Men for others, with others

岡本康太郎(4年/コーチ・前暫定監督/栄光学園高校)


引退してから早くも1ヶ月が経った。

最後の挨拶で大泣きした割には「ア式ロス」のようなものはあまり感じず。ぼちぼち勉強を頑張りつつ、高校同期と筋トレの計画を立てて肉体改造に励む毎日である。

 

ア式での4年間、振り返ると本当に色々な役職と仕事を経験させてもらった。テクニカルスタッフから始まり、ヘッドコーチ、強化ユニット長、暫定監督。外部との関わりではインスブルックやSTVVとの共同プロジェクトも実現し、高校生からの夢だったfootballistaへの寄稿も叶った。

 

入部した時には当然こんなことになるとは想像もしていなかったし、ただのいち大学生である自分にこんな経験をさせてくれた周囲の人と環境には、感謝しかない。一番大事な事だから、はじめに書いておきたい。

 

ア式に入って本当に良かった。ありがとう。

 

 

文字通り「没頭」した4年間。常に自分の優先順位の一番上には「ア式」と「サッカー」があった。分析や強化、指導や執筆、スカウト活動を通じてサッカー文化の楽しさを全力で享受できた。だからこそ、引退という形でア式での旅を終えた時、一抹の寂しさとともに満足したような、少し誇らしげな気持ちの自分がいた。

 

そこで、自分のア式での原動力はいったい何だったのだろうかと考える。これほどまでに自分の感情を揺り動かし、没頭させたものの正体とは。


「それ」を、少し探ってみようと思う。

 

自分がア式に入った動機は、「サッカーをもっと知るため」だった。

 

俊哉さんの新歓記事を読んで入部した。

自分もテクニカルの先輩や遼さんみたいに、もっとサッカーを解像度高く理解して、語れるようになりたかった。理解すればするほどわからない領域が増えていく、サッカーという複雑系。1年生の終わりに書いたfeelingsで「自分の頭が現場仕様にアップデートされた」と書いたように、ピッチ上にある意図や文脈をつぶさに拾い続けようとするという分析の前提姿勢が、それまでモノクロに見えた試合風景に色彩を与えてくれた。サッカーの解像度がゆっくりだが段々と上がっていくこと自体が、楽しかった。

 

テクニカル期は、マクロな視点からみた噛み合わせや両チームの意図を抽出し、サッカーを俯瞰的に紐解こうとするアプローチだった。対して2年の終わりにコーチに転向してからはより自チームのゲームモデルに即した、個人戦術からの逆算的なアプローチがメインになった。

 

高校までしかプレー経験のない自分は、原理原則を抽出し自他をサッカー的に納得させる根拠を、特定のアクションやテーマでの動画収集に求めた。高口が言うところの帰納法的なアプローチの典型例である。シティやブライトン、スペイン代表の動画を見漁り、朝から晩までクリップ集を作っていた日も。「ギュンドアンの受け方」で10分の動画を作り上げたときは、過去最高の出来だとアドレナリンが大量に出たのを覚えている。

 

サッカーの原理原則が包含されたゲームモデルから階層的に導かれるプレーヤー個人のアクションと、その相互作用。つまりは「制限時間内に相手より多く点を取る」というサッカーの最終目的と、目的-手段関係で連続的にぶら下がる大小の原則の束が階層的に整理されて見えた時、また少しサッカーの解像度が上がったような感覚がして、心地よかった。

 

STVVの長島さんとの関わりの中で考えさせられた、「良い選手とは何か」という定義。それを解明しようと試みることが、プレーアクションの絡み合った集合体たるサッカーの全貌を少しだけ覗かせてくれた。

 

2年から3年時にかけてモラスさんが教えてくれたRBのサッカーは、自分の中でのサッカーの全体像を広げてくれた。最終目的が同じにもかかわらず、どうしてこの世の中には一つも同じサッカーが存在しないのか。そこにいる選手資源や指導者の哲学、マインドセットによってピッチ上の意思決定基準のあり方には当然に差異が生まれる。そしてそれは、サッカーの原理原則から外れることを全く意味しない。それこそがサッカーを面白くしている理由であり、そこに一つの正解はないと改めて気付かされた。サッカーは「選択を正解にする」ためのゲーム。何を信じて何を貫き通すか、考えるとそれはまるで宗教のように映った。

 

そのようにサッカーという競技ゲームの構造を深く追究しようと試みることは、自分にとっておそらく人生で初めて、何かを真の意味で「学ぶ」姿勢を要求されるものだった。だからこそ、去年楓さんから言われた言葉が自分には強烈に響いた。

 

「ありとあらゆることを説明し切る覚悟」。

自分には確かにその覚悟が足りていなかったと気付かされた。サッカーには「正解がない」ことを建前にして、事象を解明し説明しようとする努力から逃げていた。何だって正解じゃん、じゃあ別に説明する必要ないじゃん、と。

