「好きこそものの上手なれ」なれ

水本龍志 (2年/FW/洛星高校)


2021シーズンがやっと始まろうとしている。
これを書いているのは5月15日。今現在は新型コロナウイルス対応の関係から部活動が停止していて、日々のサッカーが失われている状況だ。
とはいっても、オフシーズンにもともと昨年から怪我をしていた足首の靭帯を負傷し、その後再発もあって3ヶ月も離脱していたため、
今年に入ってから、自分は実はまだ1日しか(その日もロンドとサーキットをしただけだが)サッカーをできていない。復帰して「さあこれから!」といった矢先での部活動停止だった。
 


今回のfeelingsでは、昨年の振り返りを含め今回い長い負傷離脱期間に考えたことを記そうと思う。気づけばめちゃくちゃ長くなってしまったし、途中結構暗い内容だし最後はよくあるいい話にもってこうとしてると思われても仕方ない感じになってしまったがありのままの気持ちを表現したつもりなので、よければ最後まで読んでください。
 


2020年は本当に辛い一年だった。
もちろんコロナによる制限のかかった生活という面でもそうだが、サッカーにおいて本当に辛かった。
好きだから大学生になってまで時間を費やしてサッカーをしているはずなのに、正直昨年はサッカーを全く楽しく感じることができなかった。サッカーに費やした総時間を100とすると楽しんでサッカーをしていたのは10いくかな、といったところだと思う。サッカーをしている時間において、圧倒的に「楽しい」より「辛い」が先行していた。
どうしてなのだろう
 

昨年は自分の実力不足を痛いほど思い知らされた年だった。
足元がない。体力も足りない。戦術もわかってるようで多分わかってない。瞬発力はひどいものだし、高校時代まで自分の武器だったスピードもどういうわけか全然通用しない。
なんとか改善しようとして筋トレも頑張ったし自主練もしてきたつもりだったが、正直一年を通してほとんど成長を実感できなかった。
そんな中で、おそらく変に自分を追い込みすぎて、変に悩みすぎていた気がする。自分には悩み出したらとまらないところがあるとは自覚しているが、まさにそれだった。自分が不甲斐なすぎで、「苦しい状況に際してふさわしく悩むことのできている自分」にさえ満足感を見出そうとしていたのかもしれない。
 

その上で、自分の下手なプレーを周りに見られるのが嫌、そんなふうに思い始めてしまっていた。
おそらくこれまでの人生において自分には変なプライドが生じてしまったのだろう。サッカーにおいては小中高とレギュラーでプレーして、市のトレセンに行ったり上の代の試合に出たりとある程度評価してもらえたし、ある程度自信を持ってプレーしていた。その自信が一気に崩れ、実力不足を痛感した瞬間、いつしか自分がミスるのを見られるのが怖くて怖くて仕方なくなっていた。

木曜練の紅白戦、練習前でグラウンドに集まっているAの人たちに見られるのが本当に嫌だったし、普段の練習でもミスって責められたり、自チームに迷惑かけたりするのが嫌でプレーが日を追うごとに消極的になっていた。

崩し練の時にある先輩に「ミスってもいいから自分のしたいようにプレーしろよ。自分の成長のためにもならんやろ?」って言われて救われるような思いがしたが、かといって姿勢を直すことはできなかった。他のある先輩からは「お前、前はもっと勢いあってよかったのに。馬力あるだからどんどん仕掛けてけよ。」って言ってもらったが、その時の自分には勢いも馬力も残ってないのを感じていた。
 

そんな日々でも、悔しさや嬉しさを全く感じなかったわけではなかった。育成チームではウイングに負傷者が続出したのもあって、1011はスタメンで出してもらったり大体は交代で出してもらったりしていた。正直自分のプレーが評価されて出してもらっているのではなくただ人がいなさすぎるから出してもらってるだけなんだろな、とは感じつつもなんとか結果を残そうと頑張っ

そんな中でのサタデーリーグ玉川戦。2-0でリードしている後半から投入されると、絶好機を外してしまい、その後流れがどんどん悪くなっていって追いつかれ、PK戦で敗北。翌週の練習でも不甲斐ないプレーをしたこともあって、その週以降は序列が下がって試合でも使ってもらえなくなった。玉川戦直後は、誰とも話したくないって思うほど本当に悔しかったし、見返してやろうと思っていた翌週以降自分にはチャンスが回ってこず、今まで自分が呼ばれてたであろうタイミングで他の選手呼ばれていくのをただ見ることしかできず、それも悔しかった。

自分には成長を感じられない一方で代わりに出場する他の選手が着実に成長しているのはすごく感じていたし、負けん気で何とか練習でアピールして、最終戦の国公立大会一橋戦では出場機会をもらえた。出て何もできなかったが、ようやく嬉しさを感じることができた。
 


