ずっと後輩のままがいい〜

永見涼葉(4年/スタッフ/宇都宮東高校)



卒部feelingsを書かなくてはいけない時期がやってきてしまいました。

ア式に入ってから3年以上経って、ついに卒部。

振り返ってみると不思議なことに、あっという間だったなあとも、引退まで長かったなあとも思う。


私は入部してまもなく、試合運営ユニットに所属して、公式戦の運営を担当していた。

ミスなく試合を終えられるように、準備やら設営やら記録やらに気を配ったり指示したりする。詳しい業務はありすぎて書ききれないが、地味で目立たないのに、責任が重くてめんどくさい仕事の寄せ集めという感じだ。おそらく楽しんでやる人はいないだろう。

試合運営ユニットの偉大な先輩方はあっという間に卒部なさって、いつのまにか私はユニット長をやっていた。


私は昔から「○○長」をやるのがかなり嫌いだった。

責任重いのがつらいしめんどくさがりな性格だし、とにかく楽な方がよかったからだ。末っ子だからなのか後輩の立場が大好きで、できれば先輩に、わかりません教えてください〜ってずーっと頼ってたい。後輩のままがいい。

けれど先輩という立場になって、あろうことかユニット長にまでなってしまって、後輩も入ってきてくれて、変わらなければいけなかった。

後輩は真面目で謙虚で、感激するくらい仕事ができる。教えたことをちゃんとやってくれるだけで十分なのに、それを1度で完璧に覚えてくれる。それどころか、あれもこれもやった方がいいですよね?と他のことにまで気が回る。そしてこんな私を頼りにしてくれて、一生懸命な頑張り屋さん!

そんな後輩がいて、私が適当になんてなれるわけがないと思った。


私は責任が重いのを避けたがるめんどくさがりやのくせに、おそらく人より責任感が強くて、投げ出すのが嫌いで、頑張っている人に頼られると絶対100%で応えたいと思ってしまうところがある。リーダーになるのが嫌なのに、幼い頃からリーダーに推薦されることがそれなりに多かったのは、おそらく私のそういう面を周りが認めてくれていたのもあるだろう。それはなんとなく自身も自覚していて、自分で自分を楽じゃなくしてしまうのがわかっていた。だから「○○長」が嫌で、20数年可能な限り避け続けてきたのだが、、

ア式では、気づけば適当にできない仕事とポジションを担うことになっていた。ア式の試合運営を仕切ることは、へなちょこの私には少し荷が重くて全部が楽しいだけの時間ではなかったけれど、頼ってくれる後輩もできて、少しは成長できたのかなと今振り返ってみて思う。


大好きなサッカーに携わりたい気持ちで始めたア式。

入部前や入部したてのころは、年上補正もかかっていたのかなんなのか、東大生ってほんとにすごい!東大王!頭良くて天才!別次元!という夢いっぱいの先入観を持っていた。

でも今は、え〜意外と周り見えないなあとか、なんでここ気づかないの!?(涙)とか、もどかしいこともよくあって(もちろん頭が切れてすごいと感じる人もたくさんいるけれど)いい意味で普通の学生だったし、むしろア式は不器用な人たちがとても多い印象だ、いい意味で。

私はア式での活動のおかげもあり、就職活動では自分でも驚くようなところに内定をいただけた。優秀な人ばかりの職場との噂で、私はもちろんのこと両親のほうが心配している(なんかひどい)が、ア式で楽しく充実した日々を送れたから、きっと大丈夫だと思えている。社会人になっても、ア式で過ごした時間を糧に頑張ろうと思う。


最後に、引退まで無事ア式を続けてこられたのは、かわいくて優しくてなんでこんなにいい子だらけ!と涙出るくらいステキな女子スタッフたち、ちょっと変でおもしろい同期、頼りになって気さくでやさしい先輩方、生意気だけどかわいいから憎めない後輩たち、宇都宮から頻繁に試合を観に来てくれて娘とア式をずっと応援してくれた両親、陵平さんや三浦さんなどかっこよくてさわやかなコーチ陣、日頃より支援くださったLB会のみなさま、その他支えてくださった方々のおかげです。

本当に本当にありがとうございました!

また必ず応援行くので、そのときはよろしくお願いします^^無視しないでね^^


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