の持ち味は何なのか、これを機にもう一度考え直したい。


実力主義の部活とはいえ、様々な面で多少なりとも学年が関係してくることは当たり前かもしれない。自分がAに上げてもらったのも1年生だからである。しかし「一年生だから」という言葉には絶対に甘えたくない。来年、上手い1年生が何人入ってくるかもわからないし、現時点の序列が今後入れ替わることだって当然ある。
この1年で変わることができなければ、その後の3年間で成長することはないだろう。
危機感を持って、日々の練習をこだわっていきたい。


書けば書くほど悔しい思いがこみ上げてくる。
少し重たくつまらない文章になってしまったが、書いたことには責任を持って今日から行動していきます。

1年生なのに。そう言われる選手に自分はなりたい。

1年  西澤吉平

2019年10月1日火曜日

がめらー

※”がめらー”とは、”がめつい奴”を意味する今年の流行語である。



いや、1年のfeelingsすご過ぎやろ。なんなん。聞かされてないし、こんなん。シンプルに文章長いし、上手いし。焦って書き直しさせてもらって迷惑かけちゃったし。他の1年も同じ気持ちだろうと思うので一応言っときました。


2ヶ月ほど前から僕の主戦場はFWになった。今までのサッカー人生ではあまり経験したことのないポジション。相手ゴールに最も近いポジション。だからやっぱり得点が要求される。サッカーは本当に繊細で、ちょっとのパスミスとかトラップミスとかで試合の流れが変わってくる。でもゴール前はそれが顕著で、流れどころか結果も変えてしまう。もちろん守備でも貢献しないといけない。でもやっぱりFWである限り、自分が点を取るんだっていうガメツさを持ち続けるべきだと思う。最後にそういう所が、数センチ届くか届かないか、クロスに飛び込んで行けるかどうか、ミスしてもパスを要求し続けられるかどうか、そして結果に繋がると思っているから。下手くそな自分が今、他のみんなを超えることができるとしたらそれぐらいだと思うから。今はね。
だから、得点に、チームの勝利に生粋のがめらーでありたい。


まぁそれでもシンプルに足元の技術まじでないし、ガリガリやし、全てにおいて基準を上げなければ、チームに必要不可欠な選手にはなれないから着実にレベルアップしていきたい。



僕には感動系のバモなfeelingsは書けないと割り切って、ここで突然ですが、1年生紹介をしたいと思います。今回はplayer編で。


1.石丸
 単身で世界一周なう。のツワモノ。今はインドにいるとの情報も。1年間休学という形になるので、俺と一緒に5年間の東京大学ライフを楽しめそうだ。
2.れお
 がめらー。38歳らしい。口癖は「今日はどの先輩にしよっかなー」「じんごー、飯行こー」「よしくん、飯行こー」
3.まさし
 武蔵のまさし。たかとしと織りなす、甲高いので有名な”武蔵笑い”のハーモニーはシンプルにうるさい。サッカーも女の子との関わりもアグレッシブさに定評がある。
4.内田・ベンジャミン・龍吾
 189.9cm。5歳らしい。癖は多少あるかもしれないが、心優しいgood guy なので是非いい彼女に恵まれてほしい。
5.大矢
 れおと付き合ってるという説と、俺と付き合ってるという説がある。wow。この1年紹介をすることを話すと、良いこと書いてくれって言ってきたのでこの辺にしとく。ちなみにこういう人のことをがめらーと言う。
6.おが
 顎が長い。悪口ぽいので今の無しで。部室近辺に引っ越して来たのでこれから溜まり場になること間違い無し!よろしく!
7.けいご
 浮名の絶えないモテ男?と言ったら聞こえが良いな。身体全身から溢れ出す自信がトレードマーク。特技は女の子との電話。
8.小泉
 お前も仲間だぞ小泉。これはあまり知られていないが、小泉とれおにも両想い説がある。石丸のことを”イシ”と呼ぶのは彼だけである。
9.スギ
 ワンピース好きスギ。顔がでかいといじってほしいらしい。big faceチャントは彼に継いでもらいたい。五月祭ではサータアンダギーを売っていた。
10.きっぺい
 言わずと知れたbaby face。高校の文化祭の期間にはモテモテだったらしい。肌を焼くのが趣味?
11.野中
 スタイルが良い。賢い。おしゃれ。勉強もサッカーもできてかっこいい。などとクラスに高評価されてニヤニヤしてる変態。しょーみせこい。
12.まつ
 麗央、ティティ、優花と共にア式1年最低身長カルテットを形成するが、俺の方が体重は軽い。夏にはいつもミニうちわを持っている。
13.真鍋
 6年間全寮制の男子校で育てられたバケモン。まだ誰も彼の全貌を明かしてはいないが、笑い方がエグいことだけは確か。
14.とう
 touスマイルには皆が癒される。とうの嫌いなものは、けいごが気持ち良さそうに話す武勇伝。




来年3月31日までに体重70キロになります。
1年 久野健太

2019年9月28日土曜日

自己紹介

「初めまして。田所です。ア式でフィジカルコーチっていう役職をやってます。」

大学に入学してから自己紹介をしなければならない場面が多くあり、何度もこのセリフを言った。その度に決まって返ってくるのが、


「何で選手じゃなくてフィジカルコーチ?」


という質問だ。
この疑問は生じて当然のものだと思うが、真面目に答えようとすると話が長くなり過ぎてしまい、初対面としては不適切なやり取りになってしまうので、普段は適当に流すことにしている。
初めてのfeelingsでは、僕のサッカーとの関わりを振り返りつつ、この質問に真面目に答えてみようと思う。



僕は小2から高26月までは選手としてサッカーをしていた。僕が所属していた高校サッカー部の引退時期は高35月のインハイ予選後か11月の選手権予選後のどちらかだった。それに比べると僕の引退はチームメイトと比べて約1年早かったことになる。

サッカーを辞めるきっかけとなったのは高11月から高26月までの半年間、怪我など色々なことが重なってまともにサッカーができなかったことだった。半年間もサッカーをしないでいると身体はありえないほど重くなった。また、怪我をする以前はかなりの量の走り込みをしていたこともあって体力を戻すには相当の努力が必要だった。サッカーに命を懸けていた中学までの自分ならがむしゃらに練習を続け体力を取り戻していたのだろうが、高2の自分はがむしゃらにはなれなかった。


僕は高1の時点で東大を受験することを決めており、サッカーができなかった半年間もかなりの時間を勉強に割いていた。しかし、半年間猛勉強をした割に成績はそれほど伸びなかった。今でこそ成績の伸びなんてものはコツコツと努力を積み重ねた後に急激に起こるということは理解しているが、当時の自分はそんなことを考えもしなかった。とにかく勉強時間を減らすのが怖くて、自分の体に鞭を打ってサッカーに向き合う余裕などなかった。


そんな訳でチームメイトや顧問の先生に引き止められつつも、高26月でサッカーから離れることを決意し、受験勉強に専念した。サッカーを辞めてからは、下手なことをしていてはチームメイトに申し訳ないという気持ちもあり、狂ったように勉強をした。高2にして学外で毎日7時間は勉強していたと思う。これほど勉強していると流石に成績は徐々に伸びていき、東大に入ってからの道を考えるようになった。理学部、工学部、経済学部など色々な可能性を考え、それぞれの分野の本を読んでみたりもしたが、結局どれにも興味が持てず、しばらくは東大志望者に多い「とりあえず東大」というスタンスになっていた。


