私にとってサッカーとは何だったのか



『4年間を簡単に思い浮かべながら振り返る。冬の時代だった最初の2年、なんだかんだ言ってもサッカー楽しいなってなった3年目、さあいよいよ活躍できる環境が整った4年目。

結果を出したい。いやそれ以上に自分がもうやりきったと心から思えるようにしたい。

本当に無駄だと思ってしまうことが多かった今まで。でも過去を嘆いても意味はない。今、それを無駄じゃなかったと思うことができるようにするチャンスが目の前にある。

結果を出したい。つまり得点という目に見える形でチームに貢献したい。』

(私が5月くらいに書いた恥ずかしいメモ。良さげだったので一応最初に、引用。)





アツいfeelingが出るたびに、なぜ早く提出しなかったのかと、早く出すべきだったと、後悔した。

とはいえ、主将副将の前にここで一旦、箸休め的なものとして捉えていただけると嬉しい。



ネガティブなことなんて書こうと思えば1万字でも書ける。
まずはじめに、明るく、ポジティブで、一番伝えたいことを言っておきたい。





 


最後の最後、みんなと本気でやるサッカーの楽しさを知ったこと。

何より、自分自身が本気で取り組めたこと。

この部に入ってよかった。今、そう思えていること。

もう一度サッカーを好きになれたこと。






これらが自分にとって嬉しいことであり、4年間を振り返った時の全てだ。

そして、これらは、この部とこの部にいる人たちのおかげだ。






17年間のサッカーを振り返って、いろんなことを思うが、どの世界にいってもおそらく上には上がいるし、人と比べて落ち込んだり悦に入ったりしているようではダメだと学んだ。誰かと比べて競争してエネルギー出せるならそれはそれでいいけど、自分の中での成功を定義して、とにかく真摯に一生懸命頑張っていればきっと自己満足できる。はず。






怪我ばかりで1、2年の頃は新人戦にすら出ることができなかった。
3年の頃はサッカーができるようになり、そこそこ楽しかったのを覚えている。
とはいえ、当時は怪我をしないことを第一義におき、自分のサッカーの質は低く、育成の中でも、周りに迷惑をかけることも多かった。
夏以降には変わり映えしない評価に気持ちが萎え、ひどいモチベーションで練習や試合に取り組む日々もあった。
当時の育成のコーチ達、後輩達には非常に申し訳ない。 
一個上の引退を機に気持ちを入れ替え、自分のできていないことを直そうとした。
こんな自分を見捨てず向き合ってくれた寺さんや藤山さん、小椿さんがコーチだったおかげで私はサッカー選手として変わることができた。 
本当に感謝している。







何で頑張れないのか、何でこんなにサッカーに夢中になれないのか。そんなことばかりを考えてた時期もあった。この部のメインストリームは、ほとんどの人間は、サッカーを愛し、好きで、上手くなりたいと思っている人たちだ。

(この文章を読んでア式について誤解しないでいただきたい。私のような人は弊部においてだいぶ異端だと思っている。笑)

頑張れず、夢中になれず、そんなに好きでもなく、上手くなりたいとも強く思えていなかった当時の私は、当然自分を責め、嫌になった。ここにいるべき人間ではないと、本気で頑張っている仲間に迷惑だと、そう思っていた。これはなかなか心にきついことだ。






ただ、まさしくそこに、ア式に入った自分なりの目的があり、克服したい自分のコンプレックスがあった。


 


「やる気なさそう」

よく言われてきた言葉だが、「やる気なさそう」なやつは基本的になさそうなんじゃなくて、「ない」。

マリノスのプライマリーに入ることができて、良くなかったのは、「サッカーはもういいや」と思ってしまったことだ。嫌いになった、とまではいかないが、それに近いものだ。

今思えばただの挫折であり、そこから這い上がれなかったのは、自分の弱さ以外の何物でもない。

あんなに好きで自分の中でも自信つけたサッカーで完全にボロボロになって、どうせ上には上がいて、かなわない相手がいるのに頑張る理由がわからない。どんなに頑張っても絶対上にいけない世界で、何をモチベーションに頑張っていいかわからない。それ以降、俺は本気でやってないんだと見せつけるようにサッカーに対して不誠実な向き合い方をすることで、どこか自分を納得させていた。

サッカーに対して諦め、向上心がなくなり、ただ、現時点の能力だけで楽しめるところを楽しむというようなサッカーを中高としてきた。
幸か不幸か部活のレベルはそれまでと比べると恐ろしく低く、だが、もうサッカーはこりごりみたいな感じだった当時の自分にはそれが心地よかった。
もう上を目指すサッカーはしていないのだから、部活の友達と、ただ、楽しくやるサッカーに満足していた。中高と本当に楽しい友達に恵まれ、サッカーそのものが好きというより、あのメンバーで何かをやるのが良かった。厳しいことなど何一つなかった。






そんなだったけども、心のうちのうちでは、テキトーで熱くなれずにいる自分がなんかダサくて嫌だった。

だから、そんな自分を変えたく、大学でも結局サッカーをするという道を選んだ、いや今までとは全く違うサッカーに挑戦したい、そこで自分を変えたい、と思っていた。







でもやっぱり一度サッカーに対して諦めた以上、根は深く、「気持ちが入らない」というのは私の極めて大きな課題であった。





課題、、というか、

そもそもこんなことが課題って次元が低すぎない?

