緞帳、二枚目。ほんとのお終い。

大田楓(OBコーチ)

研究室で練習メニューを考えることがなくなった。夕方早い時間にそそくさと駒場を後にすることがなくなった。同期と集まってチーム事情に頭を悩ませることが無くなった。おかぴや歌にダル絡みすることがなくなった。真士から出会い頭に飛び蹴りが飛んでくることがなくなった。上西園と「技術とは何か」という謎議論を繰り広げることがなくなった。岡部や片平に捕まって日付が変わるギリギリまで部室で動画を見返すことがなくなった。後輩たちのプレーを見ることがなくなった。サッカーについて考えることがなくなった。

 

そんな生活を送るようになって三か月が過ぎた。

 

 

 

直近5年間の多くの時間を費やしてきた“ア式蹴球部”という存在が生活から姿を消したとき、一体どうなるものかと思っていたが、コーチを終えた後の生活も案外普通だった。

 

木工に励んだり、先輩の実験についてまわってトラス接合部を作ってはぶっ壊したり、住宅の解体現場をうろついたり、突然夜中にパイ生地を折ったりと、一般大学院生の極みのような生活をしている。

 

サッカーが占めていた時間がさっぱりと消滅し、そうしてできた空白の時間にほかのことが滲み出してきたことで、私の24時間は特に滞ることなく相も変わらず流れ続けている。元来の好みとしてサッカーはそれほど好きではなかったらしいことが功を奏して、サッカーの無い生活をそこまで苦にすることなく生きながらえているのだと思う。カタールワールドカップの試合は結局ほとんど見なかった。自国代表の試合さえ。つまりそういうことなのだろう。

 

 

サッカーとの繋がりが消えかかっている状態ではあるが、コーチを務めた一年間は相当な熱量と時間をサッカーに費やしていたのもまた事実である。その中で何を考え、どう振る舞い、どのような結果を得たのかを今一度まとめてみようと思う。

 

 

長くなってしまったが昨季育成チーム指導のネタバラシとして楽しんでもらえれば幸いである。

 

 

 

 

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この一年間を自分のコーチとしての考え方でざっくりと分けると、21-22春、22-22夏、22-22秋と分類できる。

 

 

21-22春は4年卒部から1年入部までの期間にあたり、一年間で最も人数が少なかった期間だった。この頃は練習の人数が10人を切るのはザラ、コーチが数合わせで練習や試合に出るのがデフォルトと化していた。ちょこちょこヘルプで来てくれた茶谷くんには感謝してもしきれない。

 

ここまで人数が減ると練習でやれることも限られてくる。そこで基礎技能に振り切ることにした。実際の試合との紐付けはある程度諦め、部でよく使われるキーワード、例えば“辺に立つ”や“正対する”に注目してトレーニングを設計していた。「試合は基礎技能の積み重ねである」と考えていたため、技能練習のみでも工夫すれば上手く戦えると考えていた。

 

 

 

22-22夏は1年の合流から双青戦の時期にあたる。この期間にはサタデーリーグのグループステージが行われた。サタデーは育成チームにとっての公式戦であり、明確に結果が要求されるという意味で選手にとって貴重な場であり、それはコーチにとっても同じであった。

 

サタデーに向けて、「プレッシャーのかかる試合に継続して勝つことは選手にとって成長のきっかけになる」と考え、勝てる戦い方、つまり点を取れる戦い方を仕込もうと考えた。3年ほど続いた「ボールを保持し続けゲームをコントロールする」という戦い方から、「ボールを保持しつつ、ゲームコントロールより得点を優先する」という戦い方に路線を変更した。当時、育成チームには安定してボールを持とうとする土壌が多少残っていた(というか、春までの段階ではゲームコントロール系の戦い方を想定していたので、むしろ積極的に残そうとしていた)ため、裏ポン軸ではなくビルドアップからの疑似カウンター軸での構築を目指した。また、同期コーチの後藤がハイプレスを好んでいたこともあり、保持非保持ともにオープン気味でアグレシッブな戦い方に舵を切ったことになる。

 