そんな僕に大きな影響を与えたのは、受験期真っ最中に開催されたロシアW杯の日本対ベルギーの試合だ。クルトワでさえ止められなかった原口、乾のゴール。川島の頭上を越えるボール。フェライニのヘッド。デ・ブライネの爆速スプリントからの完璧なカウンター。すべてが僕の記憶に残っている。試合を観た後であんなに余韻に浸っていたのは初めてだった。試合後は勉強に戻るつもりだったが全く手に付かなかった。それまではただ自分がプレーして勝ちを目指してきただけだったサッカーに、こんなにも観る人の心を惹きつける力があるのかと驚くと同時に、自分も観る人を感動させられるようなサッカーチームの一員になりたいと強く思うようになった。その時すでに東大の教養学部にスポーツ科学を学べるコースがあることは知っていたので、僕の中で東大入学後の進路はそこで確定した。


その後も勉強を続け無事東大に合格できた。合格発表の2日後、通っていた予備校の合格祝賀会でサングラスをかけた怪しい予備校講師と写真を撮ってもらおうと待機していた列で槇さんと春歌さんに声をかけられた。その時点では、サッカーサークルで軽くボールを蹴りつつスポーツ科学を勉強していけばいいかな程度に思っていたのだが、槇さんの熱烈な勧誘に心を動かされ、ア式のプレイヤーとしての入部を検討するようになった。

再びア式の先輩方と顔を合わせたのはテント列だったと思う。人の誘いを強引に断ることが得意でない僕は、運動会の部活のほぼ全てのテントに引きずり込まれた。もちろんア式のテントには自分から入って色々話を聞いたが、テント列ではラグビー部との出会いの方が大きかった。ラグビー部では男子スタッフの勧誘に力を入れていて、特にS&Cコーチという主に筋トレを管理するコーチに関してはプロのコーチを雇っていることもあって、S&Cの勉強するにはうってつけの環境だということだった。ラグビー部には3年生に1人学生S&Cコーチの方がいて、その方と一緒に勉強していけるというのもラグビー部に入るメリットとして大きかった。それまでは漠然とスポーツ科学を勉強するということしか考えていなかったが、サッカーチームに関わるという目標を達成するには、学問的に議論しやすそうなフィジカルという分野から入っていくのが一番可能性があるのではないかと考えるようになった。元々は無理矢理引きずり込まれたラグビー部のテントだったが、気付けばラグビー部もア式と同じくらい有力な選択肢となっていた。

テント列の後、ア式の練習にプレイヤーとして参加したが、正直気持ちはS&Cコーチの方に動いていた。練習に参加した後、分かっていたことではあるが体が動かないということを自分自身への言い訳にしてア式のプレイヤーという選択肢を消し、そこからはア式でフィジカルコーチをやらせてもらうかラグビー部のS&Cコーチをやるかの二択で迷うようになった。ア式は選手とマネージャーがフィジカル班として兼任でやっているので、専門のコーチを立ててやっているラグビー部とは正直質が違う。(競技の特性も間違いなく関与はしている)
純粋にフィジカルトレーニングを学ぶ環境としては明らかにラグビー部が優れている。ア式でフィジカルコーチという仕事をするなら自ら仕事を考え、作り出していかなければならない。また、最終的な目標であるサッカーチームに所属するということを考えた時に、ラグビー部で大学四年間を過ごすことは悪影響を与えるのではないかという考えも同時にあった。

この分かり易い二択で迷い続け、どちらかの部活の練習に行く度にそちらの部活の方に気持ちが寄っていくという現象を繰り返した。ア式の入部式は428日だったのでそこを自分の中での期限に定めたが、結局ア式への入部を決意したのは427日の18時半だった。最終的な決め手は自分でも分からない。単にラグビーよりサッカーが好きだったということなのかもしれないし、前例がないことをやるということにカッコ良さを感じたからなのかもしれない。とにかく槇さんに入部しますとLINEを送った時の解放感は凄まじかった。大体の新入生はどれがやっていて楽しいかという基準で部活やサークルを選び、時に悩むこもあるのだろうが、僕の場合は将来に関わる選択だった(と思っている)ので、かなり疲れた。ただ、この1ヶ月のお陰で自分の将来を深く考えることができたので、ア式にもラグビー部にもめちゃくちゃ感謝してます。ありがとうございました。


最後少し話が逸れたが、これが冒頭の質問への自分なりの答えだ。やはり初対面で答えるにはあまりにも長過ぎる。



長々と書いたついでにア式に入ってからのことも少し書いて初めてのfeelingsを締めたいと思う。

ア式に入ってから最も変化したのはは間違いなくサッカー観だ。入部したての練習後に遼さんが話しかけてくれて、戦術的ピリオダイゼーションの概念やサッカーと複雑系科学、認知科学の関わりなどを軽く教えてくれた。それはほんの表層に触れただけではあるが、自分の中には全くなかったサッカーの見方であり、学問的にサッカーを考える術はいくらでもあるのではないかと思うようになった。元々フィジカルという分野を選んだのが、サッカーに学問的視点を持ち込むのが簡単そうだったからという単純かつ今思えば馬鹿げた理由であった以上、フィジカルという分野に固執するつもりはない。今はもっと色々な角度からサッカーを見れるようになりたいと思っている。

だから、とにかく今はサッカーを包括的に勉強したい。その中で自分にとって最適なサッカーとの関わり方を見つけ、サッカーを仕事にできれば最高だ。ア式への関わり方も、フィジカル班だけではなく、色々あるだろう。とりあえず今は学生コーチとして指導ができるように戦術やコーチングの勉強を始めたが、この先どうなっていくかは自分でも分からない。


今のところア式での役職名はフィジカルコーチになるのだろうが、自己紹介の時はもっと色々勉強してます感を出すためにスタッフとだけ言うようにしようかな。


1年スタッフ  田所剛之

2019年9月25日水曜日

社会復帰

feelings担当のお知らせです。までによろしくお願いします。」

 

 今年もfeelingsの番が回って来てしまった。

 

 自分もどうせ書くなら周りの人が感動するような文章を書いてみたい
 だけど、今の自分サッカー面でも部の業務でも特別な働きをしているとは言い難い
 それどころかFacebook投稿忘れたり審判の資格更新し忘れて資格ったりと色々と迷惑をかけている

 そして只今絶賛feelings滞納中である

 本当に皆さん申し訳ありません

 
 そんな人が書いた文章説得力を持つはずもない


 ところで皆さんはこれまでの人生宿題はやって来ましたか?
 学生にとって宿題はとても身近なもので毎日の授業で出るものから、長期休みに出る自由研究や習字なんてものまであるかもしれない
 けれどそんな多種多様な宿題でも共通しているものがある

 それは期限
 
  「期限」を守らなければ怒られる単位がとれないなど様々な罰則があるはずだ。だからもしゲームがしたくても苦手な教科の宿題だとしても期限までに終わらせなければならない

 そんな風にしてたとえやりたくないことだとしても他に魅力的なことがあったとしても、期限守ることは当たり前なっていくのかもしれない
 しかし、自分の中高生時代を振り返ってみると「期限というもの意識してきた事がほとんど無かった気がする
 なぜなら自分の出身校では出さないといけない宿題なんて無かったし授業に遅刻しても大した問題は無かった
 そうして自覚内にやりたくないことからそして期限から逃げるようになっていったのかもしれない
 そしてその結果自分をとても苦しめているのが期限実際自分がやらかしている事は上に挙げたように期限に絡むものが多い。
(だからといって、自分のだらしなさを宿題とか学校のせいにするつもりはありませんが。)
 

 大学に入って自分が周りと比べてルーズな人間だと気付いたのはそんな風に色々とやらかしただった、、、
 信頼を築くには時間がかかっても失う時は一瞬、とはよく言うが本当にその通りで、これから信頼を取り戻すのは至難の技だろう。
 だが、このままでア式生活を終わるつもりはない。
 卒部という「期限」までには、人として、そしてサッカー選手して説得力のあるfeelingsを書けるようになろう。


