走り抜けた3ヶ月

古野遼太(4年/試合運営/ラ・サール高校)


先日就活を終えることができた。今年の3月から始めて5月中に事実上の内々定を頂けたのは幸運だったと思う。夏のインターンから1年間やる人もいる訳だから、かなり短期間で終えた方だろう。それでもこの3ヶ月は長かった。全くの0 から始めたため、上手くいかないことばかりだったし精神的に辛い時もあった。3月にはアミノバイタルカップがあり、4月からはリーグ戦が始まったので、部活を本格的にやりながら並行して就活もすることとなったが、想像以上にきつかった。

 

そんな就活をしている中で、本気で入社したいと思った企業は3社だけだった。そしてその内の1社から内々定を頂けた。今回のfeelingsでは落ちた2社の選考体験をお伝えしようと思う。内々定先のことを色々書くのは憚られるため、ご了承いただきたい。なお、就活弱者の僕から後輩にアドバイスできることなど何一つないので、「そんなことがあったのね」くらいの感覚で読んでもらえると幸いだ。

 

 

1社目は某エンタメ業界の企業だ。この企業は音楽、アニメ、イベント等を多角的に展開している。この企業に興味を持ったきっかけは3年前の夏まで遡る。私が大学1年生の時に参加した某アニメのイベントだ。このイベントは、最新技術を用いてアニメの世界を再現したり、初公開の原画や展示物があったり、限定グッズを販売したりとファンにとって大変魅力的なものだった。その中でも最も印象に残っているのが、自分の周り360°を囲む4面巨大スクリーンに映し出された映像の鑑賞体験だ。オリジナルソングをBGMとして過去の名シーンを振り返るというものだったが、その圧倒的な映像・音楽を前に鳥肌も涙も止まらなかった。心が直接揺さぶられる、そして自然と涙が溢れてくる、そういう感覚は初めてだった。会場を後にする時、心の底から参加してよかったと思ったし、このイベントを企画・運営してくださったスタッフの皆様に感謝しかなかった。この経験から、自分も参加者の心に残り満足していただけるようなイベントを企画・運営してみたいと考えるようになったのである。

 

まず、3月中旬にエントリーシートを提出した。聞かれた内容はガクチカや好きなエンタテインメント、入社してから挑戦したいこと、魅力が伝わるエピソード(写真付きで)等だった。特徴的なのは所属大学を聞かれないことだろう。この企業は評価基準に学歴を一切入れていない。選考中に所属大学を伝えたら不合格が確定するという噂がオープンチャットで流れるほどだ。それくらい「その人が企業にマッチするかどうか」を重要視している。3月末に書類通過の連絡が来て(どうやらほとんどの人が通過していたようだが)、次のステップWEB診断と適正検査に進むこととなった。

 

WEB診断も特徴的で、「こういう場合あなたはどうする?」という特殊な質問が出され5つほどある選択肢から答えを選ぶというものだった。1問あたり回答に8秒しか猶予がなく、本当に感覚で選ぶ他なかった。マッチ具合を測るにはあまり考えさせない方がよいということだろう。その後筆記試験は4月初めにある会場に集められ対面で行われた。複数日程あるにも関わらず、私が参加した回だけでも300人くらいはいたので、ここでめっちゃ絞られるんだろうなというのは感じた。筆記試験の前に事業内容を紹介する15分ほどのVTRがあった。流行りのアーティスト・芸人からの応援コメントがあったり、ライブやアニメの映像が流れたりと正直めちゃくちゃテンションが上がった。今から選考という時でさえ楽しませてくれるのは流石である。入社後のことを想像し期待に胸を膨らませる中いよいよ筆記試験が始まる訳だが、筆記試験までもSPIや玉手箱のような一般的なものではなかった。どこか外部の試験だと思うが、2つの言葉が同じか(「えけねめの、えけねぬの」なら×みたいな)、ある語句を言い換えたものはどれか、ある立体を展開図にしたらどれが適切か、掛け算・割り算の筆算、算数の文章題等いくつかのセクションがあり、それぞれ時間制限がある中で11問は簡単だが絶対に解き切れない量の問題が出されるというものだった。受けてみて思ったが、これは対策しようのないものだったし、そこそこ解けたのでやらかしたという感覚はなかった。ただ選考通過の基準が全く分からなかったので、多少の不安を覚えつつ祈るばかりであった。

