日本サッカーの将来を背負う覚悟

横田義典(1年/テクニカルスタッフ/西大和学園高校)




「縁」という言葉がある。

 

えん、ゆかり、よすが、えにし。たくさんの読み方があり、また意味を持っている単語だ。

 

古くは宇津保物語で使われたことがあるほど長い歴史を持つ言葉である。

現代でも、「このご縁を大切に」なんて言葉はよくビジネスでのやり取りで使われるものだし、僕も祖父母や両親に「ご縁を大切にしなさい」なんて小さい頃からずっと言われてきた。

 

 

でも、僕は、この「縁」という単語をいまいち理解できていなかった。

 

実際のところ、「縁」というものを意識して生きてこなかったことはそうだが、西大和での濃密すぎる3年間で形成されたどうも捻くれた性格のおかげで、人の繋がりはその人の実力に付随してついてくるもの、なんていう不相応でおかしな考え方を持っていたこともある。

 

これまで僕はずっとそんな捻くれている考え方をしていたし、そのおかげで実際人に迷惑をかけることが本当にたくさんあった。(自分が認知していないことでもたくさんあったはずです)





ア式に入ってからすぐ、僕は所属の双青戦ユニットにおいて、たくさんの企画を担当させていただいた。


DAZN、家本さん、細江さん、大塚製薬などなど。本当にいろんな企画をぶち上げた。



そして大失敗をした。




シンプルにいろんなことをやりすぎた。

 

キャパオーバーであることを自覚していながらいろんな企画をぶち上げ、自分で責任を負うことができる範囲を超える仕事を抱えて、色んな人にご迷惑をおかけしてしまった。

責任感の欠如、いろんな人に言われた。



陵平さん、オカピさん、そして京大のSさんからもお叱りのお電話をいただいた。(こんな自分のためにお時間をとっていただいて本当に感謝しています。ありがとうございました。)



人生でこれまでに経験したことがないほどお叱りをいただいた8月だった。



 

「自分にベクトルを向けて反省をし、次に繋げる。」

サッカーを見ていれば毎週末どこかしらで聞く言葉だが、そのまたとないチャンスだと思い、自分を変えようと決心した。





ただ、自分にベクトルを向けるということ、これは非常に難しい。


 

僕はテクニカルという、選手に対してコーチングをする、指導者に近い立場の人間だ。



選手と映像を一緒に見てフィードバックをしている時、「これはあいつのパスが悪かった」だったり、「疲れていた」みたいな、いわば言い訳のようなことを言われる。


そんなことを言われるたびに、「自分がうまくなればええんや」とか「もっと体力をつけたり認知判断を向上させて無駄走りやめて90分間常に余裕を持てるようになれ」という風に言い返す。



でも、そう言いながら、自分自身はそんなことを言うことができるような人間ではないよな、と心の片隅で思う。





オカピさんや駿平さんに言っていただいた「姿勢で見せろ」という言葉に応えるため、月オフに勝手に部室に行って掃除をしたり、育成の遠いアウェイの試合や欠員が出た撮影シフトに積極的に入るようにしたり、マネさんを手伝ったり、暇さえあれば自分のできることを見つけて取り組むようにした。




だが、空回りして逆にミスをしてしまったし、その度に自分は何をしているのかと情けなさを覚えるばかりだった。


双青戦が終わってから、本当に情けない1ヶ月間だった。





そんな1ヶ月間が続いて、9月半ば、陵平さんの退任が決まった。

陵平さん退任の話が出てから数週間、一度も心の整理はつかなかった。


同じズラタンを敬愛する人間として、ズラタンがミランに帰ってきた頃から気にかけていた憧れ。

浪人中、孤独感で病んだ時に見に行ったリーグ戦での監督姿。

11月に見に行ったローマ-マリノスの試合でローマ側ゴール裏から遠目に眺めた姿。

毎週深夜に見ていた試合解説で耳馴染んだ声の持ち主。



陵平さんは、自分の想像よりも遥かにサッカーを愛している方で、一人の漢として心の底から尊敬することができる素晴らしい方だった。

そんな方と、部室に行けばお会いできて、色んなサッカーの話をして、一緒に戦うことができて、時々ピオリへの悪口を吐き出しさせてもらえて。たった半年間だったけれど、この期間は本当に夢のようだったし、間違いなく自分の人生で一番濃厚な時間だった。



