月の満ち欠け

松尾遼(1年/MF/甲陽学院) 


 東京の夜空には都市の明るさで星は見えず、見えるのは月だけである。僕は幼い頃から、空を見上げる。上を見ることで、気持ちは晴れやかになり、視野が広まる感覚があるからだ。月の話をすると、急にどうした?なんかあった?と多くの友達はいうし、この文章を読んでいるあなたもそう思うだろう。でも、僕にとっての日常である。

 

 7 月 18 日木曜日 20 時頃。夜空には、まだ満月になりきっていない月があった。月はいつも自分を鼓舞してくれていたが、その日の月の不完全さは自分をいらだたせ、むしゃくしゃさせた。吹き出る汗に、少し生ぬるいボトルに入った水、そして今にもこぼれ出そうな涙。あらゆる水分がうっとうしかった。そう感じさせたのは、強い痛みのせいだと思う。そう、その日僕は大きな怪我をした。

 

 季節は春に戻る。3月 25 日月曜日 9 時頃。僕はまだ関西にいた。この日、母校で一つ下の代の卒業試合が行われ、人数あわせとして参加することになった。浪人した僕にとって、一年ぶりのサッカーで、引退からも一年半以上経っていた。久しぶりのサッカーは当然全く動けず、20 分でへたばり、交代。感想は怪我しなくてよかったということと、やっぱサッカー楽しいーっていうことだけだった。大学でサッカーするのもありだけど、体力的にしんどいからいいかな。この時、ア式でサッカーする気はなかった。



 4 月 10 日水曜日 19 時頃。この日、ア式の新歓に参加した。参加の理由はサッカーがしたくなったというだけだった。正直、漠然と皆うまいなと思ったくらいであまり印象は強くないが、とにかくサッカーが楽しく、もっとしたいという思いが強まった。でも、大学生のうちしかできないことは他にもたくさんある。やはりア式に入るつもりはなかった。



 4 月中、もう一度くらい新歓に参加したはずが、これまたいつ行ったかさえも忘れた。この頃、サッカーのサークルの新歓にも参加したが、あまり楽しいとは思えなかった。やはり、僕は何かに熱中することで得られる楽しさを求めていた。部活でしかそれは得られない。自分の中では、アメフト部とア式が候補だった。そして、その二択からかなり迷った。様々な人に相談し、葛藤した。(その際思ったこともぜひ記したいが、長くなるので省略。一部だけ記すと、シティズンの僕にとって、4 月 18 日 4 時忘れもしない cl quarterfinal secondleg シティ vs マドリーの試合の影響は大きい。)やっぱりサッカーがしたい。最終的にはたったそれだけだが、大きく膨らんだその気持ちが理由でア式を選んだ。



 5 月 6 日月曜日 19 時頃。初めての新入生練習が行われた。この日は朔の日、新月だったようだ。気持ち新たにア式の練習に参加した。調子はまあまあだったと思う。新歓にあまり参加していない僕は全員初対面だったが、一週間くらいで、仲良くなれた。サッカーという共通点は最強であり、不思議とノリも高校のサッカー部と似ていた。
 


 5 月の練習は特別怪我しないことに注力していた。正直、週 6 回の練習は自分にとってはかなりオーバーワークで、授業が重なり、週4になったのはちょうどよかった。この頃はうまくなることより怪我が怖いと思っていた。おかげで怪我はなく、筋肉も心肺機能も月が満ちていくように戻ってきていることを実感していた。



 6 月 11日火曜日 19 時頃。新入生練習が終わり、育成に合流して一週間が経っていた。Aチームに呼ばれ、初めての練習に参加した。確かな理由はよく分からないままの参加だったが、そこであれこれ考えることはなかった。ただ一年生を除き初対面の人しか周りにいなかったことは心細かった。その練習で僕はしっかり洗礼を受けた。胸を合わせろ、ボールは下半分で受けろ、正対しろ、ボールキープは高重心で、プレーする方向を変えろ、ボールホルダーから離れろ、近寄れ...。サッカーの基礎で、新入生練習でも何度も言われていたはずだが、このときまでその重要性を理解していなかった。練習中と練習後、ありとあらゆることを徹さんや先輩に指摘され、その正しさゆえに何も言い返すことができなかった。帰宅後、洗濯物を取り込みに寮の屋上に行くと、細長いものの毅然とした三日月が見えていた。



 また、その週の練習では途中で練習からはずされることもあった。来週にでも育成に行く羽目になるのではとも思った。そんなネガティブな陰の自分がいた一方で、楽観的な陽の自分のほうが勝っていた。怪我がなくきたし、最低限の目標は達成されている。所詮、周りも発展途上なのだから、先輩に何か言われても思うことがあれば俺から言い返せばいい。ミスをすれば何が良くなかったか聞けばいい。A チームでの練習は育成より学べる事が多いのだから俺は上手くなれる。そんな感じのことをぼんやり思っていた。



