まちがいさがし

4年 大槻春歌 



「学生時代に力を入れていたことを教えてください」

 

就活でこう聞かれるたびに「挫折した経験でもいいですか?」と聞き返すようにしていた。受かる確率は間違いなく下がるだろうが、力を入れたと自信を持って言えて、今の私を伝えられるものは挫折経験ばかりだった。私のリアルな3年間を聞いたうえで、一緒に働きたいと思ってくれる会社に入りたかった。

 

それくらい、当時の私にとってア式での3年間は挫折と苦しいことの連続だった。

 

人見知りを存分に発揮して何年経っても選手との距離をつめられない。「大槻はア式に馴染めてないじゃん」という同期の言葉が刺さって部員との壁をますます作ってしまう。スタッフのモチベ維持にはコミュニケーションが大事!とよく聞くのに。

 

東大に行きたくて受験勉強を頑張っていた高校生の自分が今の自分を見たらどんな顔をするんだろうと考える。当時やりたかったことをやれているわけでもなく、今いる場所を自信をもって好きだと言えるわけでもない私にどれくらいガッカリするんだろう。

 

周りに比べてうまく練習のサポートができない自分に気づいてグラウンドに行くのが怖くなる。失敗したらどうしようとビビっているからさらに動けなくなってまた迷惑をかける。寝る前に毎回次はこうしようと決めるのにいざグラウンドに行くとまたできない。

 

自分が良かれと思ってやったことが部にとってマイナスだったと気づく。頑張っても結局不利益を持ってきてしまった自分の存在意義はなんだろう。絶対部から1人は出さないといけない都学連の運営枠を埋めていることくらいしか思いつかない。

 

自分にとってこの部にいることは正解なのか、この部にとって自分がいることは正解なのか。考えれば考えるほど間違いだなあと思ってしまう。そんな3年間を過ごしていた。

 

最後のfeelingsには印象に残っていること、という意味で、私の挫折経験top2を残したいと思う。

 

 

【第2位 休部】

3年生になったばかりの頃、コロナが流行り部活も都リーグも完全に活動停止を余儀なくされた。コロナ禍の中やっと再開できた部活では、感染対策と同時並行で練習・試合を進める難しさと同時に、自分の部活へのモチベーションの保ち方にも難しさを感じるようになった。感染対策の緩さ、slackで流したはずの連絡事項を全然守ってもらえない、練習の雰囲気・始まり方の軽さ、スタッフへの雑な態度、…1つ嫌なところを見つけてしまうと気になるところが次々と目につくようになる。当時、慣れない状況での試合運営に学連の方でも部活の方でも精一杯だった私は、果たして自分の身を削ってまでこの部のために頑張るのが正解か分からなくなった。

そして同じ時期、似たような理由で「辞めたい」というスタッフの声も多く聞くようになった。私の知っている範囲だけで4、5人のスタッフが冗談ではなく辞めたいと思っている状況は相当やばいんじゃないか。そう焦っていた時、試合に負けた後「たまには選手にもバチが当たった方がいい」と他のスタッフに言われ、何かを変えなきゃいけないと強く思うようになった。

 

どうすれば選手の皆にこのままじゃスタッフがいなくなる、応援してもらえるチームじゃなくなると伝えられるだろう、と考えた結果、私は休部という選択をした。スタッフの思いを伝えつつ本当にいなくなっちゃうリアリティを出すには、休部くらい思い切ったことをする必要があると考えたのだ。馴染めてない自分がやれば人間関係へのダメージも少ない、と半ば投げやりな気持ちもありながら休部することにした。

伝えることが目的だったから「今のア式は好きになれない」とslackで宣言し、理由を聞いてくれた人には今間違っていると思う部分を他のスタッフが言っていたことも自分の意見としてそのまま伝えた。危機感を持ってもらいたかったからわざと過激な表現を選んでいたと思う。多くの人に嫌な思いをさせただろうし、実際「身勝手だ」という批判があったことも耳にした。でも1人でも共感して動いてくれる選手がいたらきっと意味があると、私なりの正義感でやったことだった。