普通に考えれば、陵平さんと毎日のように会えたこれまでがおかしかったのだろう。


毎日のように陵平さんと会うことができる環境に出会えたことは、ただの偶然の積み重ねだ。


ど田舎にしては超教育熱心な両親のもとに生まれたこと。

なぜか東大志望になったこと。

県外の高校に進学させてもらえる恵まれた環境であったこと。

西大和の寮で猛烈なサッカー好きに洗脳されたこと。

偶然ズラタンという神様の存在を知れたこと。

ズラタンがミランに復帰したこと。

那須大亮さんのYouTubeでア式が取り上げられていたこと。

寮の先輩がア式に入ったこと。

東京で浪人をさせてもらえたためにア式の試合を時々見に行けたこと。

ゆーまから「まだア式興味ない?」ってDMが来たこと。



僕は結局東大に入ることができなかった。

普通であればア式に入ることはないし、実際3月の段階ではア式に入ることは諦めていた。


そんな僕がア式に入るまでに、これだけの偶然が積み重なっている。しかも自分の意思が介在しない偶然が半分だ。


結局、人と人との関わり合い=「縁」なんて偶然の産物でしかない。


特にサッカーという世界はその偶然という要素が占めるところが大きい。


人事はその最たる例だろう。

色んな選手や監督が言い残していることだが、「サッカーに関わる人間のキャリアは運」だ。


自分の希望とは違うクラブへの移籍が逆にステップアップに繋がったり、逆に自分の希望クラブへの移籍が出場機会の減少に繋がって結果的にその後のキャリアに悪影響を及ぼしたり、偶然の出会いが移籍や獲得に繋がったり。


サッカーの中身だってそうだ。





ここからはテクニカルっぽい話を少ししたい。



サッカーというのは構成要素が極めて多い、世界で最も複雑なスポーツだ。


ア式が長年継承しているポゼッションサッカーは、当たり前のことではあるが、ポジショナルプレーが根底にあるものだ。ポジショナルプレーはサッカーの構成要素の中でも、特にその細分性が高く、複雑なものだ。


スペース、時間、ピッチ上の22人、精神、数秒後の局面、サッカーに関わる全てを管理しコントロールすることを試みる。それがポゼッションサッカーの意味することである。


ピッチ上の11人、そしてピッチ外で選手たちを支えるα全員が一つの集合体となって表現するからこそ、ポゼッションサッカーは美しい。


一人でもズレている人間がいれば、その組織は集合体とはならず、そのサッカーは、1秒たりとも目を向けたくない、猥雑な球蹴りになってしまう。


集合体は、一人一人の動きによってスペースを生み出し、時間を作り、局面を管理する。

選手たちが立つピッチ内のスペース、時間、局面は、全て、11+αの献身によって構成されたものだ。



全ては人と人との関わり合い。それはサッカーの中身においても同じだ。


選手は、その関わり合いを無駄にすることなく、勝利という目標に突き進まねばならない。無駄にしていいものなど存在しない。ピッチ上の構成要素は余すことなく利用する、要素をあえて使わないことも利用法の一つだ。その選択に無駄があってはならない。


ポジショナルプレーを仕込むには時間がかかるし、価値観を根底から変える。

ポゼッションを仕込むと、どうしても縦に速い選択肢を取ることを選手たちはできなくなる。

つまり、個の能力で相対的に劣るチームで、ポゼッションをチームの軸にするとは、縦に速いサッカーという可能性を自分から捨てることである。


それは逃げ道を断つことでもある。それだけ一つ一つの選択肢を大事にすることが必要になる。


そこに妥協や逃げは許されない。


そして、何度も言うが、ピッチ上に生まれる選択肢は11+αが作り上げるものである。人と人とが関わり合って作り上げる選択肢だ。



僕たちテクニカルはαの部分。毎日のように選手にフィードバックを行って、価値観をア式基準のものに書き替えていく。


価値観を書き替えるというのは、本当に難しい作業だ。


価値観を書き替えるとは、まず自分の持つ価値観・行動原理が何であるかを認識していることが前提条件になる。


そもそも、自分の行動原理自体を認識している人間の方が少ないし、それを認識したとて、価値観そのものを変えることなど、自分の行動基準や他者への視線をまるっきり変えてしまうことであるため、人間の根源にある保守性が拒否することが多い。


それでも、ア式の選手たちには、彼らの特徴を生かしつつも、ア式のサッカーに適応してもらわねばならない。



選手たちのために、彼らに求めることを説明し、彼らが納得いくまで向き合うことはテクニカルスタッフの仕事だ。


選手、というか人間というものは、心のどこかで引っ掛かっていることを実行に移すことはない。

その引っ掛かりというのは、人間の数だけ種類が存在する。


 