    そうすれば、「早くfeelings回ってこないかな」なんて考えられるようになるかもしれない。



まずはスケジュール帳買います
2年 宮坂仁悟

2019年9月22日日曜日

恵まれた環境

自分が今まで20年近く生きてきた環境はとても恵まれたものだったと思う。もう死ぬみたいだけど、そう思う。東大を目指す機会があるだけでも良い環境で生きてきた証拠だと感じる。ただこのfeelingsを書くにあたって思ったのは、自分がサッカーをしてきた環境、そして今している環境も恵まれているということだ。


小学生の頃に入っていたのは地元のボランティアクラブで決して大きなチームではなかったけど、ちゃんと怒ってくれるコーチ達に囲まれてサッカーが上手くなれた。中学も地元のごく普通な部活でサッカーをしていた。放課後の練習メニューは自分たちで考えるような部活で物足りなさを感じることも多かったけど、自由にやれる楽しさはあったし地元の小学校を使えばいつでもサッカーができた。高校に入るとグラウンドが人工芝になり、練習メニューを決める監督はもちろん、キーパーコーチやトレーナーもいる部活でサッカーができるようになった。キツいことも多かったけど同期の仲間に恵まれて3年間乗り越えられたし、卒業した今では自分たちが成長するための環境を監督やコーチが用意してくれたように思う。


そして今年、晴れて大学生になった。浪人を経た自分は、再び素晴らしい環境でサッカー人生を送れるようになったのである。合格発表後の3月か4月にこのア式の練習に参加した時は正直びっくりした。あんなにきれいな部室や人工芝のグラウンドがあるとは思わなかった。特に驚いたのは、今でも慣れないカタパルトだ。プロが着ける高いやつという噂を高校の時に聞いていたから、初めてその話を聞いた時は「すげー」と思った。高校の時よりも良い施設なんて期待していなかったので嬉しかった。


ア式で恵まれていたのは施設だけではない。高校では1年生がやっていた仕事をほとんどマネージャーがやってくれる。球拾いもボトルの水の入れ替えも。メンバーは学年に関係なく会場設営とかをしなくていい。そしてもう仕事のミスで走らされることはない。さらにテクニカルスタッフまでいる。高校でも試合のビデオを撮ることはあったけど、練習から撮ってくれるなんて初めてだ。こういう話を高校同期にしたら、きっとみんな「いいなー」と言うはず。

そして、自分がミスした時はその間違いを教えてくれるコーチや先輩がいる。カテゴリーが上がって自分が足引っ張ってるなと感じていた時も、自分のせいでリーグ戦負けた時も、自分がやりやすいように声をかけてくれた先輩たちがいる。

先輩たちの話を聞いて、自分たちが入るまでにいろいろなことがあって今のア式の環境があることを知った。

恵まれた環境にいても、それに慣れるとそのありがたさを忘れてしまう。進学する大学によっては続けなかったかもしれないサッカーを、今再び素晴らしい環境でできているのは幸せなことだ。今のア式の恵まれた環境を保つために、自分ができる事をやっていきたい。

リーグ戦の終わりが近づくとともに、4年生とサッカーができる時間も少なくなっていく。実感は無いけどあと1ヶ月だ。結果を出していない中こういう所で頑張りますと言うのはダサいけど、リーグ戦残り数試合頑張ります。



1年 杉山

2019年9月19日木曜日

ちょっとした気づき

正式入部から4ヶ月。
わずか4ヶ月といえばその通りだが、この4ヶ月、私はあることに関してずっとどこかでモヤモヤしていたように思う。

単刀直入に言うと、そのあることとは部活を続けるかどうかということ。


本気でやめようと考えたわけではないが、このまま続けていいのかどうかがわからなかった。
でもそれは他に興味があるものができたからでもないし、部活自体が嫌になったからでもない。
同期も先輩もすっごく好きだし、あの女子オリの日に、私を勧誘してくれたア式女子の先輩たちに出会えて本当によかったと思ってる。


ただ、今までやってきたスポーツとはかけ離れすぎていたためか、サッカーが少し嫌になったから。


その原因は主に2つあるように思う。


1つ目は、自分が積極的にプレーできないということ。

元々球技が苦手なためか、ボールコントロールができない。
チームスポーツをやったことがないからか、ポジショニングもわからない。
足の速さには自信がある方だが、それが活かせているわけでもない。

そんなこんなでプレー中私が考えることといえば、
ミスをしないこと、
先輩や同期のプレーを邪魔しないこと、
部員に迷惑をかけないプレーをすること、
それぐらいだった。


この流れからお察しの通り、
私は消極的にプレーすることしかできなかった。
自分がフリーの時も、何もできない気がしてボールを呼ぶことができなかった。
そんな無力な自分が嫌になって、サッカーを続ける意味がわからなくなった時もあった。


2つ目の原因も1つ目と関連している。

これは正直今でも克服はできていない(部活はやめないのでご心配なく!)。

その原因とは、

声出しができない

ということ。


いや、もちろん出そうと思えば声は出せる。
出すのが恥ずかしいとかそういうのではない。

ナイディとか、ナイキーとか、ナイスシュートとかそういうことは言える。
誰かを褒めるのにためらうことは何もない。

でも、そうじゃなくて、
戦術のこととか、
自分がボールを呼ぶとか、
そういうことになると自信を持って声出しができない。
言ってることが正しい気がしないというのが大きいが、それで次のプレーを失敗させたくない、と失敗を恐れての気持ちが大きかったように思う。



とこんな風に思っていたが、
実は夏休みに入って、私の意識が少し変わった。



まず1つ目の積極的にプレーできないということについて。

きっかけはコーチの藤岡さん含め、先輩方も自分の失敗を受け入れてくれてるように感じたから、そして何よりも下手なりにチャレンジしなければ成長できないと思ったから。

それにア式には、下手な私でも挑戦する環境が整っている。先輩たちも、合同で活動している文京LBレディースの部員たちも、たくさんアドバイスをしてくれる。サッカー経験の浅い私にとってはそれが何よりもありがたい。


正直言ってサッカーを10年やってきた相手と4ヶ月の私が勝負になるとは到底思えない。

でもその中でも、
20回中1回でも1対1を成功できたら、
10回中1回でも相手を止められたら、
5回中1回でも自分の思い通りのパスを出せたら、
初めのうちはそれで良いんじゃないかなと思ってきた。
そう思うと、積極的にプレーできる気がする。


次に、声が出せないということについて。

これのきっかけは、声を出さないことで一番困るのはチームメイトである味方だということにやっと気付いたから。

それに、実際にそこで次のプレーを判断するのは自分ではない。もしその人が自分にパスを出すのが良いと思えばそうするだろうし、そうじゃないと思えばきっと違う人にパスを出すだろう。
だから、その通りにならなくても声を出して言ってみる価値はある気がする。
そう思うと、声も出せる気がする。



とはいえ、この二つのことは今でも私にとっては課題である。
でも、これからはもっと前向きに、ポジティブに、サッカーに取り組みたい。
もっと幅のあるプレーができるようになりたい。
下手なりに、積極的に食らいついていきたい。


だから、先日開幕した関東大学女子サッカーリーグの個人目標は、


「ハングリー精神で1点を取る」




言ったからには有言実行
女子部1年 石田ちひろ

2019年9月12日木曜日

深呼吸

昨年の102日、僕は左足首を骨折しました。
脱臼骨折という関節が脱臼した衝撃で腓骨(外くるぶし)が折れる、手術が必要な程の大怪我でした。

怪我をした日から約1週間後の1010日に手術が行われ、骨片を二本のボルトで固定、更に靭帯も二本損傷していたため、片方は縫合、もう一方は靭帯が繋いでいる骨にボルトを渡して固定しました。
手術後約1ヶ月くらいは本当に辛かったです。

