何者

松井誠杜(4年/テクニカルスタッフ・実況/智弁学園和歌山高校)

時の流れは早いもので、卒部してからおよそ3ヶ月が経った。最終戦の日は少し感傷的になったものだが、今は部活がないなりにそこそこ楽しく毎日を過ごしている。前回feelingsで、ア式のない生活を「新たな惰性の流れに身を置いてそれなりに生きていくだろう」と書いていたが、まさに予言通りである。

 

 

それでもふと、ア式のない日々に張り合いのなさを感じ、現役のみんなを羨ましく思うこともある。しかしこれから研究に就活に忙しくなる毎日の中で、このような感情は忘れ去ってしまうのかもしれない。そこで、悲しいかな少しずつ忘れていく運命にあるア式生活を記録し記憶に留めておくため、4年間のア式生活の総まとめとしてfeelingsを書かせていただこうと思う。これまではfeelingsの名の通り、主に「今考えていること」を文章にしたためてきた。でも今回は最終回ということで、これまでのア式生活を細かく振り返り、あまり人に話してこなかったその時々の心情も含めてできるだけさらけ出そうと思う。あくまで自分のためのfeelingsになっていることをご容赦願いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20194月。長いテント列を前に思いは一つ。

 

「何かこれまでの人生で触れたことのない世界に足を踏み入れたい」

 

 

 

ア式蹴球部は最初から5番目ぐらいであっただろうか。プレー経験がないことを伝えると、前年のW杯を観たかと食い下がってきた。正直めんどくさかったが、運悪く(運良く?)日本代表の試合は全て観ていたために、テントへと引きずり込まれた。

 

 

そこにはマネージャーと思しき小柄な女性が一人。彼女は、対戦相手や自分のチームの分析を担当しているといい、当時使っていた分析ソフトの画面なんかも見せながらいろいろと説明してくれた。内容は記憶の彼方に消えてしまったが、分析オモロそうやなと思ったことだけは覚えている。要らん繋がりを持つのがイヤだったので、LINEの交換は断ってテントを出た。

 

 

 

来る者を拒まないスタイルはテント列には相性が悪く、抜けた頃には陽が傾いていた。しかし、最序盤の「ア式蹴球部での分析」以降、僕の心に強く残った団体はなかった。

 

 

 

翌日のサークルオリエンテーションでもア式のブースに足を運んだ。前日と同じ女性に対応してもらい、ようやくLINEを交換した。テクニカルスタッフの石﨑梨理さんというらしい。

 

 

 

 

そこから、東京メトロ南北線・東大前駅を京王井の頭線・駒場東大前駅と勘違いして待ちぼうけるという大ポカを経つつ、練習の見学に1回足を運んだだけで入部を決めてしまった。このとき他の部活・サークルは一度も訪問しないままだった。僕は極度に優柔不断な性格なので、選択肢をできるだけ狭めるために勧誘していただいた団体とのご縁を大事にしようと思っていたのだ。まあTwitterみたいな文明の利器は利用していなかったし、タダ飯で恩を買うのも嫌だし、活動にちょっと興味はあったし、ア式は僕にとってちょうどよかった。

 

 

 

と、こんな軽いノリで入部を決めてしまった。まもなく、入部に際して主将との面談が行われたのだが、その中で当時の松坂主将から問われた1つの質問が忘れられない。

 

 

「これから先ア式で活動する中で、苦しいこともあるだろうけど、それでもア式蹴球部で4年間やり通す覚悟はあるか」

 

 

おそらくはみんな通っているであろう通過儀礼のようなこの質問に、正直かなり面食らった。ノリで入部したサッカー素人にそんな覚悟かけらもあるわけがない。返答に窮して「いやあ、そんなこと言われても…」と呟くのが精一杯だった。なんとなく、大変なところに来てしまったなとは感じたが、ア式蹴球部がどれだけサッカーに本気で熱い集団なのかを理解するのはまだしばらく先のことである。

 

 

 

 

 

 

ここから長くも短い僕のア式生活が始まるわけだが、それを一言で表すなら、「テクニカル・応援・実況の3本柱」であろう。文章がとっ散らからないよう、ここからはその大きな柱に沿って3本立てで書き進める。

 

 

 

 

 

テクニカル編 〜覚悟を決める難しさ〜

 

僕のア式生活は、入部式の挨拶で「サッカーより野球の方が好きです」と言い放ち、LBの方々の苦笑を誘ってしまったところから始まった。サッカーの素養がほぼゼロだったので、同期たちとサッカーの基本のきから学ぶ時間が始まった。ビルドアップという単語さえ初耳で、カウンター以外にゴールに向かう手段があることすら新鮮だった。部室に行っては先輩の話を聞き、スカウティングmtgを見学し、時にはプロの試合を見て分析の練習なんかもした。今季は一丁前に1年生にアドバイスなんかしていたが、今の1年生が見たら呆れるほどクオリティは低いものであろう。

 

 