この時期は相手最終ラインの背後にスペースのある状況での崩しのトレーニングに時間を使った。そのほかのトレーニングも試合の人数に近い大人数で行うことが増えた。これには一年生の合流で練習人数が増えたということに加え、試合と練習の紐付けという意図があった。

 

 

 

22-22秋は、双青戦を終え、その後シーズンが終わるまでの期間にあたる。逆グループの試合消化が遅れたこともあり、サタデーの試合の無い期間が長く続いた。グループステージ突破をほぼ手中に収めていたこともあってモチベーション維持が難しかったのを覚えている。

 

(話は逸れるが、22シーズンの双青戦は非常に良い催しになったと思う。健太を筆頭に開催に尽力した部員諸氏のおかげだと思う。双青戦というものを知る人間が少なくなってしまった中でやりきったこと、あの真剣勝負とお祭り感が同居する体験を部員全員に再び味わわせられたことには大きな価値があったと思う。23シーズンの試合も楽しみだ。)

 

双青戦では、劇的な試合展開や結末とは裏腹に、コーチとしての力量不足を強く感じていた。特に三軍戦では混乱と戸惑いがピッチを覆っていた。ボールは持てるが攻め手がなく、いつも通り正しくプレーしているはずが刺さらないという雰囲気が続き、ベンチワークの面から明確な解決策を提示できなかった。

 

 

双青戦後からは、選手の思考に踏み込むことを意識し、選手との会話をより増やした。対話を通じてトレーニングのなかで選手が抱いた混乱や戸惑いを読み取り、その解消のための適切なフィードバックを行おうと試みた。

 

 

 

その後、チームとしては、一橋に勝ちサタデーリーググループ2位での通過を決めるも、チャンピオンシップ初戦で横国に0-1で惜敗しシーズンを終えた。点を獲れるチームを目指し、実際得点力は向上したと思うが、最後の最後で完封された。ア式でのラストゲームは史上最も悔しさの残る試合となった。

 

 

 

 

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仮説を立てて指導に反映し、その効果を検証するという意識で一年間取り組んできた。

 

「試合は基礎技能の積み重ねである」という仮説はどうであったか。

 

結論としては、この考え方は正しくなかった。正確には、十分でないというべきだろう。

 

サッカーのプレーが基礎技能の連続で構成されていることは事実だが、技能はそれだけでは価値はなく、試合のなかで発揮されてはじめて意味をもつ。つまりは、「試合は基礎技能の発揮の積み重ね」であるということになる。

 

認知判断実行という呪文の通り、技能の発揮には状況の認知と判断が必要である。とは言え、認知も判断も存在しない練習をやっていたわけではない。ここで起きた問題は、認知にかかわる情報量だったのだと思う。知っての通り試合のピッチ上の情報は非常に多く、全てを同時に処理することはできないため、プレー選択に必要な情報だけを抽出して判断を行っている。上手い選手ほどこの情報の抽出が洗練されていて、余計な情報に惑わされなくて済む。

 

当時は基礎技能に注力するというお題目のもと、練習における情報量を判断に必要な情報にまで予めカットしてしまっていた。要は、練習に存在する情報がそのまま判断材料になる。このような、情報量を落とし見るべきものだけを残した練習では、何を認知するかが自動的に決まってしまうため、情報の取捨選択に負荷がかからない。情報処理におけるギャップによって、試合においては何を見るべきかの問題を突破できずに技能発揮に問題を引き起こしていたのだと評価している。

 

(とはいえ、練習人数の問題をクリアできない以上、21-22春時点での最善を行っていたとは思っている。結局、怪我離脱は勘弁してくれというところに話が着地するほかない)

 

 

「プレッシャーのかかる試合に継続して勝つということは選手にとって大きな成長のきっかけになる」に関しては、功罪をあわせもったという印象だ。

 

実際、責任感やプレーへのこだわりという意味で成長した選手は今シーズン多かったと思う。どうすれば点を取れるかを知っていることも、劣勢であっても目指すプレーが揺らがないという点において非常に効果的であった。勝ちたいという欲求と、勝つための手段(つまり点を取る手段と点を取られない手段)の両方を持っていることは、全てのゲームの90分間を有意義にすることは間違いない。

 