 

しかし、その覚悟がない指導者が選手に説得力のあるコーチングをして、サッカー的に納得させることは不可能。指導者として、そしてサッカーの語り部として「説明し切る」覚悟を持った時から、少しはこのゲームの理解が進んだような気がする。

 

大好きなサッカーを論理的に探究するという営為は、4年間自分を全く飽きさせなかった。どころか、分析や指導にのめり込めばのめり込むほど自分の隠したい弱点、虚栄心に満たされた無駄なプライドの脆さを悉く突いてきた。その度に、再度乗り越えるための壁を実感する毎日だった。

 

知れば知るほど未知の範囲が広がっていくこの悪魔のゲームは、これからも自分を熱狂させ続けるだろう。自分の探究するサッカーは、永遠に続いていく。

 

 

さて。自分は上まで書いてきたくらいにはサッカーが大好きだ。自分のサッカーの理解が進んだ過程を振り返るのが楽しくて、ついつい冗長に筆が進んでしまった笑

 

でも、これだけ書いて本当になんだが、サッカーを知りたいという欲求は、ア式での活動に没頭し続ける直接の根拠にはならなかった。「ア式」に居続けるためには、もっと違う何かが動機として必要だったはず。

 

「それ」こそが、自分の4年間の真の価値なのかもしれない。

 

 

だから、「ア式の卒部feelings」は、ここからが本編。

 

1、2年目の自分は葛藤していた。ア式における自分なりの自己実現とは何だろうか、と。

それは、とことん深くサッカーを理解することか。それとも、外部との関わりの中で自らの社会的、サッカー人的価値を上げることか。身を粉にして組織のために尽くすという否定的な意味での「自己犠牲」と、対して肯定的な意味での「自己実現」の違いが分からず、ア式の構成員として何を軸に活動すれば良いのか迷い続けた。

 

その中で、わかったことがあった。

どれだけサッカーのことを突き詰めようとしても、どれだけ外部との関わりにコミットしても、自分が属する一番近いチームにすら貢献できない、強くできない。そんな自分が感じたのは、まさしく「虚無」だった。

 

1年目と2年目、テクニカルスタッフとしての自分はまさにそんな矛盾を強く抱えた存在だった。footballistaでの執筆やインスブルックとの提携といった外部との関わりの中で空虚な価値と虚栄心が積み上がる一方で、自分なりに精力的に取り組んだスカウティングやフィードバックでは完全なる無力さを発揮した。あの時のチームに対して何ができていただろうか。

 

選手を成長させられない、チームを1mmも強くできない。そんな過程の中で、何よりも自分の実力不足を実感した。極端な話自分には、チームを変えられるほどの実力がなかったのだ。

 

このあたりから、自分はある意味で成長の奴隷になった。より新しく難しい環境で自分を追い込んで成長することがア式への還元につながると感じたから、2年の終わりにはコーチへと転向。

 

初年度はコーチとしてはっきりいって完全な能力不足を露呈したが、ヘッドコーチとしてチーム・監督・選手を助けようと試みる過程の中できっと何かが見えてくるはずだと信じ、役不足なりにもがき続けた。

 

その過程で生まれたものは意外にも、一言で言って仕舞えば「情」だった。

 

セカンドで頑張ってる真路やいしこにもっと成長して欲しい。頼ってくれる竹や植田、古川に何かを還元してあげたい。自分のことを信頼して、立場を与えてくれた陵平さんの思いに応えたい。ラストイヤーで色んな思いを抱えながら戦っている先輩たちのために、少しでも役に立ちたい。

 

綺麗事のように映るかもしれないが、自分にそう思わせるくらいにア式の人間は皆魅力的だった。だからこそ、自分に居場所を与えてくれた彼らに何かをもたらせるためなら、文字通り何をしてでも頑張れた。当然、そのためには自分が成長することが必要不可欠だった。

 

すると自然と、自分にとってのモチベーションの本質は「目の前の選手とチームを成長させる」ことに設定されていた。そして、その瞬間に「サッカーを知る」や「サッカー人的価値を上げる」といった自己の成長に向けられたベクトルは、より上位の目的を達成するための手段に位置付けられた。

 

思えば自分のサッカー理解が一番進んだ瞬間は、目の前の彼のプレーをよくしようと頭を捻っていた時で、目の前のチームの課題を改善しようと踏ん張っていた時。それに気づいてからは、むしろ「尽くすこと」が幸せな自己実現に変わった。これが自分なりのターニングポイントで、ブレイクスルーだった。

 

そうして迎える4年目。

自分は3年の終わりに、強化ユニット長として来季のチーム体制に関わる意思決定をした。そこでも自分の軸は変わらず、「ア式を強くすること」一点のみ。その上で種々の意思決定基準を設けて、考え抜いてした決断。