まあ初めからスイスイ上達するわけはないと思っていたので、できないのは全然気にしていなかった。むしろ、サッカーについて新しい知識を得られるのが楽しかった。

 

 

 

 

劇勝のうちにリーグ戦が幕を閉じ、都トーナメントが終わって新人戦の季節を迎えた。僕は同期の古野とともに、初めてのスカウティングを任された。映像を撮りに行き、一週間半ほどで資料を準備してミーティングを行った。正直全く自信はなかったが、何度も映像を見返して必死にスカウティングした。資料のデータを残さなかったのが実に惜しい。

 

 

試合には負けた。内容は吉本遼平さんがゴールを決めたこと以外覚えていない。初めてベンチにも入らせてもらえたが、何もできなかった。というか、スカウティングを終えた時点で僕の仕事は完了したとさえ思っていた。勝ちたいという気持ちもそんなに強くなかったかもしれない。

 

 

 

一年目を終えて、サッカーのあれこれを知ることはできた。でもそこに、勝利を目指すチームの結果に責任の一端を負う者である自覚はなかった。なんとなく楽しく過ごした一年が終わった。

 

 

 

 

 

2020シーズンは、前年の「サッカーを知る」とは打って変わって、「リーグ戦のスカウティングをする」という具体的な目標を設定した。稲田さんにはシーズン後半からでも任せるかもしれないと言われていたので、少し気合が入っていた。プレシーズンには、前監督の遼さんも交えて2週に一度ぐらい行われたプロの試合の分析発表会に参加した。フィードバックをもらい、自分の分析眼のなさを痛感し、同期の俊哉のあまりにクオリティが高い分析に舌を巻いた。参加したメンバーの中では最も質が低かったが、他人と比べても仕方がない。稲田さんはこの時期の練習会で成長したらしいし、自分の中にもわずかずつではあるが成長している感覚があった。

 

 

 

そのときコロナ禍が自分の生活にも影を落とし始めた。部活動は1週間停止となり、やることがなくなった僕は和歌山の実家へと帰った。結果的に5ヶ月ほど実家に滞在することになるのだが、その間サッカーに触れる機会はかなり少なくなった。話半分でオンライン授業を受けるだけの堕落した毎日だった。

 

 

同時に僕にも後輩ができた。対面での新歓を行えなかったこともあり、ア式テクニカルの門を叩いてきたのは、俊哉の分析記事を見て自らアプローチしてきた、いわゆるサッカーガチ勢ばかりだった。

 

 

zoomで顔合わせを済ませ、行われた分析会の初回、後輩たちのクオリティの高さに驚いた。ほぼ何も教わっていない状態でここまでできるのか。ア式でなんとなく楽しく1年を過ごした僕に、一日の長などというものはなかった。

 

 

これはまずいかもしれない。そう思った。

 

しかし、喉元過ぎれば熱さを忘れる僕は、まずいと思ってそれきりだった。

 

 

 

シーズンは9月に始まり、スカウティングはテクニカル全員が3人ずつぐらいの班に分かれて行われることになった。ということで、僕もスカウティング班の構成員となった。目標はシーズン序盤であっさり達成されることとなった。

 

 

でもスカウティング班に所属する僕は、前年に見ていた先輩のような姿ではなかった。スカウティングは意見のすり合わせミーティングから始まるのだが、その場では毎回ビクビクしていた。優秀な仲間たちに囲まれる中、僕は補佐役に回ることが多かった。実力のある人が4局面の資料を作るのは当たり前で、客観的に見て自分にはまだその力がないと感じていたので、完全に気後れしていた。

 

 

 

 

一方、2部で戦うチームは勝利を重ね、一年での1部復帰を決めた。間近で昇格を決めるPKを見ていた僕は歓喜の輪の中に加わったが、先輩方や同期たちが涙を浮かべる中で、どこかすっきりしない部分もあった。理由は明白で、僕自身がチームの勝利に貢献できた感覚が全くなかったからである。あの日ピッチに立っていた選手たちは、最低でも一部昇格というプレッシャーの中、サッカーしたくてもできない日々を過ごし、一歩間違えばバラバラになりそうなチームをなんとか束ねて目標を達成した。そんなチームの中で、僕は何をしてきただろうか。このまま過ごしていて、自分が引退する時に涙を堪えきれないくらいの感情になるのだろうか。

 

 

 

 

極寒の日の出町で第四審を務め上げた最終節亜細亜大学戦の帰り、中央線の車内でいろいろ考えた。スカウティングをすることはできたが、周りのテクニカルたちのおんぶに抱っこだった。自分のできたことはほとんどなかったと言ってもいいぐらいである。このシーズンのテクニカルは、僕がいなくても変わらず回り続けたであろうことに間違いない。

 

 

自分がテクニカルの中で存在感を発揮するにはどうすればいいか。

 

 

テク長というのが浮かんだ。

 

 

