私の目標
丸山凱智(1年/GK/武蔵高校)
こんにちは。
東京大学ア式蹴球部1年GK、文科三類所属の丸山です。
まず初めに、日頃から弊部を応援してくださっているサポーターの方々、様々な面で弊部を後押しして下さるスポンサーの皆様に多大なる感謝を申し上げます。
(高校の時からこれやってみたかったんですよね。明治のブログとかでこういう文章を見てからずっとやりたいなって思ってました。)
1-5本目の文では私の思っていることを赤裸々に書き出して、読んでくれるみなさんに自分を知ってもらおうと思っていましたが、締切(最初の締切はとっくに過ぎています)直前にやっぱりそれは2回目以降にとっておいた方がいいんじゃないかとの考えがよぎり、仕切り直して入部までの経緯を淡々と書くことにしました。
後から見返すと面白みのない文章になってしまったような気もしますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
誘われて入ったチームは市内で1.2を争う強さだったようで、学年が上がってチームメイトが増えるにつれて私の出場機会は減っていきました。
フィールドの能力に見切りをつけられた私は、小2の時に初めて背が高い、走れないというありきたりな理由からキーパーで試合に出ることが多くなりました。
そのキーパーでもAチームのスタメンとして出ることは少なく、Bチームやベンチが主戦場となっていました。
最後まで私がスタメンに定着することはありませんでしたが、後にプロになるようなチームメイト達に揉まれ、またチームの雑草魂的な雰囲気にも助けられて、サッカーをする上で大事な負けん気、勝負強さを身につけることができました。
1学年上の先輩からスタメンを奪うまでは至らなかったものの、小学校時代よりも出場機会が増え、またチームを率いる立場になったこともあり、全体を見る力が身についたように感じます。
さすがにハードな練習を積み重ねている先輩方からレギュラーを奪うことは叶わず、順当にベンチを温めていましたが、高一の夏頃に先輩が立て続けに退部し、突然最年長GKとなったことで試合にたくさん絡むようになりました。
その頃はまだ右も左も分からず、先輩方の足を引っ張らないようにすることに必死で、自分の強みを見つけるまでには至らなかった覚えがあります。
そんな私の奮闘もむなしく、高1の選手権では都大会の1回戦で負けてしまいました。
GKコーチがいない中、自分で練習を組むために海外の動画を見漁ったり、声掛けを統一するためにチームメイトと話し込んだりするようになり、自然とサッカーへの愛着、熱量が高まっていきました。
これまでは漠然と大学でもサッカーをしたいな、サークルは緩いから嫌だなくらいにしか思っていなかったのですが、前年度一緒にプレーしていた旭さん、岡部さんが東大に受かって、ア式に入ったことをきっかけに、本格的にア式に興味を持ち始めました。
高2の頃のチームは中々内容に結果が伴わず、リーグ戦では3ヶ月近く勝てない時期が続きましたが、その頃にチームが勝てるようにするための方策を考える、ゲームマネジメント的な分野に興味を持ちはじめ、サッカーをより奥深く考えるようになったような気がします。
この年の選手権では、リーグ戦での不甲斐なさとは裏腹に快進撃を続け、ついに都大会の3回戦まで進んで、前年度全国ベスト4の関東第一と対戦することになりました。
さすがに勝てないだろうと半ば諦めムードで試合に臨みましたが、あれよあれよという間に時間は過ぎ、あろうことかPK戦にまでこぎつけるという大快挙を成し遂げました。
惜しくもPK戦の末敗れてしまいましたが、頭脳派集団が格上のチームを追い詰めるという経験を経て、下克上の精神にさらに磨きがかかったように感じます。
東大生は勉強ばかりでどうせサッカーなど大したことがないだろうと高を括っていましたが、いざ実際に入った練習では全くと言っていいほど通用せず、そのレベルの高さに驚き、ここでなら全力でサッカーをすることができるという確信を得て、心の中で1年半後の入部をほぼ確定させました。
しかしその中で絶対的存在感を放っていたのがO君で、(結果的に彼はその年のチーム内得点王、アシスト王になりました)内外部ともに自分たちを彼のワンマンチームと捉えていたように思います。
そんな彼の大車輪の活躍もあって、チームは7月頃までは好調を維持していましたが、夏の校内合宿で転機が訪れました。
とある事件(f君、懐かしがらずに心して反省するように!)によって顧問がしばらくの間指導を放棄することになってしまいました。
私をはじめとする3年生の部員はチームをマネジメントする主体となって、練習メニューから出場時間、ゲームプランまで様々な事象を考慮して活動するようになりました。
この期間に私はチームのオーガナイズについての考えを深め、試合中の振る舞いや展開の操作といった、チームの状況を気にかけて行動するという面に磨きをかけました。
指導放棄中の最初のリーグ戦では、プラン通りに展開が進み、同格の相手を圧倒して完勝を収めることができ、チームをコントロールして勝利に導くことの快感を覚えて、さらにサッカーへの愛着を深めました。
思いの外指導放棄がチームにとって良い方向に作用したことで、私たちの代では顧問の介入が格段に減少し、部内において自治体制を構築することができました。
