俺の4年間
田中大智(4年/DF/宇都宮高校)
引退してもう5ヶ月ほどたった。最近は何をしているかというと、サッカーをしていた時間をそのまま筋トレに使っているだけで、あまり生活に変化はない。この5ヶ月間ずっと書くのを避けていたfeelingsを遂に書き始めようと思う。卒部feelingsということで自分のア式での4年間を思い出せる限りで書いていこう。
1年目
多くのコーチ、練習や試合を支えるスタッフ、映像を撮影しフィードバックをくれるテクニカルスタッフ、そして人工芝のグラウンド。まるでプロのような環境に感動し、ア式への入部を決めた。何か明確な目標があったとか、サッカーでやり残したことがあるとか、そういうわけではなく、ただこんな環境でサッカーがしてみたいと思った。
しかし、入部してみると周囲のレベルの高さに圧倒され、練習についていくだけで精一杯だった。自分は明らかにB2で1番下手だった(上西よりはうまかったと思うけど)。入部するからには公式戦で活躍したいとは思っていたものの、4年間かけてもAに上がることさえできないのではと感じていた。でも、この環境なら自分はサッカーが上手くなれるだろうという期待もあった。
2年目
新入生が入る前の育成チームは少人数での練習が多く、それが自分には合っていたのか、確かな成長を実感することができた。退部者が多かったこともあり、1年の頃に目標としていたサタデーリーグ出場は思いのほかあっさりと叶った。
この年の育成チームはサタデーリーグのグループステージを無敗で突破し、練習試合でもほとんど負けなしと、非常に調子が良く、個人としても手応えがあった。
シーズン末にはAに上がることができた。1年目には考えもしてなかったAチーム昇格は嬉しかったが、自分なんかがやっていけるのかという不安もあった。案の定、Aでは自分のプレーが全く通用せず、たったの2週間で育成に落とされた。自分が実力不足であることを痛感させられた。
3年目
主力選手がたくさん引退したから代替わりのタイミングでAチームに上がることができた。今年の目標はとにかくAチームにいること、あわよくば公式戦にでたいと考えていた。ボランチではあまり上手くいかず一度育成に落ちたものの、ポジションを変えて再びAチームへ昇格した後は徐々にベンチ入りの機会も増えた。
リーグ戦デビューは前期大東戦。途中交代の一平さんが怪我をしたため自分が交代で出ることになった。たった数分しか出ていないし、ボールも一回しか触っていないけど、とにかく出れたことが嬉しかった。
そして初スタメンのチャンスは突然やってきた。怪我人が続出したことで、横国戦で初めてスタメンに選ばれた。緊張で無我夢中すぎて、危険スライディングでイエローをもらい退場しかけるなど見ていた人はヒヤヒヤしただろう。この試合は洸が劇的ゴールを決めて勝たせてくれた。
今度は玉川戦で体調不良の八代さんの代わりに急遽スタメンとなった。前日練に八代さんが無理して来て「お前には任せられない」と言われたときはちょっと腹立ったけど、どこか安心した自分もいた。それだけに当日、スタメン変更を伝えられた時は緊張で胃が張り裂けそうだった。自分のせいでビルドアップが崩壊したが、最後にはみらいさんのスーパーミドルで逆転勝利した。
スタメンで出た試合はどちらも劇的勝利で、自分のプレーが酷かったことなんて忘れるくらいめっちゃ興奮した。
他にも途中出場する機会も何度かあったし、オカピさんにもずっと面倒を見てもらえて成長できた、とても充実したシーズンだった。
けど実際に公式戦に出てみて、自分の実力がそれに見合っていないことも実感した。
4年目
昨年の主力のDF陣が引退し、自分にもチャンスがあるとは思った。
もう一度、去年感じたあの興奮を感じたいと思っていた。だけど、シーズンが始まって約1ヶ月後、育成に落とされた。理由はコンディションが悪かったからだった気がする。最初はあまり落ち込んでいなくて、すぐにAに戻れるだろうなんて軽く考えてた。でも、実際は全然上手くいかず、時間はどんどん過ぎた。
アミノが始まる直前、怪我人の影響でAチームに呼ばれ、急遽スタメンとして出場することになった。しかし、育成でも上手くいってなかった自分が公式戦で通用するはずなんてないと、自分に自信が持てなかった。結果、プレーは消極的になり、何をしても上手くいかなかった。
その後のシーズンは最悪なものだった。
怪我人が復帰すると当然試合には出られなくなり、週末の試合はベンチから眺めるだけ。セカンドの試合も組まれないから週末のプレー時間が0なんてこともあった。この時期は色んな感情でぐちゃぐちゃだった。自分だけ成長できてない焦りとか、チームに何も貢献できてない無力感とか、プレー時間を与えてくれない指導陣への苛立ちとか、とにかく気分は最悪だった。こんなだから、練習もあまり集中できていなかった。だから当然、成長はしないし、試合にも出られない、負のループに陥っていた。
中断期間に入ると、ついに育成に降格した。今シーズン2回も育成に落ちるなんて考えてもいなかった。もう自分が戦力外なんだということを痛感した。
「苦しい時期もあったけど諦めず、なんとか息を吹き返して最後には公式戦出場を掴み取った。」
できればこんな卒部feelingsにしたかったが、現実はそうではなかった。
実際には、もう完全に心は折れ、残りのア式生活を楽しく過ごそうなんてぬるいことを考えていた。そんな気持ちで過ごす残りの数ヶ月はとても長く感じた。「はやく引退したいな」とか思っていた。
でも自分の引退試合後、感じたのはやっと終わったという解放感ではなく、やりきれなかったことに対する後悔だった。やっぱり心のどこかではまだ諦めきれてはなかったらしい。
次の日、最後の公式戦はたくさんの同期が出場した。長く育成で一緒にやっていた希一や杉山、洸も活躍してた。彼らにだって同じように辛い時期があったと思うけど、彼らはそれを乗り越えてそこに立っていた。そう思うと自分が情けなくてどうしようもなかった。
こんな気持ちで引退を迎えてしまったから、引退後はなるべく思い出さないよう努力していた。feelingsも卒論だとか卒業旅行だとか理由をつけて書くのを避けていた。なのでいざ書こうとした時に、全然思い出せなくて想像以上に書くのに時間がかかってしまった。佳吾、本当にすまん。
振り返ると、特に最後のシーズンは納得いくものではなかったし、自分の思い描いていたような結末ではなかった。けどB2で1番下手だった自分がここまで成長できたことは少しは褒めてあげたい。
やりきれなかった後悔はあるけど、それでもこの環境でサッカーを続けられたことは本当に恵まれていたし、ア式じゃなければこんなにも感情が大きく揺さぶられることもなかったと思う。
改めて、かけがえのない経験をさせてもらったア式には感謝しかない。自分がア式に貢献したことはほとんどないけど。それでOBコーチもする気がないとはなんと恩知らずな。
同期のみんな、後輩たち、先輩たち、本当にありがとうございました。みんなと出会えて、サッカーをすることができて幸せでした。これからも仲良くしてください。
家が近いのでたまに応援しにいきます。
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