独り言

中島理希(4年/MF/駒場東邦高校)


自分がサッカーを本格的に始めたのは小学校1年生の頃。 
菅刈FCっていう目黒区でヴィトーリア目黒とか五本木と優勝争いをしていたそこそこ強いチームで点取り屋やっていました。 
確かその時フェルナンド・トレースが好きでした。 
 
小学校5年生、函館に引っ越して、中島小っていう小学校に転校しました。 
函館ジュニオールに加入し、函館トレセンにも運よく選ばれた。 
その時に、チームにめちゃくちゃ上手いフォワードがいたので、この頃からボランチでプレーするようになった。 
トレセンには、半年間だけ、週1の練習と夏合宿に参加して、レベルが高くて楽しかったけど、30人程度の人数のなかで自分は下の10人っていう状況、 
自分の限界と挫折感を初めて感じた経験でした。 
今思い返せばこの時からすでに自分の課題は守備強度、 
結局小学校5年生の頃から自分は良くも悪くも大して変わっていない。 
 
中高一貫の駒場東邦に入り、サッカー部でサッカーをするようになった。 
サッカーのレベルは下がったけど、最高に楽しい6年間。 
書き始めるとめんどくさくなるので省略。 
杉ちゃんと鈴木潤と一緒にサッカーしていましたとだけ書いとこう。 
 
そしてア式に入り、今の自分がいます。 
大学に入ったら体育会でサッカーするかサッカーやめるかの2択だったけど、高校の後輩が入部を勧めてくれたのでやることにした。 
なぜか後輩だけど細かいことは気にしないで下さい。 
最初の頃は想像の何倍も東大サッカー部のレベルが高くて、正直舐めていました。 
あとで痛いめ見ることになるのですが。 
そして徐々に上手くなってきた実感がつかめたタイミングで肩の脱臼を3回してしまい、文字通り痛いめを見ることになりました。 
結局肩の手術で3年生の間はほぼ何もできず、周りの人たちもめちゃくちゃ成長していて一年を完全に棒に振ってしまった。 
でも怪我を言い訳にすることなら誰にでもできるわけだし、ここから巻き返すという気持ちを持って、前向きに今日もグラウンドに向かいます。 
 
終わり 
 
なんて感じで、薄っぺらいfeelingsを出そうとしていたのだがやめた。 
これは卒部feelingsを出す6ヶ月くらい前に書いていたfeelingsの一部。 
「自分と向き合う」って作業をしていると、だんだん気持ちが暗くなってくるから嫌だし、その作業は億劫以外の何者でもない。 
なんて考えだったから就活で散々面接官に見抜かれたんだろうな。 
 
22年生きてきて、その3割は勉強、7割はサッカーといったところだろうか。 
自分が今までやってきたことは、目の前のタスクを余計なことを考えずに淡々とこなすこと。それでうまくやっていけていた気がする。 
マラソンで自分の体力を考えながら前だけを見て足を動かすように、日々の練習をこなし、家の机で勉強に取り組む。特に意味は考えず、問題が解ける喜びとタスクをこなすことで成長する自分への充実感を燃料に頑張ってきた。 
 
でも大学に入ってからは明らかにそれじゃ足りなかった。 
自分がサッカーがうまければ良かったのだが、現実は厳しいものだった。 
そんなくだらないことを書いていることが心底ばかばかしい。 
ただ、自分に実力が足りないからといって、今まで以上に努力できるようになるわけでもない。別に今までだって手を抜いてきたわけじゃないから。 
その状況を打開するためには何が必要なのだろう。答えは自分でもわかっているけど、多分もっとエネルギーを注いで、ギアを上げるしかないだろうな。同じ自転車を漕いでいても、ギアがちがければ自転車はもっと早くなる。逆にギアを変える覚悟ができなければ、いくら必死こいて前に進もうとしても、スピードは速くならない。 
成長するって、自転車を漕ぐことと似ているのだろうな。努力が直接結果に結びつくわけじゃないから。ギアを上げることさえできれば、効率良く成長できる。 
 