同期のテクニカルのメンツを見ると、みなそれぞれにア式という組織の中で立場を築いているように思えた。俊哉はテクニカル・コーチとして高いクオリティを発揮し続けていた上に新監督の選定まで担っていたし、慶悟はテクニカルに転向して早くもスカウティングとデータ分析の柱になっていたし、古野は試合運営の面で替えの効かない存在になっていた。

 

 

 

僕には何もなかった。ア式という組織の中で、何者かになりたかった。このまま何もない4年間には絶対したくない。それに実際テク長を務めることを考えたとき、消去法でも僕しかないと思った。

 

 

稲田さんにテク長に立候補したいと伝えたところで、2020シーズンが終わった。

 

 

二年目は、個人的にはほとんど何もないシーズンになってしまった。同期たちとの会話の中で、ア式にいて楽しいことという話になったとき、うまく答えられなかったのが恥ずかしかった。そろそろ、覚悟を決めるべき時が来たのかもしれない。

 

 

 

 

 

2020シーズンの終盤に考えた通り、2021シーズンが始まるタイミングでテクニカルユニット長に就任した。テーマは「テクニカルの改革」。前任者の稲田さんはスーパーマルチタスクマンだったが、僕はそんな能力を持ち合わせていないので、数ある仕事のほとんどをテクニカルのみんなに割り振っていった。自分でやるのはテクの代表者としての対外的な仕事と全体を見たタスクの割り振り、ミーティングの司会ぐらいにしておいて、後輩たちにも組織を動かす主体になってもらおうと考えた。実際、テクニカルユニットはある程度僕の狙い通りに回り始めた。

 

 

 

手前味噌になってしまうが、客観的にみてこの「テクニカルの改革」はプレシーズンからまあまあうまくいっていたように思う。メンバーは後輩たちを含めそれぞれの持ち場でしっかり力を発揮していたし、僕もみんながどの仕事をどれだけ進めているかを把握することができていた(ただ、昨季の松尾テク長の姿を見ていると、僕はテク長であることにかまけて個人でこなす仕事量が少なかったように感じる。無論それでユニット長としての仕事が疎かになったりワンマンプレーになったりしては本末転倒だが、テク長自らユニットを引っ張って、より素晴らしいユニットにしようという意識が薄かった部分は反省点である)。

 

 

 

そしてこのころ、テクニカルユニットとしての分析のレベルという面でも、一段上に上がろうとしていた。杉崎アドバイザーが就任し、毎回のスカウティングや分析練習会にコメントしていただけるようになった。また新しい分析ソフトウェアを導入してリアルタイム分析の整備に着手した。ベンチにも毎試合1人テクを入れさせてもらえることになり、テクニカルが毎回の公式戦でやることの「形」を探り探り作っていった。

 

 

 

 

一方でこの年、チームはかなり苦しい時間を過ごしていた。2年前の比じゃないぐらい、絶望的な敗戦も味わった。テクニカルの一員としてスカウティングにも加わったが、何度も無力感を感じた。この無力感、相手の強さだけが原因ではなかっただろう。スカウティングをしてもその通りに試合が進まないこともしばしばで、相手が東大と対戦するときにどう出るか、自分たちが何をできてできないかを見極める力のなさがテクニカル全体の課題としてあったように思う。

 

 

 

 

そして僕個人としても、力不足を痛感することになる。シーズンの後半、僕の班は朝鮮大学校のスカウティングを担当した。中山をメインに据え、僕は相手選手1人の個人分析を担当することになったのだが、何度繰り返し観ても何もわからなくなってしまった。個人分析ではどんな特徴があってどんなクセがあるのかを文章にまとめ、プレー集を作るのだが、全てがカスみたいなクオリティになってしまった。スカウティング班の一員にも関わらずほぼ何もできず、部室ではっきり落ち込んでしまった。あの日ご飯に誘ってくれて僕を励ましてくれたタディ・石丸ありがとう。

 

 

 

切り替えて実況を頑張ろうと会場に向かった週末、思いがけないことが起こった。ベンチ入り予定のスタッフに体調不良者が出たことで、記念すべきリーグ戦初ベンチの機会が急遽巡ってきたのだ。中山と2人ベンチに並んでパソコンを開き、リアルタイム分析をすることになったが、これまた大した貢献はできなかった。自分自身、目の前で起きている現象を瞬時に理解して整理する必要があるリアルタイム分析をこなせるほどの実力がないことは理解していたが、いざリーグ戦のベンチに入って座っていることしかできないとやはり悔しかった。

 

 

 

2021シーズンは、徐々に試合を見る力がついてきたと感じる一方で、スピードが求められるリアルタイム分析では何もできず、そこに確信が持てないまま過ぎていった。

 

 

 

 

 

最高学年になった2022シーズンは、始動直後にテク長の役職を後輩の松尾に引き継ぎ、全ての役職から外れてかなり自由に動ける立場になった。テク長という肩書きが外れたということはつまり、自分がテクニカルの中で価値を発揮するには一テクニカルスタッフとしての力が必要になるということでもある。そう考えるとまた不安になった。自信をつけるため、プレシーズンには楓さんと一緒に部室で試合映像を見て話すという、育成チームの選手たちが1年生からやっているようなこともした。