この体制の中で私は組織を導く一員として貢献し、自らの知見や能力を提供するだけでなく、組織全体に目を向けることを習得しました。
そんな順風満帆な夏季とは裏腹に、この年の選手権は都の1回戦であっさりと負けてしまい、私は呆気なく引退を迎えました。
敗因は私にとっては明確で、私たち高校生が考えた浅はかな「げぇむぷらん」は強豪チームの監督が本腰を入れて練ったそれには遠く及ばなかったことに尽きるように思われます。
ゲームマネジメントを考え始めてから初めてその面において徹底的に打ちのめされ、私はサッカーの奥深さを思い知らされることになりましたが、私はそこでサッカーをさらに追求し、その楽しさを享受したいと考えました。
10月までサッカーに明け暮れていた私は周囲と比較すると圧倒的に基礎知識が不足していて、塾の先生にも呆れられるほどでしたが、部活動で培ったマネジメント力を最大限活用することでなんとか合格を勝ち取り、晴れて(先輩方の期待は裏切ったようですが)ア式への所属を現実としました。
今は一年生ということもあり、チームが標榜するゲームモデルにぶら下がって、いち駒としてそれを遂行するにとどまっています。
しかし、ゆくゆくは高校時代のようにチームをマネジメントする立場になって、また高校時代には得ることができなかったチーム同士の思惑のぶつかり合いの楽しさ、ゲームモデルを進化させ、チーム内で共有する愉しさを感じることができるように成長していきたいと考えています。
ゲームモデルを教えてくれる徹さん、テクの方々、GK技術の改善に尽力してくださる三浦さん、OBコーチのお二方、プレーのアドバイスをしてくれたり、話し相手になってくれる先輩方、同期のみんな、選手をサポートしてくれるマネの方々、これからもご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
東京大学ア式蹴球部1年GK、文科三類所属の丸山です。
まず初めに、日頃から弊部を応援してくださっているサポーターの方々、様々な面で弊部を後押しして下さるスポンサーの皆様に多大なる感謝を申し上げます。
(高校の時からこれやってみたかったんですよね。明治のブログとかでこういう文章を見てからずっとやりたいなって思ってました。)
さて、今回のfeelingsですが、実はこの文章が6本目となります。
1-5本目の文では私の思っていることを赤裸々に書き出して、読んでくれるみなさんに自分を知ってもらおうと思っていましたが、締切(最初の締切はとっくに過ぎています)直前にやっぱりそれは2回目以降にとっておいた方がいいんじゃないかとの考えがよぎり、仕切り直して入部までの経緯を淡々と書くことにしました。
後から見返すと面白みのない文章になってしまったような気もしますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
私がサッカーを始めたのは4歳の頃で、友達に誘われたのがきっかけでした。
誘われて入ったチームは市内で1.2を争う強さだったようで、学年が上がってチームメイトが増えるにつれて私の出場機会は減っていきました。
フィールドの能力に見切りをつけられた私は、小2の時に初めて背が高い、走れないというありきたりな理由からキーパーで試合に出ることが多くなりました。
そのキーパーでもAチームのスタメンとして出ることは少なく、Bチームやベンチが主戦場となっていました。
最後まで私がスタメンに定着することはありませんでしたが、後にプロになるようなチームメイト達に揉まれ、またチームの雑草魂的な雰囲気にも助けられて、サッカーをする上で大事な負けん気、勝負強さを身につけることができました。
中学では小学校の時に強いチームに入っていたのが幸いして、早くから自分たちの代の主力として試合に出ることができました。
1学年上の先輩からスタメンを奪うまでは至らなかったものの、小学校時代よりも出場機会が増え、またチームを率いる立場になったこともあり、全体を見る力が身についたように感じます。
うちの学校は中学と高校でチームの雰囲気がガラリと変わり、高校のチームは進学校にしては珍しくハードな練習をこなす真面目な性格を持っていました。
さすがにハードな練習を積み重ねている先輩方からレギュラーを奪うことは叶わず、順当にベンチを温めていましたが、高一の夏頃に先輩が立て続けに退部し、突然最年長GKとなったことで試合にたくさん絡むようになりました。
その頃はまだ右も左も分からず、先輩方の足を引っ張らないようにすることに必死で、自分の強みを見つけるまでには至らなかった覚えがあります。
そんな私の奮闘もむなしく、高1の選手権では都大会の1回戦で負けてしまいました。
代が変わってチームを引っ張る立場になったことや、後輩ができたことが影響して、高一の秋頃になるとチームに対する責任感が増すようになりました。
GKコーチがいない中、自分で練習を組むために海外の動画を見漁ったり、声掛けを統一するためにチームメイトと話し込んだりするようになり、自然とサッカーへの愛着、熱量が高まっていきました。
これまでは漠然と大学でもサッカーをしたいな、サークルは緩いから嫌だなくらいにしか思っていなかったのですが、前年度一緒にプレーしていた旭さん、岡部さんが東大に受かって、ア式に入ったことをきっかけに、本格的にア式に興味を持ち始めました。
