後半40分1-0でも果敢に攻めるStyle〜卸されなかったJINGO analysis〜

「再現性のあるプレーを心掛けよう」



「今の縦パス、一応通ったけどさ…どうして確率低い選択したの?」


入部以来、こういう類のアドバイス、フィードバックをしばしば耳にする。

リーグ戦で勝ち点を積み上げるために、弊部の哲学を如何にプレーで表現できるか。

えっと、その再現性を高めるために、一つ一つのトレーニングは試合の一局面を切り取った形として存在する。



(中略)



さて、ここで一選手として再現性ある形でリーグ戦での勝利に貢献したい、となった時にまず思い付くのは、リーグ戦に出場することであり、そのためにはトップカテゴリーに入る必要がある…あるんだけど。





無理。




これ以上書けん。




このまま頑張って書いても虚しい文字数稼ぎの末に、「部に貢献できるプレーをできるよう精進します」とかいう抽象的な決意表明に終わる気がするんだ。




時は些か前に遡る。



「feelings担当のお知らせです
期限は6/10(月)とします。
****@gmail.com
まで送ってください!
よろしくお願いします!」



遂に2回目のfeelingsが回ってきた。ただ、正直書く内容が思い付かない。



遼さんみたいにリバプールやマンCの分析を鮮やかに書けたら超かっけーとか思ったけど、精々自分が分析できるのは2代目ジンギスカンこと同期の宮坂君くらいだろう。

自分がサッカーを語れる程に精通するのと、分析記事にする程彼がBIGになるのとどっちが早いか。こればっかりは God only knows.



では槇さんとか大谷さんみたいに、サッカーにかける熱い想いや苦悩を表現したこれぞ"feelings"といったものはどうだろう。

…いや、これもしっくりこない。「何で大学で体育会系のサッカー部入ったの?」というのは弊部の人間はしばしば聞かれることだと思うが、正直言って自分は特に深い想いとか決意は無い。

「人生では好きなことを『とことん』楽しみたい」「僕の好きなことはサッカーをすることだ」という前提から導き出される結論は「僕はサッカーを『とことん』楽しみたい」だ。三段論法完成、以上。

当然、上記の前提が覆るのが僕がこの部を去る時になる訳だが、それならfeelingsは書く必要もないし、この前提はどうにも揺るがなさそうだ。








という感じでもう書くことがないので終わります。ご愛読ありがとうございました。佐田先生の次回作にご期待ください!













…そうは問屋が、もとい佐野氏が卸さないらしい。







前半の文章が結果的に文字数稼ぎとなり途方にくれる中(これぞネガティヴトランジション)、「feelings」そのものの本質を考える。


feelings…それは他でもない僕ら部員が、誰かに向けてメッセージを発信するための媒体だ。


じゃあその「誰か」とは?


「feelingsは一般の人に東大ア式蹴球部の内部をverbalに伝える主要な媒体だから、『見られていること』を考えるように」


とは言われることはあっても、別にこれは「一般の人に向けたメッセージを発信しなさい」という意味ではない。というか僕にはそんなの書けないです。

だからって両親とか気になるあのコに向けて書くのか?いや、それは直接伝えるなりLINEするなりして下さいって話だ。


となるとやはり僕はア式の仲間に向けてメッセージを発信することになる。

週6でいつも一緒にサッカーしてるのに、練習前後ロッカーでくだらない話をしてるのに、結局彼らに自分のfeelingsをネット上で伝えるのかと思うと、照れ臭いというか、何というか…改めてfeelingsの役割は興味深いなと感じる。


そして僕は今から"仲間への感謝"というfeelingsを表して終わろうかなと思っている。

正直本当に書くことこれしか思い付かなかった。

しかしながら、ここで僕が感謝を述べるのには未だに違和感が拭えない。早くないか?

feelingsで感謝を述べている人は軒並み「ア式やサッカーそのものをやり切った人」「トップチームで結果を残して次のステップを見据えつつもこれまでを顧みる人」のどちらかなのではないだろうか。


そして僕はまだそのどちらにも属していない。だから何か変な気がする。


「かけがえのない思い出」とか「恩師」って、巡り合ってからしばらく経たないと言わないでしょ。「いつかきっとエモくなる」んでしょ。



でもそこを敢えて感謝してみる(ケイスケホンダ風)