 

 

同時に、ア式生活の終わりを意識するようにもなったので、後輩たちに残せるものは残して去りたいとも思ってシーズンに入った。

 

 

 

前年同様、テクニカルとしてはスカウティングとリアルタイム分析を担当することにした。スカウティングでは相変わらず、メインを張らず個人分析やセットプレーを担った。数々のスカウティングを見て少しだけかじってきた僕は、メインの4局面の資料作成には、確かな分析眼のみならずほぼ丸々2週間をそこに捧げる気力と覚悟が必要だと感じていた。スカウティングを数人からなる班で回していた状況の中、僕なんかより優秀な後輩がやった方がチームにとっていいだろうとか、慣れない研究室生活が始まって余裕がないとかいう言い訳を並べ、最も責任と負担の大きい4局面から逃げていた。まあそれは半分事実ではあるのだが、そんなことは心の持ちよう次第でどうにでもなることだ。結局のところ、僕はスカウティング班の2番手という立場に安住し、そこそこのやってますよ感を出し、もはや1年生の時に思い描いていた一人前のテクニカルスタッフに近づこうとすることすら諦めようとしていた。

 

 

 

 

そんなふわふわした気持ちのままみるみるシーズンは進み、とうとう夏の中断期間に入った。このままで終わってしまっていいはずがない。でも残り半年もない中で飛躍的に上達するとも思えない。

 

 

そんな時、杉崎さんを交えた分析練習会の案内がきた。主に1年生向けではあるものの、上級生も録画をすれば杉崎さんからのフィードバックをいただけるという。参加するか否か一瞬迷ったあと、迷う余地なんてないなと思い直した。サッカー分析官のゴミのような端くれとして、こんな機会を逃す手はない。それに、ここで面倒だとか言ってやらなければそれこそ本当に終わってしまう。そんな姿、後輩にも、過去の自分にも、未来の自分にも見せたくない。僕は院試を終えた帰省中の怠けた心に鞭打って、サッカーを観た。持てる力の限りを込めて、練習会に臨んだ。

 

 

 

結果は、予想通り杉崎さんに数々の指摘を受けた。でもそれでいい。四年生にもなって、ボロカスに言われながらテクニカルを続けようという姿勢をみんなに、そして何より自分に見せられて御の字ぐらいに思っていた。

 

 

 

しかし、その直後に転機が訪れた。杉崎さんがお手本に擬似スカウティングmtgをして下さったのだが、それが衝撃的だった。「選手に伝える」ことを常に第一に意識した杉崎さんのプレゼンは、我々テクニカル陣の意識を瞬時に一変させるのに十分すぎるものだった。僕自身は、変な高揚感すら感じていた。

 

 

まだ上手くなれる。さっきまで全然思っていなかったのに、そう思った。

 

 

 

シーズン後半のスカウティング割り振りで、僕は駿平に続いて2試合目のメインを任されることになった。杉崎さんからの流れを引き継いで、3試合目以降に繋ぐ、テクニカルにとって重要なポイントである。松尾には何の狙いもなかったと思うが、最初で最後ということもあり僕は勝手に気合を入れた。与えられて初めて気合を入れるというのも情けない話ではあるのだが。

 

 

 

それからは、駿平の資料作りから、陵平さんとのmtg、スカウティングmtgまで全部見学した。彼は杉崎さんのアドバイスを効果的に取り入れ、もともと高かったスカウティングのレベルを格段に上げていた。選手からの評判も良さそうだ。

 

 

この流れを絶対に繋ぐ。その使命感を携え、僕は研究室での実験もそこそこに、目を皿にして試合を観まくった。観れば観るほど、何が何だかわからなくなった。1度目のすり合わせmtgではこんがらがって、自覚するくらい意味不明なことを言っていた。

 

 

落ち着いて、局面ごとにまとめて映像を見返した。試合に勝つために、何を伝えるべきか、どこを強調すべきか必死で考えた。

 

 

陵平さん不在の週だったので、コーチ向けmtgAチームコーチのおかぴと行った。資料を作って見せ、説明したがやや駆け足になってしまった。少し到着が遅くなってしまったのが悔やまれる。

 

 

そこからはスカウティングmtg用の選手向け資料を作った。内容だけでなく、どういう言い回しにするか、スライド上でどういうエフェクトをつけるかまで考え抜いた。あとは発表するだけだ。

 

 

スカウティングmtgは、概ね自分の思った通りに進めることができた。小ネタも挟みながら、相手の特徴を「伝える」ことができた手応えがあった。杉崎さんにもお褒めいただくことができた。

 

 

 

日曜日、試合の日がやってきた。初めて自分で掴み取ったベンチ入りである。iPadを手に、御殿下のベンチに向かった。試合前から積極的に選手とコミュニケーションをとり、個人的に伝えるべき情報を伝えて回った。

