学ぶこと

 4年 河渕貴行



他の人もそうかもしれませんが毎回feelings何を書こうか考えるとき私は大体最近何があったかなと考えがちなのだが、今回最後なのでしかもこれを書くのが、年末近く(これを書いたのは2021年12月)であることもあり、4年間何があったかなと思い返したりする。すると、やはり最初に思いつくのはコロナだったりする。

 

 

約2年間続いていてまさに現在完了進行形のことなので、そりゃ印象に残っているのも当然か。そのせいで一時期サッカーできなかったし。ちなみに大学入学時点で、この先4年間で起こると予想されることで楽しみにしていたことの上位には東京オリンピックがあったりする。ただ実際は、コロナの流行が収まりきる前の開催であったために五輪開催反対の声も大きく私自身はオリンピックそのものよりも開催すべきか否かという議論の方が印象に残った感じがする。なんなら、終わった後でもその議論がされていたような。

『なんか、思っていたのと違う。』

結果私の中ではオリンピックよりコロナの印象がでかい。4年前の予想は簡単に裏切られました。

 

 

オミクロン株の登場で、まだ予断を許さないコロナ騒動ですが、落ち着く動きを見せ始めた時にふと、そんなコロナに人々は「どんな印象を抱くのか」と思いました。今どんな印象を抱いているか、来年、再来年その印象は変わっているのかいないのか。日本全国で1万人以上が亡くなった恐ろしい病気か、ワクチンを打てばもう大丈夫で恐れるに値しない病気なのか。新たな感染症あるいはコロナのさらなる変異株が流行した場合を考えてみたいのです。コロナを恐ろしいと考える人は意識的にマスクして外出もできるだけ控えるとかするでしょうが、そこまで恐くないと思っていたら感染対策とか意識しないかもしれないですね。人々がこのどちら側にいるかわかりませんが、この二つの選択肢のどちら側にいるかでその先が変わることでしょう。感染爆発が起きたり、経済が止まったり・・・。それぞれの選択肢でその先はどうなるでしょうか。たまにはこういうことも考えてみてはどうでしょう。「また感染症が広まったら外出は控えて外出る時はマスクして感染対策したらいいでしょ」でも別にいいですが。

 

 

過去に起きた過ちを二度と起こさないようにというような歴史を学ぶ決まり文句みたいなことを言いたいわけではないです。(過ちを繰り返していいってわけじゃない。)目的は過ちを繰り返さないことではないです。それに過ちじゃなくても学ぶことはたくさんあるはずです。卑近な例でいうなら何かに失敗した時あるいは成功した時、たとえばサッカーの例でいうと得点したり、失点したり、勝ったり、負けたり、チャンスを作ったり、ボールを奪われたりした時、普通どうしてそうなったか考えるでしょう。他のプレーを選択していたら?という感じでしょうか。「こうしていたらよかったなあ」で済ますこともあるかもしれないですが、それは大体すでに見通しが立っているような場面でしょう。しかしそれだとそこから得られるものも少ないかもしれません。「わかってる」っていうときはそれでいいでしょうが。

 

 

振り返るなら結果じゃなくて過程を見ろ、と言えるかもしれません。その過程というのもただ現実に起こったことをなぞるだけでなく選択を仮定してその先を想像する。もちろんサッカーだけじゃないです。勉強、仕事、他のスポーツ、あるいは趣味なんかにも言えることです。

 


もう私は卒部して今までみたいにサッカーを本気でプレーすることはおそらくないでしょう。なのでサッカーの経験をサッカーに生かすことはないでしょう。だからこそ経験をいかすためにはより過程を重視することが求められるものでしょう。この経験を生かすというありきたりな言葉で卒部feelingsらしくないfeelingsを終えたいと思います。

 

 

最後にア式を支えてくださっている方、監督、先輩、後輩、同期のみんな、マッチメイク等で関わった他大学の皆様今までお世話になりました。

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