足は痛いし、むくむし、手は松葉杖のせいで豆だらけ、移動が大変で大学の授業にすら行けない。
ラインで流れてくる練習のログを読む度に悔しさとか情けなさとか色んな負の感情が込み上げてきて苦しかった。

でもまたサッカーがしたかったから、その気持ちを糧に耐えることができたし、ギブスが外れた12月の頭からの約3ヶ月半のリハビリも乗り越えることができた。
手術の影響で足首の硬さは完全には取れなかったけど、ほぼ元どおりにプレーできるようにまで戻って前期リーグ戦を迎えられた。・・・



ここまでは「プレー出来ない程の怪我をした時」の話。正直言ってこれくらいの大きな怪我だとプレーしないで治療に専念すればいいので対処が簡単である。

ここからは「プレー出来るくらいの怪我をした時」の話をしようと思う。
この場合の怪我は軽い打撲や捻挫が当てはまり、まぁ痛いけどプレー出来ない程ではないという感じ。難しいのは、自分の目標や欲求のためにとるべき正しい行動が時期によって変わってくることである。

僕は今年の京大戦で左足首の内側を捻挫した。
怪我直後は割と腫れてかなり痛かったけど、34日でかなり回復したので、京大戦の次の週の木曜日に復帰した。
今思えばこの判断が良くなかったように思う。


正直焦っていた。前期リーグ戦の途中で、それまでFWで三番手だった大池さんがスタメンで起用されるようになり、僕はそのまま三番手に落ちた。そして京大戦で初めてメンバー外になってしまった。その京大戦で怪我してしまったわけだからタイミングは最悪。早く追いつかなきゃいけないのに。
でも焦る一方で左足の調子はそこから一向に良くならなかった。今回痛めた靭帯というのが前述の手術で縫合した靭帯のようで、もともと弱っていたためなかなか痛みが引かず、足首もより硬くなったと思う。焦らずにもう12週間復帰を遅らせていれば状況は好転していたかもしれない。
結果として気持ちと身体にギャップが生まれ、思うようにプレー出来ない苛立ちが募って悪循環に入ってしまった。


本当に情けないけど、このままパフォーマンスが上がらなければチームに良い影響なんて与えられないし、逆に迷惑をかけてしまうと思う。
一回DLに入って頭と身体をリセットしてきます。
それが今の「正しい行動」だと思うから。



ちなみに骨折は両手両足経験してます
2 松山樹立

2019.3.13-7.22

ついに2回目のfeelingsが回ってきた

と言っても自分の場合は実質1回目か、なんて思いながら何を書こうかとみんなのfeelingsを見ていたら秀樹がfeelingsの意味についてこんなことを書いていた。

" #feelingsの意味

疑問に思ったことのある人はそれなりにいると思う。

部外への発信、部内の仲間への発信。過去のfeelingsでそう答えている人もいる。至極その通り。

ただ、この夏休み序盤という時期に回ってきたのは、feelingsの意味の1つに、自分と向き合う時間を作ること、ってのがあるんじゃないかということ。 "

確かになぁなんて思いつつ自分がア式に入ってから何をしてきたのかなと軽く振り返ってみたら、わかってはいたけどやっぱり怪我ばっかしたなと。

ということで、今回のfeelingsでは離脱中の過ごし方について書いてみようと思う。
(今後離脱する人に少しでも参考になればいいかなぁ)


まず自分のア式に入ってからの離脱遍歴を軽く書いておくと
1年の5月に右脛骨剥離骨折、11月に右足首捻挫、3月に左後十字靭帯(pcl)損傷、2年の7月に右膝捻挫
というわけでア式に入ってからの16ヶ月のうち合計6ヶ月くらい離脱してたらしい。ヤバイな
今回はpcl損傷での離脱中の過ごし方を振り返ってみようと思う。


まず怪我した直後
遠征中ということもあり、設備の整ってない病院に診てもらうしかなくて「ただの疲労じゃない?」なんて医者に言われたこともありそんなに重い怪我だとは思ってなかった。しかし、帰ってきてからかかりつけの病院でいきなりpclの損傷だと言われた。そして3ヶ月固定器具をつけて完全に直すか、強引に靭帯が損傷したままプレーするかをその場で選択することを強いられた。冷静を装ってこれからのプレー期間を考えて完全に直したいですとは言ったものの、正直かなり傷心状態だった。こうして3ヶ月の固定+1ヶ月のリハビリの計4ヶ月の離脱生活が始まった。


遠征後初めての練習ではみんなから怪我について復帰はどれくらい先かなど色々聞かれたが、自分は「最低でも3ヶ月っすね」なんて明るく答えていた。よくそんなに笑って返せるななんて心配してくれた人もいたが明るくならないとやってらんなかった。遠征に行く前に大和さんとの面談で自分のア式での立ち位置や課題、目標なんかをはっきりさせた直後の怪我だったこともあって凹んでないわけなかったけれど。

ただDL生活もそれほど悪いものではなかった。というのも、当時のDLには自分以外にも長期離脱者が何人かいて1ヶ月半近くほぼ同じメンツでDLメニューをこなしていた。DLをやりながら合間に色んな雑談や時にはブラックトークをして楽しみながら過ごせていたと思う。また、DLは終わり次第解散なのでたまにDL後に高校同期などと会ったりしてア式以外の部分でも楽しめていたと思う。


一般的に「怪我での離脱=悪」という認識がなされているが、自分は必ずしもそうではないと思う。確かに怪我して練習できない分、周りとの差が開いていってしまうし、サッカーが上手くなりたいならその分練習しなければいけないのは真理だと思う。ただ、サッカーの競技性を考慮すると怪我は起こってしまうものだということもまた真だと思うし、そこでその怪我をどう乗り越えるかが重要だと思う。自分の場合はかかりつけの病院に人工芝のフットサルコートがあり、そこで身体の使い方など細かいところまでチェックしてもらった。サッカーに限らずスポーツが得意な人は身体の使い方が上手い人だというのなら、逆に基礎的な動作がうまくできてない人はプレーに安定感がなく、身体に無理が出やすい。つまり、怪我してプレーから離れている間に基礎的な動作を改善させれば自然と復帰後のプレーが良くなるという意味では離脱期間も上手くなる布石になりうる。そのため、怪我して離脱する期間はただ休んで下手になる期間と考えるのではなく、自分の身体を見つめ直して改善する期間と捉えることが重要だと思う。

ただ、それでも4ヶ月の離脱は長すぎた。4月の末に1年生が入って育成も試合で勝利することが珍しくなくなってもその勝利を素直に喜べない自分がいた。当然プレーできない自分に焦っていたし、育成がチームとしてまとまりつつある中で、自分はいつもグラウンドの端で筋トレをしているだけだったから疎外感のようなものも感じていた。ただそれでも焦ったところでどうこうなるものでもないという諦めもあったし、育成の皆から早く復帰してくれよなんて言われたことは普通に嬉しかった。なんだかんだで4ヶ月の離脱期間1日も休まずにDLを続けられたことに自分でびっくりしたけど、やっぱ自分ってサッカー好きなんだなとも感じた。


というわけで自分の4ヶ月の離脱期間に考えてたことなど書いてきたけれど、たぶんこれからも自分のプレースタイル的にも怪我しちゃうんだろうなぁというのが今のfeelings。


二年 松本 岳

2019年9月9日月曜日

テクニカルとして(仮タイトル:9/4 vs東経@武蔵村山 天候曇りときどき雨)

さあfeelingsだ。他の1年が「マジで書くことない」とか言ってる中で、自分は逆に3つくらいテーマが思い浮かんだ。その話を友人にしたら「とりあえず見てやるから3つ書いてこい。新聞読むコンクールで受賞したことあるから。」と言われた。鬼畜である。

