誰がために鐘はなる

なぜ、東大に入ってまでサッカーを続けているのか。


何回も考えたもの。きっと誰しもがいつかぶち当たるもの。
正直、部活に入っていることのメリットなんて就活以外にないだろうし、デメリットの方が死ぬほど思い浮かぶ。
サッカーを続けていなければ、あの負けた時の、絶望感や無力感を抱くことはないし、自分の弱点を突きつけられ、サッカーが嫌いになるほど思い悩むことはないだろう。もっと言えば、時間的に余裕が生まれ、勉強やバイト、遊びなど様々なことに自由に時間を使えるようになるし、そして将来のために役立つことをした方が自分にとって有益であることは自明である。まぁ時間あっても多分なんもせんと思うけど。

こんなに失うものが多いのに、なぜサッカーを今まで夢中になってずっと続けているのだろう。
プロを目指しているわけでもないのに、毎試合必死になって、努力し、分析し、そして迫りくるキックオフの時間まで、頭の中から吐きたくなるほどの不安が消えることはない。
自分は何を目指して、何がしたくて、何を得たくてサッカーをしているのだろう。


サッカーが好きだから続けているといえば簡単な話だが、これがどうもしっくりこない。好きだから続けるという単純な論理で動けるほど、自分は物分かりの良い人間ではない。
好きなのは確かだが、もっと自分を突き動かす何かがきっと存在しているはずだ。
僕はこう思い、スマホ片手に、筆を走らせた。


てことで、独自の見解をこれでもかと尊重しながら、もう少し踏み込んでみたい。共感してもらいたいな。バズりたいな。という一抹の汚い期待も込めて。



世界中にコロナウイルスが蔓延し、日常からサッカーが消えた。そんな中、ある一つの動画を見た。https://youtu.be/0iK2DVZ7UOgt

手短に説明すると、横浜Fマリノスのある用具係の人に焦点を当てた動画だ。
もちろん彼の仕事内容には感心したが、それ以上に、心動かされた場面があった。
それは、マリノスがゴールした際に、彼が他のスタッフと大喜びしていた場面だ。(8:30~)

これを見てふと思う。
「あーこういうシーン凄く好きだよな。」
振り返ってみると確かにそうだった。小さい頃から、点が決まる度にテレビに映る、監督が喜ぶ姿を見るのがとても好きだし、今でも自分の試合動画を振り返って絶対に確認するのは、ゴールで喜ぶ応援席にいる仲間の姿だ。


あれ、俺は、自分のためよりも、
誰かのためにサッカーをしているのではないのか。


「お前は誰のためにサッカーしてんだ」
幼い頃から、色んなコーチに耳にタコができるほど言われた。特に自分が悪いプレーをした時の常套句として。

そしてこちらも決まり文句のようにこう答える。「自分のためです・・・。」


「自分のために」間違いない答えだ。だけど、本当にそうだったのだろうか。

自分のためにサッカーをする。どういうことか。
いつ何時でも、目標をぶらさず、基準を高めて、誰よりも練習する。
そんな風にサッカーを自分のためにできていたら、もっと成長できていただろう。


でも自分にはそれができなかった。
たとえ、いいプレーができなくても、チームが喜んでいる姿を見られれば満足感を得られた。そこに自分が上手いか下手かは関係なかった。
そのくらい、誰かのためにサッカーをしていたかったのだろう。言い訳を作りやすいからかもしれない。その方が失うものが少ないからなのかもしれない。

それでも、自分のプレーや勝利で喜んでくれる親や、仲間、コーチ、スタッフそうした人たちのためにサッカーをしたい。なぜなら彼らの喜ぶ姿を見ることが何よりも好きだし、自分を特別な存在だとも感じることができる。そうした誰かのためにサッカーをすることが、最終的に自分の元へと返ってくる。


こんな事を考えるようになったのはア式に入ってから、いや、コロナでサッカーを失ってからだ。
素晴らしい環境に、サッカー大好きなコーチ陣。優秀なスタッフたち。先進的な組織運営。スポンサー企業。そして悔しい気持ちを抑えながらも応援してくれる選手たち。
当たり前にあったものが目の前から奪われたからこそ、その存在の重さを実感することができた。
もう自分のプレーやチームの勝利、敗北に対して、責任を負わなければならないプレーヤーであることは確かだ。
このような状況にいて、自分のためだけにサッカーをするなんてのは、おこがましくも感じるし、自分にはできない。


プロを目指していない自分だからこそできることがある。スタッフに限らずサポートしてくれている、応援してくれている誰かのためにサッカーがしたい。
普段の言葉や行動で示すのは苦手だし、気恥ずかしいけれど、サッカーではその姿を示さなければならない。きっとそうした姿勢がいつか自分に返ってきて、自分の支えとなるだろう。
彼らが求めているのは、単なる結果や安っぽい感謝ではないと思う。目の前の勝負に、そしてそれまでの過程に見せる自分の必死な姿だろう。失われがちなア式でのやり甲斐を感じさせるのは間違いなく自分の役目だ。こいつのためになら頑張れると思われるような選手になるために、まず自分が誰かのために力を尽くそう。



サッカーが好きだ。
誰かの為にサッカーをするのが好きだ。
そして、そんな自分が好きだ。
だから今もサッカーを続けている。



2年前のリベンジ。一緒に達成してやろう。
このチームならきっとできる。




最近feelingsで人気の大谷さんへ。
早く飲みに行きたいですね


3年 出射令雄

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