誰そ、彼
杉山弘樹(4年/MF/駒場東邦高校)
「サッカーを知りたい」
はじまりはその気持ちからだったと思う。
サッカーを見ていると試合の60%も70%もボールを保持するチームがいる。
手玉に取るように相手のプレッシャーをいなし、ボールを前に運んでいく。
ゴール前では一瞬の閃きで守備の網をすり抜け決定機を創り出す。
しかし、そういったチームがいつも勝っていたわけではなかった。
ひたすら前線に長いボールを入れフォワードが収めてチャンスをつくるチーム。
懸命な守備から盤面をひっくり返すような痛快な一撃を叩き込むチーム。
色々なシーンがあった。見ていて楽しかった。
でも10年来サッカーをしてきたのにわからないことがたくさんあった。
なんでそんなにフリーでボールを受けられるのか。
なんでそんなにうまくボールが回るのか。
なんでそんなに落ち着いてプレーができるのか。
自分にもそんなプレーができたら楽しいだろうな。
そう思ったのがきっかけだった。
今まで続けてきたサッカーをこのままで終わらせたくなかった。
しかし、この4年間、
「試合に出なければこの部にいる自分に価値はない」
そんな考えが強迫観念のように取り憑き自分を離さなかった。
毎試合、毎練習が勝負で、必死だった。
特に記録にも残らない、1人の大学サッカープレーヤーの4年間を書き残しておこう。
一番底からのスタートだった。
大学に合格した年の3月、コロナ禍で新歓は大々的には行われていなかった。
中高の同期がいるのを知っていたからア式の情報は追っていた。
4月に入ったら練習会があるらしい。
何回か練習会に参加した。芝が張り替えられる前の御殿下。
久しぶりのサッカーは楽しかった。
その後に行われていたAチームの練習を見て圧倒された。
新監督のもとでリーグ戦に臨むAチームの紅白戦は覇気があって、見ているだけでもちょっと怖かった。
東大生でサッカーが上手くて真剣に部活をしている。
そんな姿を見て憧れを抱いた。
当時描いた理想像を追い求めて入部した。
でも現実は甘くなかった。
最初に直面した問題は全然走れないことだった。
競技から2年以上離れていたこともあってか、体力が地に落ちていた。
練習試合でもすぐに息が上がりめちゃくちゃきつい。
なんとか爪痕を残そうと一人で無理にプレスに行くも、簡単にかわされて前進される。
一人だけ10分くらいで交代させられた。
育成チームの中のサブカテゴリーでもスタメンでは試合に出られない日々。
重い荷物を持って遠くのグラウンドまで行って試合をして帰ってくる。
試合も思い通りにはプレーできない。
大学生になってまで何をしているのだろう。
何のために続けているかよくわからなくなっていた。
自分とア式を繋ぎ止めていたのは、壊れてしまいそうな信念としょうもないプライドだけだった。
でも続けていると徐々に走れるようになってきた。
やりたいプレーも少しずつできるようになってきた。
継続は力なり。
2年目が一番楽しくサッカーできていた気がする。
この年の育成チームは年間通してほぼ負けなし。
点を取られても必ず取り返せると思っていたし負ける気がしなかった。
サタデーリーグでは盤石に勝利する試合もあれば、後半アディショナルタイムに失点して取り返すといった劇的な試合もあった。
OBコーチのおかげで一つ一つのプレーに意図を持ってやろうとしていた。上手くなっている気がした。コーチたちに期待されているように感じていたし、だからこそ良いプレーをしないといけないと思いながら毎週の試合に臨んでいた。
この時のア式は東京都2部で戦っていた。
試合を見るのは楽しかったし、チームの核として同期が活躍するのを見てすごいと思っていた。
でも心のどこかで、遣る瀬ない気持ちがあった。
このチームでプレーする以上、目指すべき場所はそこだった。
3年目。個人的に一番苦しかったシーズン。
昨シーズンの代替わりのタイミングでAに上がった。
自分がどれくらいやれるのか期待を膨らませていた。
やはり現実は甘くなかった。
高い強度についていくのに必死で毎日が苦しかった。
練習に行くのが憂鬱だった。
それでもなんとかしがみつこうともがいていた。
