不完全感覚Player

古川泰士(3年/MF/東大寺学園高校)


はじめまして、久野の同期です。

この肩書きと出会って早一年。

メモ帳でお蔵入りになっていた書きかけのfeelingsの書き出しである。その「一年」がもう「二年」になっていた。

一年ぶりに書き進めるわけだが、この数字が「三」になっていないことを願うばかりだ。

さてfeelingsであるが、ある友人が「反省文」と形容していた。まぁ遠からず。過去が意味を持つのは、それをなんらかの形で未来に生かした時。しかし、過去は美化されがちで、自分自身を客観視していると思い込み自己賛美するのがオチだ。

とはいえまだ一度も書いてないわけだ。傲慢なこの成人男性にとっては自省のいい機会になるだろう。

まずは入学以前。

サッカーとの出会いは小学一年生。目が悪すぎて野球ボールをキャッチできない少年は自然と比較的見える大きな球体を蹴りはじめた。

小中高といわゆる強豪チームではなく、総じて強制も矯正もしない指導者に恵まれて、自由にプレーさせてもらえた。今の彼のプレースタイルを見ればご納得いただけるだろう。

その結果かなり生意気なサッカー人に育ってしまったわけであるが、一皮剥けばどうしようもない「弱い」プレーヤーであることは大学以前の12年間で嫌というほど痛感していた。

周りの人間は恐らく気づいていただろうが、少年のプライドを気にしてか面と向かって指摘した者はほぼいない。かといって少年はその弱みを素直に晒せるほど強い人間でもなかった。

思い出す場面なんていくらでもある。かき消せないほどに。

なぜあの場面で脚を振れなかったのだろうか。

そうあの時だ。インハイで負けた試合。みんなは覚えていないかもしれない。チャンスを逃しながらもその刹那感じていた。「またやってるのか。」

ここぞという場面で実力が出る。

よく言われる話だ。

まさにその場面で別人に変してしまう。自分の弱さに辟易とし、試合が終われば自分のせいで負けたと一丁前に感傷に浸る。もう繰り返さないと何度思ったか。しかし結果はなによりも雄弁だった。

字面だけ追えばサッカーを辞める人間のようだ。しかし、本気で辞めようと思ったことは覚えている限りでは存在しない。

感じた弱さは自分自身の人間的な弱さだった。

こうして毎度捨てあぐねた結果、東京にまで持ってきてしまったが。

いつかこの自分を卒業できるのか。

そんなことを思いながら高校までのサッカーは幕を閉じていった。

そんな少年に聞きたくなるかもしれない

なんでサッカーやってるの?

そうサッカーは「興じるもの」。少年にとって出せた答えはただそれだけだった。

そろそろ入学してもらおう。

気がつくと東大を2回受験しコロナ襲来とともに大学生活は始まっていた。

そしてまたサッカーが日常にかえってきた。

一年目のシーズン。

地獄のオンライントレを抜けグラウンドでの練習が始まったのが8月。

正直「やれるな」と感じていた。体力の凹みはあったけど、じきにAには上がれるだろうだなんて。だから最初に上がれなかった時は結構悔しかった。

と、口は相変わらず一丁前だが身体は正直だ。

9月の頭に肉が離れた。その後二ヶ月くらいを棒に振った。怪我なんて階段から飛び降りて捻挫したことしかなかったため、第一にショックだった。

しかしこの怪我については当時も現在もそれほどネガティブではない。なぜなら原因が内的なものであり自分を納得させられたから。もっと早く離脱しとけば、日頃から栄養に気を遣って食事を摂っていれば。

怪我によるストレスを自分が改善できることにぶつける。そうして自分にベクトルを向けることができポジティブに過ごせた。

自分騙しかもしれないが、「自分」は思ったよりバカだ。

今までの親のサポートに気づき心から感謝できたこと、自炊習慣なるレアステータスが手に入ったこと、我が師「たでぃ」と出会いトレーニングしたこと。

始動1ヶ月の貯金は底をつき再びゼロからのスタートにはなったが、悪くないトレードだった。

なぜか復帰してからの方がしんどかったのが辛い話だ。当時はシーズン終盤で育成チームも集大成感があった。完全な乗り遅れた感。

耳が痛いほど言われた。球離れが悪いと。

理解はできた。

しかし

多少そうであってもなんとか出来ない自分の技術不足への苛立ちと

自分の中にしっくりくる正解が見つけられないことへの焦燥感とが

身体にずっとまとわりついている。

そんな沼にハマっていっていた。

シーズン終了まで沼から抜け出すきっかけは得られずじまい、、

そんなファーストシーズンでなによりもショック(という言い方は良くないが)だったのは

シーズン終わりに4人の育成コーチから「守備は良いよね」みたいな話をされたことだった。

人生で守備が強みと自分で認識したことはなかったわけだが、

自分の思わぬ強みが見つかった喜びよりも、自分の思う強みが認められなかった悔しさの方が大きかった。

当時も自分なりに上述した課題に向かってはいた。コーチには色々聞いたし、映像も色々見た。とはいえ考えれば考えるほど訳が分からなくなっていった。

自分の強みってなんなんだろう。

就活の話ではない。

こうしてシーズン当初には想像もしなかった形でひたすらに不完全燃焼感を残し一年目のシーズンが終わった。

監督も変わり二年目のシーズン。

オフを経て昨年の答えを見つけられたわけではなかった。しかしまあ地道に一つ一つ解決していこう。そうリフレッシュした気持ちを携えて南埠頭へ向かった気がする。

前年の不甲斐ない出来で新体制下では育成スタート。悔しさもあったが、自分の課題を見つめ直す期間として真摯にトレーニングに取り組めた。逆境にポジティブに取り組めるのは一種の個性か。

