受け身から卒業したい

永田祐麻(1年/テクニカルスタッフ/麻布高校)

こんにちは、新2年のテクニカルの永田です。

正直何を書けば良いのかあまりわからないので入部の経緯について書こうと思います。

去年の春、大学に入って自分が何をしたいか考えていた時に昔からサッカーをしていた自分は当然サッカーに関わることも考えたのでア式のインスタやツイッターをフォローしたりfeelingsを読んでみたりなんかして情報を集めた。ア式には高校時代の2個上、3個上のキャプテンが入部していることは知っていたので2人のfeelingsをはじめに読んだ。高校時代1年の頃から試合に出ていたことを知っていたので下の学年の時に2人がAチームで公式戦に絡めていなかったということに驚き、高校時代の怪我もあって元々プレイヤーとしてア式に入るつもりがほとんどなかった自分はア式のレベルの高さを感じ改めてプレイヤーとしての入部を諦めた。高校時代に東大フェスなどでア式の説明を少し聞いたことのあった自分はプレイヤー以外でア式に関わる方法があることを知っていたので、プレイヤーを諦めた自分が次に考えたことはスタッフとしてア式に関わることだった。しかし考えたのはいいもののテクニカルの活動を見ていくとなんだか難しそうなことをしているし、何よりテクニカルとして関わっても自分がサッカーをプレーすることはできないことがテクニカルに入ることを躊躇った理由だった。小学生からサッカーを始めて高校時代の怪我の期間を除いて自分がサッカーをしていない時なんて無かったし、怪我をしている期間ひたすらグラウンドで同期や先輩後輩がサッカーをしているところを眺めるという経験があったので、テクニカルに入って選手がプレーするところを見ているだけで自分がプレーしないのは耐えられないだろうと思い、サークルで適度にサッカーすることにしようと考えていた。その時点で自分がア式に関わることはもうないはずだった。

授業が始まってしばらく経ったある日、石丸さんから連絡が来て少し喋った流れでご飯に行くことになった。(自分が怪我しててほとんど喋ることがなかったとはいえ学年的に被っていた八代さんではなく石丸さんから連絡がきたのがなぜなのかいまだに謎)はじめは石丸さんと2人だったのだが、そこに何故か高校時代の同期のキャプテンが合流してきてア式の新歓が始まった。同期のキャプテンはア式に入る気持ちは大きかったのだが浪人していたのでア式の部員でも無かったのに何故かそいつによって強引にア式に入る流れに持っていかれ、次の日には石丸さんにグラウンド行きますなんて連絡していた。
今思えば一度は関わらないと決めたア式に入ることになったのは、高校時代に怪我をし合計2年くらいプレーできない期間があって不完全燃焼に終わっていたことで心のどこかで本気でサッカーに関わるということに未練があったからなのかもしれない。

そんなこんなでア式に入ってもう少しで1年が経とうとしている。自分は元々怠惰な性格をしていて、このfeelingsを期限ぎりぎりになって書き始めているようにア式に入ってから常にぎりぎりで行動することになってしまっている。またいつも流れに身を任せ自分から主体的に行動しようとしないのでア式に入ってからも決まっている仕事を決まっている量こなしているだけになってしまっている。正直この1年間で何かできたと言えることはほとんどないし懸ける熱量も足りていなかったように感じる。こんな自分の悪いところを何とか治して自分から行動を起こして少しでもア式に貢献できるように頑張ろうと思う。

文章を書くのが苦手であまり面白い文章にはならなかったのですが読んでいただきありがとうございました。

自分と同じく怪我などで選手の道を諦めた人、自分がサッカーしなくても結構楽しいからテクニカルに入ってきてくれると嬉しいです。

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