一方で、サタデーリーグへの執着が強くなりすぎた側面もあった。横国に敗れるまでサタデーは無敗だったが、そのことに変にプライドを持ってしまい、選手の意識がサタデーに向きすぎてしまった。本来育成チームの選手の意識が向かう先はAチーム昇格、そしてその先の都リーグでなくてはならず、サタデーというのはそこまでの踏み台にすぎないはずだったが、チームの雰囲気としてその前提が崩れていた。あくまで育成での試合は過程に過ぎないと選手に対して強調するべきだったし、今季のような戦績だった場合に選手がどういう精神状態に陥るかは理解しておくべきだった。

 

 

 

 

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指導とはなんだろうかという問いが、結局のところ一年間を通して私を悩ませたものの正体だったと思う。

 

 

コーチに就いた時点では、指導とは“教えること”だと思っていた。指導という語がそもそも教え導くという意味であるし、一概に誤った認識であるとは今でも思っていない。

 

それゆえ就任から半年くらいの間は多くのことを教えようとしていた。この状況ではこのようにプレーすればよい、この配置だったらここに展開すればよいといったように、状況と選ぶべきプレーを一対一対応させ、“知識”というパッケージに詰め込んで選手に提供しようとした。

 

この手法は、状況に適合する“知識”パッケージを記憶から取り出してきてプレー選択に反映する、という行為を繰り返していれば、必ず状況を解決できるという発想に基づいている。一見正しそうに見えるし、実際このやり方が適している場合もある。単純な事務処理はその一例だろう。あるいは試験勉強もこれに近いかもしれない。必要なのは正しくかつ素早く知識を取り出してきて適用することであり、知識にない状況が発生したときには知識を追加すればよい。マニュアルを参照したり参考書を読んでみたりすることが知識の追加に相当する。

 

 

しかしながら、サッカーという競技の性質を考えたとき、この“知識パッケージ手法”は適切ではない。サッカーの高い複雑性と、会話における情報の欠落はこの手法と非常に相性が悪いからだ。

 

人と人との意思疎通は何かを媒介にして行われる。多くの場合、言語による。すなわち、意思が意思のまま他人に伝わることはなく、意思を言語に翻訳したのち出力(書いたり話したり)し、その言語を入力(読んだり聞いたり)しそれを意思に再翻訳することで、相手が何を考えているのかを理解することになる。つまり翻訳という行為が二度挟まることになるが、翻訳のたびに情報は広義単調減少していくため、原理的に考えれば真に正確な意思疎通は非常に困難だと言える。

 

また、先に述べたようにピッチ上の情報すべてを正確に認識するのではなく、プレー選択に必要であると抽出された情報は正確に、それ以外はなんとなくぼやっと認識しているのが普通であり、その抽出の仕方は人によって異なる。つまり、状況が同じでも、状況の認識は人によって変わってくる。

 

以上より、コーチから選手に「こういう状況のときはこうプレーすればいい」と伝えたときの、“こういう状況”はコーチによる“状況の認識”であって状況そのものではないし、選手が受け取った “こういう状況”がコーチの伝えたい“こういう状況”とぴったり一致することもないのである。

 

 

 

知識を与えることではない指導の方法を捉えるきっかけはいくつかあった。

 

一つは前述の双青戦だ。

 

なぜ選手のプレーに混乱や戸惑いが混ざるようになったのか。その原因は情報過多と例外状況にあると推測した。

 

情報の抽出が必要であることは既に述べたが、状況とプレー選択を対応付けた知識には抽出の方法が含まれていないため、プレー選択の知識だけでは、ピッチ上の情報と状況を結びつけることができず、プレー選択を行う土俵にすら上がれないということになる。これを情報過多のエラーだと考えた。

 

情報の抽出が上手にできる選手だったとしても、コーチから与えられた“こういう状況”に存在しない局面に遭遇してしまうと、状況に紐づいた “こうプレーすればいい”を引き出すことができず、どうプレーすべきか戸惑いが生じる。これを例外処理のエラーと考えた。サッカーの複雑性の前では、起こりうる全ての局面を列挙しそこに対応する知識で予め埋め尽くすということができないため、外からの知識の追加では例外処理のエラーを回避できない。