でも正直シーズン最後の方はずっと冬オフが待ち遠しかった。早くサッカーから離れたかった。冬オフに入ってしばらくはサッカーをしたくなかったから、自主練して成長しなきゃとは思いながらも、シーズン中無理してた足首靭帯の治癒をいい口実に筋トレはするもののサッカーからは距離をおいた。
高校時代の試合のビデオをみて、何とかいい感触を取り戻そうとしたり、自分と同じく昨年満足のいくシーズンを過ごせずそのまま退部していった同期を見て、「こんな終わり方はいやだ。」と感じたりした。「もう2年なんだし、今シーズン少なくともいい感触を掴めないのなら選手としての自分の大学サッカー生活は終わった同然だ、今年は勝負の年だ。成長しなくちゃ。そう思って何とか自分を奮い立たせたやらない後悔だけは避けたいの一心。それでもサッカーに対する怖さ・忌避感のようなものは全然消えてなかったし、中途半端なモチベーションのままオフ明けを迎えようとしていた。
 


そんな中での負傷。
 


中途半端な気持ち、自分の中に残ってサッカーへの忌避感がこういう結果を招いたのかもしれない。勝負の年と思って何とかリハビリもトレーニングも頑張っていたから悲しかった反面、心のどこかで安堵している自分がいるような気がしてならなかった。まだしばらくサッカーしなくていい。そう感じた時、本気でサッカーを続けるか迷った。診断で、もうこの足首はテーピングなしではプレーできないし、プレー中の痛みはもうずっと我慢し続けるしかないと言われたことも追い討ちをかけた楽しくもない、むしろ辛いようなサッカーに貴重な学生生活の多くの時間を割くメリットなんてあるのか。部費は結構かかるし、プレーには物理的苦痛まで伴い続ける。夜は練習があるから予定が入れられないし、ゆえに人間関係だって制限されてしまう。続ける理由はもはやサッカーが好きだからじゃない。サッカーをしてる自分が好きだから、もっと言えば自分からサッカーという要素を抜いた時に何も残らない気がして怖かったから、ただそれだけだった
 


そんな時に、なぜ自分がア式にったのかを思い返した。
 


高校時代、途中まではサッカーが本当に楽しかったが、最後の1年弱はチーム運営もうまくいかず、受験勉強専念といって辞めていく同期を傍目にサッカーを楽しめてい
なかった。ただ文武両道を実践していることが自分のアイデンティティーのように感じて、それが失われるのが怖かった。また、もし受験のためにと途中退部したとして、受験に落ちたら確実に「これなら続ければよかった」と感じるだろうし、逆に最後まで続けて受かるやつがいたりすれば確実に嫉妬するなと思った。その上で、仲良しで好きだったチームメイトと有終の美を飾りたいと思ったからやめることなく最後までサッカーを続けた。「サッカーが好きだから」という理由ではおそらくなかった。

引退後、そんな自分を振り返って、もう一度心からサッカー楽しみたい。「ひたすらサッカーが好き」というあの感覚をもう一度味わいたい。なら大学生がラストチャンスかもしれない。その上でやるなら本気で真剣にやらなきゃ楽しみきれない。そう思ってア式に入部した。
 


入部動機を思い返した時、ハッとした。
サッカーの楽しみをもう一度本気で味わいたい。でも現状これじゃ高校時代と同じじゃないか。今の自分はただサッカーをしている自分にこだわっているだけで、まだ全くサッカーを楽しめていない。何ならサッカーに忌避感を抱いてるくらいだからあの頃よりひどい。もうあと3年しかないのに。その時、無性にサッカーがしたくなった。
 


今はこの感情が続いている。だからこそ、復帰した日のロンドはミスりまくったけどめちゃくちゃに楽しかった。ロンドしかしてないのに、あんなにサッカーが楽しかったのは久々だった。その日一日復帰してすぐにコロナ対応の関係で部活が停止してしまったが、今は練習再開が待ち遠しくて仕方ない。
中途半端な気持ちだったオフ明け直前に怪我をし長期離脱したことによって自分の思いを整理し直す時間が取れてよかったのかなとすら感じている。昨年の反省も生かして、「成長しなければならない」と思いすぎないことにした。そう思いすぎるからこそ、うまくいかない自分に焦りや羞恥を感じるのだと思う。


今年のテーマは「サッカーをとにかく全力で楽しみきる」ことだ。練習では声を出して明るく盛り上がりたいし、プレー自体を楽しみたい。部費は娯楽のためにと稼いだバイト代から捻出しているが、毎月8000円払ってるんだからそれに見合った楽しみを享受して然るべきだと思うと、「元は取らなくちゃ」と思うし、「ミスして迷惑かけたら」なんて周りに気を遣う必要なんて全くないとも思う


だからといって上手くなりたくないわけじゃない。上手くプレーできればそれだけ楽しいに決まってる努力した上で自分がどこまで成長できるか、自分の可能性に賭けてみたい。正直あまり期待されてないのはわかってるが今はこんなに下手な自分でもいつかア式のユニフォームを着て公式戦に出たい。頼られる選手になりたい。ただそれを意識しすぎないようにしよう、まずはサッカーを楽しむことだけ考えて、その上で出てくる「成長したい」という思いには忠実に、努力を重ねようと思う。「好きこそものの上手なれ」というのはよく見聞きするフレーズだがまさにこれに賭けようということだ。
 
 
 
「好きこそものの上手なれ」なれ。
 
 
 
来年自分がどんなfeelingsを書いているのか、今は楽しみでしょうがない。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
 

2年 水本龍志

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