プレシーズンの200mランもタイムに入れなかったら落とされると思い必死で食らいついた。
紅白戦ではいつも11vs11からあぶれ、一人だけで外から見ていることもあった。
お前はチームに要らないと言われているようで苦しかった。受け入れたくなかった。
ある時、ついに耐えられなくなった。
本気で辞めようかとも思った。
家族に弱音を吐いて心配させてしまった。あの時はごめんなさい。
試合に出られず苦しんでいる人たちのブログを読み漁った。
同じような境遇の人はサッカーに限らず実力主義の世界にはたくさんいて、同じような思いを持っていた。それらを読み勇気をもらっていた。
でもそれは気休めの薬で、時間が経つとまた憂鬱な気持ちになる。
ちょうどfeelingsの担当が回ってきていたので自分の気持ちを振り返ることにした。
サッカーがうまく行っていないこと。
大学の課題に追われて余裕がなくなっていること。
これらが相互に影響を及ぼしあって悪循環になっていること。
ア式を辞めた自分を想像してみた。
信念を曲げた自分が嫌いになるだろうな。
いずれまたサッカーがしたくなるだろうな。
ここまで積み上げてきてリーグ戦に出場できる望みが出てきた。
いまそれを手放すのはどうなのか。
まだ何も成し遂げていないのなら失うものなんてないじゃん。
このまま挑戦を続けることが最善の選択だと思った。
それから数週間後、初めてリーグ戦の舞台に立つことができた。
自分のせいで失点した試合。勝ちにつながるプレーができた試合。チームは勝ったが自分は何もできなかった試合。
結局、何試合か出場できたけど、一年を通したらほとんどは外から試合を眺めていた。
悔しかったけど実力不足であることはわかっていた。
自分の中で転機となった試合は代替わり後の東京カップ帝京戦。
チームは順調にトーナメントを勝ち進み、個人的にも最高学年になってもっと試合に出て勝利に貢献できればと期待していた。
またしても、現実は厳しかった。
何もできなかった。
ピッチ上に一人取り残された感覚。
メンタルや技術何もかもが足りないと痛感させられた。
何より公式戦に出させてもらって戦えない姿を見せるのが本当に苦しかった。
限界を感じた。
せめて走れるようになろうと思って、習慣的に筋トレするようになった。
このおかげなのかは分からないが、以前よりも高強度に耐えられるようになった気がする。
もっと早くから始めておけば見える世界が変わっていたのではないかと、今更ながら後悔している。
4年目。
プレシーズンは多くの期間をセカンドでプレーした。
今まであまり経験がなかったウィングでのプレーが増えた。
身体能力に自信がないから攻撃で大きな違いを生み出すことは難しいかもしれない。
チームで必要とされるようになるために少なくとも守備を頑張ろう。
すべてはリーグ戦に出場して勝利に貢献するために。
それがこの部にいる価値だと信じていたから。
思っていたよりも出番は早く訪れた。シーズン開幕戦で初スタメン。
試合には負けたけど、強豪相手にも通用する部分があると分かり少し自信になった。
前期で拾うことができた勝ちは3つ。
どれも思い出深くてとても嬉しかった。
それは自分が試合に出場してわずかながらもチームに貢献できていると感じることができたから。
前期それなりに試合に出させてもらった身として、責任を感じていた。
このままだとまずい。
もっと勝ち点を積み上げなくてはならない。
夏の中断期間に入る前の試合で勝ち点を取ることがとても重要だとわかっていた。
中断期間に入る前の最後の試合。
個人的には公式戦初ゴール。だけど逆転負け。
自分のゴールでチームを勝たせるなんてそんな上手くいくはずはなかった。
中断明けの試合で大敗。降格が現実味を帯びてきた。
次の週の振り返りミーティングでチームの方針を変える旨が伝えられた。
自分の出場機会が減っていく予感がした。
それでも個人としてはやること変えずに愚直にできることを続けた。
案の定、試合に出られなくなった。
個人的に良い感触があった週でもリーグ戦に出場できなくなった。
残留を争うプレッシャーのかかる中、自分が必要とされなくなっているのを感じた。