 

休部してよかったことは危機感を持ってくれた選手が思ったよりいたことと(あの時連絡をくれた人、本当にありがとうございます)、自分の気持ちを整理できたこと。私自身にとってはア式がない日常の退屈さに気づけるいい機会になった。

逆に反省点は文字で今の嫌な部分を伝えたが故に誤解も結構生んでしまったこと。たとえば「スタッフへの感謝の気持ちを忘れないでほしい」というのは連絡を無視するなどスタッフがチームのためにやっていることを蔑ろにするのは良くないというニュアンスのつもりだったけど、何が何でも感謝しないといけないとか選手がスタッフに業務上の必要な指摘もしづらいとかそんな空気を作ってしまった気がしている。ごめんなさい。

総合的に見ればプラスの効果の方が大きかったんじゃないか、と甘めの自己評価で私は部活に復帰した。

 

しかしこの休部から2ヶ月半後くらいに出た先輩の卒部feelingsを読んで激しく後悔することになる。その先輩の視野の広さには驚くことばかりだったがスタッフとしての責任感が桁違いなことにそのfeelingsで気づかされた。

 

話し合う選択肢をなぜ取れなかったんだろう。どうして一方的に自分が伝えたいところだけを伝えて逃げてしまったんだろう。話し合えばきっと誤解を生むこともなかっただろうに。

今の部活の空気が悪いことをなんで全て選手のせいだと思ったんだろう。スタッフの自分の責任でもあるのに、選手が○○だから〜と責任転嫁していたのではないか。空気を変えるために自分にできることは休部以外にもいっぱいあったはずなのになんで動けなかったんだろう。

そしてそもそも「応援したいと思えるチームじゃない」と言い切ったけど、私は本気で応援しようとしていたのだろうか。勝ち負けより試合の運営を無難にやり切ることばかり気にしているのを「会場責任者の仕事柄仕方ない」と勝手に割り切っていたんじゃないか。勝つために自分の立場で何ができるかを本当に考えたことがあったのか。

 

自分の視野の狭さを、チームのことを本当の意味では考えられてはなかったことを痛感して涙が止まらなかった。自分にはチームの一員であるという責任感も、試合で勝つことへの熱量も足りなかった。

 

 

引退した後の私はこの時の休部について反省はしているが後悔はしていない。裏で文句を言うだけじゃなくて何かを変えるために動いたこと自体は自分の成長だった気がするし、あの時動いていなければ先輩の卒部feelingsを読んでも自分の価値観を見直す契機にはならなかったと思う。とはいえ反省はめちゃくちゃしている。

だけども4年生の夏似たような状況に陥った時、この時の反省を活かしきれたかと言われるとかなり微妙だ。この時よりは自分で空気を変えようとスタッフへの声かけや選手とのコミュニケーションを頑張ったつもりだったけど、結果に繋げられなかったという点で今思うと不十分だったと思う。皆がモチベーション高く活動できる組織づくりの難しさを身をもって感じた経験だった。

 

 

 

【第1位 都学連】

都学連=東京都大学サッカー連盟は、東京都リーグ全体を運営する連盟だ。私は1年の秋からこの連盟で運営メンバーとして活動してきた。

2年の8月、諸事情あり特に引き継ぎもないまま急に幹事長(学生代表)をやることになった。なんのマニュアルもないまま手探りで大人の人と交渉し、運営に携わる学生をまとめ、各チームからの質問に対応する。周りにたくさん迷惑をかけ、たくさん怒られて、自分の知らない話で責任を問われ自暴自棄になり、でも少しずつ連盟でやりたいことも見えてきた、そんな半年だったと思う。