 6 月 15 日土曜日 18時頃。部活の帰り道の自転車をこぎ、爽快感に満たされ、上機嫌で上限の月をながめたのを覚えている。セカンドの試合に出場した。たった一週間だった。だが、その成果はかなり出た。これからまだまだうまくなれる。月がこれから満ちていくように。そう確信した。



 7 月 7 日日曜日 17 時頃。鳴り響く応援の声は気分を高揚させた。練習での成果がすこしずつ出始めていたこの日、初めてリーグ戦に出場した。相手は首位の帝京だった。試合前色んな人に、緊張してる?と聞かれた。緊張は多少あったが、それよりもわくわく感が勝っていた。自分のなかで、ろくに練習してないのに皆のまえで吹くリコーダーのテストのほうがよっぽど緊張する。その日 17 時になっても 35 度を超える暑さだった。また、いつものアンカーではなく、インハ起用。しかも、大学生になってから 45 分以上出たことないのに、90 分行くといわれていた(さすがに無茶ぶり、、、)。結局 80 分で交代したが、とにかくしんどかった。なにもできなかった。負けたことより、いいプレーができなかったことが悔しかった。悪くはなかった、でも良くもなかった。練習試合と公式戦はこんなにも違うものなのかと実感した。90 分がいかに長く、その中で勝つことの難しさを改めて認識した。大智さんに車で送ってもらった帰り道、いつも通り見上げた夜空に月を見つけることはできなかった。朔の日だったようだ。まだア式サッカーのスタートラインに立ったに過ぎないのだと思った。



 7 月 14 日日曜日 20 時頃。リーグ戦、ベンチスタートだった自分は月を見る余裕があった。大きく綺麗な上限の月だった。月と僕に何の因果関係もないとわかっていたが、僕も上昇傾向のいいプレーができるのではと気分は高まった。僕は残り 20 分、一点ビハインドで投入された。得点に絡むことが必要とされていた。だが、結果はゴールを奪えず敗戦。自分のプレーは良くなかった。あそこでああしていれば、という後悔が多かった。思い出したくもないが、課題が浮き彫りになったのは明らかだった。来週にはリーグ戦があるから、すぐに気持ちを切り替え、課題をそこで生かすしかなかった。



 そんな中迎えた 7 月 18 日木曜日 20 時頃。練習中のどうしようもない事故だった。怪我した瞬間、大けがを直観した。みんな気を紛らわせようと冗談をたくさん言ってくれた。先輩たちは大小さまざまな怪我を経験していたからこその対応だった。寮に帰ってからも、寮の人がいっぱい食べ物を買ってきてくれて、夜遅くまで楽しい時間を過ごした。次の日テストがあったおかげで、勉強で気を紛らわせられた。



 7 月 23 日火曜日。検査の結果、前十字靭帯損傷、半月板損傷、内側靭帯損傷。元通り試合に出られるまで約一年かかると告げられた。それから歩けなかったので、生きていきるだけで精一杯だった。楽しみにしていた夏休みの予定をキャンセルしなければならないことや、四年生ともうサッカーができないこと、部活に参加できないのでしばらくみんなに会えないこと、なによりしばらくサッカーができないことをひとりで考えると、さすがに病んだ。部屋から見えた少し欠け始めた月は、周りに光る仲間もいない孤独な存在に見えた。普段は安らぎだと感じられる夜一人でいる時間は、正直つらかった。



 とはいえども、こんな感じで陰の自分がいた反面で、やはり陽の自分もいた。たしかに無意識に強がっている部分があることは認めなければならない。だが、双青戦に観戦に行ったとき、ある先輩に「楽しく生きろよ」と言われたが、十分に楽しく生きられている。サッカーを中心に生きているとつい忘れがちだが、サッカーがすべてではない。時間はあるから友達とゲームしたり、本を読んだりもできるし、歩けるようになったら旅行でもすればいい。



 そんなことを言いつつも、やっぱり大好きなサッカーがしたい。そのことに関しても大丈夫。サッカーを見ることはできる。今までなんとなく見てきたサッカーをプレイヤー目線で見返せば、面白いだろう。そして、想像する。この大怪我から復帰して活躍する日が来たら、気持ちいいだろうし、完璧な復活のストーリーが完成するだろう。なにより今よりもサッカーの素晴らしさに気付けるにちがいない。焦ることはない。月のように、俺の人生も俺のサッカー人生も満ち欠けするのは当たり前のことなのだから。

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