記憶のピン留め

松尾勇吾(4年/テクニカルスタッフ/北野高校)


最終節を迎えれば「引退」という言葉がよく使われるが、あまりにその実感がないほど、特にテクニカルスタッフの現役のみんなとは変わらない頻度で接している気がする。だから卒部feelingsとなると変な気持ちになる。毎度のこと、身の上話や自分の考えをweb上に載せるのは気が引けるし、みんなの文章を読むと身がすくんでしまう。それでも書くことに意味を感じられるのは、点で散らばった自身の考え・気持ちを半ば強制的にまとめる機会だからである。加えて、卒部のタイミングはア式蹴球部の部員として過ごした4年間の結果を振り返る時でもある。ただ、4年間を詳らかに振り返るには明らかに時間も気力も足りないので、自分にとって重要な事柄を取り上げることにしたい。


3年生の6月、自分の怠惰が原因で大きな損害を引き起こした。その詳細は偉大なる先輩のfeelingsに詳しいのだが、簡単に言えば審判派遣の際に自らの誤認が原因でレフェリーウェアを「忘れた」。さまざまな方の力添えがあったおかげで何とか試合は成立し、副審としての業務もやり遂げた一方、他チームの試合運営を妨げ、多くの方にご迷惑を掛け、結果的にア式を陥れた。現場で多大な迷惑を掛けてしまったことと、その年の先輩の思いや目標は少しばかりは感じ取っていたつもりだったから、それを台無しにしたことに申し訳ない気持ちで一杯だった。
その後少しは落ち着き始めた時に届いた東大ア式への通達には心臓が止まる思いだった。下手すれば選手の活躍の場所を奪いかねず、それはまた一段レベルが違う話だったからだ。こんなにも取り乱したことは初めてだった。困ったことに、自分がやったことがどうしても認められず、必死に責任をよそに向ける方法を考えた。「忘れ物」の語義を調べた。決して審判服の存在を忘れた訳ではなかったから。
今考えれば愚かな行為ではあるが、あまりにも想定外のことが起こった時に自らを律するのは難しいようだ。自己像が壊れることに激しい恐怖と嫌悪を覚えた。何か糸が切れたように何も手につかなくなってしまった。
少し時間が経ってふと考えたのは、どうやって責任を取るのだろうかということ。どう対処すれば良いのだろう。特段肩書きなどないし、形のある責任の取り方はア式部員としてはできない(罰金はあるけど、なぜか課せられなかった)。然るべきところに謝罪を行うことは当然として、自分が果たすべき責任は何か。答えはないが、最低限自分が再び同じ過ちを犯さないことを誓い、できることを続けるしかないと自分に言い聞かせた。
一方で、ア式内では誰も自分一人の責任にしようとはしなくて、チームとしてどうこの問題に対処するのか、ということにフォーカスされていた。当事者としてはその状況に戸惑いと痛々しささえ感じたが、間違いなく正しい方向に進んでいたはずで、そのような組織であって本当に良かった。個々人で思うところはあったに違いないが、励ましの声をかけてくれた方、守ろうとして下さった方、誠にありがとうございました。苦しい状況で、寄り添ってくれる人が居ることがどれだけ救いになるかを思い知りました。
その後運営の方々が最後まで素晴らしい仕事をして下さったおかげで、無事にラストシーズンを迎えることになった。ユニット長も交代して少し荷が軽くなったと思っていたところ、久々に選手登録などの事務的な仕事を受け持つことになった。2年振りとはいえ要領は得ていたし、中々ア式に時間を割けないもどかしさの中、スタッフとしてせめてやり遂げるべき仕事と認識していた。これは誰かがやらないといけない。後任まできちんと引き継ぎすることが最終目標だった。
リーグ戦も終盤に差し掛かかり、引き継ぎも考え始めたような時期、劇的で素晴らしい試合でのことだった。またしても自分の雑な仕事が大きな原因になって、出場するはずの選手がピッチに立てない事態が起こってしまった。試合中は確かに違和感を持っていたが、試合後に理由を聞いた時は絶句してしまった。そんなことは想定していなかった。チームへの影響はもとより、彼が必死の努力で掴んだチャンスを無かったことにしてしまった。選手とってこれほど不条理なことがあるだろうか。前回ので懲りたはずではなかったか、まだまだ認識が甘いのだと情けないことこの上ない。そしてその時に適切な対処ができていたかどうかに自信がない。これは明らかに自分のやったことが影響していた。原因の特定と再発防止の対策は十分だったのか?4年生であることが何か邪魔していたようにも思う。