3年春、2つの大きな壁にぶつかった。1つ目はコロナ。リーグ戦も始められず、なんとか始められても運営方法は複雑になり、チームからの問い合わせも急増した。連盟の会議も全てオンラインになり意思疎通も難しくなった。2つ目は都学連内の改革の動き。当時の都学連は学生主体を大事にしていたがエラーも多く、関わってくださっている理事(=連盟の運営に関わる大人の方)の方々と話して学生のサポートをする大人の方を雇おうという話になった。ここでは主に2つ目の方について残したい。

 

その人の登場で連盟は大きく変わった。それまでの連盟は、学生主体という言葉のもと良くも悪くも学生に決定権があったし、運営の方法も基準も学生に任されていた。幹事長を半年経験した私は、チームの仕事を多く抱えるスタッフや選手が学生幹事(=連盟の運営委員)をやってくれているから皆の負担になりすぎないように効率化を図りつつ、皆の帰属意識を高めることで基準も上げられたらいいな、と漠然と思っていた。この方向性に賛同してくれていた学生幹事は多かったと自分では思っている。

その人に来てもらった目的はあくまで学生のサポートだったけれど、その人は連盟の運営基準をあげるため主導権を握って大改革を始めた。今思えば必要なこともたくさんあったと思うが、当時の私たちにはついていけなかった。1つ連絡事項を流すのにも確認が入り合格をもらえるまで修正を要求されたり、急にやり方を変えるよう迫られたり、所属チームに突然厳しい対応をとるように言われたり…要はコロナでただでさえ変則的になったかつ仕事量が増えていたところに追い打ちをかけられたような形だった。その指示は必要性が見えないものも多くて、(個人的には)8割くらい納得できないものだった。それは他の学生も似たり寄ったりの人が多くて、学連で頑張りたいと4月には明るく言ってくれてた子がだんだん落ち込んでいくようになった。これを伝えて納得して働ける組織を作ることが自分の役目だと私は頻繁にその人に抗議するようになった。

「学生幹事の皆もチームの仕事もある中でやってくれてるから、今のやり方だと両立できないです。」「それを急に言われても受け入れられないチームは多いです。実際に連絡が来てます。」「学生がただの雑用係になっているのでもう少し学生主体に戻しませんか?」「それって本当に必要ですか?」

いろいろ伝えてはみたけど状況はあまり変わらず、日々の業務に忙殺されていった。

 

その人のやり方に抵抗していたからだろうか。次第に自分の知らないところで連盟の方針が決まることが増えていった。来年の学生幹事募集の案内すら、チームへのメールで初めてその人が採用権を持ってやるらしいことを知った。さらに一部の理事の方々とその人で都学連を大きく改革する予定だ、という話を聞き、会議に参加させてほしいと頼み込んだ。幹事長なのに何も知らないことが悔しかったのが半分、その人の思うままに連盟がなるのは危険なのではという思いが半分だったと思う。

 

頼み込んで行かせてもらった会議。連盟の運営方法だけじゃなくてリーグ自体も改革するのには驚いたし、思ったより改革の話は形になっていた。本当はいろいろ反論したいと思っていたけど、レベルを上げるためだと言われたら何も言えなくなってしまった。しかも私は完全にアウェイ状態だった。

そして結論から言えばこの会議で私のメンタルは完全にぶっ壊れてしまった。

仲のいい理事の方に見せてもらった前回会議の資料には学生幹事の現状というページがあって、「ミスがあれば連盟だけをやっているわけではないと言い訳する」「公式を知らないのに方程式を解こうとしている」と書かれていた。見た瞬間に私のことだと分かった。

 

言い訳で「連盟だけをやっているわけじゃない」と言ったつもりはなかった、効率を上げたいという話がしたいだけだった。でも当時の私は多分、必要最低限のことをやらないくせに理想論だけ語る人間として写っていたんだろう。学生を雑用係にしないでほしいと言うくせに仕事が増えるのは困ると騒ぐ、自己中心的な幹事長と捉えられていたのかもしれない。でも周りで頑張っている学生に限界が来ていることも、その人が出す指示や判断基準に納得できていない学生がたくさんいることも私は誰よりも知っていた。それに新しい制度は金銭的な意味でも細かいルールの部分でも厳しすぎて大学サッカーの機会が奪われるチームが多いんじゃないかという危機感もあった。

