さよならモルテン

新家遥(4年/トレーナー/聖光学院高校)


いつだったか,一年と少し前くらい,練習終わりにみんなでJリーグを見に行った.

ヴェルディvsジェフ.シーズン終盤,昇格を争う上位2チームの好カード.

飛田給の駅から味スタに向かうまでの道で,階段を駆け上がっていくヴェルディユニの小学生たちが無性に目に留まったのを覚えている.

子供たちの無邪気さが酷く眩しく映ったからだろう.

 

この記憶が意味することはわからないけど,とにかく無性に覚えているのでとりあえず記しておきます.

 

 

僕は,他の人よりも4ヶ月短いラストシーズンを過ごしました.

休部していたから.

 

ア式を辞めようとしたけど,結局帰ってきた理由について,4年間を振り返りつつ書いていけたらと思います.

 

 

 

中高サッカー部の同期の誘いで,みんなより少しだけ遅れてスタッフとして入部した.


フィジコやトレーナーとしてプロになろうという考えはほぼなかったが,選手とより近い場所に立ちたい,グラウンドに立ちたい,と思い,フィジコ兼トレーナーとして活動することにした.

一年生の時は,ひたすら当時フィジコをしていたタディさんについて回った.
自分の不甲斐ない部分もあり,タディさんにはたくさん迷惑をかけたし怒られたけど,知識・
技術の部分と精神的な部分でそれなりに成長できた一年だったと思う.

 

 

 

 

シーズンが変わり,タディさんもいなくなって,チームのフィジカル・メディカルをメインで担当する人員は自分だけになった.

 

その年のプレシーズン〜夏の半年弱くらいは,多少の波はあれどモチベーションを高く持って活動に取り組めていた気がする.タディさんが残してくれたマニュアルを参考にしつつ,自分で考えたり,調べたりしてアップやリハビリのメニューを組んでいた記憶がある.

試合の動画繰り返し見て,身体操作面での課題を抽出し,次の週でその課題に対応したメニューを考えてアプローチを試みる.身体の勉強を始めてから半年もしない素人の試行錯誤なので,効果とか意味とかはたかが知れていたけど,素人なりに頑張っていたと思う.

 

ただ,なんとかなっていたのも序盤だけだった.

シーズンの半ばから終盤に向かうにつれて,僕は試行錯誤をやめて,思考を停止し,ルーティンワークに終始するようになった.

試合を見返すこともほぼなくなったし,アップもリハビリもほぼ同じメニューをみんなに処方して終わりにするようになった.(別に同じメニューをやることが悪な訳ではないが,まだ身体への理解が浅かった自分にとって,ひたすら同じメニューを処方し続けることは,すなわち思考停止と同義だった)

 

シーズン前半に保てていたモチベーションは気づけばどこかへ行っていた.

 

疲れていたのだと思う.

 

なんとか1限に滑り込んで,友達に確保してもらった席に座り,意味が分からなくなってしまった板書を写し続ける.朝から夕方まで授業を受け,時間になったらグラウンドに向かう.

部活が終わって家に帰る.大抵,飼い猫以外はみんな就寝している.
母親が作り置いてくれた夕食を食べて(お母さん毎日ありがとう),お風呂に入って,また翌朝の授業に備えて寝る.

 

授業とア式をただ繰り返すだけの日々.

そして何より後ろめたかったのは,授業とア式に追われているのはみんな一緒なのに,自分だけがそんな泣き言を心にしまっているように思われることだった.

周囲と自分との,ア式に対する熱量の差を物語っていた.

 

 

この年,チームは見事に都1部への昇格を果たした.

俊哉さん・オカピさん・みつかさん・あやかさんはじめ,先輩方の助けのおかげで破綻なくシーズンを終えられたことに安堵し,心に積もる負債には目を瞑った.オフを挟んで心機一転,頑張ろうと思った.

 

 

 

 

ア式に入ってからの3シーズン目が始まった.

オフを挟んでも何かが変わることはなかった.

時間は本質的に何も解決しないことを実感した.

 

さっきは,あたかも学業と部活の両立に苦しんでいる,みたいな書き方をしたが,違ったようだった.
ア式の無い冬オフ中も,授業の無い2〜3月の長い春休みの間も,僕の“やる気”は地を這い,上に登ってくることはなかった.

 

 

何かを変えなければいけないことは明白だったが,何をどうすれば良いか分からなかった.

結局はルーティンに落ち着き,グラウンド外の業務もおざなりにしている自分に気づく.

 

辞めたいと思った.
ただ,シーズンの途中で全てを投げ出すほど無責任なことはない.
今年をなんとか乗り切ってから辞めようと決めた.

 

 

3月の途中になって学芸から米さんが来た.
知識も経験も僕とは段違いで,やることなすことの全てが目から鱗だった.
そして何より米さんは,自身のキャリアと目標を見据えて愚直に努力を重ねてきた人で,そういった物事への取り組み方・姿勢からも刺激を受けた.
そこからまたしばらくして,大智がフィジコ兼トレーナーとして入部してくれた.