 

結果は不合格だった。選考通過のメールは一斉に送られることが多いため、オープンチャットに入っているとそのタイミングで騒がしくなる。そこでメールが来ていないと落ちたことを悟る訳だが、企業から正式な連絡が来た訳ではないため一縷の望みは持ち続けた。だがその甲斐虚しく数日後にお祈りメールが届き、諦めることを余儀なくされた。志望度の高い企業に面接すら受けさせてもらえないのはショックが大きかった。それでも後悔はなかった(というか後悔する要素がなかった)し、それだけ自分には向いてなかったのだと考えることで比較的早目に切り替えることができたように思う。イベントを企画・運営する側にはなれなかったが、これからも貴社のコンテンツを楽しませていただきたい。

 

 

2社目は某飲料メーカーだ。率直に言うと、私が最も愛している飲料「抹茶ラテ」をこの企業が提供しているからエントリーした。昨年ふとスーパーで見かけた抹茶ラテを軽い気持ちで買ったところ一発で爆ハマりした。他のメーカーの抹茶ラテも1回は試してみたが、どうも自分の好みではなかった。それ以降身体が自然とこの抹茶ラテを欲するようになり、今でも週2本は飲んでいる。「そんな浅い理由じゃ受かる訳ないだろ」と言われそうなので1つエピソードを挙げよう。

 

部員にもあまり知られていないと思うが、実は今年の1月に2週間ほど入院していた。このためにチームの始動にも遅れることとなった。年が明けてから地元の鹿児島に帰省したのだが、帰省2日目の夜に少し胃痛を感じるようになった。夕飯のカレーをおかわりしたので「食べ過ぎちゃったなあ」なんて思って早目に布団に入ったのだが、しばらくしてその痛みが異常であることを認識した。胃薬も服用したが全く効果がなく、加えて熱まで出始めた。そして熱の苦しさを微塵も感じられないほど胃痛が酷くなっていった。消化ができず胃に食べ物が溜まっているような感覚だった。流石に親も心配して、緊急病院で診察してもらうこととなったのだが、病院に着いた時には熱が39℃近くまで上がっていた。東京から来た奴が熱を出しているということで真っ先にコロナを疑われた。それは当然だろうと思いつつも、コロナ云々ではなく胃が一番ヤバイということをなんとか伝えようとしたが、取り合ってもらえなかった。結局そのまま帰宅し朝になったら総合病院で検査してもらうことにした。しかし、そこからが長かった。胃痛が酷過ぎて全く眠れず、それどころか声を抑えられないほどで夜通し「痛いってー」と叫んでいた。クソ迷惑だったと思うが本当に我慢できなかった。何度か吐きもしたのだがあまり楽にはならなかった。そんなこんなでようやく夜が明け、かかりつけの病院に紹介状を書いてもらうことで、総合病院でコロナと胃の検査をしてもらった。幸いなことにコロナは陰性だったのだが、CT検査の結果胃と大腸がパンパンに膨れ上がっていることが判明したため、治るまで入院する運びとなった。帰省していきなり全く予期していない事態となったので戸惑っていたが、病院で胃に管を通してもらい無理矢理吐かされたことで胃痛は大分マシになった。冷静になったことで胃痛の原因を考えてみると、帰省した日に食べた鳥刺しに当たったのではないかという結論に至った。そこから3日間は何も食べず点滴だけで過ごした。4日目からは食事が出されるようになったのだが、食事といっても重湯やミキサー食だったので口に合わずほとんど手を付けなかった。空腹状態がずっと続き辛い中で、唯一の楽しみだったのが抹茶ラテであった。医師から飲み物なら自由に飲んでOKと伝えられたため、病院1階にあるコンビニで毎日買っていた。おにぎりやお菓子の誘惑はかなりのものだったが、グッと我慢し抹茶ラテのみに留めた。普通の食事が出るようになってからも退院までずっと抹茶ラテは飲み続けた。抹茶ラテが入院中の心の支えとなったと言っても過言ではない。余談だが、大腸の検査前には、中の様子がよく見えるように下剤を飲んで綺麗にする必要がある。下剤を飲んで例のブツを出し続け最終的に透明な液体状となったら検査に入れるのだ。私も大腸の検査があって下剤を飲んだのだが、抹茶ラテを飲み続けたせいで透明にはならず緑色となった。看護師さんに確認してもらったところ問題ないとのことだったので、検査には入れたのだが。汚い話となって申し訳ない。