何故そんなにテーマが思いつくかと考えれば自分の割と特殊な環境にあるだろう。まず武蔵のことで書けてしまう。次に「ア式には絶対入らない」と言い張っていた自分がテクという形で入部に至った経緯でも書ける。タイトルは『僕がア式に入った理由』なんてどうだろうか…



と、本当はこの少しふざけた導入から、少し精神論みたいなことを書こうと思っていた。というか書き始めていた。しかしそれは全部消して、全く違うことを新しく書いていく。よりfeelingsにふさわしいテーマだと思う。



9/4のリーグ戦第12節、東京経済大学戦。自分が初めてスカウティングを担当した試合だった。井上さんや稲田さんに全面的に手伝ってもらいながら、なんとかスカウティングミーティングまでは終わらせた。

結果から言えば、「基本的には」スカウティングは間違っていなかったと思う。ストロングとウィーク、戦術、個人分析。事実、前半まではア式のペースで、相手のやり方もほぼ想定通りだった。しかし、後半になって流れは完全に変わってしまった。3失点を喫し逆転負け。


悔しかった。腹立たしかった。初めてベンチから聞いた応援の声はやっぱり大きかったけど、試合終盤は虚しくさえ聞こえた。試合中のこちらを揶揄するような東経の声と、試合終了後の歓声。対照的なア式のベンチと選手たち。内倉さんは切り替えろと言ったが自分はまだ切り替えられていない。雰囲気は最悪だった。試合後に再び降りだした雨は、偶然とはいえ流石に状況と合いすぎていた。

とにかく、悔しい。今までのリーグ戦で負けた時も悔しかったけど、それとは全く比べ物にならない悔しさ。今までは、どこかに無力感があった。まるでガンバが負けた時のような、どうしようもない悔しさだった。しかもすぐ切り替えられたということは、「まあ次がある。次は勝ってくれるだろう」という思いがどこかにあったんだろう。今回は違う。いよいよ降格が迫ってきた中での大事な3連戦、そして自分のこの2週間ほどの成果が出る試合だったからだ。


自分には、何ができたのだろうか。この悔しさはどこにぶつければいいのだろうか。


他に弱点はなかったのか?7番を警戒すべきだということをもっと強調すべきだったか?キーパーが上手いことをもっと言うべきだったか?後半のやり方は予想できなかったか?フォーメーションを戻した時にどこを狙えて、どこが危なくなるかについて考えるべきだったか?もっと何試合も見るべきだったんじゃないのか?スカウティングは本当に充分だったのか?ミーティングでの伝え方は正しかったのか?井上さんや稲田さんがやっていたらもっと良い結果が出たんじゃないのか?


多分この答えはすぐには分からないだろう。自分はまだ1回目だし、回数を重ねることで少しずつ分かっていくのかもしれない。幸せなことに、こうして1年のうちからスカウティングを任せてもらっている。だから成長するチャンスと時間はたっぷりある。そしてこの悔しさは、次以降のスカウティングで晴らすしかない。



「自分の力でチームを勝たせる」
こんな力はテクにはない。チームを勝たせるのはあくまで選手たちだ。自分たちスタッフは選手たちに喜びを味わわせてもらうしかない。でも、せめて少しでも選手たちがやりやすいように、そして少しでも勝利に貢献できるように。


今回の悔しさで、自分がア式の一員だということを再認識できた。というよりも、ようやくア式の一員になれたのかもしれない。他の人たちからどう思われてるかは知らないけど、少なくとも自分ではそう思っている。


リーグ戦は続く。次のスカウティングもすぐだ。4年生のことを考えると少し焦ってしまう。槇さんや白藤さんたちの力になりたいし、井上さんに迷惑をかけたくない。でも、一歩ずつ、地道にやっていくしかない。3年後に、誰よりも信頼される、いちばんのテクになれるように。




冒頭の鬼畜友人には褒められました
1年 髙橋俊哉

2019年9月5日木曜日

いつか自分が

「今週から育成に行ってもらう」

そう連絡をもらった時、悔しさよりもとうとう来たかという気持ちだった。
自分に何が足りなかったのか?
足元の技術、ポジショニング、準備の悪さ…
考えているうちに、あの時のことを思い出した。足りなかったのはテクニカルなことだけではない。


今年2月のスタートアップ合宿初日。2年生全員が集められてミーティングが行われた。幹部から言われた内容は耳が痛いものだった。
「この代は(染谷を除いて)戦力になる選手がいない、リーダーシップを発揮できる選手もいない。みんな殻に閉じこもっていて主張をしない、まともにコミュニケーションもとろうとしない、そういうところが情けないし、同じ部員として恥ずかしい。このままだとア式はお前らの代で終わる。」

言われた時の衝撃は本当に大きかった。自分を変えないと。そう思った。でも、自分を変える勇気はなかなか持てなかった。リーダーシップなんかとれる立場にない、と背負うべき責任から逃げてきた。

今なんとかしないと。
このカテゴリー変更を自分の殻を破る好機にしよう。

自分が育成を引っ張る。

そういう気持ちで練習に臨んだ。
しかし、いざとなると何をすべきかわからないし、気持ちが焦ってプレーも落ち着かない。やっぱり自分が理解していること、できることでないと、うまく発信できない。

そこで、まずは戦術理解を高めることを意識した。チームとしてどうビルドアップすべきか・どうプレスをかけるべきかを、相手のフォーメーションに応じて考えるようになった。相手が4-4-2なら?5-2-3なら?とフォーメーションごとに自分なりの解を持てるようにした。

次に、週末の試合の相手のフォーメーションを調べて、チームで共有するようにした。「今週の相手は恐らく4-4-2だから、プレスのとき、相手右CBがボールを持っていたら、うちのワントップは…」みたいなことを試合の数日前から何人かで話し、試合のイメージトレーニングをしておく。そうすると、試合中に何をすべきかがある程度整理されるので、指示の声も出せるようになったし、何よりも自分がプレーしやすくなった。

でも本当にまだまだ。


育成に来て2ヶ月以上が経ち、良い意味でも悪い意味でも環境に慣れてきてしまっている。自分の中で少し意識が変わったことは良かったけれど、客観的に振り返ってみれば𠮷岡や新屋さんに頼りきっていて、自分はほとんど何もできていなかった。戦術的な面で少し頭の整理ができたから、今度はもっとプレーにフォーカスしてチームに貢献したい。前線からハイプレスかけて、全力でプレスバックして、自分の持ち味を出す。それは最低条件。もっと首を振って周りを見る、ゴール前での精度を上げる。自分の課題をつぶすことが、決定力不足といったチームとしての課題を克服することにもつながる。だからこそ、自分のプレーにもっと責任をもつ。


サタデーで上位6チームに入って、プレーオフに進出できるように。
育成を引っ張る選手になれるように。

そしていつか自分が、ア式を引っ張る選手になるために。



もう新屋さんに迷惑をかけない
2年 茶谷晋伍

2019年9月2日月曜日

努力と成功体験

東大ア式蹴球部に入部して4ヶ月、初めてのfeelings

最近ヘッドコーチの遼さんによる拷問のような弄りがさらに激しさを増す一方、普段関わりのないAチームの先輩方は自分について悲しいかなそういうイメージが先行しがちだと思うので、かといって自分から馴れ馴れしく絡みに行けるタイプでもないし、この場を借りて部員やこれを読んでくれるであろう友人などにももっと自分のことを知って貰おう。どういう思いでア式でサッカーをすることを決め、何を考えてサッカーをしているのか。何てのは少し大袈裟だし、言語化するのは難しいけど。。



feelingsの存在を知ったのは合格してからだった。その頃やっていたのは「受験生企画」。合格が決まってからしばらく経っていたが、先輩方と自分を重ね、自分の選手時代、受験生時代を振り返り、押し寄せる喜びに浸っていたことを思い出す。