 

米さんはなんでも教えてくれたし,メニューの組み方などアドバイスもたくさんしてくれた.
一年生以来,久しぶりに自分が成長できている感覚を得られたのを覚えている.

 

一方で,自分の成長を実感するにつれ,いかに自分がここ一年で何もしていなかったか痛感した.
そして,それがひとえに自分の努力不足が故であったことも同時に認識させられた.

 

自分がもっと努力していれば,オガさんは,潤さんは,歌は,陶山はもっと早く復帰できていただろう.長くサッカーができていただろう.
DLの人の名前をあげたらキリがないが,そんな考えが頭をよぎって,申し訳なくて,居た堪れなくて仕方がなかった.

 

やはりここから逃げ出したいと思った.辞める決意を固めた.
米さんや大智に,年の終わりと共に退部するつもりである旨を伝えた.
二人とも否定せずに聞き入れてくれた.

 

退部を決めてからは,淡々と米さんに振られた仕事をこなした.
米さんと大智にはかなり気を配ってもらって,なんとか3シーズン目を終えることができた.

 

 

 

 

ア式に入ってから3回目の冬オフを迎えた.

 

去就についてはあまり自分から言わないようにしていた(と思う)けど,何人かには相談していたので,ちょくちょくみんな引き止めてくれた.
当時指導陣との癒着疑惑があった吉本が「テツくんがアシスタントコーチ欲しいって言ってたよ」とか,関わり方を変える選択肢を出してくれたりもした.

 

みんなの優しさが素直に嬉しかったけど,あと1年を頑張れる気がしなくて,もう何も考えたくなくて,うーんと歯切れ悪く返事をして流した.

 

 

 

真路と退部者面談をした.
真路曰く,僕は“退部”という結論ありきで考えているように思える,とのことだった.

 

思えば,ずっとア式に入ってからの負の感情や後悔ばかりを数えていた.

 

では,ア式にいることで得られるもの・得られたもの,すなわち“やりがい”となるものは何だろうか.

 

あまりよく分からなかった.

 

チームが勝利を掴んだ時の喜びだろうか.
復帰した怪我人が活躍した時の嬉しさだろうか.
けど,チームや選手個々人の努力によって得られた成果を,自分のものとして受け取ることは難しかった.

 

 

結局のところ簡単な話で,“やりがい”を得るには相応の努力が必要であり,自分にはそれが欠如していたのだと思う.
チームの勝利・選手の活躍が喜べないのなら,自分がそれらに貢献していると少しは胸を張って言える程度に努めるべきだった.

 

ただ,自分には,重い腰を上げてもう一度頑張ろうと思えるほどの熱量が残っていなかった.
努力不足を頭で分かっていても,心が追いつかない.
シンデレラボーイじゃないけど.

 

 

それならばもう辞めてしまおうとなるわけだが,いざそうなると後ろ髪を引かれる.
引き止めてくれたみんなの期待に応えたいと思ってしまったから.
辞めてしまったら,ア式で出会った素晴らしい人々との繋がりも全て消えてしまうように思えて決断しきれなかった.

 

あまねさんも卒部feelingsで書いていたけど,やはり“人”だなと思った.

 

 

 

真路と2回目の面談をして,退部の決断を先延ばしにする形で休部することにした.
期間は1月〜3月.
これでやっぱり辞めたくなったら辞めれば良い.

 

 

休部期間中何をしていたか,何を考えていたか,あまり覚えていない.
覚えていないくらいには密度の薄い日々だったのだと思う.

 

頭の整理ができないまま,気づけば3月になっていた.

 

「人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが,何事かをなすにはあまりにも短い」
とは言うものの,何事もなさぬにしてもあまりにも短かった.

 

 

 

ある日,大学で用を済ませたついでに練習を見にいった.
トレーニングに臨む選手,黙々とリハビリに勤しむ選手,彼らを支える指導陣とスタッフ.
なんでもないア式の1日だったが,自分が手放そうとしている風景を目の前にして,心が揺れた.

 

また別の日,アミノの東工大戦を見にいった.
PK戦の末の劇的な勝利.

 

またしても心が揺れた.ちょろい.

 

このチームの一員でいたい.
彼らと一緒に引退したい.
そう思ってしまった.

 

休部からは戻らずに,消えるように辞めるつもりでいたのに,迷ってきた.
ただ,戻りたい気持ちはあるけど,結局また同じことの繰り返しになる気がして結論が出せなかった.

 

そんな時,真路や高口が「金曜日と公式戦だけでも来てくれたら助かる」と言ってくれた.
結局,4月の終わりまで悩んだ挙句,その言葉に甘えてコミットを減らして復帰することにした.

 

 

 

 

金日の週2回だけ出勤するようになった.
ア式スタッフでは前代未聞のコミットメントだろう.
関係者の方々にはたくさん迷惑をかけてしまいましたが,こんな形であっても受け入れてくださった皆様には大変感謝しています.