ずっと出場し続けることができるほどの実力はないとわかっていた。
試合に出られない原因は自分のせいだなんてことは理解していた。
でも、自分がチームから消えていくことに耐えられなかった。必死に抗った。
残り1ヶ月、練習の中でなんとかチームに影響を与えようと、味方への要求を増やしたり、味方を動かす声だったり、やれることやった。
ピッチ上で自分の存在を示そうとした。
一橋戦の勝利は素直に喜べなかった。
もうリーグ戦に出られないかもしれないと思い焦っていた。
残留を懸けて戦うみんなをベンチから眺めていた。
結局、出場できないまま最終週を迎える。
最後だからといって特にやることは変えなかった。
ピッチ内で自分ができることをやるだけだった。
最後の金曜日、スラックの連絡に自分の名前は無かった。
自分はメンバー外で最終節には出場できないことを知った。
こんなにも呆気なく終わってしまうのか。
やることはやってきたつもりだったけど、こだわれるところはもっとあった。
身体操作についてもっと調べてフィジカルコーチに教えを乞うとか、
食事を摂るタイミングや摂取量をしっかり管理するとか、
時間があるときにもっとサッカーを勉強してピッチ上で試行錯誤を繰り返すとか。
でもできなかった。やっぱり頑張り切ることって難しい。
努力不足、実力不足、それを含めて自分なのだと受け入れるしかなかった。
リーグ戦最終節の前日、練習試合で引退することとなった。
もうリーグ戦には出られないけれど、せめて少しでも見返そう。
調子は良かった。楽しんでプレーできていた。
ハーフタイムで自分が急遽明日メンバーに入ることを知らされた。
メンバーの中で怪我人が出たこと、そしてこの試合での自分のプレーが評価されたことが理由であるようだった。
最終節に出場できるかもしれない。
出場できたらやれることを思いきりやろうと思っていた。
勝てば残留、負けたら降格の一戦。
いつものように後押ししてくれる応援団。
その日はより一層頼もしかった。
前半を2-0で折り返し、後半開始してから追加点。
コーチ陣から自分の名前が呼ばれた。
出場できたのはみんなのおかげとしか言いようがない。
最後の笛が鳴ったらすべてが終わるのか。
不思議な感覚。
心も体も軽かった。
後半38分、自分がボールを奪い味方に繋ぐと逆サイドへ。フリーで待っていた味方が4点目。よく決めてくれた。
応援席に飛び込んでいくあの光景を、きっと忘れることはないだろう。
サッカープレイヤー人生の黄昏時になって思う、
「品格」を追い求め続けた4年間、思い描いた理想像に近づけただろうか。
いや、そもそもそんなもの存在していたのだろうか。
誰だったのだろう、あれは。
自分の4年間で唯一記録に残るゴールをたくさんの人が印象的だったと言ってくれた。中には今シーズンで一番好きなゴールだと言ってくれる人もいた。誰かの記憶に残るようなプレーが一つできただけでも続けて来て良かったと思える。
1年生の頃から自分のことを知ってくれている人から、4年目のプレーを見て驚いたなどという言葉をかけてくれることがあった。これまでやってきたことが報われたように感じられて、本当に嬉しかった。ただ、このチームは入学時に選手を推薦で獲得することはできないし、4年のサイクルで人が全員入れ替わるから、いま所属している一人一人がこの部を紡いでいく上で大切だし上を目指して努力しないといけない。つらいことはたくさんあったけど負の感情は大きな原動力になる。だからその気持ちを大切に、迷った時にはまず目の前のことを全力で。
どんな選手も上を目指している限りどこかしらのタイミングで大きな壁にぶつかり、プライドを折られるような挫折を経験する。割り切って違う道で頑張るか、それとも信念を持ってやり抜くか。この選択は個人の価値観やそのときの環境に依る。スポーツに限らずよくある話。自分にとってはそれが東大ア式であったというだけ。でもこの経験がきっと今後の糧になってくれるはず。
ここまで続けて来ることができたのも多くの人の支えがあったからです。
今まで関わったすべての皆様に感謝申し上げます。
杉山弘樹
