50m走11秒だった私が、ア式蹴球部女子に入部させていただいて

日頃よりア式蹴球部女子へ多大なるご支援、ご声援を賜っておりますこと、この場をお借りし改めて心より深く感謝申し上げます。私が4年間、ア式蹴球部女子、そして文京LBレディースでサッカーをさせていただけたのは、LB会の皆さまをはじめとし、日頃より多くの方々がご支援をしてくださっているからであると強く感じており、言葉では表現しえぬほどの感謝の気持ちでいっぱいです。

本記事では、私がア式蹴球部女子に出会い、4年間過ごさせていただくなかで感じたことを書き綴ることにより、お世話になった皆さまへ少しでも感謝の気持ちをお伝えさせていただけたら……と思っております。

突然ですが、私は「言葉の世界」が大好きです。小さい頃からずっと、「言葉」を愛して生きてきました。きっかけは中学生のころ、川端康成さんや大江健三郎さん、夏目漱石さん……たくさんの作品を読んで心から感動し、私もいつか心にそっと寄り添えるような言葉を生み出したいと思ったことです。

一枚の紙と、一枚のペンがあれば生み出せる。

そんな「言葉」という存在に深く魅了されていた私は、東大を目指し、入学後も自分なりに「言葉」と向き合いたいと思っていました。
四六時中、頭や心に湧き出てくるたくさんの言葉たちを書き留めている私にとって……そして、幼少期からあまり身体が強くなかった私にとって……「運動部」という線とは平行の関係で、交わるはずのない存在でした。


ところで、みなさんの50m走の記録は何秒でしょうか。

私は恥ずかしながら、入部時の50m走が11秒でした。

物心がついた頃にはすでに運動音痴で、小学生のころはハードルが跳べず、運動会のハードル走でハードルを全部足で倒してから何もなくなったレーンを走って、会場中が笑いで包まれたほどです。
言うまでもなくサッカーも苦手でした。サッカーの思い出といえば、ボールの上に乗ろうとして転んで、学校を早退して病院に行ったことと、スローインと見せかけてゴール前までボールを持っていって投げ入れて、同級生や先生に総ツッコミをされたことくらいです。
時が過ぎて、中学生・高校生になってもやっぱり私は運動が苦手なままでした。学年でいつも一番足が遅く、リレーの前後には足の速い子が来てくれて、持久走も1km20分が精一杯だったほどです。

このように、私は何をやっても鈍臭くて不器用なため、隣の子が3回でできることを、100回、1000回と繰り返してようやくできるようになる、そんな瞬間ばかりでした。今も相変わらずそんな瞬間ばかりです。

ですが3年前の秋、私はア式蹴球部女子への入部を決めました。

走ることも、持久力も、ボールを蹴ることも…何を切り取っても苦手だと自身で認識し自覚していたにも関わらず、それでも、ア式蹴球部女子に入りたいと心から思ったのです。

入部を決めた理由はたった1つで、新歓をしてくださった先輩方があまりにも優しくて素敵でかっこよくて…憧れの先輩方と4年間過ごしたいと心の底から思ったからでした。「苦手な運動と向き合うなかで自分を変えたい!」「サッカーを始めてみたい!」という気持ちもありましたが、その気持ちよりもはるかに、「素敵な先輩たちと一緒に時間を過ごしたい!」「監督の藤岡さんからたくさんのことを学ばせていただきたい」という想いの方が強かったことを、今も鮮明に覚えています。

こうして、平行線だったはずの「運動部」と「私」は交わることになりました。


けれど、入部しても私の運動音痴さは変わらず、試合でも練習でも迷惑ばかりかけてしまい、4年生になっても、みんなの足を引っ張ってしまってばかりでした。今も申し訳なさでいっぱいです。

みんなの「当たり前」は、私にとっては当たり前ではなくて、「雲の上のようなレベル」でした。みんなが一回の練習の間でできるようになることを、私は何年も練習してようやくできるようになる…そんな瞬間ばかりです。
先輩方や同期、後輩は、全速力で「勝利」に向かって「走っていく」のに、私はどんなに頑張っても「歩く」のが精一杯で、歩幅も小さくて、一歩ずつ一歩ずつ、進んでいた4年間でした。