 

 

試合は格下相手に先制、勝ち越しを許す苦しい展開。早速相手FWのフィジカルと技術を見極めきれなかったことを悔やんだ。なかなか攻撃の組み立ても考えた通りとはいかない。拙いリアルタイム分析を必死に行い、コーチ陣やベンチ外のテクニカルの皆さんに助けてもらいながら、なんとか試合に食らいついた。僕の思い描いていたような試合ではなかったが、選手たちは逆転して勝利してくれた。

 

 

勝ちゃなんでもいい、というふうに手放しでは思えないのがテクニカル、あるいはア式部員の性ではあるが、それでも勝てたのは嬉しかった。ア式の歴史の中では何でもない一勝だし、内容も満足いくものではなかったかもしれないが、僕にとっては、短いア式テクニカル人生の中で間違いなく最高の試合である。試合後の振り返りまで含めて、最高に濃密で充実した2週間だった。

 

 

 

 

その後はもう1試合、成城大学のスカウティングを担当した。再び定位置ともいえるセットプレーに戻り、初めて4局面を任された健祐のサポート役に回った。一度経験するとやはり変わるのだろうか、何かサポートにも以前より自信が増しているように感じた。最後までセットプレーの資料は遅くなるわ、リアルタイム分析もクオリティ低いわで迷惑をかけたけど、これもまたテクニカルスタッフ松井誠杜の限界であろう。

 

 

 

自分の担当するリーグ戦が終わったので、それからの約半月は育成チームのフィードバックを行った。これまでも気まぐれで何度か行っていたが、これからはテクニカルとして定期的に行っていければいいなという思いも込めつつ、後輩を引き連れて育成の練習試合に足を運んだ。YouTube上でコメントをつけるという形にしたが、もっといい形もあると思うので、ぜひいろいろ探ってみてください。

 

 

 

 

こうして僕の4年間のア式テクニカル生活が幕を閉じた。おそらく日本中でここでしかできなかったであろう、貴重な経験をさせてもらうことができた。

 

 

 

 

 

 

応援編 〜あの熱狂を取り戻す〜

 

僕のア式生活は、入部式の挨拶で「サッカーより野球の方が好きです」と言い放ち、LBの方々の苦笑を誘ってしまったところから始まった。そんな僕がア式に入って最初に夢中になったことといえば、リーグ戦の応援である。1年生のときは、戦術云々より何よりとにかく公式戦の応援が楽しかった。元々サポーター気質が強かったこともあり、テクの使命である撮影すら放棄したくなるほど全部応援したいと思っていた。

 

 

あの一体感、盛り上がる応援歌、勝利の笛が鳴った瞬間の喜び——。負けた試合も多かったけど、サッカーっていいな、と純粋に思える毎週末だった。

 

 

僕をこんな気持ちにさせてくれたのは、なんといっても当時最上級生として応援団の先頭に立っていた井上さん、新屋さん、島田さんである。応援にとにかく全力を注ぐ先輩方は本当にかっこよくて、そんな姿を間近で見続けた僕は、コールリーダーとか太鼓をやって応援を引っ張りたいと、比較的早い段階で思うようになった。

 

 

 

リーグ戦が終わって代替わりが済んだ後の東京都トーナメント。2回戦の亜細亜大学戦で、僕は初めてコールリーダーを務めた。ここで井上さんのすごさを思い知る。

 

 

思ったより声は出ないし、チャントがパッと頭の中に出てこなくて空白の時間も長くなってしまった。周りの方々のサポートのおかげでその試合は乗り切ったが、やってるそばから、これは鍛錬が必要だなあと思ったのを覚えている。来年はコールリーダーもバンバンやって、分析ともども腕を上げる年にしよう。

 

 

 

 

しかし2020年。コロナ禍の世の中で、スポーツの世界から観客の姿と歓声が消えた。お世辞にもスポーツ界の中心にあるとはいえない東京都大学サッカーリーグでも、ご多分に洩れず無観客となり、声出し応援などもってのほかという状況になってしまった。テクの撮影要員などとしてほとんどの試合に行くことはできたが、応援を毎週末の生きがいにしようとしていた男にとっては物足りないリーグ戦である。

 

 

 

 

2021シーズン。まだ人数制限のかかる会場も多いような状況である。ホームでは部員がピッチサイドに戻り、録音した応援歌をスピーカーから流す試みも始まったが、今ひとつ盛り上がりに欠けているように映った。まあまだ声出せなくても仕方ないか。感染者数も増えたり減ったりしていたし、今は我慢の時期だ。

 

 

 

 

コロナ禍が始まって2年が経った2022シーズン序盤。まさかこれほどまでに長引くとは。相変わらず声出し応援ができないまま、3年前の最後の声出し応援を知る僕たちもとうとう最上級生になってしまった。僕たちの1学年下の代は知らないわけだから、このままでは応援の文化消滅の危機である。