サッカーを見ていると試合の60%も70%もボールを保持するチームがいる。
手玉に取るように相手のプレッシャーをいなし、ボールを前に運んでいく。
ゴール前では一瞬の閃きで守備の網をすり抜け決定機を創り出す。
しかし、そういったチームがいつも勝っていたわけではなかった。
ひたすら前線に長いボールを入れフォワードが収めてチャンスをつくるチーム。
懸命な守備から盤面をひっくり返すような痛快な一撃を叩き込むチーム。
色々なシーンがあった。見ていて楽しかった。
でも10年来サッカーをしてきたのにわからないことがたくさんあった。
なんでそんなにフリーでボールを受けられるのか。
なんでそんなにうまくボールが回るのか。
なんでそんなに落ち着いてプレーができるのか。
自分にもそんなプレーができたら楽しいだろうな。
そう思ったのがきっかけだった。
今まで続けてきたサッカーをこのままで終わらせたくなかった。
しかし、この4年間、
「試合に出なければこの部にいる自分に価値はない」
そんな考えが強迫観念のように取り憑き自分を離さなかった。
毎試合、毎練習が勝負で、必死だった。
特に記録にも残らない、1人の大学サッカープレーヤーの4年間を書き残しておこう。
一番底からのスタートだった。
大学に合格した年の3月、コロナ禍で新歓は大々的には行われていなかった。
中高の同期がいるのを知っていたからア式の情報は追っていた。
4月に入ったら練習会があるらしい。
何回か練習会に参加した。芝が張り替えられる前の御殿下。
久しぶりのサッカーは楽しかった。
その後に行われていたAチームの練習を見て圧倒された。
新監督のもとでリーグ戦に臨むAチームの紅白戦は覇気があって、見ているだけでもちょっと怖かった。
東大生でサッカーが上手くて真剣に部活をしている。
そんな姿を見て憧れを抱いた。
当時描いた理想像を追い求めて入部した。
でも現実は甘くなかった。
最初に直面した問題は全然走れないことだった。
競技から2年以上離れていたこともあってか、体力が地に落ちていた。
練習試合でもすぐに息が上がりめちゃくちゃきつい。
なんとか爪痕を残そうと一人で無理にプレスに行くも、簡単にかわされて前進される。
一人だけ10分くらいで交代させられた。
育成チームの中のサブカテゴリーでもスタメンでは試合に出られない日々。
重い荷物を持って遠くのグラウンドまで行って試合をして帰ってくる。
試合も思い通りにはプレーできない。
大学生になってまで何をしているのだろう。
何のために続けているかよくわからなくなっていた。
自分とア式を繋ぎ止めていたのは、壊れてしまいそうな信念としょうもないプライドだけだった。
でも続けていると徐々に走れるようになってきた。
やりたいプレーも少しずつできるようになってきた。
継続は力なり。
2年目が一番楽しくサッカーできていた気がする。
この年の育成チームは年間通してほぼ負けなし。
点を取られても必ず取り返せると思っていたし負ける気がしなかった。
サタデーリーグでは盤石に勝利する試合もあれば、後半アディショナルタイムに失点して取り返すといった劇的な試合もあった。
OBコーチのおかげで一つ一つのプレーに意図を持ってやろうとしていた。上手くなっている気がした。コーチたちに期待されているように感じていたし、だからこそ良いプレーをしないといけないと思いながら毎週の試合に臨んでいた。
この時のア式は東京都2部で戦っていた。
試合を見るのは楽しかったし、チームの核として同期が活躍するのを見てすごいと思っていた。
でも心のどこかで、遣る瀬ない気持ちがあった。
このチームでプレーする以上、目指すべき場所はそこだった。
3年目。個人的に一番苦しかったシーズン。
昨シーズンの代替わりのタイミングでAに上がった。
自分がどれくらいやれるのか期待を膨らませていた。
やはり現実は甘くなかった。
高い強度についていくのに必死で毎日が苦しかった。
練習に行くのが憂鬱だった。
それでもなんとかしがみつこうともがいていた。
プレシーズンの200mランもタイムに入れなかったら落とされると思い必死で食らいついた。