 

話を戻そう。この企業の選考日程はエントリーシートの締め切りが2月半ばのものと3月末のものの2つある。それぞれ選考ステップや求める人材、募集人数等が異なるのだ。3月から就活を始めた私は当然3月末の日程でエントリーした。後から聞いた話だが、ア式の同期にもこの日程でエントリーした部員がいたみたいだ。聞かれた内容はガクチカ、今の私を作り上げたエピソード、あなたらしい写真とその理由、入社してからやりたい仕事等だった。中でも特徴的なのは、今までの人生における「挑戦と創造」の経験をA4一枚の紙に自由に表現するというものだろう。正解がない中でどのように表現するか悩んだが、他の就活生とは一味違う側面を見せなければならないとは考えていた。というのもこの企業はかなり人気で倍率もめちゃくちゃ高いため、東大生とはいえ一目見た時に面白いと思ってもらえなければ面接まで進めないと感じたからである。そこで私は3つのエピソードをそれぞれ1枚ずつ写真を添えて記した。

 

1つ目は5歳から5年間ほど習っていたクラシックバレエの経験だ。妹が習いたいと言い出してバレエ教室見学をした際に同行し、なぜか私が入室することとなった。幼少期から好奇心が旺盛だったため、見学しているうちに自分もやってみたくなったのである。当初のイメージ通り、男子はほとんどいなかったため先生にも先輩方にも本当によくしてもらった。年齢の割に指導は厳しく、稽古中に悔しくて涙を流すこともあったが、それでも楽しかったのを覚えている。一番印象に残っているのが「マヤの一生」の公演だ。「マヤの一生」とは椋鳩十先生原作の戦時中の鹿児島を舞台とした作品である。ちょうど私の4歳上と2歳上のお兄さんたちがいたので私が三男を演じた。戦時中のある家族と飼っている動物たちの物語なので、かなり出番も多く貴重な経験をさせてもらった。

 

2つ目は高校3年生の時に体育祭の応援団をした経験だ。ラ・サール高校では鹿児島出身学生メインの紅軍と福岡出身学生メインの白軍に分かれる。私は紅軍応援団に入り、袴隊として活動した。袴隊はその名の通り、袴を着て応援合戦では表裏の色が異なる扇子を使った演舞を行う。扇子を閉じたり裏返して色を変えたり、他にはウェーブをしたりと集団としてどれだけ美しく魅せるかが求められる。後輩にただ演舞を教えるだけではなく、タイミングまで細かく合わせる必要があるのだ。それゆえ夏休み明けから体育祭までの約1ヶ月間はかなりの練習時間を取られるし、受験前の大事な時期のため応援団を諦める友人も少なくなかった。それでも自分がやりたいと思ったから迷わず応援団に入ったし最後までやり切った。体育祭当日は全力で楽しみ結果白軍に勝利することができたので本当に嬉しかった。ちなみにラ・サールには応援団員が髪を染める文化があり、私も黒・黄・赤(ベルギーの国旗)の3色に染めた。なぜベルギーなのかというと、ちょうどロシアW杯が終わった後だったからである。高校1年生で応援団をした時に金髪には染めたので、特に染めたい色がなくノリで決めた。体育祭が終わると潔く坊主にするのも慣習だ。