 

 

リーグ戦は実況とテクの仕事でいっぱいだった僕は、応援の場として育成チームの公式戦・サタデーに目をつけた。僕はラストイヤーの裏テーマとして密かに「サタデー全試合応援(実況含む)」というのを掲げた。サタデーを育成チームの晴れ舞台として盛り上げるべく、チャントを小声で口ずさみながら、とにかく太鼓を打ち鳴らした。

 

 

この年、育成チームは快進撃を見せていた。ラストワンプレーで追いついた初戦を皮切りに、勢いそのまま負けなしでグループリーグを通過した。劇的な試合も多く、応援するこちらにもかなり力がこもった。応援部隊も最初は数人だったのが、徐々に人数が増えていった。リーグ戦を翌日に控えているにもかかわらず前日練の後に残って応援に参加してくれたAチームの皆さん、最初から最後まで一緒に応援を盛り上げてくれたDLの皆さん、そしてなにより、最高に熱い試合で土曜日を熱狂の渦に巻き込んでくれた育成チームの皆さん、本当にありがとう。

 

 

 

もう一つ、応援復活の場にしたいと思っていたのが、こちらも3年ぶりの開催となる双青戦である。東大京大両校の関係者が力を尽くし、たけびしスタジアム京都という最高の舞台で行われる祭典を応援の面でも盛り上げたかった僕は、一軍戦のコールリーダーに名乗りをあげた。双青戦に向けて、チームチャントを整理して一ヶ所にまとめ、坊垣内に個人チャント作成をお願いした。その歌詞カードをチーム内で共有までしたが、内心は盛り上がるか不安だった。応援練習の機会もなかったので、チャントは十分浸透しないだろうと予想していた。

 

 

 

いざ迎えた当日。そんな不安は杞憂に終わった。スタンドにいる同期や応援狂の笹森、社会人になってもなお応援に駆けつけるほどクレイジーな井上さん・新屋さんといった超強力な援軍にも助けられ、スタンドは大盛り上がりを見せた。

 

 

おそらく、このときチャントが浸透していたかと言われると、決してそうではないだろう。でも、一番大事なのはそこじゃないのだと感じた。上手くやろうとしすぎずとも、その場の雰囲気とみんなの気持ちが乗っていればいい応援席になるのだと、遅ればせながら気づくこととなった。僕だって声も覚えたはずの応援歌も飛ばしたけど、試合が終わった瞬間には爽快感と心地よい疲れだけが残っていた。翌日に控えた院試のこともしばらくは忘れていた。素晴らしい一体感のある応援席を作り上げてくれたスタンドの皆さん、最高の双青戦を見せてくれた選手の皆さん、本当にありがとう。ア式人生最高の応援になりました。

 

 

 

 

ここで一つ正直に言わせていただくと、そもそも声出し応援できないのだから仕方ない部分もあるとは思うけど、公式戦に応援席から臨むみんなの姿勢に言いたいことがないわけではなかった(僕ももう少し部全体に働きかけることができたかもしれないとは思っている)。でも、双青戦のスタンドと、リーグ戦最終節・大東文化大学戦のゴール裏の熱狂を肌で感じて、僕は確信した。みんなは自分たちの手で、熱い応援席を作り上げることができると。

 

 

 

でも後輩の皆さん、僕はその熱狂をまた感じたくなってきています。2023シーズンも公式戦にはちょくちょく姿を現すと思うので、その時は温かくなくてもいいんでとりあえず受け入れていただけると嬉しいです()

 

 

 

 

 

 

実況編 〜人生初の熱中〜

 

始まりは本当に些細なことからだった。

 

「松井さんいい声してるからハイライトの実況してみませんか?」

 

 

愛すべき後輩・岡本康太郎からの一言。広報ユニットが、主にコロナ禍で会場まで応援に来ていただけない保護者やLBの方々のために、試合のハイライト映像を作成して公開するのだという。そこでまずおかぴに声がかかり、彼が僕に声をかけたという流れである。断る理由もないので引き受けることにした。

 

 

仕事内容としては、公式戦が終わるとハイライトシーンを選び、原稿を作って音声を録り、担当者のようこに送るというものである。原稿を読んで映像に合わせるというだけでも、抑揚のつけ方とか間とかこだわれる部分はいろいろあって、何回も独りであーだこーだ言いながら録り直しては納得のいく音声に仕上げる作業は楽しかった。原稿作りをおかぴにかなり頼ってしまったのはごめんなさい。

 

 

 

 

 

そして2021プレシーズン。僕は一部員として、ア式生活の大きな転機を迎えることになる。とうとうライブ配信に実況をつけることになったのである。前年からハイライトを担当していたこともあって自然な流れで決定したが、ライブの実況となるとまた勝手が違う。練習試合で試しに実況してみたら、これが恥ずかしい恥ずかしい。臨場感を出すためにテンションを上げて喋るというのができず、最初は5分もまともに喋れなかった。なんだか普段の自分と全然違う姿を知り合いのみんなに見られるような照れ臭さがあったが、今思えばこの時はまだ、しょうもない体裁を気にして理性を捨てきれていなかった。