紅白戦ではいつも11vs11からあぶれ、一人だけで外から見ていることもあった。
お前はチームに要らないと言われているようで苦しかった。受け入れたくなかった。
ある時、ついに耐えられなくなった。
本気で辞めようかとも思った。
家族に弱音を吐いて心配させてしまった。あの時はごめんなさい。
試合に出られず苦しんでいる人たちのブログを読み漁った。
同じような境遇の人はサッカーに限らず実力主義の世界にはたくさんいて、同じような思いを持っていた。それらを読み勇気をもらっていた。
でもそれは気休めの薬で、時間が経つとまた憂鬱な気持ちになる。
ちょうどfeelingsの担当が回ってきていたので自分の気持ちを振り返ることにした。
サッカーがうまく行っていないこと。
大学の課題に追われて余裕がなくなっていること。
これらが相互に影響を及ぼしあって悪循環になっていること。
ア式を辞めた自分を想像してみた。
信念を曲げた自分が嫌いになるだろうな。
いずれまたサッカーがしたくなるだろうな。
ここまで積み上げてきてリーグ戦に出場できる望みが出てきた。
いまそれを手放すのはどうなのか。
まだ何も成し遂げていないのなら失うものなんてないじゃん。
このまま挑戦を続けることが最善の選択だと思った。
それから数週間後、初めてリーグ戦の舞台に立つことができた。
自分のせいで失点した試合。勝ちにつながるプレーができた試合。チームは勝ったが自分は何もできなかった試合。
結局、何試合か出場できたけど、一年を通したらほとんどは外から試合を眺めていた。
悔しかったけど実力不足であることはわかっていた。
自分の中で転機となった試合は代替わり後の東京カップ帝京戦。
チームは順調にトーナメントを勝ち進み、個人的にも最高学年になってもっと試合に出て勝利に貢献できればと期待していた。
またしても、現実は厳しかった。
何もできなかった。
ピッチ上に一人取り残された感覚。
メンタルや技術何もかもが足りないと痛感させられた。
何より公式戦に出させてもらって戦えない姿を見せるのが本当に苦しかった。
限界を感じた。
せめて走れるようになろうと思って、習慣的に筋トレするようになった。
このおかげなのかは分からないが、以前よりも高強度に耐えられるようになった気がする。
もっと早くから始めておけば見える世界が変わっていたのではないかと、今更ながら後悔している。
4年目。
プレシーズンは多くの期間をセカンドでプレーした。
今まであまり経験がなかったウィングでのプレーが増えた。
身体能力に自信がないから攻撃で大きな違いを生み出すことは難しいかもしれない。
チームで必要とされるようになるために少なくとも守備を頑張ろう。
すべてはリーグ戦に出場して勝利に貢献するために。
それがこの部にいる価値だと信じていたから。
思っていたよりも出番は早く訪れた。シーズン開幕戦で初スタメン。
試合には負けたけど、強豪相手にも通用する部分があると分かり少し自信になった。
前期で拾うことができた勝ちは3つ。
どれも思い出深くてとても嬉しかった。
それは自分が試合に出場してわずかながらもチームに貢献できていると感じることができたから。
前期それなりに試合に出させてもらった身として、責任を感じていた。
このままだとまずい。
もっと勝ち点を積み上げなくてはならない。
夏の中断期間に入る前の試合で勝ち点を取ることがとても重要だとわかっていた。
中断期間に入る前の最後の試合。
個人的には公式戦初ゴール。だけど逆転負け。
自分のゴールでチームを勝たせるなんてそんな上手くいくはずはなかった。
中断明けの試合で大敗。降格が現実味を帯びてきた。
次の週の振り返りミーティングでチームの方針を変える旨が伝えられた。
自分の出場機会が減っていく予感がした。
それでも個人としてはやること変えずに愚直にできることを続けた。
案の定、試合に出られなくなった。
個人的に良い感触があった週でもリーグ戦に出場できなくなった。
残留を争うプレッシャーのかかる中、自分が必要とされなくなっているのを感じた。
ずっと出場し続けることができるほどの実力はないとわかっていた。