4年間を振り返る時に、真っ先に想起されるのはこの2つの出来事である。外から見れば些細なことだと思うし、わざわざ書くべきだったかも分からない。一人で仕事をしているのでは当然なく、このことを書くことで苦しめてしまう人がいることにも申し訳なく思う。けれどスタッフとしての役割を果たせなかった事実は、何よりも自分にとって忘れてはいけないことであり、この先多くは発生しない感情の1サンプルとしても意味があるのかもしれないと思い書き留めることにした次第である。
幸運なのは、いずれにしても同じようなミスが起こらないようにチームが動き出したこと。ヒヤリハットというよりは事故が起こっているから少し遅いのだが、自分の誤りが次に生かされれば少しばかりは安堵をもたらす。どうか同じようなミスで迷惑を被る人が出ないように願っている。また、面倒な事務作業を受け持つ人がより安心して正確な仕事ができる仕組みになることを願っている。

さて、ここで終わりかけていたが、一応テクニカルの人間だったということで唐突ではあるが少しだけ。
卒部代が入部した前後はテクニカルの組織拡大が進んだ時期だったといえる。入部当初は新入生が入って10人に届くか、といったところだったが、今気づけば20人を優に超えるようになった。コーチになる人も増えたから実働はより少ないけれど、今年の新入生は過去に前例のない多さで、いつの日か冗談混じりで唱えていた「テク爆増計画」は知らぬ間に達成を見ようとしている。これは時々の新歓担当者の努力の賜物ではあるが、サッカーが好きで関わりを持ちたい大学生が潜在的にはかなり多くいるであろうことを考えればあまり不思議でもない。東京大学にいる人間の分布としては分析的にサッカーを捉えることに親和性もあるだろう(最近は所属大学も様々になって喜ばしい)。
ただそれ以上に、大学サッカーへの入り口を広げ、敷居を下げているという事実は大きい。週6日の現地活動と厳しい実力競争が義務付けられる選手と比べれば、時間的な制約も、肉体的・精神的な負担も小さく、学業の他自分のやりたいことを大事にしながら活動を続けることも十分に可能である。その是非はさておき、かく言う自分はこれがあったから入部している。
そんな中、我々テクニカルスタッフが果たすべき役割はどこにあるのだろうか?人それぞれ、と言ってしまえばそうなのだが、テクニカルユニットとしてはどこに強みを見出せば良いのだろう。
一般に、テクニカルスタッフやアナリストという役割が担う範囲は広いと思われる。ア式のテクニカルを紹介するときは、「練習・試合の撮影、対戦相手のスカウティング、リアルタイム分析、試合後のフィードバックを行っています」などと言っているが、チームによってはスタッフとして担う他の業務もたくさんあるだろう。よってその理想像も漠然としていて、身につけるべきスキルやその評価法に乏しいのではないかと思う。
その中で、人手が存在するということは有無を言わさぬ武器である。これだけたくさんの人がいれば、多岐にわたるタスクを「全て」遂行しようとする気になる。面倒な仕事が多い役回りだが、分担してより本質的な作業に没頭できる。到底少人数では手が回らない部分にまで手を施せるだろう。ただし過度な分業がもたらす弊害もあるし、先に述べたテクの特徴を踏まえれば人の労力の単なる足し算ではなく掛け算になるようなシステムを考えたい。
別の階層だが、サッカーの仕組みを深く理解するという、より狭義の分析、研究に近づく方向性もあるだろう。ここまで深くサッカーを探究しようと試み、その理解を表現する集団は他にないと言われるまでに。ただどういうアプローチが良いのかは未だアイデアに乏しい。当たり前だが、サッカーは分析対象が基本的に目に見えてしまっている。よってそこに多くの観測対象が存在したとしても、人が個別及び全体を見ることでうまく統合し、もっともらしい推論を完成させることができる。そこに分析者や指導者の腕がかかっているともいえる。ただ本当に見えているのかという点と人の認知の歪みが入り込んでいないか、つまり情報の重みづけは間違っていないのかという点においてはもっと実証がなされても良い気はする(がこれは難題である)。また見えないものを見ようとする努力も忘れたくない。
一方で、その分析や知識だけではチームの勝利に役立つことは決してない。このポイントは重要で、自分がチームの役に立っているのだろうか、という悩みをテクニカルスタッフの多くがfeelingsで吐露していることに関連するように思う。具体的な事例を挙げれば、相手をスカウティングするだけでは意味がなく、首脳陣や選手の意思決定に生かされなければ役立たずということ。また、仮に効果があったとしてもそれは即時的、短期的なものである。サッカーは相手がいるスポーツのため、上手い戦略によって能力差をひっくり返すことが可能だ。しかしそれは悪く言うと付け焼き刃的なものであって、チームのベースラインを上げるようなものではない。(逆に、拮抗した中での1プレーが勝敗を決しうることを考えれば、ほんの少しでも勝率を上げるための作業に徹することはどこかで大きな価値を発揮するかもしれない。)