 

 

 

 

心境が変わったのは2021リーグ戦の第1節・青山学院大学戦であろう。この日は新チーム・新監督の初陣かつ僕の実況デビュー戦という大事な試合だったのに、僕はあろうことか遅刻を犯し、慌ててミーティング真っ只中の控室に入ってしまうという大失態を演じてしまった。チームに迷惑をかけてしまい、試合前には吉本理OBコーチに強く叱られた(吉本さん、その節はありがとうございます)。ここで今までの僕ならシュンとしてしまっていたのだろうが、この日はスパッと切り替えられた。はっきり理由はわからないけれど、叱っていただいたおかげで、反省するところは反省しつつ、吹っ切れることができた。やってしまったものは返ってこないし、くよくよせずこれからできることを全力でやろうと切り替えた。僕が今日できることは実況しか残っていない。それに曲がりなりにも世界中誰でも見られる配信で、照れて本気出さないみたいな醜態を晒したくはない。どう思われるかとかもうええわと、目の前の一戦に集中して夢中で実況した。

 

 

今ごろfeelings愛読者の皆さんの間では、大やらかししてよくもまあそんな短時間で切り替えなんて、調子がよすぎる!と批判の声が上がっているかもしれない。でもこれが偽らざる僕の心理の動きであった。もちろん練習試合とは一味違う公式戦の雰囲気もかなり大きな影響を与えたには違いないが、この一件が今やるべきことをやるしかないという気持ちを強めたのは事実だし、実際試合を終えて振り返っても手応えがあった。

 

 

 

そこからリーグ戦が進むにつれ、僕は実況にどんどんのめり込んでいった。互いの意地がぶつかり合う真剣勝負の舞台で、その模様を間近で観て言葉にして伝えることにやりがいと楽しさを感じるようになった。スポーツにはこんな形で携わることもできるのかと目から鱗だったし、東大ア式蹴球部でしかできないであろうことを見出せた。回数を重ねるごとに少しずつ上手くなっていく感覚があったし、もっと上手くなりたいと心の底から思った。

 

 

 

 

このとき、ようやく自分自身がア式という組織の中で何者かになれたと感じた。この感覚は、ア式という組織の中で自分だけのポジションを確立できたことに由来するとずっと考えてきたが、どうやらそれだけが理由ではないのではないかと最近になって思う。

 

 

実況を始める少し前の僕は、テクニカルスタッフとしてチームの力になりたいと願い、十分にそれを達成できないことを理由に、何者かになるためにテク長になることを選んだ。でも今になってみると、そんな肩書きだけでは何者にもなることはできないのだなと感じる。「部員全員がサッカーの楽しさを享受する」という存在目的を掲げるア式において、いやそんなア式だからこそ、サッカーにかかる何か、あるいは東大ア式蹴球部でしかできないことを誰よりも楽しみ熱中すること、そしてそんな自分を誇りに思うことによって、何者かになることができるのだ。僕に当てはめれば、純粋にサッカーの実況を楽しみ、実況を楽しむ自分を全肯定することができたからこそ、やっと胸を張ってア式の一員だといえたのだと、そう感じる。

 

 

無論、テクニカルとしての活動が楽しくなかったというわけではないし、熱意を持ってやっていたことには違いない。テク長の仕事だって、より良いテクニカルユニットにしたいと本気で考えてやっていたことには自信がある。ただ、サッカーという競技そのものに対する情熱や探究心という点では、とうとうア式の中において僕は誇りを持つことができなかった。他のテクニカルのみんなやプレイヤーのみんなのサッカーという競技に対する情熱には目を見張るものがあるし、僕の分析が上手いとか下手とかそういうのとは関係なく、そういうものを超越したところでの決定的な違いを感じていた次第である。

 

 

 

 

少々話が脱線してしまったので時を戻そう。2021シーズンは、幸運にも実況という魅力的な仕事と出会い、ア式生活が一変するシーズンとなった。僕を実況に引き寄せてくれた方々には足向けて寝られません。欲を言えば勝利の実況をしたかったけど、学習院大学戦で劇的ゴールを決めたきっぺいの涙をインタビュアーという形で特等席で見れただけで大満足だった。

 

 

 

 

2022シーズンになっても、実況への熱意は衰えることを知らなかった。スカウティングを担当したとき以外はほぼ実況をした。テクのみんなが作った資料をしっかり読んで、相手チームの戦法や、選手の名前と特徴を頭に入れる作業は毎週末のルーティンになった。ハーフタイムに何を話そうか考えるのも楽しかった。相手のオウンゴールを久野のゴールと間違えて叫んでそれがハイライトにも載ってしまった日大文理戦、雷で中断して慌てて荷物をまとめた東京工業戦、0-3から追いついて自分でも何を言ってるかわからなくなった双青戦三軍戦、終了間際に決勝点を奪われて最後までテンションを保つのに必死だったサタデーチャンピオンシップ……ここに挙げた以外の試合もどれもみんな輝いていて、実況していて最高に楽しかった。