 

だからこそ、何としてでも「選択を正解にする」努力を欠かすことはできなかった。当然考えに考えを重ねて成した意思決定だったが、それを後から後悔しないための方法は一つだけ。その後のプロセスを全力かつ緻密に支え、そして遂行することのみ。

 

もっとも、谷や北川の代が2部でラストイヤーを迎えることは絶対にあってはならない。来年は何をしてでも、死んでも降格させない。強く心に誓った。それが自分なりの、「責任」の負い方だった。

 

だから、ヘッドコーチ2年目として迎えた4年目は、頭が至極シンプルに整理された。チームの勝率を1%でも高めるためにやれることは全部やる。チームを少しでも成長させられることは全部やる。これだけ。非効率なことでも、それが少しでもチームと選手の成長につながるのであれば、厭わずに全てやると決意していた。

 

そうしたほぼエゴにも近い熱量を、周囲の人間にそのままぶつけてしまうこともあった。それが大切な仲間の心を傷つけたこともあり、自分の不器用さを悔やんだ。だからこそ、最後の1年間ずっと並走してくれた古川には、感謝しかない。古川が隣にいなかったら、やっていけなかった。ありがとう。八代、二次会中にガスト呼び出してごめんな。

 

そして同時に、4年目はとことん「信頼関係」の美しさに気付かされた。

 

信頼し信頼し合う選手とともに成長のステップを踏めたこと。強い絆で結ばれた陵平さんと、毎日顔を合わせて、LINEして、一緒にチームを作っていけたこと。それがどんなに幸せだったか。

 

旭や大智、ひかるや長田、ジンらセカンドのメンツと毎日のように部室で動画を見るのに付き合ったり。遼一とクロス練したり。吉本の文句聞いたり、歌慰めたり。潤とはもはやコーチ同士のような感覚で会話してた。それが彼らの成長に繋がるのなら、チームの成長に1%でも繋がるのなら、全く苦にならなかった。

 

3年目まで燻ってたやつが多かった同期の活躍はなんだかんだ嬉しかったし、みらいが最後に決めた後期玉川戦やウノゼロの帝京戦の興奮は忘れられない。最終節の日に八代が「ラストイヤー楽しかった」と答えてくれた時、どこか少しだけホッとした気分になった。

 

そうやって仲間とチームの成長にベクトルを向け続けられたからこそ、自分自身は昔テクニカル時代に感じていたような無力さを感じることは無くなっていた。

 

誤解を恐れずに言えば、何よりも、一個一個の敗北や失敗を自分の責任として捉えられる感覚が心地よかった。そう考えることがたとえオーバーだったとしても。何なら「お前のせいだ」と言われたかったし、負けるたびに「俺のせいだ」と思えることが、チームを成長させるという自分の動機をさらに正当化させた。

 

その気持ちは、リーグ戦終了後の一ヶ月の暫定監督期間も変わらなかった。

 

チームで一番の裁量と責任を負う者として、自分がどこまでこのチームを、選手たちを成長させられるか。そして、その先に何が見えるか。短期間だろうと、最後にそれをすごく試してみたかった。

 

だから毎日、1日中サッカーのことを考えて、高口や俊哉さんたちに助けてもらいながら、必死に準備してトレーニングと試合に臨んだ。メニュー作成が明らかに自分の弱みだと分かっていたから、無駄なプライドを捨てて必死で色々教えてもらった。遼さんも相変わらずハッとさせるような助言をくれた。

 

助けてくれた彼らがいなかったら、そして何よりもあの雰囲気を作ってくれた選手たちがいなかったら、決して乗り越えられなかった。ありがとう。

 

そうした恵まれた環境の中でみんなとチームを成長させようと夢中になった結果、自分が指導者として本当に成長した。4年間でいちばん成長したのは、間違いなくこの時期だった。監督という職業に色んな人が病みつきになる理由が、少し分かった気がした。

 

そして、自分は引退した。

 

 

ア式に入った理由は、サッカーが好きで、サッカーをもっと知りたかったからだった。それは間違いない。でも自分がア式にコミットし続けた本当の理由、それは目の前の彼らを上手くしたかったから。そして、目の前のチームを強くしたかったから。

 

もがき続ける選手を、チームを、自分の力で助けたかった。

 

ただそれだけだった。

 

これまた綺麗事のような表現だが、これほどまでに「誰かのために仕事をする」こと自体が幸せと感じられる4年間は無かったのだ。信頼し合う他者に対して、自分の持ちうる能力を生かして貢献することがこれほどまでに美しく、素晴らしいことなのかと気付かされた。

 

“Men for others, with others”「他者のために、他者とともに」

 