程なくしてAに上がった。ようやくスタートラインに立てた。そんな感じだった。

これは完全な自論だが、ことサッカーにおいてあるプレーが上手くいくかは、「その行為者の広義な面でのスキル×その瞬間での確度」によって決まると思っている。

前者は短期間で劇的な変化を起こすことが珍しい。となれば、後者を引き上げるのが効率的だ。そのプレーを選択する刹那どれくらいの自信を持ってそれを選択できたか。不思議なもので確度があれば上手くいくわけではないが、確度がなければ大抵上手くいかない。

首を振り周りの状況を認知し選択肢を確保することでプレッシャーの圧度を下げ簡単な状況に落とし込む。簡単なようで難しい。そもそも何を見てそこから何を得るのか。戦術を理解すること、俯瞰された映像を通して正解を学ぶこと、そして自らの失敗を省みること。これらのプロセスを通じてでしか「根本的な」確度の改善は図れない。

しかし選ぶのはいつも一過性の解決策。やるべきことを限定し思考の負荷を減らしあとは感覚に任せる。ことリアクションサッカーなら上手くいくかもしれない。しかしボールを保持し相手を能動的に動かす上で、思考プロセスは外せない。なにより本質的な改善ではない。

大体の選手がそうだろう。

「感覚」、「ノリ」。

こういった脆弱な要素に頼っていればいつかボロがでる。

上手いサイクルにハマれば問題ない。逆の場合に症状化するその癌細胞。答えは簡単だ。明確な根拠がない精神的な部分に起因しているからだ。そのカテゴリーレベルをはるかに上回る技術や能力の持ち主や、圧倒的で感動的なほどの自信家であれば不可視化できるだろう。

しかしこと凡人には大いなる難題だ。

根拠ある自信をもとに自らのスキルに確度を掛け与えること。

どうすればその細胞は切除できるのか?

困ったことに少年は人見知りである。

最初のうちは練習でも自分のプレーが出せないこともあったが、プレシーズン中にはセカンドで自信を持ってプレーできるようになっていた。

そうこうしているとリーグ戦が始まり、一度中断するまでの何試合かには出場した。一方で手応えはあまりなかった。基本はずっと守備だったしSHの景色には見覚えがなさすぎた。

とはいえ一瞬光が見えた時期があった。IHとしてスタメンを掴むチャンス。しかし怪我でフイに。この頃から怪しい臭いが2021年に漂い始めていた。

以降も出るチャンスはあったものの、尻すぼみが的確な表現か。なにより本質的な解決策を持ち合わせていなかったため、「11番目のプレーヤー」としての重圧はことさらに感じ、パフォーマンスは負のスパイラルに入った。

鶏口となるも牛後となること勿れ。

立場や環境、立ち位置は劇薬だ。

人を生かし殺しもする。

シーズンが進むにつれてチームは固まる。

そこで一瞬のチャンスをモノにできるかがセカンドチームの選手に課せられた第一でありハードルの高いタスク。

再度自分の「弱さ」と向き合うことに。

状況は違えど根本は同じだ。必要な時に自分のパフォーマンスを発揮できないこと。結局またここに返ってきてしまう。

それ自体を実力の無さと言いくるめてしまっては詰みだ。

あくまでどう確度を高めていくか。

特に去年はセカンドの試合が中々組めず、6.7月あたりはかなりキツかった。

この時期のことはあんまり記憶にないが、チームが唯一勝利した試合で少年の姿が唯一ベンチになかったことだけは鮮明に刻まれている。

そんな中アンカーを経験し、中盤の景色に立ち戻り、徐々に浮上するきっかけが掴めた。やはりボールに触れるのはいい。

特にアンカーならばやることはかなり単純化できた。自分の中に正解を投影して淡々と。リスキーでエゴなプレーはご愛嬌程度に。守備だけは絶対的なプレゼンスを。

セカンドの試合も増え、成功体験が積み上がる中で自信が芽生えてきた。

ちょっといいプレーができたからっていう脆いやつじゃない。そう思えるくらいのもの。

今まではベンチでも正直あまりいいイメージを描けていなかった。

しかしちょうど8月後半ごろからだろうか。

自分が出て活躍する絵を描けるようになった。

そうあの紅白戦あたり。

調子に乗っていたわけでもない。厄年でもなかった。

今日の試合は出番が来るだろう。準備はできている。

そう思い亜細亜大学に向かった。

一生忘れることのない9/25

しかし出番はなかった。

そして彼が公式戦に帰って来れたのはほんの1ヶ月前のことだ。

(4月時点)

少年の身に何が。

(これを校正しているのは7月。

3ヶ月寝ていたこの文が漏洩させられるらしい。

もう今月で22歳である。

少年は不適切か。)

彼の身に何が。

それを経て彼は何を見て何を思うか。

彼に纏わりついた弱さは払拭できたのか。

答え合わせはまた今度。

Let’s take it someday

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