よって、いかに恒常的に選手のパフォーマンスを上げるかという課題に立ち向かうことは自然な流れである。特に後者にいち早く気づき課題だと認識した人は素晴らしいコーチになっていった。今のテクニカルはこの部分にも目を向けようと努力している。
そうは言っても、何かに絞った一途な探究に意味がないことは全くなく、その営みを保障する場であって欲しいとも思う。ふと理学と工学の違いを思い浮かべたが、それらは相乗的であるはず。物事を正確に理解することによって、適切な方法が見つかることもある。見つからないこともある。逆に方法を考えて実践することで理解が深まることもあるだろう。
少し思っていたのと違う方向に筆が進んでしまった。ここに書いたのは自分が考えたこと、というよりはテクニカルの人たちがどこかで言っていたことの受け売りの割合が大きい。これはコーチでも監督でもない役割の意義はどこにあるのだろう、そしてそれはどう評価されるのかということに少しはコミットしたかったという気持ちの表れで、どこかでまた取り組むタイミングがあれば嬉しい。恐らくだが、テクニカルはプロ分析官をたくさん輩出するような組織にはならない(なっても嬉しいが)。だからこそ何かに縛られることなく、時々の構成員が試行錯誤していけば良くて、その過程でテクニカルが担うべき何かが分かれば、あるいは作り出せれば価値のあることだと思う。
こうは書いてみたものの、私自身はあまりテクニカルという役割にこだわって活動してきたのではない。少なくとも入部当初はテクニカルの延長線上に何か自分の将来があるとは思っていなかった上、サッカーが狂わしいほど好きかというとそうでもない(サッカーフリークと呼ぶべき仲間に出会ってきた手前ちょっと気後れするけど、そういう性分なんだろう)。より具体的な性格という意味では、あまりにもコミュニケーションを取るのが苦手だった。当時の社会状況のせいにしたいところだが、情けないことに1年のシーズンを終えても、ある同期には名前を認識されていなかったほどである。(が、ありがたいことに数年経ってその同期は旅行に連れ出してくれた。その思い出は色々な意味で忘れないと思う)
そうあった時、自分がここでやるべきことは何かということを考えざるを得なかった。その一つの答えは、スタッフとして(広い意味での)ア式の価値向上に貢献できると自分が思えればその中身は問わないということだったように思う。自分しかできないことなど存在するはずがない。それを分かった上で、少ない自分のリソースが許す限り、かつ今自分がやることに意義がありそうなものに取り組むというのが行動基準であり、もっと言えばそれがア式での生存戦略であった。(もちろんそのことを明確に意識していたのではなく、今振り返ることによってそう感じる。)
当然ながらそれは一貫して成立していた訳ではない。失敗したり、エゴに走ったり、無意味な価値創造に走ったこともあっただろう。それでいて何か大きな変化を生み出そうとすることもなかった。ある意味逃げでもある。その結果、ただ雑務をこなすことがア式での自分の存在価値と感じ、それができなくなった時にはスタッフとしての矜持を保つことができなくなってしまうような状態にもなり、決して物事のコアには触れないような態度をとることにもなった。
だから、自らの持てる力を最大限注ぎ、真正面から物事に取り組んだ選手・スタッフを本当に尊敬している。中には優先順位の最上位にア式を置いた人もいて、同じ組織にいた人間として口先だけでしか言えないけど、最大限の敬意を表したい。自分の力量不足によって、持てる力を全てア式に捧げるような生き方はできなかった部分もあれば、あえてしなかった部分もある。そのことに良い悪いはないけれども、多少の負い目も感じつつ、自分が割ける小さな資源の中で、長短期問わずア式の利益を生み出し、出力を最大限にする助けが少しでもできていれば良いなと思っている。そのような意識の人間を快く思わない人も当然いただろうけれども、そういった自分を受け入れてくれるクラブであることはとても有り難いことである。
こうやって過ごした4年の結果が今の自分やそれを取り巻く環境である。チームのためというのは聞こえは良いけれども、詰まるところは自分のためにやっている。最後だからといって全部良かったね、とも言えないし反省も多いが、案外悪いことばかりでもない。一般の大学生活や、一般の集団とはかけ離れているであろうこの環境で4年間過ごしたことによる評価と反省は大変貴重なもので、これをもってまた先へ進む。
自分の幸せが何なのかを考えた時に、ア式の勝利や成長が自らのそれと大きくシンクロするほどにはなっていた。これは今の所属という範囲だけでなくこれまでの全ての境遇を含めたものがそうさせていて、非常に恵まれたことである。では次にどこへ向かうのだろう?今はそれを考え続けている。