自分の人生観について考えてみた。自分の根底にある価値観、性格よりももっと深いところにある考えは、「自分のやりたくないことはやらない」という考え。餓鬼みたいな考えかただけど、ここは譲りたくない。中高生の時は昼休み終了のチャイムが鳴っても校庭でボールを蹴り続けて、授業に遅れて先生に怒られていた。でも自分の役に立つかもわからない授業を受けるよりは、サッカーをしていたいというのが自分の本音だし、21歳になった今でも同じことをするだろうね。母校の先生たち散々コケにしてすいませんでした。 
 
 
6/12(月) 
就活中、毎日自分の考えをワードにまとめていたので、突然自分の考えを書き出したくなる習性がついてしまった。ってことで、この卒部feelings(仮)に自分の考えを書いていこうと思う。別に内容は全然サッカーに関係ないし、自分の書きたいことを書く感じにしよう。 
就活終わって暇人となってしまった。就活だるーとか思いながら意外とノリノリでやっていたことを実感する。就活そこそこ楽しかったけど、結果は全然ダメでした。でもなんやかんや楽しかったからまあいいかって思っている自分がいる。うまくいかなかった就活をいい思い出にできる自分の神経の図太さに感謝しないとね。 
ついさっきサミットでジンギスカンを買ったのだが、中身がほとんど野菜ばっかで肉が一切れしか入っていなかった。野菜と肉のバランスぐらい考えて売っていると思った自分が甘かった。普通に騙された気分だし、悔しいけど、こうやって書き出すと気持ちが整理される。ふう。勉強代だと考えて水に流そう。 
 
いや、もちろんちゃんと美味しくいただきましたけど。 
 
 
6/22(木) 
デカルトの「我思う故に我あり」という有名な言葉があるように、人の内面とは個人にとって不可侵の領域であり、結局自分の思考以外絶対的なものは存在しないっていう考え方。 
確かに一理あるけど、デカルトがこの考えに至った時ってお風呂に入っていたか便所をしていたときなのじゃないかって真剣に思っている。 
自分も小学校の頃は、お風呂に入っては、自分が今見ている風景以外が存在している証拠なんてどこにあるのかって考えたりして、自分が世界の中心だと思ったりしていた。 
でも、様々な人や環境を経験して、社会についての知識が増えると、自分の矮小さを感じてむしろ自分が何を考えているのかがこの世界で一番価値がないことのように思うようになった。 
社会的地位とか物資的豊かさが欲しいなら、後者の考えで頑張るべきだろうけど、精神的に幸せになりたいなら前者の考えでいるべきだろう。国の幸福度みたいなもので、GDPが低いチベットが一位で、GDPが高い日本では幸福度は比較的低いみたいな話があった気がするけど、物質的幸せと精神的幸せを両立するいい考え方はないのかなって思います。てか正直どっちが大切なのだろう。多分お金持ちは精神的幸せが大事だっていうし、貧乏な人は物質的幸せが大事っていうから、どっちも大事なのは間違いない。どっちを重視しているのかってそもそもの性格にもよる気がする。自分は間違いなく精神的幸せが大事だと考えている。今まで何不自由なく暮らしてきたから呑気な性格になってしまったのか、生まれた時からそうなのか。 
 