サッカーはずっと大好きだ。それは今も昔も変わらない。でも思い返せば、心の底からサッカーを楽しめた期間は短かったように思う。母校である(自称)進学校、栄東中学・高等学校はひたすら勉強&勉強の監獄のような学校で(さすが埼玉の北朝鮮と呼ばれるだけはある)、サッカー部は高21月に引退することからもわかるように決して強いとは言えなかった。地区大会の1回戦や2回戦で勝てれば良い方だ。中学生の頃なんかは、''緩く楽しめれば良い''選手と自分のような''勝ちたい''選手の意識の擦り合わせができずとても悩んだし、高2になり主将を任されてからは、練習メニューを作ったり後輩を統率するのに苦心し、中々サッカーに関して自分自身と向き合うことができなかった。でも、高11年間だけは違った。1つ上の代が栄東にとっては奇跡の世代で、練習を重ねていくうちに埼玉のそこらへんの高校には大体勝てるチームになっていた。そこで初めて大好きな先輩方と共に本気でサッカーをして勝つ喜びを知り、心の底からサッカーが楽しいと思った。引退して本格的に受験勉強がスタートしサッカーから離れていると、またあの時の興奮を、アドレナリンを、ボルテージの高まりを感じたいと思うようになった。その先がア式だった。ア式には''最高の環境''が揃っている。ア式を目指そう。またそれが、恩師とも呼べるア式OBの顧問の先生への恩返しでもあった。サッカーを辞めるには早過ぎたし、辞めるなんて選択肢も無かった。



そんな感じで1年浪人こそしたものの、東京大学に合格し、ア式に入部した(合格できたのは栄東と駿台のおかげであり、本当に感謝しています)。浪人時代にワールドカップと勉強の両立ができず病んだのも良い思い出である。だがア式でのファーストインプレッションはというと''皆上手すぎでしょ''。いやでもこれに関してはよくよく考えれば当たり前だった。上手かった先輩方でさえ大学でサッカーを続けている人はほぼいないのに、東大に入ってまでサッカー続けてるんだからそりゃ上手い。わかってはいたものの自分は井の中の蛙だった。けどスタッフ含め部員全員が勝つために全力で走り続けているこの環境は、強豪校出身の選手にとっては当たり前なのかもしれないけどすごく魅力的で、それこそが自分が求めていた''最高の環境''なのだ。とはいえ危惧していた通り体が全く動かない。なんせ2年半近くのブランクがあったし。だからまずは体を戻して鍛えて走れる選手にならないと。

ちょっとは戦えるようになった・・・のか?上のカテゴリーへ上がっていく他の1年を見て焦りを覚えつつも、ただ愚直に11つ出来ないことを出来るようにしていこう。少しでも上へ行きたい。それに必要なものは何かというと、自信だ。挑戦しなければ成長はない。自信は、失敗への恐怖を払拭し、挑戦する勇気を与えてくれる。

「自信は努力と成功体験の積み重ねによって生まれる」

東大受験を通して学んだことだ。努力は得意だ。東大生なんて皆努力が得意なんだろうけど、そこは人がこなすには無理がある量の課題を出してきた栄東で培った愚直の精神を発揮していきたい。



と、ここまでは少しありきたりな感があるので、、自分しか書かなそうなことを書いてみる。


受験生時代はスマホを解約していたが、それ以上にどうしてもやめられないものがあった。PS4FIFAシリーズだ。自分ルール12試合。受験勉強の気晴らし、毎日の楽しみがそれだった。その頃はただのゲームとして楽しんでいた。が・・・?

もう1人のセンターバックからの横パスをダイレクトでアンカーにつける。一見簡単なプレーのように見えるが、集中していなければパスをずらし、相手にボールを奪われピンチを招いてしまう。でもFIFAではどうだろうか?ボールが来る前にボタンを押せば勝手にアンカーにつけてくれる(操作はNEWコントロール派!)。他にも〇ボタンで難しい体勢から正確なクロスを上げてくれるし、R1ボタンでシュートは大抵枠内に飛ぶ。いやちょろすぎでしょ。。。これができたらな。何ならゲームの中ではカゼミーロは(ほとんど)トラップミスをしないし、クロースはちゃんと守備するし、ベンゼマは決定機を外さない。云わばFIFAは仮想現実の世界で、自分が普段出来ないプレーを実現させ、それをピッチの上から俯瞰することができる。ゲームとはいえ意外に自分のプレーの参考にできそう?今は本当にそんな気持ちでコントローラーを握っている。


先輩方良かったら一緒にFIFAやりましょーーー!



最近はドラクエやりがち

1 木下慶悟

2019年8月29日木曜日

ぐちゃぐちゃな感情、ぐちゃぐちゃな文章

人生で何か大きく影響を与えるようなことは結構起こるもんで僕にとってはそれは高31年間だった、ように思う。
feelingsで何を書くか結構悩んだけどこれくらいしかまだ書けないのでお付き合いください。


僕の学校はいわゆる日本で有数の進学校で学年の半分が東大に行くような学校だった。
もちろん運動部よりも文化祭や勉強を優先するような人の方が多かったし、僕のように部活や筋トレだけに打ち込んでいる人は珍しかったように思う。
そして高2まではサッカー部の先輩や後輩、同期に対してなんでもっとサッカーで勝つっていうことにエネルギーを注げないのかと思うこともあった。もっと練習しようと思えばできるのにやらなかったり、筋トレとかもサボったり、自主練誘っても誰ものってくれない。先輩とかを見てても結局負けに対してどこか自分の中で納得してる気がしてなんだかなぁと思っていた。


でも僕の学校では最後の大会とされる春の総体予選でしょうもない負け方をして(というか自分がPK外して負けて)、結局自分も勝利に対して貪欲になれてなかったんじゃないか、周りに対してもっと働きかけることは出来たんじゃないかっていう風に、特に後者のことに関しては後悔だけしか残らないような結果になってしまった。もともと、周りに要求して文句言って変えさせるということがあまり出来なかった人間なので、一応キャプテンを任されてた身としては本当に自分が情けなかった。
だからこそ、勉強や文化祭に重点がおかれている高校で最後の選手権予選まで高3が残って勝って、その上で文化祭や勉強もやりきることが不可能じゃないと示すことは(他の高校の人たちには当たり前のことでも)僕の学校では大きな意味を持つし、それで後輩だったりの考え方が少しでも変わってくれれば、それで周りが少しでも変わればいいとおもった。

そういう意味で選手権予選まで残ったことだったり、1月に校内のマラソン大会に出たりしたことは少なくとも後輩には影響があったと思う。それだけじゃなくて、周りにいい影響を与えられるように努力する、っていうことは僕自身のモチベにもなったし、自分だけ変わるんじゃなくて周りも変えていかないと成功には繋がらなくてその時には色々伝え方も考えなきゃいけないっていうことを僕自身が学べたということも大きかった。要はこれまで自分の成長しか考えてこなかった人が周りに気を配って多少大人になれた、気がしたというのが高3になってからだった。

とは言いつつもやはり精神的に成長できた1番の要因は受験勉強と文化祭を経験したことかもしれない。


部活を引退した後11月の文化祭まで全く勉強せずに遊んでいたわけだが、それまでサッカーしかしてこなかった自分にとって、部活やってないような人たちが休日にどういう風に遊んでるか、どういう風に放課後過ごしているのかっていうのを知っていく過程は単純に新鮮だったし実際楽しかったりもした。
また、そういう人たちの中には、普段はヘラヘラしてるように見えても絶対に譲れないその人の芯みたいなものがあってそれだけに対しては自分の全エネルギーをかけているという人たちが何人かいて、彼らは本当に尊敬できるし、僕もそういう人になりたいと思うようになった。(東大でさえそういう人は中々いないと感じる)
実際、何かに対して驚くような努力を本当に細かいところまでこだわってできる人が文化祭の組織の中心にいたし、組織を引っ張っていた。