 

 

問題を突破するには選手自身の内部にプレー選択の機構を作るほかない。与えられたプレー選択の知識を蓄積し、必要に応じて取り出して活用するのではなく、自ら絶えずプレー選択データベースの作成・運用・修正のループを回すことで、例外処理が発生すればデータベースをその場で拡張してプレーの幅を広げ、情報過多が発生すれば情報抽出の手段を更新して情報量を自ら調整させることを目指す。

 

要するに、色々と教えようとしてあれやこれやと考えた結果、一周回って「自分で考えてプレーしろや」という身も蓋もないところに帰ってきたわけだ。

 

ただ、これだけでは選手自身で状況を認知し、プレー選択を試行錯誤することが大事だという当たり前のことを言っているのみで、「サッカーで大事なのは認知、判断、実行や!」と叫ぶ薄っぺらいネット記事と同レベルにしかならないし、もはやそれは指導とは呼べない。認知判断実行が重要であることはチーム内でも常々言われており、選手にとっても常識であるにも拘わらず問題が発生しているということは、そこにコーチが介入して改善できる部分があるはずなのである。

 

 

 

そもそも認知判断実行はプレー選択の全てなのだろうかという問いがここで生まれた。

 

 

 

この疑問に対する一つの回答は『競争闘争理論』(著:河内一馬 2022)から得られた。この書籍では、スポーツを競うものと闘うものに分類し、二つの競技分類において求められる思考態度や振舞いの差を記述している。後輩の石丸君に勧められて手に取ったが非常に面白い書籍だった。石丸君には大変感謝である。

 

その中で、サッカーにおける権利と意思についての記述がある。詳しくは書籍を参照してほしいが、攻撃と守備にはそれぞれ権利と意思の二種類があると著者は主張している。ボールを持っていることは攻撃の権利を有していることであり、相手ゴールに向かおうとすることは攻撃の意思を有していることである。一般的にボールを持つことはすなわち攻撃であると考えがちであるが、それは権利を有しているにすぎず、攻撃する意思を持つかは別の問題である。

 

 

権利だけではプレーは決まらない。意思が必要だということは案外見逃されがちだと思う。認知判断実行というプレー選択の過程には意思決定が含まれていないからだ。

 

本来であれば、意思決定が先行し、意思を貫くためにはどうプレーすべきかを想像し、そのプレーの可否を判別するには何を判断材料とするべきかを割り出し、そうして必要な情報だけをピッチ上から収集するというのが正しい順序である。実行ありきの判断基準の規定、判断基準ありきの認知要素の決定、つまり情報の抽出が行われた上での認知判断実行のプロセスに流すというのがあるべき状態だ。

 

当時、選手の意思決定を妨げていた大きな要因はプレー選択を知識として与えられることに慣らされてしまったことだと考えている。状況と選ぶべきプレーをセットにされてしまうとプレー選択に選手の意思が入り込む余地がないからだ。

 

 

 

まずは意思決定を習慣化しなければならない。プレー選択はその次だと気づいた。

 

 

この気づきは指導に大きな変化を起こした。教えることを指導と考えていたが、“意思を教える”ということはできないからだ。

 

 

意思決定の習慣化の手段として選んだのは対話だった。くどいほどに「お前は何がしたいのか」を問い続けるようにした。

 

反応は様々だった。自分の意思なく周りに合わせているという者、何をしていいかわからなくて困っているという者、なんとなくノリでプレーしているという者、案外しっかり自分の意思を説明してくれる者。

 

 

意思なくプレーする者には、自分の意思がなければ何も始まらないし、仮に失敗してもフィードバックが得られないから成長につながらないよという話をした。自分の意思を表現してくれる者には、意思決定をもとに、妥当な認知と妥当な判断ができているかという話をした。あるいは意思決定そのものの妥当性について話した。〇〇な状況でどうしたらいいかわかりませんと相談に来る者には、そもそもお前は何をしたいのかという話を性懲りもなく繰り返した。

 

 