高2の頃のチームは中々内容に結果が伴わず、リーグ戦では3ヶ月近く勝てない時期が続きましたが、その頃にチームが勝てるようにするための方策を考える、ゲームマネジメント的な分野に興味を持ちはじめ、サッカーをより奥深く考えるようになったような気がします。
この年の選手権では、リーグ戦での不甲斐なさとは裏腹に快進撃を続け、ついに都大会の3回戦まで進んで、前年度全国ベスト4の関東第一と対戦することになりました。
さすがに勝てないだろうと半ば諦めムードで試合に臨みましたが、あれよあれよという間に時間は過ぎ、あろうことかPK戦にまでこぎつけるという大快挙を成し遂げました。
惜しくもPK戦の末敗れてしまいましたが、頭脳派集団が格上のチームを追い詰めるという経験を経て、下克上の精神にさらに磨きがかかったように感じます。
そうこうしている内に三浦さんのSNSを見つけ、ア式の実際の練習を動画で見たことを機に、ア式への興味は更に高まり、三浦さんに連絡して練習に参加させて頂くことになりました。
東大生は勉強ばかりでどうせサッカーなど大したことがないだろうと高を括っていましたが、いざ実際に入った練習では全くと言っていいほど通用せず、そのレベルの高さに驚き、ここでなら全力でサッカーをすることができるという確信を得て、心の中で1年半後の入部をほぼ確定させました。
再び代が変わって新たに誕生したのは、前年度から主力として活躍していた選手が多く、複数の選手が主体的にアクションを起こすことができるチームでした。
しかしその中で絶対的存在感を放っていたのがO君で、(結果的に彼はその年のチーム内得点王、アシスト王になりました)内外部ともに自分たちを彼のワンマンチームと捉えていたように思います。
そんな彼の大車輪の活躍もあって、チームは7月頃までは好調を維持していましたが、夏の校内合宿で転機が訪れました。
とある事件(f君、懐かしがらずに心して反省するように!)によって顧問がしばらくの間指導を放棄することになってしまいました。
私をはじめとする3年生の部員はチームをマネジメントする主体となって、練習メニューから出場時間、ゲームプランまで様々な事象を考慮して活動するようになりました。
この期間に私はチームのオーガナイズについての考えを深め、試合中の振る舞いや展開の操作といった、チームの状況を気にかけて行動するという面に磨きをかけました。
指導放棄中の最初のリーグ戦では、プラン通りに展開が進み、同格の相手を圧倒して完勝を収めることができ、チームをコントロールして勝利に導くことの快感を覚えて、さらにサッカーへの愛着を深めました。
思いの外指導放棄がチームにとって良い方向に作用したことで、私たちの代では顧問の介入が格段に減少し、部内において自治体制を構築することができました。
この体制の中で私は組織を導く一員として貢献し、自らの知見や能力を提供するだけでなく、組織全体に目を向けることを習得しました。
そんな順風満帆な夏季とは裏腹に、この年の選手権は都の1回戦であっさりと負けてしまい、私は呆気なく引退を迎えました。
敗因は私にとっては明確で、私たち高校生が考えた浅はかな「げぇむぷらん」は強豪チームの監督が本腰を入れて練ったそれには遠く及ばなかったことに尽きるように思われます。
ゲームマネジメントを考え始めてから初めてその面において徹底的に打ちのめされ、私はサッカーの奥深さを思い知らされることになりましたが、私はそこでサッカーをさらに追求し、その楽しさを享受したいと考えました。
つまるところ私はこの敗北でア式への入部を確定させ、受験期のモチベーションとしました。
10月までサッカーに明け暮れていた私は周囲と比較すると圧倒的に基礎知識が不足していて、塾の先生にも呆れられるほどでしたが、部活動で培ったマネジメント力を最大限活用することでなんとか合格を勝ち取り、晴れて(先輩方の期待は裏切ったようですが)ア式への所属を現実としました。
入学直後は大学生活の楽しさに、離脱期間はプレーが出来ないもどかしさに敗北して、サッカーへの愛着を失いかけましたが、徐々に公式戦に絡むようになってからは再びサッカーでしか味わえない高揚感や満足感を享受することができているように感じます。
今は一年生ということもあり、チームが標榜するゲームモデルにぶら下がって、いち駒としてそれを遂行するにとどまっています。
しかし、ゆくゆくは高校時代のようにチームをマネジメントする立場になって、また高校時代には得ることができなかったチーム同士の思惑のぶつかり合いの楽しさ、ゲームモデルを進化させ、チーム内で共有する愉しさを感じることができるように成長していきたいと考えています。
長ったらしい文章でしたが、最後までお付き合いありがとうございました。
ゲームモデルを教えてくれる徹さん、テクの方々、GK技術の改善に尽力してくださる三浦さん、OBコーチのお二方、プレーのアドバイスをしてくれたり、話し相手になってくれる先輩方、同期のみんな、選手をサポートしてくれるマネの方々、これからもご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
コメント
コメントを投稿