もっと驚いたことはそういう人は受験でも成功していることが多かった。
文化祭が終わった後の11月の間、ふわふわしていてそこまで勉強に集中できなかった自分にとって、たまたま誘われて一緒に勉強することになったそういう友人たちと過ごした2ヶ月ちょいは本当に大きなものだったと感じる。勉強するっていうことがどれほど自分の世界の捉え方を広げてくれるかっていうことを痛感した。たとえ受験勉強が学問的には古典的なものであったとしても、過去の学問のパラダイムの変遷みたいなものを知ることで、自分の考えもよりわかりやすく表現し直せるし現代のよくわからない理論を理解するための足がかりにもなる。そういう意味では受験勉強はまあまあ楽しかった。


今思い返すと、勉強に対する意識の変化と尊敬できる友人を間近で見れたことっていうのは高3時代の財産になったと思う。

でも高3のサッカーをやらなかった時期を通じて改めて自分が1番好きなこと、エネルギーを注ぎたいと思えることはサッカーだなっていうのも実感できて、東大に受かった時、ア式に入ろうと思ったのは多分そういう理由だ。このままサッカーから離れたら高校時代負けたままで終わってしまう。もっとサッカーで勝ちたい、単純にそう思った。
31年間は充実していたとはいえ、やはりサッカーで勝てなかったことだけが引っかかっていたし、高校までは言ってしまえばレベルの低いところでやってきた僕にとってより高いレベルでのサッカーはとても魅力的だった。

と随分だらだら書いてしまったがア式に入った経緯はこんな感じだ。



そして今、僕は勝つために必要十分なエネルギーとそのための細かいこだわりをサッカーにかけ続けることができてるだろうか。正直、足りないとしか言いようがない。ある意味では中高6年間を閉鎖的で特殊な環境に身を置いてきた中での弱点が露呈している気もするし、精神的な部分で変われるとしたらそこだと思う。けどそもそもサッカーのどういう部分に質を求めていくべきなのかが全然わかってない。全部直そうとしてキャパオーバーして結局自分のプレーができなくなってしまった。
だから自分が今やるべきことは山積みになっている課題を一個一個整理して一個ずつ解決して着実に階段を登ってくことだ。今はまだ悔しさと情けなさしかないけどそれをエネルギーに変えて勝つっていう最終的な目標につなげたい。
これ以上書いても言ってるだけになりそうだし、自分でも何言いたいのかわからなくなってきたので最後に最近読んだ本から引用して終わります。

「リゾームになり、根にはなるな、断じて種を植えるな!蒔くな、突き刺せ!一にも多数多様にもなるな、多数多様体であれ!線を作れ、決して点を作るな!スピードは点を線に変容させる!速くあれ、たとえその場を動かぬ時でも!幸運線、ヒップの線、脱出線。あなたの裡に将軍を目覚めさせるな!地図を作れ、そして写真も素描も作るな!ピンクパンサーであれ、そしてあなたの愛もまた雀蜂と蘭、猫と狒狒のごとくであるように。」

俺の文章くらい意味わからん。
次のfeelingsは考えをまとめてから書きます。



1年 内田龍吾

2019年8月25日日曜日

6/30 vs横国@御殿下 天候雨ときどき曇り

ついにfeelingsを出さなければならない時がやってきた。受験生のときから読んでいたfeelingsをいざ自分が書く立場になると思うと、なんだか感慨深い。地下鉄も通っていない田舎から出てきた普通の東大生が、公の場に自分の考えを発信するというのは、なんだか気恥ずかしいし、慣れないものだ。しかし、ア式にコミットするために、このタスクはしっかり果たさなければならない。

さあ、何ついて書こうか。高校時代は街クラブでもなかったし、キャプテンなんかもしたことなかった。書くことがすぐ見つけられて、面白い文章を書ける人は本当にすごいなと思う。自分も早くブレイクスルーしたい。

でも、この数ヶ月、サッカーについて学ぶことはとても多かったし、自分も今まで以上にサッカーに向き合えているなとも思う。だから、その中で感じたことを書いておけば、割と深イイ話になるんじゃね?という安直な考えの下、書き進めて行こうと思う。
ていうか、それがfeelingsってもんか。


まず前期リーグ期間中、自分はベンチにも入ることはできなかったし、入れるような選手でもなかったと思う。次に育成に落ちるのは自分かもなという不安を感じていたのも事実だ。

けれど
も、その中で自分にとって転機のようなものがあったように感じる。入部数ヶ月の若造が言うようなことではないと思うし、これから先もまだ転機はあると思うが、そこは我慢して聞いていただきたい。

転機やターニングポイントというとなんだか、自分にとってとても良いことがあって、それをきっかけとして、自分の調子が上がっていくというようなイメージを持ちがちだが、自分にとってのこの転機は、思い出したくもない最悪の出来事だ。


それは6月30日、御殿下での横浜国立大学との練習試合だ。雨が降ったり止んだりしていた。自分はアンカーで出場した。試合が始まっても思うようにプレーができない。チームの悪い流れも続く。まぁ今の東大のサッカーをする上で、チームの流れが悪い時というのは、アンカーの責任が大きい。自分でも、もどかしさを感じながらプレーしていたが、解決策が見つからない。何をしてもうまくいかなかった。それに対して、センターバックの遼さんから自分に飛んでくる怒号の嵐。混乱する頭、雨で疲労が溜まる身体。完全に思考と足が止まった。それでも試合は続く。相手のマネージャーから試合残り15分を告げる声。45分がこんなに長く感じた試合は人生で初めてだった。「早く終われ」そう思って試合をしていた。ていうか、それしか考えられなかった。試合結果すらも覚えていない。あんなに自分の無力さを痛感した試合はこれまでなかった。

それまでの育成に落ちるかもという不安は、もう育成に落ちたという確信に変わっていた。

試合後、いろんな先輩が声をかけてくれた。ありがたかったけど、何も考えられないくらい絶望に打ちひしがれていた。結局この試合のビデオは1回も見れていないし、これからも見ることはないだろう。そのくらい最悪の思い出だ。

どうして東大に入ってまで、こんなに怒られて、苦しくサッカーをしなければならないのか。いくらか思考を巡らせた。月曜日の夜、カテゴリー変更のLINEが来て、大和さんから個別のメッセージが来ることまでは覚悟していた。しかし、待てども、待てどもカテゴリー変更のお知らせが来ることはなかった。

なぜか、Aチームに残ったままだった。1年生ということもあって、大目に見てもらえたのかもしれない。とにかく理由は全く分からなかった。でも、運良くAチームに残った以上、必死にサッカーをするしかなかった。今のままではダメだった。なにかというよりも、なにもかも変えなくてはならなかった。

ミスしないようにミスしないようにと逃げ道を探そうとする。そんなことをしてもすぐに遼さんに指摘される。そう、結局逃げ道なんてピッチ上には存在していなかった。結局、サッカーをする以上、目の前のサッカーと向き合おうとしなければならないのだ。

それまで以上に、ポジショニングに気を使い、相手のことをよく見るようになった。その成果は徐々に出た。ボールを奪われる回数が明らかに減った。いつもならバックパスをしていて逃げていたのに、前向きなプレーを選ぶことも増えていった。

サッカーを10年以上しているけれど、自分が「上手くなった」と感じられるようになったのは初めてだ。自分でも不思議な感覚だ。

でも、まだ足りない。早くチームに勝利をもたらせる選手にならなければならない。今はまだ難しい。でも必死にやり続けていくしかない。下手だから、体力がないから、ただただ必死にするしかない。