 

 

 

自分に残されたア式の時間は5ヶ月半.
8日練習に来るだけで1ヶ月が終わる.
研究や院試など目下のイベントに現を抜かしているうちに,時間はすぐに過ぎて気づけば9月に入ろうとしていた.
やはり時はあまりにも短い.

 

残された時間も短くなり,徐々にコミット量も元に戻して行った.
あまりに遅かったけど.

 

 

あっという間に最終節を迎えた.
ベンチには試合前日の不運な怪我で出場が絶望視されていたイシコがいる.
大智と一緒に手は尽くしたが,試合に出るのはかなり厳しいように思われていた.

 

後半,陶山のゴールで点差が4点に広がる.
イシコが呼ばれる.

 

ぎこちないダッシュで,泣きながら交代でピッチに入っていくイシコを見て,思わずもらい泣きしてしまった.

 

試合が終わった後,
「(試合に出られたのは)新家と大智が頑張ってくれたおかげよ」,
イシコが言ってくれた.

 

「試合に出たい」という,23歳男が泣くほどの願いを叶える一助になれた.
見失っていた“やりがい”を最後の最後に見つけることができた気がした.

 

 

悩み続けたア式生活.
しんどいが勝ち続けた日々が少し報われた.

 

 

 

 

最後の最後に本当にうれしい出来事があって,
なんとなく自分の中でハッピーエンドとして処理されているけど,正直,ア式に復帰したことが果たして良かったのか,いまだによく分かっていない.

 

みんなが引き留めてくれて復帰したは良いものの,自分に何ができるわけでもなく,結局淡々と業務をこなす.
何に期待していたのか,最後まで全部米さん任せになってしまったなと,無力に思う.
学ぶことはあるのでそれなりに成長している感はあるが,それ以上でもそれ以下でもない.
悪くはないけど特段良くもない日々だった.

 

ア式で何を得た?ア式で何を成した?

 

素晴らしい先輩,同期,後輩に出会えた.それだけ.
胸を張って「自分の努力で掴みとった」と言えるものはなかった.
選手・スタッフのみんながチームのために頑張っている姿を,指を咥えて眺めていただけ.

 

多くを求めすぎなのかもしれないし,案外みんなこんなものなのかもしれない.
葛藤しながらもア式を続けたこと自体に意味があるのかもしれない.
時間が経てば自ずと自分がア式にいた意味がわかってくるのかもしれない.

 

意味を求め続けたア式生活だったけど,自分にとっての正解はずっとわからなかった.
ただ一つ明らかなのは,ア式には,ア式に所属する,という選択の意味を自らの努力で手にした人達がいるということ.

 

少なくとも自分は彼らのような特別な存在にはなれなかった.
頑張っているつもりではいたけど,不足しかなかった.

 

不意に,とある曲の一節が頭に浮かぶ.

 

“さよならモルテン
僕らそれでも飛ぼうとしていた
実は自分が特別じゃないとただ知りたくないだけで”(さよならモルテン/ヨルシカ)

 

 

多少は足掻いた.すぐに心が折れたけど.
自分には圧倒的にア式にかける覚悟が足りていなかった.熱くなれなかった.
何かに打ち込んだ記憶ももう残っていない.
特別な人たちに憧れるだけで,自分は何もせず彼らを眺めているだけ.

 

思えば,小さい頃は負けず嫌いだった.
みんなができることが自分にできないことが悔しくて,ひたすら練習するような性格だった.
でも気づけば,失敗が怖くて,土俵に上がろうとすらしない無気力な人間になっていた.
薄々気づいていたけどア式では殻を破れなかったな.

 

“さよならモルテン
僕ら飛べないことが愛おしいとわかる気がして
少し香る
胸が詰まりそうになる”

 

 

 

 

最後に,
数えきれない先輩・同期・後輩の皆様にお世話になりました.
この4年間,何回も心が折れたけど,その度に皆の存在に支えられました.

 

たでぃさん,米さん,大智.
時期は違えど,お三方には本当にたくさんの迷惑をかけました.
その割に,自分にはありえないほど良くしてくれて,感謝してもしきれません.
皆様はおそらくそれぞれの分野でプロの道を目指すと思いますが,今後の活躍を心からお祈りします.

 

歌,吉本.
公私ともに,自分のア式の4年間は二人なしでは語れないと思う.
そのくらいお世話になりました.ありがとう.
けど,刺すのだけはやめてほしい.

 

真路.
真路が面談でしっかりと向き合ってくれなかったら,確実に考えもなしに退部していました.
真路にとっては,単なる仕事の一つだったかもしれないけど,本当に感謝しています.

 

まとめる形にはなっちゃうけど,同期のみんな.
みんなが同期だったから,自分は戻ってこようと思えました.ありがとう.

 

引き留めてくれたみんな,ありがとう.

 

 

この4年間,関わって下さった皆様に僕の好きな言葉を贈ります.

 

“これから先の人生,躓くことなんて当たり前だ.
それでも,ただ君に,晴れぬ空などないことを.“

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