選手たちを変えるためには、自分の言葉に信用がなければいけない。


人として嫌いな人間、信用できない人間が言うことを人は聞かない。



もちろん、テクニカルという仕事の性格上、実力によって意見を聞く価値がある人間かそうでない人間かを判断されるのは間違いないと思うが、結局それ以前に、人と人との関わり合いが前提だ。


選手には本当に心から寄り添わなければならない。それがテクニカルとしての最低限の誠実さだ。



でも、高いレベルでのプレー経験や選手に寄り添った経験がない人間に、選手に寄り添いながら 、本当に伸ばすことができるのか、僕は不安だった。



だから、個人分析に重点的に取り組んで経験を積むと決めた。



まずは遼一を見た。5月の遼一はドリブル以外本当に何もできない酷い選手だった。


でも、すぐに、こいつには高いポテンシャルがあると分かった。練習試合の映像を見て、気になる項目を作って、自分の目で定性的にスタッツとプレーマップを作り、プレーを可視化して逃げ道を塞いだ。

そして、サタデー・城西国際戦の前に、田んぼの中を走る電車の中で細かく修正を伝えた。

その試合で遼一はアドバイス通りのプレーからPKを奪取し初ゴールを決めた。素直に嬉しかった。


そこから、僕は個人分析の魅力にハマっていった。(盤面的な戦術に飽きてきていたのもあるけど)海外やJを見ていても、この個人戦術めっちゃあいつにインプットさせたいな、とか、そっちばかりに目が行くようになった。


授業時間を使って毎日4試合をインプットして、毎日部室に行って練習を見て選手の状態を見たり話を聞くことで、自分の持っていなかったピッチ上の目線もある程度持てるようになった。


そこから、孟さんからいただいた突然のLINEをきっかけとして孟さんを見たり、パトや慈央、また大輝など、ア式の中で何人もの選手を同時に見るようになったり、他にもア式外で個人的に見させていただく選手を持つことができるようになったり。いろんな関わり合いが生まれた。

 

理科大戦で孟さんに伝えた通りのプレーから3得点が生まれたのは、ア式に入ってから1、2を争う最高の思い出だ。あの一戦で本当に自信を持つことができた。まあ孟さんがすごすぎるのだが。

 

 

そして、個人分析に力を入れると同時に、目の前にいる選手との関わり合いを重視するようになった。

 

入部当初の2ヶ月間、僕はずっと脳内の「机上の空論」と現実の狭間にいた。選手たちにはイライラすることが多かったし、実際、育成の同期を中心に厳しいことを言ってしまったこともあった。(今でも厳しめの指摘は言ってると思う、みんなごめん)

 


ただ、結局、選手に対してイライラするというのは、選手のことを本当に大事には思っていなかったからだと思う。

 

高口さんの「サッカーは帰納法」でも触れられているが、選手を戦術に矯正するのは間違っている。

 

彼らが持つ本来の良さを生かしつつ、戦術面から彼らの価値観を変え、脳内に選択肢を増やしていくのが個人分析だ。


ピッチ上の彼らについては、お父さんやお母さん、彼女(いないやつばっかだけど)よりも詳しいと言えるくらい、全てを知っていなければいけない。彼らからはなんでも聞き出せるような、そんな信頼関係を築き上げなければいけない。


そして、彼ら自身のことを、常にリスペクトしていなければならない。


リスペクトとは相手との関わり合いを大事にするということだ。イライラをアドバイスと称してぶつけることはリスペクトを持った人間のする行動ではない。


テクニカルなんていう、必要な時には選手に厳しいことを言わねばならない立場の人間は絶対にリスペクトを失ってはいけない。リスペクトを失ったテクはTwitter上に溢れる自称サポーターと同レベルの無価値な存在だ。

 

それに、テクニカルは選手がいないと無用の存在だ。選手がいることで生かされている存在である。選手を軽んじることなどあってはならない。




人間は色んな人に生かされている。親、友人、指導者、他にもたくさん。


毎日買い物をするスーパーやコンビニだって、通学で使う電車だって、いろんな人の貢献で維持されているものだ。


そんな人たちの存在は見えないけれど。でも、リスペクトを忘れてはいけない。




1年前、浪人のために東京に来て、それから毎日、王子から南北線に乗って河合本郷に通った。今は中央線に乗って多磨という東京外大がある辺境まで通う。


東京では、電車に乗るだけで、毎日何千人何万人という人たちとすれ違う。

だが、彼ら彼女らの顔は全く記憶には残らない。当たり前と言えば当たり前のこと。いるけど見えない存在。


深夜に一人で窓から東京タワーを眺めていると、自分が1400万人の人々が住む都市の構成員であることを忘れそうになるくらいの孤独感を覚える。そして、東京という街の測り知れない大きさが怖くなる。