やり取りのなかで大事にしていたことが一つある。それは、プレーの結果にはさして言及しないということだ。プレーの成功失敗は意思決定の過程だけでは決まらないからだ。自らの意思に従って正しく認知判断実行を行うこと、そのプロセスに問題がないか評価すること、問題があればプロセス自体を修正すること、これを繰り返しやり続けること。プレー選択までの過程をまずは重要視してほしかった。一回一回の結果は単なる副産物にすぎない。

 

そもそも育成チームレベルにおけるプレーの成功は重要ではない。トップチームの速さ、激しさのなかでもプレーを成功させるための機構を選手自身の内側に備えることがなによりも重要なのだ。その機構とは評価し修正する仕組みである。相手が速くなれば、強くなれば、激しくなれば、認知すべき要素を変えなければならないかもしれない、判断基準を変えなければならいないかもしれない、そもそもの意思決定自体を見直さなければならないかもしれない。そうなっても、意思決定認知判断実行のプロセスを評価し修正する仕組みが選手自身の内にあれば、それまでの経験をリセットすることなく更なる積み上げに臨むことができる。

 

 

この考えは私の「Aでの選手経験がない唯一のOBコーチ」という立場に対する回答でもあったのだと思う。私の提供できる知識はあくまで育成チームでプレーする中で得た知識であり、それがトップチームで通じるとは正直思えなかった。だからこそ必要なものは評価し修正し、環境に適応する仕組みだったのだ。

 

 

 

プレー選択の過程に介入するというこのやり方には、教えるという行為は存在しなかった。意思を尋ねる、認知の不足や判断の矛盾を指摘する、解決策を例示する。でも答えは示さない。示せない。そこにたどり着くのは選手自身である。

 

大不正解の択は存在するのでそこは外れるようにそっと矯正することは必要だろうが、大抵のプレーはやってみなければ決まるかミスるかはわからないものばかりだ。であればその決断に至るまでの過程に異常がないのであれば、あとは「とりあえずやってみたらええやん」と後押しするので十分なのだろう。そうして試して、またプロセスを評価して修正して、また試してみて。そのサイクルを回すときの壁打ち相手になるのがコーチの仕事で、選手が勝手にサイクルを回し始めたらコーチの仕事は終わる。

 

 

私にとっての指導とは教えることではなかった。選手が自信を持ってプレー選択できるように、そのために必要な思考を掻き立てることだった。少なくとも、ア式蹴球部の育成チームでは。

 

 

(ちなみに、ここまでさも実証されたことかのように書いてはいるが、半分くらいはまだ仮説段階と言っていい。結局検証するだけの時間がア式での生活では残っていなかったためしばらくは仮説のままだろうが、将来もしまた他者を指導するようなことがあれば、続きの検証をやってみたいと思っている)

 

 

 

 

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多分、教えるという行為を成果に繋げることは相当な高等技能なのだと思う。教えることで他人の能力を向上させるのはすごく難しいということを散々思い知らされた一年だった。

 

教える/教わると “学ぶ”は似て非なる概念だと思う。教える/教わるは知識の授受であり、学ぶとは知識の生成である。そして、環境に適応することが求められるサッカーにおいて重要なのは、知識そのものではなく、知識を絶えず生成し続ける能力、いわば学習の方法の獲得なのだと思う。

 

 

それ故、選手が主体性を持って学ばなければならないという主張は間違いのない話であるが、それを言うだけではただの部外者となんら変わりない。コーチという立場である以上、そこからもう一歩踏み出さなければならなかった。

 

学びのきっかけは人によるとしか言えない。だから対話が必要だった。だから選手それぞれのきっかけを探さなければならなかった。

 

 

選手に対して自立的に学ぶように求めることは間違っていない。選手の全てをコントロールできるはずもないし、そうしようとする義理もないからだ。コーチの立場としてすべきことは、決して選手を突き放さず、しかし一方で過保護にならず、学びを促し続けることだったのだと思う。

 

 

 

指導や学習という代物は当初考えていたよりも複雑で、面倒で、でも面白く、情熱を注ぐに値した。サッカーの持つ競技性が指導という活動をより一層おもしろくしてくれたことは事実であるが、指導という活動自体が自分の興味を刺激したのだと思う。

 