 
8/9(水) 
自分は就活がそんなうまくいかなかった。一緒に就活を頑張った高校のサッカー部の同期が総合商社、大手広告代理店、メガバンクから内定をもらっている中で、自分は一社からしかもらえなかった。彼と自分の違いを考えることが、自分がうまくいかなかった理由を考える上で大事だと思う。僕と彼の違いは一言で言うと、洞察力の種類の違いだと結論付けた。彼とは就活中お互いの短所と長所を話し合っていたのだが、自分の短所を指摘する際、「あまり本心を言わないことかな」と教えてくれた。聞いた時は、「へー、そうかなあ」なんて思ってあんま気に止めなかったのだが、色々と考えるうちにそれが自分の本質を言い当てているのじゃないかって考えに至った。あと、彼は将棋とかオセロをするときにめちゃめちゃ考えこんで相手をとんでもなく待たせるタイプなのだが、その時も彼なりに人とは違う視点で色々考えているのだろうな。それに対して、僕はたいしてものを考えずに反射でものを判断する癖がある。受験の際にはこの反射神経がとても役に立ったし、正解に最短距離で辿り着けるって言うのは、要領が良いとも言えるしある種の洞察力ではある。でも、結局人が考えつく以上の考えを考える能力は自分はそこまで高くない。結局社会でより価値があるのは、人が考えつかないことを考えつけることだし、AIが進歩した昨今では、最速で正解を出すなんてのはそのうち人間の仕事じゃなくなるかもしれない。そこまで企業が考えて採用活動をしているのかは知らないが、自分なりに納得のいく答えがでて満足な夜中の2時である。 
 
10/15(日) 
サッカーの話に戻ろう。 
ここまでの内容だと、自分はあまりサッカー一筋って感じの人間って感じではなかったかもしれない。でも、サッカーをしていない時期、一人で考え事をしていても気づけばサッカーのことを考えてしまっている自分がいる。毎日サッカー以外のことを考えられるのは、サッカーが生活の中にあってからこそだということを、最近よく感じる。サッカーがなければ、自分の日常はつまらないものになって色を失ってしまうし、サッカーさえあれば毎日楽しくカラフルに生きていける。MNEK-Colour (feat.Hailee steinfeld)って曲がそんな感じの内容を歌っています。もちろん対象はサッカーではないけど、同性愛の人が歌っているので個人的には愛の本質に近いものがあると思います。 
サッカーに依存してきた今までの人生だけど、そろそろ別れを告げなきゃいけないなと感じています。 
4年間、ア式に関わってくれた方、大変お世話になりました。 
マネージャーやコーチ達、サッカーをする環境を整えてくれてありがとう。 
先輩や後輩、ピッチ内外、ほぼ同期みたいに接してくれてありがとう。 
同期、一人一人本当に尊敬しています。ありがとう。 
 
まだ、終わりません。 
 
1/9(火)(追記) 
僕のFeelingsがExplicit認定されて検閲にかかってしまったので、一部改訂しました。 
一部の内容が削除されたので、そのついでに少しつけくえます。 
ぼちぼち同期の卒部feelingsが見られるようになり、気の向く時にパラパラ読んでいる。 
僕は人のfeelingsにあれこれ思うことはないので、ほのぼのとしながらへーと思っている。 
自分で書いといて上2行の内容の無さに驚いてます。今3行になりました。 
人のfeelings読んだ後に自分のfeelingsを見直すと、基本的に自分のことしか書いてない気がする。これってあるあるなのかな。 
色々書きたいことがあって今こうして書いているのだが、いざ書こうと思うと何を書きたかったのか思い出せない。これもあるあるですね。 
ここまで来て、この10行ない方がいいのじゃないかって思い始めている。 
ていうか、忘れているわけじゃなくて、書く勇気がないのか。 
最近デスノートを読んだせいで、頭の中で独り言を言うことが多くなった気がします。 
意外と自分は不器用らしい。 
思い出した。 
デスノートの隠れたテーマは、「頭がよくないと土俵に立つこともできない」 
それを感じて、まさにア式での自分と一緒だなと。 
自分は結局最後まで育成チームで、公式戦という土俵にも立てなかった。 
でも過ぎた時間を振り返ってもしょうがない。 
自分には何一つ足りていなかった。そうとしか言いようがない。 
異様なまでのポジティブさ、自分にはこれしかないから。

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