 

3つ目はア式での経験だ。2年前に東京都1部リーグへの昇格を決めた日の写真を使わせてもらった。ここではメインで携わっているリーグ戦の運営で取り組んでいることを書いた。

 

写真3枚と文字で埋めたシンプルな構成だったと思うが、根拠のない自信はあった。エントリーシートを提出してから適性検査(玉手箱)を受け、後は結果を待つばかりだった。1ヶ月ほど経つと幸運なことに書類選考通過の連絡が入った。めちゃくちゃ嬉しかったし、何より志望度の高い企業から面接の機会を頂けたことでホッとした。4月末に書類選考通過者限定のセミナーが行われ、その1週間後に一次面接を受けることとなった。そこに向けて着々と準備を進めていたのだが、一次面接前日に事件が起こることとなる。そう、マンチェスター・シティとレアル・マドリーのCL準決勝2ndlegだ。

 

1stlegエティハドで内容は圧倒しながらもなぜか4-3で終わった時から嫌な予感はしていたが、2ndleg73分にマフレズの先制ゴールが決まったことでその不安も忘れ狂喜乱舞した。この時シティサポの誰もが決勝進出を確信しただろう。しかし、皆さんご存知の通り90分、90+1分に途中出場のロドリゴに続けてゴールを奪われ、延長までもつれた挙句ベンゼマにPKを決められ逆転を許してしまった。その後も同点に追い付くことを信じて応援し続けたがレアルの守備を崩すことができず、結果アグリゲートスコア5-6で準決勝敗退。レアルの勝負強さの前にCL初優勝の夢がまたもや潰えることとなった。試合がまだ終わっていないのにリバプールとの決勝を考えてしまった自分の甘さを痛感した。でもそれだけ期待が大きかったし、1回テンションを上げた分落とされたショックは大きかった。選手たちもペップを含めたコーチ陣も出来ることは全てやったと思うし、それでもCLに届かないのかと絶望した。面接前日で最後の準備をするつもりだったが、その日は1日何も手につかなかったので、早く寝て明朝準備をすることに決めた。面接当日の朝起きると思ったよりも気持ちを切り替えることができた。というのも自分の中では19-20シーズンのCL準々決勝でリヨンに敗れた時よりはマシだと思えたからだ。コロナでCLが一旦中断となった影響で、準々決勝もホーム&アウェー方式ではなく中立地での一発勝負となったシーズンだ。1点ビハインドの中、86分にジェズスからのクロスを大外フリーのスターリングがQBKしたシーンを忘れることができない。ゴールを確信した次の瞬間、無慈悲にもボールはバーを越えていった。「なんでそれ外すん!?」とブチ切れて発狂していたのも束の間、87分にムサ・デンベレに追加点を奪われ、結果1-3で準々決勝敗退となったのだ。この時は本当に試合後しばらく魂が抜けていた。他にも18-19シーズンのスパーズとのCL準々決勝など衝撃的な負け方を経験しているために自然と耐性がついているのかもしれない。もうこれ以上は勘弁してもらいたいのだが。

 