 

 

 

そして迎えたラストゲームの大東文化大学戦。最後は実況席で終わりたいとかねてより思っていたので、迷わず実況することを選んだ。

 

 

試合中は本当にいつも通りだった。それでも最終盤、「アディショナルタイムは4分です」そう言ったとき、ほんの少しだけだが目頭が熱くなるのを感じた。自分で言っておきながら、あと4分で終わってしまうことをありありと感じることになった。最後の4分まで、実況を楽しみ尽くした。

 

 

 

こうして僕の2年間とちょっとの実況生活が幕を閉じた。東大ア式の一員という立場からの僕の実況は、得点時に興奮しすぎて叫んで音割れさせたり、マイクを離しても聞こえるほどの文句を言ってしまったりと、皆さんがよく見るスポーツ中継とは一線を画すものだっただろう。拙い実況だったとは思いますが、毎試合何百という皆様にご視聴いただけたこと、ライブ配信に関わった一同感謝しています。僕だけでなく、皆様にも楽しんでいただけていたのならこの上ない喜びです。

 

 

 

 

 

 

 

以上が、僕の4年間の歩みである。言い残したことは、たいがいの卒部feelingsで残されている皆さんに向けてのメッセージくらいであろうか。

 

 

 

まずはスタッフのみんな。スタッフは自分がサッカーをするわけではないし、中にはサッカー大好きじゃないっていう人もいるのではないだろうか。それゆえにスタッフは、自分はいったい何のためにア式にいるのかとか、自分がア式の中で何者でもないということで悩む人も多いかもしれない。

 

そういう人は一度、自己を満足させることを意識してみてほしい。僕も最初は、スタッフの立場なら自己満ではあかんやろと思っていたが、チームのためとかそういう方向にばかり思考が向いてしまうと、行き着く先には「大して何もできていない、つまり何者でもない自分」しか存在しない。どうせチームの最大の目的である勝利のためにスタッフができることなんて高が知れているのだから。

 

そこで自己満である。僕は4年目後半のスカウティングも実況も応援も、根底にチームのためという思いは持ちつつも、結局最後は自分がどうありたいかを考えてやっていた。自分が自分に胸を張れるように、満足できるようにこだわる過程と得られる結果を楽しんでいた。だから、やりたいと思ったこと・誘われた仕事はとりあえずやってみて、あくまで自分のために、その仕事に最大限の情熱を傾けてこだわってみてください。そしてそういう自分に誇りを持ってください。

 

 

 

次に選手へ。よく選手はスタッフに感謝すべきとか、感謝が足りないとか言われがちだと思われるが、スタッフだった僕個人の意見としては、極論そんなことはどうでもいい。スタッフに報いる最大の方法は、いいプレーをして勝つことだ。スタッフとしての仕事は余す所なくチームの勝利、選手のいいプレーによってのみ報われるものだと僕は思っている。だからとにかくいいプレーをして勝ってほしい、それだけです。これからも今までと同じように、皆さんがどんなプレーをしてくれるか楽しみに、応援しています(でも、感謝の気持ちを持っていただけるに越したことはないですよ。それと、毎回のスカウティングについて簡単でもコメントいただけるとテクは嬉しいです)。

 

 

 

そしてテクニカルのみんな。みんなにはもう特に言うことはありません。体調に気をつけて、この調子でほどほどに頑張ってください。

 

あと、サッカー経験者じゃないテクニカルスタッフのことは個人的に勝手ながら応援しています。中山と話していて今でも覚えている言葉に、「松井さんも俺も、サッカーを見る眼に関しては入部時点でそんなに大きな差はなかったと思いますよ。俺らも戦術なんてそんな知らなかったし」というのがある。僕はプレー経験がないことを心の中で若干言い訳に使っていた節があったので、ハッとさせられた。裏を返せばプレー経験の有無はそんなに関係ないということでもあると思うので、ぜひ頑張ってみてください。

 

 

 

最後に同期のみんなへ。個性豊かでオモロくて、それでいてすごい情熱と能力を兼ね備えたみんなのこと、本当に尊敬しています。そして、こんなア式史上稀にみる異端児の僕を受け入れてくれてありがとう。みんながいたから、ア式を好きでいられたし、充実した楽しい4年間を過ごせました。みんなのピッチ内外での活躍を実況できたことは僕の誇りです。

 

 

 

 

 

 

 

本当の最後にもう一言だけ。

 

 

 

サッカーは最高に面白い。サッカーは素晴らしい。ア式に入って本当によかった。全ての皆さんとの出会いに心から感謝しています。

 

 

 

 

 

 

 

四言やん。

 

 

松井誠杜 

コメント