一つの組織として活動するなか、何をしてもいつも遅れをとってしまう私は、みんなにずっと迷惑をかけてしまっていたと感じています。
にも関わらず、先輩や監督の藤岡さんは、私が見ている小さくてゆっくりな世界を決して否定せず、しゃがんで一緒に見てくださいました。みんなとどんどん距離が離れていく私を何度も迎えに来てくださって、おんぶしてくださって、手を引っ張ってくださって…その優しさと温かさのおかげで、私は4年間サッカーを続けることができたと深く感じています。

「一つずつできることを増やしていったらいいよ。今日は出したい場所にパスを一本通せた。今日は少しドリブルができた。そうやって一個ずつを喜んでいってほしい。」

監督の藤岡さんがかけてくださったこの言葉のおかげで、私は初めて頑張り方を知りました。一回一回の練習や試合で背伸びをせず、今の自分にできることを一生懸命頑張ろうと思えたのです。

他の部員との比較ではなく、「今の自分」ができることを頑張ろう。

そう思えたら、真っ暗闇の中にいるようだった毎回の練習がほんのわずか明るくなって、サッカーが楽しいという光が少しだけ心に差してくるようになりました。

大学二年生の秋、持病の症状が強くなってしまい、運動だけでなく、電車に乗ったり授業を受けたりすることも以前のようにはできなくなった時期がありました。部活の練習も欠席が続いて、少しずつ体調が回復しても遅刻や欠席が多くなってしまい、大好きだった御殿下サッカースクール(GSS)にも行けない日々が続いてしまいました。
ですがそんな時も、私の世界を明るくしてくださったのは先輩方や監督でした。
電車がダメならドライブに、と連れて行ってくれた先輩。私の気持ちや状況とたくさん向き合ってくださった藤岡さん。私も同じ症状で悩んでいたよ、と相談に乗ってくださった文京LBレディースのママさんプレイヤーの方。
とてもとても温かいみなさんのおかげで、私は今こうして卒部を迎えられています。



私は最後まで、試合や練習で大活躍を収める先輩方や同期、後輩のようになれませんでした。
それでも、試合でみんなの活躍をビデオに収めたり、飲水のタイミングで飲み物を渡したり…試合に勝ったら、一番にベンチに走ってきて抱きしめてくれた先輩や同期が大好きで、涙が止まらないほど嬉しくて…
ア式のプレーヤーだった、なんて烏滸がましくて言えないけれど、それでも4年間、ア式蹴球部女子を辞めないという選択をしたのは、

誰よりもそばで、誰よりも近い距離で、先輩や同期を心から応援し、みんなのプレーを見て、「わ!!すごい!!」と笑顔で伝えたかったからだと思います。
とても烏滸がましいことですが、そのために私はどうしても、ア式蹴球部女子の一人でいたかったのだと思います。


1年生の冬。GSSで子どもたちにサッカーを教えてもらってすごく楽しかった日。
2年生の春。GSSの生徒さんが駆け寄ってきてくれて、スケッチブックに「かれんコーチ」と似顔絵を描いてくれた日。
2年生の夏。初めてミニゲームでシュートが入った日。
3年生の冬。「走り方を知らなかったかれんが、今日ちゃんと走ってて…走れるようになったかれん見て、泣きそうになっちゃったよ」と文京LBレディースの方が褒めてくださった日。
4年生の春。基礎練で初めてももトラップをノーバンでできるようになった日。
4年生の夏前。試合で初めて、裏にパスを出せた日。
4年生の夏。初めてロングキックが蹴れるようになった日。


サッカーや運動経験者の方からしたらどれも些細なことばかりだと思います。ですが、私にとっては一つ一つがとても大きな感動で、心から嬉しくて、天気や場所や時間やみんなの表情まで…それぞれの出来事と繋がる全てを鮮明に覚えています。一つ一つが忘れられない大切な思い出で、大切な記念日です。