そんな訳で一次面接に臨んだ。面接官の方は30歳くらいの男性だった。20分しか時間がないため何を聞かれるのか、どうしたら短い時間の中でアピールできるのかを考えていたが、面接中はずっと笑顔でいることを何よりも心掛けた。実際は提出したエントリーシートに沿って、幼少期から今に至るまで私がどのような経験をし、どのような人柄なのかということを中心に聞かれた。面接官の方が本当に柔らかい雰囲気で話を聞いてくださったので、とても話しやすく、伝えたいことは全て伝え切ることができた。すると面接の2日後に一次面接通過の電話がかかってきた。結構自信があったので、ちゃんと電話が来て安心した。次のステップはメンター面談と二次面接(マネージャー面接)だった。メンター面談というのは選考というより聞きたいことを社員の方に聞ける機会という位置付けだった。メンター面談は40分で、前半20分は一次面接のフィードバックや一次面接でされたような人柄に関する質問があり、後半20分は用意していた質問に回答していただいた。選考とは一切関係ないと言われたが、一次面接で答えた内容との一貫性は意識していた。アピールしつつ、聞きたいことも聞けたため、二次面接に向けていい形で面談を終えることができた。二次面接までほとんど時間はなかったが、二次面接が鬼門らしいと聞いていたので、できることは全てやった。一次面接では聞かれなかったが、志望理由や入社してからやりたいこと、他の飲料メーカーとの比較、今後の課題等聞かれそうな質問については、深掘りされても上手く答えられるように何度も練習をした。友人に模擬面接も行ってもらい、改善すべき点は指摘してもらった。新商品のCMは全てチェックしたし、実際に買って味も確かめた。マイページに載っている社員インタビューにも全て目を通した。他にも社内制度や企業の歴史、環境保護活動や文化活動に至るまでどの角度から質問が来ても焦らないように万全の準備をした。そしてついに二次面接の日を迎えたのだが、面接の前にしなければならないことがあった。次の日にリーグ戦があり、業者に頼んだテントが何時頃大学に届くのか確認しなければならなかったのだ。もちろん前日に業者に電話して確認したのだが、当日の朝にならないと具体的な時間は分からないと言われてしまった。テントの受け取りは他の部員にお願いしていたので、いつ来るか分からないまま待たせる訳にはいかなかった。朝8時過ぎに業者に電話して実際に運送していただくドライバーの方に繋いでもらえるようお願いした。そこからドライバーの方と連絡を取り合っていると面接の時間まで残り僅かとなっていた。流石にこの時ばかりは「大事な面接前にこんなことやってる場合じゃない」と思ったが、電話を終えた後はすぐに切り替えて最後の確認に入った。色々あったが二次面接の時間となった。マネージャー面接というだけあって、面接官の方は50歳くらいの男性だった。二次面接も20分しかなかったので、準備したことをしっかり発揮できるよう意気込んでいた。聞かれたのは一次面接と同じような人柄に関することに加えて、志望理由や入社してからやりたいこと、今までの人生における挫折経験等だった。どれも事前に想定していた内容だったので自分の中では上手く答えることができた。20分はあっという間に過ぎ去ったが、全力を出し切れたので面接後は達成感で満ちていた。「これで落ちても後悔はない」と言えるくらいに。二次面接を通過したら本社での最終面接に進めるので、ひたすら結果を待ち続けた。しかし、中々連絡は来なかった。この企業は通過の場合すぐに連絡が来ると聞いていたので、数日連絡が来なかったことで、「落ちちゃったのかー」と落ち込んでしまった。それまでに受けたどの企業よりも対策に時間を掛けたので、想像以上にダメージは大きかった。それでもなんとか切り替えて、他の企業の選考準備に取り掛かった。お祈りメールが実際に届いたのは2週間ほど後であった。偶然なことに、届いた日は内々定を頂くことになった企業の最終面接前日であった。私は結構運命を信じるタチなので、これは「明日最終面接を受ける企業に行きなさい」ということなのだろうとポジティブに捉えることができた。不合格となった理由は想像でしかないが、面接官と会話する意識が足りていなかったからだと思っている。自分の伝えたいことばかり考えてしまい、面接官に聞かれていること以上を答えてしまっていた気がする。貴社で営業や商品開発に携わることは叶わなかったが、これからも貴社の商品を愛飲させていただきたい。

 

 

何はともあれ就活を終えることができたので、引退まで残された時間は少ないが部活に全力で取り組む所存だ。

 

 

脱線しがちな拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

 

以上

 

古野

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