人っていうのは、意外にも簡単に変わることができるようだ。筋トレを始めた。食生活に気を使うようになったなど。そのきっかけは人それぞれだ。自分にとってはそれがあの最悪な試合の経験だっただけだ。

この先いろんな壁にぶち当たるだろう。もちろん全ての壁に真正面から向き合うのも正解なのかもしれない。ほとんどの人は目の前の壁を乗り越えようとばかりするだろう。でも、時には回り道をした方が近道な時もある。

自分はあの向き合うべき最悪な試合から目を背けた。目を背け続けるという逃げを選択をしたからこそ、よりサッカーと向き合えた。


ここまで来て、こんな文章を書いた自分が恥ずかしくなってきた。

でも、どうせ190cmのプレデターも、メンブレしたfeelings書いてるだろうから、気にせずにしておこう。




さあ、いよいよ後期リーグが始まった。
前期までの自分とは、もう違う。

チームのために、
自分のために、

そして4年生のために、
とにかく全力を尽くす。

やってやろう。






兄貴のfeelingsむちゃくちゃ内容薄め

1年 いでいれお

2019年8月21日水曜日

新屋旅日記〜新潟編&山形・宮城編〜

◯新潟編
日程8/45
メンバー新屋 井上 吉本理 立川

8/4(日)
1230
練習後、新屋さんと本郷キャンパスを出発。今日の予定はアルビ観戦である。まずは練習試合を終えた井上さん、吉本さんを迎えに行く。

1330
井荻駅で無事2人を拾う。練習試合で吉本さんが怪我したらしく、機嫌が大変悪い。ドラッグストアで吉本さんのアイシング用具を購入し、いざ新潟へ。

14
出発してすぐ井上さんと吉本さんが寝る。お疲れのようだ。しばらく新屋さんとの会話を楽しむ。

1630
新屋さんの安定したドライビングで無事新潟県入りを果たす。直後、激しい通り雨に遭い肝を冷やす。田舎の洗礼である。

16
SAで休憩をとる。お腹が空いていたのだろうか、吉本さんが美味しそうにご飯を食べる様子を見て思わず笑みがこぼれる。

1740
会場のビッグスワンに到着する。駐車場から徒歩で移動するため、試合開始ギリギリになりそう。足を引きずる吉本さんを見捨て3人でスタジアムへ急ぐ。

18
試合開始とともにゴール裏に到着。試合はJ2アルビレックス新潟vs徳島ヴォルティスである。

20
アルビが4-0で勝利する。アルビファンの僕と新屋さんにとって大変満足のいく結果となった。井上さんはブーイングができず物足りなそうである。

23
夕食後は銭湯で一日の汗を流す。浴槽に浸かりながら吉本さんと恋バナできるのは新屋旅の一つの魅力である。

8/5(月)
030
今回の旅の宿、立川家に到着する。隣人の駐車場に車を停めさせてもらうことに新屋さんがカルチャーショックを受ける。田舎はそんなものである。

1
滅多に会えない家族と貴重な会話をする。母は相変わらずであった。安心。父は以前に比べて話が単刀直入で些か戸惑ったが、やはり相変わらずで安心した。妹は家にいなかった。これも相変わらずだが不安である。

10
遅い起床となった。泊まる用意をしてくれた家族や隣人に挨拶して出発する。今日の目的地は瀬波温泉。

12
瀬波温泉の海水浴場に到着。太陽は照り気温も高く絶好の海日和である。入念に準備体操を行い、いざ。

13
新屋さん、井上さんとともに泳いで沖合のテトラポットへ上る。適度な風も吹いて大変気持ちが良い。懐かしの日本海を眺めながらしばし物思いに耽る。


初ゼミのレポート出せるかしら。。。

1530
ベンチに放置していた吉本さんが可哀想なので海から引き上げる。温泉に浸かって早く怪我を治してもらおう、ということで近くの温泉へ。

17
再び新潟市内に戻って夕飯を食べることになる。市内までの運転は井上さん。

18
井上さんの運転は少し危うかった(一車線になる手前で前の車を抜きにかかるなど)が、無事に予定の寿司屋に到着する。

19
夕飯を食べ終え、とうとう帰る時間である。再びハンドルを握った新屋さんに全てを託し帰路に着く。

23
井上さんが岡山時代の岩政選手のチャントをYouTubeで発掘する。その不可思議で癖の強いチャントに一同心を奪われる。車内はこの旅一番の盛り上がりに。

2345
新屋さんに自宅まで送り届けてもらう。今回の旅はこれで終了である。ありがとうございました。



◯山形・宮城編
日程8/1112
メンバー 新屋 井上 神辺須 茶谷 立川

8/11(日)
10
合宿の疲れからか、はたまた初ゼミを提出し終えた安心からか、ふつうに寝坊する。
ちなみに今回の旅も一日目はアルビ観戦である。

11
LINEで鮎瀬が熱で来れなくなったことを把握。そんな予感がしてたので特に驚きはない。

1120
集合場所の部室に20分遅れで到着する。道が混んでて新屋さんも遅れているらしい。山形までの道が混んでいなければ良いが。

12
車内で、初ゼミのレポートの事で教授と電話する。結論を言えば単位は来るらしい。一安心である。UTASの画面に「進学選択対象外」と表示されているが気にしない。

1430
高速道路が渋滞しているのため、宇都宮からしばらく下道で北上することに。ドライバーは神辺須さんに交代する。井上さんとは違い、まともな運転で安心する。

16
到着予想時刻が試合開始に間に合わないことが分かる。

17
尿意を催す。ペットボトルかビニール袋で済ます案も出たが、PAに寄ってもらう。その前の休憩でトイレに行かないからこうなる。

1915
15分遅れでスタジアムに到着する。試合はJ2アルビレックス新潟vsモンテディオ山形である。
新屋・神辺須・立川が新潟側で、井上・茶谷が山形側で観戦する。会場はほぼ満員で良い雰囲気。

21
0-2で新潟が負ける。特に語ることはない。茶谷君と井上さんに八つ当たりして気を鎮める。

2230
茶谷君が探してくれた夕食の場所に向かうが、閉店した別店舗に来てしまう。茶谷君はドジっ子なのだ。

8/12(月)
1
仙台のカプセルホテルに到着する。今回はここで寝泊まりである。

5
置いてあった漫画にハマりついつい夜更かししてしまう。

9
当然一番最後に起きる。皆が待っているので素早く身支度を済ませる。

10
朝ごはんを食べに仙台駅へ。仙台と言ったらやはりずんだシェイクと牛タンである。

1030
井上さん、神辺須さん、僕の3人がずんだシェイクでお腹を冷やしトイレへ。

13
今回も海水浴!ということで松島の海水浴場に到着する。奇声を発するほど茶谷君のテンションが高い。

14
テトラポットが無いため、代わりに沖合に浮かぶオレンジ色のブイまで泳ぐ。ついでにアルビの勝利を願掛けする。Vだけに。

15
茶谷君と神辺須さんが波乗りにハマる。楽しそうで何よりである。
先週の海水浴場に比べ若い女性が多く井上さんも大満足である。

1630
松島を一望する温泉に入浴。日本三景にも負けない茶谷君の上半身に思わず惚れ惚れとする。

18
新屋旅最後の晩餐である。おばちゃんの熱烈な客引きに負け入店する。店内には震災時の津波到達水位を示すシールが貼ってある。思い起こせば道中そこかしこでその痕跡は見て取れた。

22
いつの間にか茨城のSAにいる。お土産に買うのは当然かもめの玉子である。

23
部室で茶谷君とお別れする。

2330
渋谷駅に降ろしてもらう。今回の新屋旅はこれで終了である。


と思ったら車内に茶谷君のスマホが。やはりドジっ子なのである。



新屋旅は究極のアクティブレスト
2立川玄