試合に出られない原因は自分のせいだなんてことは理解していた。
でも、自分がチームから消えていくことに耐えられなかった。必死に抗った。
残り1ヶ月、練習の中でなんとかチームに影響を与えようと、味方への要求を増やしたり、味方を動かす声だったり、やれることやった。
ピッチ上で自分の存在を示そうとした。
一橋戦の勝利は素直に喜べなかった。
もうリーグ戦に出られないかもしれないと思い焦っていた。
残留を懸けて戦うみんなをベンチから眺めていた。
結局、出場できないまま最終週を迎える。
最後だからといって特にやることは変えなかった。
ピッチ内で自分ができることをやるだけだった。
最後の金曜日、スラックの連絡に自分の名前は無かった。
自分はメンバー外で最終節には出場できないことを知った。
こんなにも呆気なく終わってしまうのか。
やることはやってきたつもりだったけど、こだわれるところはもっとあった。
身体操作についてもっと調べてフィジカルコーチに教えを乞うとか、
食事を摂るタイミングや摂取量をしっかり管理するとか、
時間があるときにもっとサッカーを勉強してピッチ上で試行錯誤を繰り返すとか。
でもできなかった。やっぱり頑張り切ることって難しい。
努力不足、実力不足、それを含めて自分なのだと受け入れるしかなかった。
リーグ戦最終節の前日、練習試合で引退することとなった。
もうリーグ戦には出られないけれど、せめて少しでも見返そう。
調子は良かった。楽しんでプレーできていた。
ハーフタイムで自分が急遽明日メンバーに入ることを知らされた。
メンバーの中で怪我人が出たこと、そしてこの試合での自分のプレーが評価されたことが理由であるようだった。
最終節に出場できるかもしれない。
出場できたらやれることを思いきりやろうと思っていた。
勝てば残留、負けたら降格の一戦。
いつものように後押ししてくれる応援団。
その日はより一層頼もしかった。
前半を2-0で折り返し、後半開始してから追加点。
コーチ陣から自分の名前が呼ばれた。
出場できたのはみんなのおかげとしか言いようがない。
最後の笛が鳴ったらすべてが終わるのか。
不思議な感覚。
心も体も軽かった。
後半38分、自分がボールを奪い味方に繋ぐと逆サイドへ。フリーで待っていた味方が4点目。よく決めてくれた。
応援席に飛び込んでいくあの光景を、きっと忘れることはないだろう。
サッカープレイヤー人生の黄昏時になって思う、
「品格」を追い求め続けた4年間、思い描いた理想像に近づけただろうか。
いや、そもそもそんなもの存在していたのだろうか。
誰だったのだろう、あれは。
自分の4年間で唯一記録に残るゴールをたくさんの人が印象的だったと言ってくれた。中には今シーズンで一番好きなゴールだと言ってくれる人もいた。誰かの記憶に残るようなプレーが一つできただけでも続けて来て良かったと思える。
1年生の頃から自分のことを知ってくれている人から、4年目のプレーを見て驚いたなどという言葉をかけてくれることがあった。これまでやってきたことが報われたように感じられて、本当に嬉しかった。ただ、このチームは入学時に選手を推薦で獲得することはできないし、4年のサイクルで人が全員入れ替わるから、いま所属している一人一人がこの部を紡いでいく上で大切だし上を目指して努力しないといけない。つらいことはたくさんあったけど負の感情は大きな原動力になる。だからその気持ちを大切に、迷った時にはまず目の前のことを全力で。
どんな選手も上を目指している限りどこかしらのタイミングで大きな壁にぶつかり、プライドを折られるような挫折を経験する。割り切って違う道で頑張るか、それとも信念を持ってやり抜くか。この選択は個人の価値観やそのときの環境に依る。スポーツに限らずよくある話。自分にとってはそれが東大ア式であったというだけ。でもこの経験がきっと今後の糧になってくれるはず。
ここまで続けて来ることができたのも多くの人の支えがあったからです。
今まで関わったすべての皆様に感謝申し上げます。
杉山弘樹
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