 

自分の主張が自己中心的じゃないとも言い切れず自分が持っていた「正解」が信じられない。かといってその人の言う「正解」も受け入れられない。そのうえに自分がどう足掻いても結末は変わらないだろうという予測もできて、自分の無力さに心が折れた。

 

丸の内線で泣きながら帰ったその日以降、気づいたら泣いていたり一人暮らしのはずなのに誰かに見られているような感覚が抜けなくて家中を見回ったりする夜が増えた。これ以上関わると自分が潰れてしまうと思って私は逃げた。そして連盟はその人の言った通りに改革され、私たち学生幹事は突然今年で解散と言い渡されて連盟を去るという結末に陥った。

 

 

結局私は1年半も幹事長をやらせてもらえたのに、連盟にも学生幹事として連盟に関わってくれた皆にも何も残せなかったと思う。引き継ぎがなかったから、コロナだったから、チームの仕事もやらないといけなかったから、突然現れたその人とそりが合わなかったから。言い訳はいっぱいできるけれど、言い訳でしかないことは自分が1番分かっている。私には皆の思いをうまく伝えられなかったし、その人に折衷案を取ることを提案できる能力もキャパもなかった。今思えば改革が必要だったことも理解できる。所属チームのことを考えれば運営基準を上げてミスを減らす必要があったのは間違いない。でも私は自分の周りで頑張っている人を守りたかったから、運営する学生側の視点ばかり持ってしまった。両方の妥協点を探れなかったのは結局視野が狭かったんだと思う。

 

最後に大人に言われた「改革には犠牲が必要だから」という言葉が忘れられない。

なんで自分たちが犠牲にならないといけなかったんだろう。どうすれば皆を犠牲にせずにすんだんだろう。

その答えはまだ出せていない。答えを探すことしか今の私にはできないから、見つかるまで探し続けたいと思う。

 

 

 

 

 

この2つの経験から気づけたものは本当にいっぱいあった。ちゃんと自分の意見を面と向かって伝えることが大事なこと、自分がやりたいことは明確にしておく必要があること、0か1かで考えるんじゃなくてお互いが納得できる道を探すこと。あげればキリがない。そして自分の弱さとも向き合うことができた。ここでの気づきが自分を大きく変えてくれたと思う。

ちなみに私が選んだファーストキャリアの方向性もこの2つの経験がもとになってやりたいと思ったことだ。どうやったら皆が楽しく働けるのか、組織の人にまつわる課題の解決方法は何なのか、働きながら学んでいきたい。

 

 

 

話は大きく変わるが、4年目の今年は今までで1番充実していた気がする。

部員との価値観の差にしんどくなって衝動的にやめてやる!と思った夜も、自分の何気ない発言が部に不利益をもたらしてしまったことに気づいて大泣きした夜もあったけど、いいこともたくさんあった。前より自分から部員と話せるようになったこと、相談してくれる後輩が増えたこと、チームが勝った時喜べるだけじゃなくて負けた時心から悔しいと思えるようになったこと。皆にとっては普通のことかもしれない、でも3年間それができなかった私にとってはやっとちゃんと部員になれた気がして本当に嬉しかった。

 

 

 

自分にとってこの部にいることは正解なのか。今なら正解だったと自信を持って言える気がする。

この4年間で信じられないくらいいろんな経験ができた。ア式以外のサークルや団体には所属していなかったのにかなり深い大学生活が送れた。他大学の監督や部員、サッカーを頑張っている高校生、支えてくださる大人の方、企業の方など多くの人と出会うこともできた。今回のfeelingsではしんどかったことを中心に取り上げてしまったけど楽しいことや嬉しいこともたくさんあった。入部した理由になったリクルート活動にも関わることができたし、メインでやらせてもらった試合運営の仕事は自分に合っていると自信を持てるものだった。