とにかく、OBコーチをやらせてもらうなかで、サッカーという競技を、指導という行為そのものを掘り下げられたことは大変有意義であったし、このような貴重な経験をくれたア式蹴球部にはとても感謝している。

 

 

 

 

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最後に、関係者のみなさんに少しだけコメントを残して締めたいと思う。

 

 

一年間一緒に戦ってくれた育成チームのみんなには本当に感謝している。えのけんにようやく芽生えた責任感とか、希一の大化けとか、馬のスーパーゴールとか、ずみのリーグ戦スタメンとか、腐らずやり通したおがや真鍋が最後に放った輝きとか、列挙にいとまがないけれど、みんなの成長や活躍の瞬間に立ち会うことができて嬉しかった。

 

そして何より、これまで自分が出ていない試合にほぼ興味が無かった私に、他人の試合にのめり込むという体験をくれてありがとう。みんなの披露する好プレーで何度も心沸き立った。みんなの得点は自分のこと以上にめちゃくちゃ嬉しかった。試合に勝ったときは筆舌に尽くせないほどに幸せだった。

 

みんながリーグ戦で躍動する姿を心待ちにしている。そして、どうかサッカーが好きだと思いながら卒部の時を迎えてほしい。

 

 

 

スタッフのみんなには大変お世話になった。練習も試合も、スタッフ陣の力なしには成立しなかったと思う。特にグラウンドスタッフの方々にはメニュー提出の遅れや唐突な変更でご迷惑をおかけしてしまったが、毎度きっちりグリッドを仕上げてもらえてとても助かった。活動の幅を広げるア式蹴球部においてスタッフの働きの重みは年々増していくと思うけれど、ピッチ上でもピッチ外でも自らの役割や仕事とその成果物にプライドを持って活動してくれたら嬉しい。ともかく、みんなのア式蹴球部で過ごす時間が価値あるものであって欲しいと願うばかりだ。

 

 

 

一年間この変人に付き合ってくれた育成コーチ陣にも感謝している。自分の興味には頑固なくせにそれ以外はやたら適当という厄介なやつだったと思うけど、お陰様でこのチームでやりたいことを存分にやらせてもらえた。各々の得意分野とか経験してきたポジションとか指導の指向とかが結構バラバラで、選手が自分に合うコーチを選べるという意味で、いいコーチチームだったと思っている。各々が弟子をとっていく様は面白かったし、結果それが正解だったと思っている。シーズン終わりに書いた育成選手へのフィードバックがあれほどの密度で仕上がったところにみんなの情熱が垣間見えてなんだか嬉しかったのを覚えている。

坊垣内にコーチとしてのトレーニングの場をあまり準備できなかったことが心残りではあるけれど、振る舞いの重鎮感からして良いコーチになれるのではと勝手に期待しているので、2023シーズンもコーチをやってほしいなと思うし、コーチという役割を面白いと感じてくれていたら嬉しく思う。

 

 

 

 

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隼さんもかつて書いていたけれど、多くの人に指導者を経験してみてほしいと私も思う。実際面倒なこと、苦しいこと、もどかしいことは多かったけれど、それを補って余りあるほどの学びと感情の揺れ動きを経験できた。もし今おかぴからオファーをもらった一年前に戻ったとしても、きっとまたコーチを引き受けるだろうなと思っている。

 

この文章を読んで、あるいは先輩OBコーチたちの姿を見て自分もコーチをやってみたいと思ってくれる現役部員がいれば嬉しく思うし、ぜひチャレンジしてみてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

冒頭でサッカーのことが大して好きではないなんて書いたけれど、こうしてまたサッカーのことを考え始めるとやっぱりこの競技面白いなと思う。

なんというか、ボールを蹴りたい気分だ。

 

 

 

ともあれ、ア式蹴球部での活動はこれでほんとにお終い。

 

 

プレーするだけにとどまらないサッカーの楽しさ、面白さを体感させてくれたア式蹴球部に心からの感謝を。

 

これからはこっそり草葉の陰から現役を応援していようと思う。

 

 

 

 

 

…………たまに試合観に行くくらいは許してもらえると嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

こんなにア式に長居するとは思わなんだ

2022育成チームOBコーチ 大田楓

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