世界線

自分がア式蹴球部に入部した世界線と、


入部していなかった世界線と。


その間に、自分はどれだけの違いを作れたのだろう。



わがままを最大限押し通して、しがらみも衝突も必ず生じることを承知で、それでも受け入れてくれたこの部活に、自分は何を返せたのだろうか。


ア式蹴球部が自分を受け入れたことは、果たして正解だったのだろうか。



最初にア式蹴球部に興味を持ったのは入学した時にテント列で誘われた時だ。

ア式の試合動画を見て、GKを起点とする流れるようなパスワークで相手の守備を切り崩すスタイルに、(失礼ながら)東大でもこんなサッカーができるんだと素直に驚いた。

その後は何度か練習に参加もしてみて、ゲームモデルの存在を知り、こんな面白い、そして知的なサッカーを、こんなに恵まれた環境で思う存分できたらとても幸せだなと思った。


でも同時に、自分はやっぱりア式に入ることでの機会損失が怖かった。

元々自分は大学でサッカーをするつもりはなく、どちらかというと課外活動に力を入れるつもりだった。特に海外に出たいという思いが強く、ア式に入部すると海外に行くことが難しくなるのが、プレイヤーとして入部する上での最大のネックとなった。テクニカルとして何とか入部できないか相談もしたが、当時は夏休み期間の公式戦に出られないことがほとんど確実な状況で入部することは認められず、タグ付等の作業をア式の外部メンバーとしてやらせてもらってはいたものの、夏休みに入ったタイミングでその仕事も辞め、一旦そこでア式との縁は切れた。


こうしてサッカーとは無縁の生活を送る一方で、中東や欧州をバックパックしたり、色々なプロジェクトに首を突っ込んだりしていた。それらはそれらで非常に良い経験になったし、それらは今の自分の活動の軸になっているし、自分の選択に後悔はない。だが、そうした生活を続ける中で、やはり自分の中にポッカリ空いた穴がある感覚は拭えなかった。


高校同期のキャプテンでア式に入部した松波は、秋口には一年生ながらスタメンに定着し、ア式の中心選手になっていた。そのキッカケもあり、たまにア式の試合をYoutubeで見るようになり、相変わらず綺麗なサッカーをするなと思うと同時に、自分ができなかった選択をし、様々な犠牲を払いながらもピッチ上で輝く彼らに、サッカーの次に本気で向きあえる

「何か」を探して苦しんでいた自分は、とても嫉妬してしまった。feelingsを読んで、選手スタッフを問わず、ア式の部員が抱えている様々な思いを知った。それはもちろん、綺麗なものばかりではなかったけど、本気で何かに向き合う彼ら彼女らの姿を見て(読んで)、自分ももう一度本気のサッカーに関わりたいと思うようになった。

だが、プレイヤーとしてピッチに戻ることは、残念ながら自分にはできなかった。既に他の団体で責任のあるポジションについていたし、それらと勉学とア式を同時に両立することは、自分にとってはほとんど不可能なことだっただろう。まぁ、正直今でも一ヶ月に2回くらいは、もし最初からア式にプレイヤーとして入部してればどうだったろうかと考えてしまうことはあるが。一方、自分のしてきた課外活動の経験は、ア式のピッチ外の活動にとっては貴重な戦力になるはずだと感じていた。自分も、ア式蹴球部の先進的な活動にとても興味を持っていたし、それをもっと高める方法もあるはずだと感じていた。


話は外れてしまうが、東大ア式蹴球部は本当にすごい。他の誰かもfeelingsで言っていたけど、多分ア式の人が自分で思っているよりも何倍もすごい。部活動という規律が重視される存在ながら、学生主体でティール組織のようなフラットで先進的な組織体系を採用していて、無給(なんなら部費を払っている)にも関わらず100人近くもの東大生が高いコミットメントとプライドを持って仕事に取り組んでいて、ゲームモデルと戦術的ピリオダイゼーションを採用していて、専門的なフィジカルコーチがいて、GPSと動画分析を導入して日本をリードしているテクニカルがいて、GSSに代表される社会貢献活動もしていて、サッカー界で重要な役割を果たしてきたOBがいて、東大の研究室とも協力していて、これだけのことをやれている学生主体の組織が他にあるだろうか(いやない)。東大の他の部活でも同じような取り組みはあるだろうけど、贔屓目はあるかも知れないが、ほぼ学生のみでここまでやれている部活は他にないはずだ。だが、これらの活動はあまり東大生にもサッカー界にも知られていないことに自分は勿体なさを感じていたし、研究機関との連携などを今よりもっと深めれば、日本サッカーに対して今よりもっと重要な貢献をすることもできるはずだと思っていた。


ちょうど当時はア式蹴球部も組織改革の真っ只中で、組織のあり方にも変化が起きている途上だった。そんな中で、松波と話をして、今ならア式も僕みたいな特殊な関わり方をしようとしているやつでも受け入れることができるかも知れないという話になった。遼さんや内倉さんと話をした結果、正式に入部して、スタッフでも選手でもない「スペシャリスト」という新たな役職を作ってもらえることになった。


ア式の内部の人でも、「スペシャリスト」という役職があることを認知している人は実際はあまりいないと思うので、ここで軽く説明をする。スペシャリストとは、「グラウンド業務等の仕事や公式行事の出席義務を免除された、特殊なスタッフ」のことだ。スペシャリスト

は、スタッフの様々な仕事を免除される代わりに、専門性や能力を発揮してア式の価値向上に対して確実に結果を出すことが求められる。今ア式にスペシャリストは3人いて、野中、森島、僕がそれぞれ国際的活動やデータ分析活動を行っている。

ア式にとって、スペシャリストを導入するメリットは、先進性を維持するために不可欠な組織としての複雑性を維持し、様々なバックグラウンドを持った人物を関わらせることができることだ。とはいえ、現状でもア式のスタッフの中には日頃の活動をこなしながらも林監督招聘を実現した俊哉とか、フィジカルコーチの田所とか、専門性を発揮して活躍しているスタッフは沢山いる。そういう視点に立ってみると、スペシャリストはある意味わがままを通して仕事を免除させてもらっている特権階級のようなものだし、当然導入にあたっても様々な反発や反対意見があった。それでも、ア式は最終的には自分をスペシャリストとして迎え入れてくれた。


さて、ここで冒頭の問いに戻ろう。


ア式が、そこまでして自分を受け入れてくれたのは、果たして正解だったのだろうか。


自分は、この問いにまだ自信を持って答えることはできない。


2年生のときは、正直に言ってゴミみたいなパフォーマンスしかできなかった。

やると言ったこともほとんど実現できなかったし、チームの信頼を逆撫でするようなこともしてしまった。特に最初に自分を信頼して受け入れてくれた内倉さんや遼さん、松波には本当に申し訳なかった。


3年生に上がり、ようやく本気でア式に向き合うことができるようになった。

自分が中心になって始めた国際的活動は、ようやく結果が出せそうな状態になってきたし、テクニカルの活動範囲の拡大にもある程度貢献できたと思う。だが、スペシャリストにふさわしいレベルの結果には、まだまだ足りていない。まだまだやらなければならないことは山ほどあるし、ふさわしい結果を出すためにも、走り続けなければならない。

いつかこの問いに、自信を持ってYesと答えられる世界線まで。



フレキシブルに

3年 王方成

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