散々聞かされた中高時代の母校のモットー。

今になって、ようやく少しはこの言葉が咀嚼できたような気がする。もしくは、思っていたよりこの言葉が自分に浸透していたのかもしれない。

 

自分が一番没頭し、熱中したのは、彼らを上手くするためだった。チームを勝たせるためだった。もっと言えば、それに没頭できることが自体がとても幸せなことだった。そんな動機も、生き方も決断も、正当化されていいんだなと学んだ。またそれができる環境がいかに恵まれているかを、学んだ。

 

だからこそ、言える。この4年間は究極の「自己実現」だったと。

 

サッカーに、東大ア式に、そしてみんなに、ありがとう。

 

いつの日かまた一人前の弁護士として、このスポーツに携わる日が来ることを願って。

 

 

Thank you.

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ここからは、この場を借りて4年間でお世話になった方々へメッセージを送ります。少し長くなりますが、ご容赦ください。この場で書ききれなかった、ア式で関わった全ての方にも感謝を送ります。

 

まず、4年間の中で外部からア式に関わってくださった方々へ。

 

杉崎さん。テクニカル時代は大変お世話になりました。自分に初めてサッカー界の入口を見せてくれた方でした。

 

三浦さん。何度お世話になったか分かりません。何度も助けていただきました。あの日三浦さんにDMして、本当に良かったです。

 

秋本さん。真のプロフェッショナルとはなんたるかを示してくださりました。今度3月に鈴木と、いわきの試合を観に行きます。

 

またどこかでもし、一緒にお仕事ができるようなことがあれば本当に嬉しく思います。

 

個人的に大変お世話になった、現St.Pöltenのモラスさん、STVVの長島さんにも深く感謝いたします。

 

 

そしてLB会の方々。4年間大変お世話になりました。

この場を借りて、4年間ご支援を下さった皆さんに感謝申し上げます。

 

特に利重さんには、強化やチームのことなど、本当に色々な面で相談に乗っていただきました。利重さんのような器の大きいパーフェクトな大人に少しでも近づけるように、一生懸命頑張ります。

 

 

陵平さん。本当にお世話になりました。一緒に働けた3年間、幸せでした。

自分に立場を与えてくれて、信頼してくれて、お陰様で本当に気持ちよく働けました。

そして、ア式に来てくださって、本当にありがとうございます。

必ずまた一緒に、お仕事させてください。

 

遼さん。一年しか被れなかったのが、本当に悔やまれるほどに、遼さんのゲームモデルは自分のサッカー観の大部分を形成してくれました。

自分にサッカーの楽しさを享受するきっかけを与えてくれて、感謝しています。

 

てつさん。本当に楽しい3週間を、ありがとうございました。

てつさんのサッカーが、これからどんどん形になっていくのがすごく楽しみです。

これからのア式を、どうぞよろしくお願いします。

 

 

先輩方。

まずはテクやスタッフの先輩方。

生意気な後輩だったと思いますが、自分のことを認めて、そして受け入れてくれて、ありがとうございました。

亜細亜で尿管結石になった時の松井さんの手の温もりと稲田さんの気遣い、一生忘れません。

俊哉さん、新歓記事を読んで良かった。

この人たちに会えただけでア式に入って良かった、と思えた方々でした。

年1でテク会はやりましょう。

 

特に一個上の選手の先輩方には、本当にお世話になりました。

紅白戦の主審やってる時は何人かガチで嫌になりかけたけど、、笑

コーチ一年目のどう見ても実力不足な自分を、理解して受け入れてくれて、言葉には出さずとも常に感謝してました。

中でも何度も親身に相談に乗ってくれて、意思決定を助けてくれたマッツさん、ありがとうございました。コーチも1年間一緒にできて楽しかったです。

 

 

同期へ

みんなが、最後まで自分のア式での居場所でした。

熱量が暴走して色んな人に迷惑をかけたかもしれない。

それでも信頼し続けてくれて、ありがとう。これからも仲良くしてください。

 

 

後輩たちへ

本当に心地よい仲間たちでした。ありがとう。

自分があの手この手でみんなに伝えようとしたことが、少しでもみんなの今後に生きてきたら、本当に嬉しく思います。

来年少しでも上の順位に行けることを祈ってます。頑張れ!

 

親愛なるKGCとBGTへ

直属の後輩だから、二人にはあたりが強かったかもしれないと反省はしてる笑

けど、俺は常に二人の味方です。心の底から応援してるよ。

全力でやれば必ず周りはついてくるから、大丈夫。

 

皓大へ

一言だけ。ア式を、今まで誰も見たことがないような景色まで引き上げてください。

楽しみにしてます。

 

 

本当に人と環境に恵まれた4年間だった。

 

 

他者とともに。

 

4年 岡本康太郎


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