このようなとても温かい環境、そして、小さな一歩ずつだけれど、自分にできることが増えていくなか、気付けばサッカーが大好きになっている自分がいました。毎日、帰宅後に報道番組のスポーツコーナーを見ることがルーティーンになって、「どこにどんなパスを出したらいいんだろう」「ドリブルの動きで少しでも真似できることはないかな」とテレビを一生懸命見ています。プロ選手の動きなど、私なんかは微塵もできませんが、それでも、「わ!!すごい!!」と感動しながらサッカーを見ることがとても楽しくなりました。


サッカーだけでなく、部活だからこそ生じる悩みも多く、4年間で流した涙の体積は、きっと私の部屋の体積よりも大きくて、溢れてしまいます。申し訳なくて、辛くて、苦しくて、それでも、先述のような1つ1つの喜びがとても幸せで、その幸せを、先輩方や文京LBレディースの皆様が一緒に笑顔で喜んでくださって…
「かれんのペースで、これからも楽しくサッカーをしてほしい」「かれんが少しでも上手くなっているのを見るたびに、私はすごく嬉しい気持ちになるんだよ」
たくさんのご迷惑をおかけしてしまっている私に、温かいお言葉をかけ続けてくださった皆様のおかげで、私は人生で出会うはずのなかったたくさんの幸せを知りました。「ありがとうございます」という言葉では表しきれないほど、感謝の気持ちでいっぱいです。
ライフステージが変化したり、自身の状況が変化したりしても、サッカーを続ける選択肢をくださる文京LBレディースは、これからもきっと、私にとって掛け替えのない存在です。不器用な私はとても時間がかかってしまうと思いますが、先輩や文京LBレディースの皆様からいただいたご恩を少しずつお返しできるよう頑張ります。




最後に少しだけ、ピッチ外のお話をさせていただけたらと思います。

冒頭でお話ししたように、私は言葉の力を信じており、日々言葉と向き合っています。そして素敵なご縁があり、書籍の執筆や講演会などのお仕事をさせていただいています。
2年ほど前から全国各地の高校さんで講演会を行わせていただくなか、「サッカーの力」を感じる瞬間が多くありました。
自己紹介の中で、「大学ではア式蹴球部女子という部活に所属して、日々サッカーを練習しています」とお話しすると、「全然サッカーやってるように見えない!」と生徒さんが笑いながらお話してくださったり、サッカー部の生徒さんとはポジションやプレーのお話をさせていただいたり、時には、「東大にサッカー部があるの?」「どんな活動してるの?」「ア式のアってどこから来てるの?」とご質問をいただくこともあります。
「サッカー」は、人と人との心の距離を縮めてくれる存在なのだと感じずにはいられませんでした。

「東大にサッカー部あるなら、東大目指してみようかな」
そう話してくださった生徒さんの表情も忘れられません。

「サッカー」を通して、たくさんの方とこんなにたくさんのお話ができて、こんなにたくさん笑顔になれるなんて、4年前の私は知りもしませんでした。
部活のことで流した涙があまりにも多くても、一方で、部活に入らない選択をしたなら、そして「サッカー」に出会っていなかったら、出会うことのなかった笑顔にたくさん出会えたこともまた、紛れもない事実です。



一つのボールと、少し広い地面があればできる。


そんな「サッカー」という存在に魅了された私は、これからも感謝の気持ちを胸にサッカーを続けていきたいと思っています。






4年生の9月中旬。
試合で初めて、サイドバックからドリブルで相手ゴール前まで行って、ゴールにボールを蹴れた日。
シュートは入りませんでしたが、それでも、ドリブルをするなかで感じた世界は眩しくて、これから先もきっと、あの瞬間を忘れることはありません。



重ねてになりますが、多くの方のご支援なくして、私は4年間サッカーを続けることはできなかったと感じております。全ての皆様に、心より深く感謝申し上げます。

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