こんな感情を持つ人間がこの部にいていいのか?

思っては嫌になり、思っては嫌になった。





この部は真剣な人のための真剣な場であり、そこが何よりの魅力だ。

当時の私のような人間がちゃんと居心地が悪くなるようになっている。

レベルが低かろうが、みんなが真剣だからこそ、公式戦の価値は重く、勝利を第一に置いているからこそ、拒絶されたり、無価値だとされたり(サッカー選手として)、シビアで、きつく、辛く。だからこそチームとしても個人としても何かを勝ち得た時は最高な気分になる。







怪我という無駄な時間の多さは私のスタートを遅らせ、途中気持ちが切れることばかりだった。
ちょっと負荷をかけるだけで肉離れを起こし、こんな自分が大学で本気のサッカーをやるなんて虫の良すぎる話だったかと、幾度となく思わされた。

とはいえ、何も成果を出さないまま辞めたりするのはア式に負けたみたいな気分になって、癪だったし、途中で投げ出すわけにはいかなかった。




結局、特に美談にもならない話だが、きっかけは時間的な切迫感だった。そこには先述したように育成コーチ3人や、同期の存在もある。

褒められた経緯ではないが、結果として、自分は変わることができた。本気で勝ちたいと思い、うまくなりたいと思い、熱くなれた。それは本当に嬉しいことだった。

自分がこうもサッカーに本気になり、真摯に取り組め、みんなと勝ちたいと思うことがより加速したのは、ア式におけるサッカープレーヤーとして一定評価を得ることができてからのことであった。

「もう時間ない、このまま終わるのはダサい、、」から入り鋭意努力しているうちに、認められ、評価され、必要とされ、そしたらそこからもっと頑張りたいと思い、良いスパイラルに入れたということだ。

きっかけはどうであれ普段よりギアを上げて頑張ってるうちに評価されて嬉しくなってもっと頑張る、このスパイラル、これは今後も使えそうだから覚えておこう。





長らくDLと育成チームにいた人間だ。いてもいなくても変わらないという認識をされてた身としては、セカンドに呼ばれたり、Aにいけたりすることが、どれだけ嬉しかったかおわかりいただけるだろうか。




もう終わります。






何はともあれ、自分は本当にラッキーだった。

運と縁に恵まれた。コーチと仲間に感謝したい。




遼さんみたいな人がこんな自分にサッカーについて教えてくれたり、(わずかながら?)期待してもらえたりするのは、最高に嬉しかったし、絶対に期待に応えたいと強く思えた。期待に応えたい、この感情こそが幸せだった。

大和やマキのような一生懸命部を引っ張ってきた同期と一緒に試合に出たりするのは、身が引き締まるし、感慨深かった。

前期帝京戦、ジョウゴと唯一の一緒スタメンの試合のアップ前握手したのは、似たような僕らがこの部に勝利した瞬間だった。

写真を見ながらフィーリングを書いているが、多くの同期たちと、近くでやってて楽しい周平やトモと、同じ公式戦のピッチに立てたことは最高だった。






結局、3年半を通して自分がどうなるかとか、にしか目線はいかなかった。いや、自分のこれまでのステップアップの過程を考えれば、それは仕方のないことかもしれない。個人としては、前が前だっただけにまあそれなりに行けたと、後期の最後の方はほとんど出れなかったし、至らないところだらけだったけど。
もし、次のシーズンがあれば、少し目線を上げてチームのことまで、他の人のことまで考えれたら、ア式に勝ったとか言ってるんじゃなくてア式を勝たせるにはもっと何ができるかなんてことを考えることができたのかもしれない。

怪我にもちゃんと向き合いもっと早くサッカーできてたら。
もっとうまくなれたら、もっとサッカーを楽しめたのに。とひしひしと感じる。

でも、一度嫌になったサッカーも、長い年月をかけ、情熱は耕され、気付いたらまた好きになっていた。

本気でやるサッカーの楽しさを知れた。

今まで感じたことない感情をたくさん感じた。

ラストイヤー。
キツかったけど、楽しかったし、何より最高に充実してた。

みなさん、本当にありがとうございました。


大池一輝

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