 

部の存在目的として掲げられている「部員全員がサッカーの楽しさを享受する」とはきっとこういうことなのかな、と最近思う。

私にとってサッカーの楽しさは「自分を知らない世界に連れて行ってくれること」だった。サッカーを見たことさえほとんどなかった私が、サッカーを通して多くの人と出会い、いろんなことを学ぶことができた。引退後にもサッカー関連の団体の運営に誘っていただくなど、その縁が続いていることにびっくりしつつ嬉しく思っている自分がいる。私の4年間はア式じゃなきゃダメだった、と思えるようになって良かった。

 

 

でも逆に、この部にとって私がいることが正解だったかと聞かれると不十分だったとしか言えない。

私は最後まで選手の気持ちを考えることは苦手だったし、今あるものをさらに良くするために努力することも勝利を最重要事項として考えることも苦手だった。理論的に話そうと思っていても気づけば感情論になることばかりだった。やりたいorやらないといけないと思っていたことで引退までにできなかったこともたくさんある。しんどい思いをしていると気づいていたのに支えられなかった人もたくさんいる。都学連に関しては先にも書いた通りできなかったことだらけだ。

でも自分の今の目標はポジティブに生きることなので反省はこれくらいにしておきたい。

4年間頑張った事実は変わらないと、一生懸命考えて行動したことに正解も間違いもないと信じて、生きていきたいと思う。

 

 

 

 

最後に感謝を。長くなるので2方向のみに書きます。他の人にもまた会えた時伝えさせてください。

 

まず学連で出会った皆。

皆には感謝というより謝罪です。1年半も幹事長をやらせてもらえたのに皆に何も残せなかったと思います。語るだけ理想論を語ったのにうまく行動に移せなくて本当にごめん。

最後の方は本当にしんどいこと、やるせないことばかりだったと思います。そんな状況の中ついてきてくれてありがとう。最後まで仲間でいてくれてありがとう。学連に入らなかったら確実に関わることのなかったであろう皆と出会えて本当に良かったです。

 

そして同期の皆。うまく伝えられていませんが私はこの代が本当に好きです。

選手の皆。どんな時でもチームのために動ける皆を尊敬していたし、同期でいられることがすごく嬉しかったです。皆のサッカーを頑張っている姿にたくさん元気をもらいました。ありがとう。

スタッフの皆。立場が違うが故に苦しみをわかってあげられなかったこと、たくさんあったと思います。ごめんね。いっぱい笑わせてくれて、追いつきたいと思える存在でいてくれてありがとう。先に辞めてしまった子たちも含めて、皆と一緒にスタッフができて本当によかったです。

 

 

 

本当の本当の最後に、ア式のすごいところを書いて終わります。学連に長くいたからこそ私には客観的に部を見る機会がたくさんありました。いいところをいっぱい分かっていたのに、引退する前はうまく発信できなかったのでここに残して終わろうと思います。

 

「今の環境は当たり前じゃないから感謝して、、、」という言葉をア式ではよく聞きますが、本当にその通りだと思います。

東京の真ん中に人工芝のグラウンドがあること。

30人近いスタッフがチームのために働いてくれること。

サッカーがしたくてこの部に入ったはずの選手がピッチ外のことも真剣にやってくれること。

いろんなユニットで頑張ってくれる人がいること、それもあってメディアに取り上げてもらえる機会が多いこと。

自分が出ていない試合も応援する文化があること。

学生主体を尊重しながら困った時には助けてくださるOBの方がたくさんいること。

 

どれもこれも本当にすごいことです。簡単に真似できることではありません。

感謝して、というのは行動で示さないと意味がないと私は思います。後輩の皆には、ぜひ部活への向き合い方、チームメイトや相手チームへの態度など1回振り返ってみてほしいです。そしてこの環境を守りつつ、選手スタッフ関係なくサッカーの楽しさを感じながら輝いてほしいです。心から応援しています。



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