毎日あんなに多くの人たちとすれ違うのに、彼ら彼女らの記憶は何も残っていないって、なんて希薄な日常なんだろうか。


僕の地元は香川県丸亀市という人口10万人弱の石垣の名城で有名な田舎だ。人は少ない。自転車で通った中学校までの片道8kmの道のりで毎朝同じ時間に同じ場所ですれ違う高校生とは挨拶を交わす仲になったし、交通整理の警察官とは顔見知りになった。行きつけのうどん屋さんの店員さんとは知り合いだ。



そんな丸亀と比べて、東京の人間関係は炭酸のように希薄だ。


だけど、最近、実は人生も東京くらい希薄なものなのかもしれないと思うようになった。



人生でなんらかの接点を持つ人は、3万人

学校や仕事を通じて近い関係になる人は、3千人

親しい会話ができる人は、300人

友達と呼べる人は、30人

親友と呼べる人は、3人


ネットの海に浮かぶ真偽不明の通説によれば、僕たちは人生を通してたった3万人としか関わらないらしい。少ないなぁ。丸亀の1/3って信じられない。


この世に氾濫している他の人たちは、スーパーの店員さんや電車の運転士さんや整備士さん、そして毎日すれ違う顔のない人々のように、いるけど見えない存在だ。



人生を通してそんなに少ない人の顔しか覚えることができないのなら、もっと目の前の人間に対してリスペクトを持たなければならない、もっと真摯に正対するべきだ。


サッカー、そして人生は全て縁によって構成されているのだから、せっかくの関わり合いを無駄にするなんてもったいない。








僕は今、最終節の翌日にこのfeelingsを書いている。


最終節で僕はリアタイ分析としてベンチをサポートする役割だった。ミライさんのゴールは水野とも話していた完全に狙い通りのものだったし、そして試合中に何度も行われた修正についても提案した内容が反映されて、そしてそれがハマって、試合としては引き分けになってしまったが、自分の中でシーズンベストの一つだ。


だが、4年生と陵平さんと一緒に戦うことができる最後の舞台だった。引き分けではダメだった。絶対に勝たなくてはいけない試合だった。


ホイッスルが鳴って、修正案に終始し、ドラスティックな戦術をベンチに届けることができなかった自分の不甲斐なさに力不足と悔しさを噛み締めながら、陵平さんがベンチでオカピさんやヨネさん、水野、花さん、選手たちとハイタッチしている姿を櫓の二層目から見つめた。


試合後の写真撮影、打ち上げ後に池袋から帰る山手線の電車の中、深夜のアーセナルシティの試合中、何度も涙がこぼれてきた。無力感に対する悔しさでいっぱいだった。絶対に勝ちたかった。


ただ、同じメンバーで戦うことができる日はもう2度と来ない。終わってしまった。



「縁」が持つ意味の一つに、人と人との関わり合いというものがある。


それは、偶然が重なり合って必然のように感じられる、そんなものだろう。

 

「縁」はいつ切れてしまうか分からない。

卒部という区切りのように、終わりが来る時が明確なものもある。


東京という巨大な街で、偶然に偶然が積み重なって巡り会った人たちと過ごす日常もいつかは終わってしまう。間違いなく。


だからこそ、その「縁」を大事にするために、未来の自分が後悔をしないために、自分の行動に責任を持って、1秒1秒を大切に生きていかなければいけない。


僕は弱い人間だから、なかなか自分で自分を律するということは難しかったけれど、この「縁」を大事にするという考え方は、初めて自分の中で生まれたものであり、根本的に自分の価値観を変えた。


本来であればもっと早くに持っていなければならない考え方であるはずだが、19歳というかなり遅いタイミングでの気づきになってしまった。まぁ、社会に出る前に気づけて良かったと思う。




最終節の3週間前


僕はベンチ入りに立候補するのを躊躇ってしまった。

それも、当番のスカウティング班じゃないからというしょうもなすぎる理由で。普段の僕ならいつもの図々しさを活かして「俺が行きます!」と絶対に言っていた場面だったが、なぜか、なぜか、ためらってしまった。