まとまりのないままではありますが、ここでお世話になった方々に感謝の気持ちをお伝えしたく思います。一緒に活動した部員の皆様、指導を賜った社会人スタッフ・OBコーチの皆様、どんな時もサポートして下さったLB会の皆様、ア式テクニカルと関係を築いて下さったサッカー界の皆様、ア式生活で私に関わって下さった全ての皆様、本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いいたします。本来はお一方ずつ言葉をお送りしたいところですが叶いません。どこかで直接伝えさせていただけますと幸いです。

同期のテクニカルは自分にとって拠り所となる存在でした。めちゃくちゃ仲良しです!という関係性ではないと思うが言葉にならない信頼がありました。少なくとも自分からは。先日も気がつけば不安を吐き出してしまっていたけれど、受け止めてくれてありがとう。そんな仲間は簡単には得られません。だけど気恥ずかしかくて直接伝えられないかもしれないので、書き記します。デジタルタトゥーの時代ということなので名前は伏せておきます。

A様、
誰もが認める類稀な能力と、誰にも負けないア式とサッカーへの情熱は言うまでもなく、並外れた人間性を持つあなたに出会えたことはとても幸運でした。軽はずみに言うのは失礼だけど、こんなできた人間に生まれ変われたら良いなといつも思っています(というのをここに書こうと思っていたらこれは先に直接口走ってしまった笑)。いつも与えてもらうばかりで、何も与えられなかったのが不甲斐ないけれど、これからの活躍を心の底から応援しています。

B様、
生い立ちとキャラクターが異質すぎて入部してきた時はびっくりしてしまったのが懐かしいです。決して簡単でない環境だったと想像するけれど、最後まで居てくれて嬉しかったです。無理なお願いであっても強い責任感でやり遂げてくれたことに感謝。最後もスカウティングまでやってすごい。普段はあまり感じさせないけど、隠れた芯の強さに憧れます。

C様、
出身地や好きなチーム、はたまた性格も?何かと共通点が多くて入ってきてくれた時はとても嬉しかったです。スカウティングMTGを分担したのは我々が最後になってしまうかも。願わくばもっと長く続けたかったけれど、自分にできることがもっとあったのではないかと悔やみます。今のところ、ピンクの血は脈々と受け継がれています。

D様、
テクニカルで1年生の最初に入部したのは3人。私は2人の持つ知識量やサッカー愛に圧倒されてしまいました。あなたの言動は理解できないことが多いけど、何故か自分のことは見透かされている感じがしていて、少し怖かったのと同時に相談すると頼りになる存在でした。多分もう遠慮なくテク会に来てくれて大丈夫だよ。

S様、(E様とはいかなかった)
大先輩の金言「純粋なテクであれ」を体現した、最近では数少ないテクの一人ではないでしょうか。あなたがいなければ間違いなくテクは回らなかったし、テクとして大事な仕事に注力してくれて本当にありがとう。おかげで自分も安心して全体のことを考えることができました。テク長への夢を破ってしまってごめんね。

最後になりますが、このfeelingsの掲載に携わって下さった方々に深く感謝を申し上げます。この上ない遅筆のために貴重な時間を奪ってしまい申し訳ありません。不誠実な対応と度重なる遅延を咎めるどころか、最後の最後まで執筆を尊重していただきました。おかげでこの時間は自分にとって大変有意義になりました。本当にありがとうございました。

松尾勇吾


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