今パッと数えてみたら、弊部のプレーヤーとスタッフの比率は約3:1らしい(OB除いた大学生で計算すると)

つまり1人のスタッフが3人の選手を支えているという計算だ。

ちなみに2014年の日本は65歳以上の方1人を20〜64歳の方2.2人が支えている計算らしい。

高齢化が進み若者の負担が嘆かれる中、ア式のスタッフはその数倍タフに働いてくれるということだ。

という明らかな暴論(「俺を年寄り扱いするな!」って鶴さん怒らないで下さいそういうつもりじゃないです)はさて置き、選手の皆はこの比率に驚く人もいたのではないだろうか。

リーグ戦の審判に遣われたり、自分とは直接関係の無い業務連絡をチェックしてみたりする中で、自分が知らないところでスタッフの皆がこんなに働いているのか!と最近気付くことが増えた。


練習の時に「あれそういや最近グラウンドで見かけないな?」と思ってた彼女は都学連の業務に従事していたり、SNSに上げてる写真や動画を編集していたり。


LINEあみだで当たって(外れて)審判担当になった試合に向かうと、当たり前のように本部で朝から夕方まで責任者として仕事してくれてたり、そして先に「お疲れ様」を言われてしまうというね。


週末はトップチームのリーグ戦、準備で朝早かったり、応援後から練習まで中途半端に時間あって持て余したり、「渋い」という言葉で片付けてしまえば簡単なんだけど、

やっぱり応援するのは楽しい。中々勝てない中、「出てない俺には関係ないわ」って気持ちが全く0ではなかったけど、9日の学習院とのアウェー戦。

この日どれほど「ぶち」上がっTAKAを態々ここで言う必要はないと思う。

ただ一つ気付いたのは、大和さんが の集合後最初の台詞「応援も含めてよく戦った」についてだ。

試合のメンバーに入らない選手はホーム開催の場合は準備をし、アウェー開催の日は荷物を持ち、前後試合の審判を手伝い、勿論出る選手の応援をする。

正直最近はこちらの面しか見れてなかった。

ただ先述の言葉を聞いた時、一つ足りないことに気付いた。

「試合に出る選手は、『自分もこんな良い試合をしてチームに貢献できるようになりたい』って思ってもらえるように死力を尽くす」

中沖主将の時からずっと気になっていた「準備応援ありがとうございました」の一方的感、やっと解消した。対価がその「感謝する姿勢」だったのだ。


皆の前でそんな"姿勢"ができるように、僕らはトレーニングに励む。

トレーニングは当然上手くなるために行うものだ。だからミスに対しては互いに指摘し合って基準を上げていく必要があって、時には感情的に言い合うこともある。

実はこの雰囲気、最近まで馴染めなかった。別に緩くやるつもりでは無かったが、「ミスは0にはならないよ」「そこまで感情的になると互いの意識の擦り合わせできなくないか」などの正論がしばしば頭を過るが言葉にはできず、葛藤することもあった。

しかしコーチから環境を変える機会を頂いて、色々な気付きがあった。その中で一番興味深かったのは、

そのような感情的な指摘は大抵、「理性的に準備をしていないこと」に対して出されるものである。そのことを見落として、相手の「強め」の表現に萎縮したり、批判的になったりすると、大いにプレー基準が下がる。

ということだ。解りづらいので超簡単に言うと、「は?何だそのプレー?ふざけんなよ」と言われても、「すみません」「いや流石にお前のパスがズレ過ぎだろ」とか言うのは良くないって感じだ。

ちなみに僕の場合はやや前者よりだった。あからさまな謝罪はしないが、頭の中では「やべー…でも俺には難しいプレーだわ」ってなってた。

ただ、漸く解釈が変わった。

「いやお前ならもっとできるっしょ。これくらいやってくれ」

自分のプレーの基準を勝手に下げていたこと。周りがそれを引き上げようとしてくれていたこと。

気付くの遅過ぎん?と軽く嘲笑しつつ、皆俺より上手いし尚且つ自分にも同じ位要求してくれるとかすんげー。



締め切りまであと10分しかないので、ここで終わろう。


謎も仕掛けてないし、隠しメッセージも見つからないのでご了承下さい。

2年 佐田

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