あそこで立候補しなかったことは自分の中で人生最大の悔いだ。

共通で40点分マークミスしたことよりも悔しい。何倍も悔しい。



試合中のことでだって、後悔していることはたくさんある。


相手RSBの対角のロンボ対応が弱点なのはスカウティングで分かっていたし、個人資料にもめちゃくちゃ強調して書いた。だが、実際に試合中は対角のロンボはほぼ出ず、同レーン上のロンボが多かった。前半15分を過ぎて、もっと対角のロンボを増やすようにコーチングしてくれとベンチに伝えた。

 

だが、ピッチ上にうまく意思共有ができないのがサッカーだ、ゲームや戦術ボード上の想像とは違う。後半になってもなかなか対角のロングボールは出なかった。

 

他にも、後半に相手のビルドの中心である清水哲太がRCBからLSBになって、ビルドの出口が左になったことで自分たちのプレスがハマらなくなった時間が長くなった。哲太がLSBになってすぐにプレス誘導を左から右に変更すべきだと伝えた。


だが伝え方が甘かった。


もっと、もっと強く言えば。もっと、テクニカルとして全幅の信頼を置いてもらえる存在になっていれば。

 

そもそも、僕がベンチ入りしていれば。

僕なら、陵平さんに、4年生の皆さんに、勝利を届けられたのでは。どうしてもその思いは胸の中から消えない。


ベンチ入りしたテクがどうとかいう問題ではなく、個人の感情として。

 


でも、僕はベンチ入りしていない。だから、そんなことを言う資格はない。

 

 

 


海外に出た選手たちは、口を揃えてこう言う。

 

「言うところはちゃんと言わないといけない」



ア式は東大の部活だ。選手全員が日本人であり東大生、なおかつ高校までのストレスを発散するかのように女子大と遊びまくっている一般的東大男子のように甘々な大学生活を享受しているわけではない、運動会所属のストイックな人間によって構成される、極めて同質性の高いクラブである。当然だが、海外のように言いたいことを好き放題言っているようでは組織を乱してしまう。

 

でも、言わなければいけないことは絶対にあると思うし、それが自己中であっても、一生の後悔になるよりはマシなのかもしれないとすら思う。



「縁」をもっと大事にするために、もっと良い結果を「縁」のある人たちに届けることができるように、テクニカルとして、部員として、もっと大きな発言権を持ち、遠慮なく意見を言えて、そしてそれがア式のためになる。

そんな存在になりたい。ア式を勝たせたいし、ア式のテクを日本の中心にしたいし、後悔が残らない残り3年間を過ごしたい。


 

ア式では、普通の大学生活では出会うことができない、サッカーに本気で向き合い続ける最高の人たちと出会えている。


先輩後輩が意見をぶつけ合い、1年でも遠慮なく意見を言える風通しのいいア式の環境も大好きだ。

組織としての完成度は、間違いなくそこらのJクラブより高い。日本全国のクラブ、そしてサッカー部が参考にするべき組織だ。



さて、色々グダッてしまったので、そろそろ終わりましょう。いくらなんでも長すぎる。


僕は、資金的にも、環境的にも恵まれたア式のテクニカルユニットという日本最高峰の環境で毎日サッカーに向き合えていること、そして、捻くれた自分を、大っぴらにこんなことを書ける人間に変えてくれたア式に本当に心の底から感謝している。


そして、このア式という最高の組織を、日本の中でもっともっと大きなプレゼンスを持つクラブにするため、競技レベルでも、関東に昇格して勝ち続けることができるような強いクラブにするため、そして、日本サッカー全体をア式が中心となって良いものに変えていくため、僕は、この4年間の全てを捧げるし、持つ力の全てを振り絞りたいと思う。



そして、その先に、自分の後悔、最終節で勝利を陵平さんに届けられなかったこと。その後悔の挽回がきっとある。いや、挽回したい。


 

そして、これからの3年間の中できっとぶち当たるであろう様々な障害を楽しみたい。





サッカーの試合とは絶対に一人では成立しない。君たちの人生も同じじゃないか。 イビチャ・オシム






まとまっていない思考をつらつらと書き並べただけの駄文をここまで読んでくださった方、読みづらい文章ですみませんでした。1年後はもっとシンプルに書きます。

ここまで読んでくださりありがとうございました。



横田 義典


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